286:下層へ~予定外は往々にしてあるもの~
おはようございます、安村です。五時間睡眠をとりました。寝る前に少々寒い目にはあいましたが、私は元気です。これも枕のおかげだろうか。ありがとうダーククロウ。
身体がまだ少し冷えている感覚がするので、早速お湯を沸かしてタオルに浸し、体を軽く拭く。気化熱でまた軽く体が冷えるので、ごしごしと体をこする事にした。心なしか温まった気がする。これで体を動かすには問題ないだろうが、念のためここでの日課のストレッチを強めにして体を温める。
文月さんのテントをガサガサ動かした後中にタオルを放り込む。もう一度湯を沸かし、今度はコーヒー二杯分の湯を確保する。
何時もより体が強張っている感じがする。やはり寝袋は必要……いや、もう人間洗濯機にされる事は無いだろうからその為だけに寝袋を用意するのももったいないな。でももしもの時の為には必要かもしれない。どうしようかな。安いのが有ったら買っておくか。メモ帳に「寝袋を買うかどうか悩む」とメモしておく。
後日ホームセンターに行った時に悩むことにしよう。今はその時じゃない。体調の不備はとりあえず無さそうなのでコーヒーを沸かしながらいつもの体操をする。
身体がちょい冷えしてる分だけ念入りに体をほぐす。急に体を動かすと神経や関節に来るからな。屈伸伸脚アキレス裏返し。下半身をメインに念入りに曲げ伸ばしし、体を温める。
手を組んで手のひらを上に向けて左右に、前後に体を揺らす。肩の調子問題なし。股間を前に向けたまま上半身を左右に振って腹斜筋あたりをほぐす。腹筋に力を込めて、攣りそうなギリギリまで力を籠めると一気に抜く。
よし、温まってきたぞ。満足したところでコーヒーを淹れて飲む。胃袋から順番に体が熱くなる。やがて胸から全身へ暖かさが駆け巡る。これでいつも通りの動きは出来そうだな。
俺は割とルーティンを大事にしている。いつも通りの動きが、いつも通りの所作が出来ればその後も同じようにいつも通りの振る舞いが出来ると考えているからだ。寝る前に中々悲惨な目にあったが、今日もいつも通りの所作が出来た。きっと大丈夫だろう。何かのフラグにはなっていないはずだ。
「おはよう~体もう大丈夫? ゆっくり眠れました? 」
文月さんが起きてくる。コーヒーを渡すとそのまま飲み始めた。若いと準備運動も要らないのはいいな。俺も昔は寝起き五分で飯食ってそのまま仕事へ向かうなんて事もやっていた時期がある。今はもう無理だ。
「とりあえず暖機運転は今した。問題ないんじゃないかな」
「ならいいんですけど。このまま体調崩して暫く逗留とかそのまま帰るとか……無理してない? 大丈夫? 」
「きつくなったら、その二歩手前ぐらいで言うよ。スキルのほうも……問題なく使えるみたいだ」
雷の玉を三つ程取り出して自分の周囲をグルグル回し始める。
「ちょっとこいつの試運転もしてみたいな。どのぐらいまで火力を出せるか」
「それ、どのくらいの強さで出してるんですか? イメージ的に」
「ジャイアントアントを一発で倒せればいいなーぐらいのイメージで出してる。もう二つぐらい多く制御できるようになれば十層もらくちんになるだろう」
「ちょっと何もない空間に向かって連発してもらっていいですか」
文月さんに実験を依頼されたので雷の玉を三つ、誰も居ないほうへ飛ばす。そのまま飛んでいく雷の玉は雷撃に比べればゆっくりだが、野球選手の投げるボールぐらいの速さで飛んでいく。そのまま雷の玉を作っては飛ばし、作っては飛ばし、作っては飛ばしを連続で繰り返し……三十個ぐらい投げたところで眩暈の予兆が始まった。
「今出せるのはここまでが限度かな。これ以上は眩暈タイムだ」
「自然回復を含めて三十発……十層をそれだけで突破するのはまだ不安ですね。私も……こんな感じで」
文月さんもウォーターカッターを作り出しては飛ばしを繰り返して、眩暈が起きるまで続けた結果三十発ほどで力尽きたらしい。二人何とも言えない感覚に襲われながら今頃気が付いたことを口に出す。
「……今から狩りに行くってのに二人して眩暈起こしてるのは不味くないか? 」
「やり始める前に気づくべきでしたね。ちょっと休憩してから向かいましょう」
結局さらに三十分休憩してから出発する事になった。二人して一体何をしているのか。お互いにその場のノリで始めたのでどっちが悪いとも言い切れない空気の中、とりあえずもう一杯コーヒーでも飲むか、となった。コーヒーはたくさん買い足したからいくらでも出るぞ。
コーヒーを飲みながら二人で保管庫に突っ込んであった探索・オブ・ジ・イヤーのパーティー募集欄とか他所のダンジョンのコラムなんかを読んで……とゆったりとした空気が流れる。時間を忘れてそのままボーっとしてしまいそうになるが、一応アラームはかけておいた。そこはきっちりとしないといけない。
「探索者に星座占いとか真面目に読んでる人居るんですかね」
「レアドロップは運だけが絡むと思われているみたいだからな。今月ならオーブ出せそうと言われたら一生懸命潜りたくなるだろ。その分ダンジョン庁も儲かって本も売れてみんな幸せってところじゃないか」
本当にのんびり本を読みたければこんな所まで来る必要は無く、この間みたいにきちんと冷暖房の効いた自分で淹れなくてもコーヒーを飲ませてくれる店へ行ったほうが時間的余裕も生まれるというものだ。なんで地上から三時間かけて七層まで来てこんなゆったり気分で読み物をしているんだろう。
これがデートなら俺は日常的に女子大生とデートしている事になるのか。血生臭くはないが闘争と金の匂いのする……デートにしてはムードが無いな。ここの周りの空間だけを切り取ればお前らなんでこんなところで読書してるの? と他のパーティーに冷やかされそうなものだが、只の調整ミスなので勘弁してほしい。
アラームが鳴る。こんどこそ狩りの時間だ。同じことは二度としない、メモ帳にしっかり刻んでおこう。
「出発前のスキル試し打ちは厳禁。やるなら仮眠前……と。一つルールが出来たな。後人間洗濯機もしない、これで二個か」
「さぁお金とお肉が私たちを待っていますよ。とっとと行きましょう」
自転車が無かったので歩きで七層を離れて八層へ。八層はいつも通りのさびしい湧き具合だ。たまには繁殖期イベントとかでわんさかワイルドボアが湧いて出てくれてもいいんだが……
「そういえば八層でもスキルオーブは出るんだよな。やはり数が少ないワイルドボアからのほうが出やすいんだろうか」
「思ったんですけど、投網やバードショットで落とすまで小西ダンジョンのダーククロウはほとんど狩られた様子は無いんですよね?すくなくともここ二、三ヶ月は」
「そうだろうと考えられるな。そうじゃないと手間のわりに苦労が多すぎる」
「なら、八層のダーククロウも全部叩き落していけば確率はさらに上がりますよね? しかも自分たちで取る確率が明らかに高いという目算で」
「つまりこの八層は新浜さん達が取るまでの四層の次ぐらいに出やすいマップになっている可能性が高い? 」
「だと思います。まあ今日明日頑張って張り付いて出る! ってものでも無さそうですけど」
「六層の場合は一気に五十羽とか叩き落してたからな。なんだかんだで狩った数は多い」
ワイルドボアに体当たりを喰らっては一振りで黒い粒子に還しながら、ダーククロウ一羽から取れるであろう平均的な羽根の重さを考える。ざっくり計算しても千匹以上狩った計算になる。結構頑張ってるな、俺。
「つまりここで手を抜いて素通りするよりもきっちり狩っていくほうが期待額は大きいと思うんですよ」
「清州ダンジョンの八層はダーククロウが結構多めのマップ構造だからな……ほれ、この地図の木全部に七羽ずつぐらいダーククロウが留まっていたはずだ」
清州ダンジョンの地図を見せながら説明する。八層はこの二つのダンジョンを比べると一番違いが大きい気がするな。
「なるほど……じゃあ清州はそこそこ狩られてる可能性が高い訳ですね。ここは……期待できそうにないですね」
「そう考えるとよく五層で【火魔法】拾えたな。あそこほどモンスターの少ない上に人通りのそこそこという悪条件もそう無いだろうに」
「全くですね。そこは安村さんがダンジョンに愛されでもしてるんじゃないですか」
「それが理由で【保管庫】を俺の手元に? こんな中年に何を期待しているんだろうな」
そもそも俺に対して何を期待しているのかすら解らない。解らない事は棚上げしておこう。思い出した時にまた考えよう。
「ダンジョンに愛されているなら十層もっと気楽に突破させてほしいなぁ。毎回神経を緊張させながらあれを潜り抜けるのはあまり好きにはなれない」
「もう二歩ぐらい成長出来たらきっと楽に突破できるようになりますよ。まずはあの雷の玉を五十個ぐらい出せるようになりましょう。わたしもそうなるように頑張ってみます」
ここ八層には一本しか見当たらない唯一の木に止まったダーククロウをサンダーウェブで綺麗にし、羽根と魔結晶を拾って九層への階段へ向かいながら、次出るなら何のスキルが良いかを考えていた。
せっかくだから予想外のスキルを、出来れば聞いたことも無いスキルをポロっと出してくれると、しいて贅沢を言えば一層まで一気に転移できるようなスキルがいいなとか色々考えている間に九層の階段に着いていた。
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