229:奴隷が回す棒の正式名称はPDCAサイクルって聞いた
第四章ゆるーくスタートです。十二時にももう一本上げます。
今日も気持ちのいい朝を迎える。ありがとうダーククロウ、今日も君は素敵な目覚めを提供してくれたよ。今日はダンジョンを作った人にも感謝の言葉を贈ろう。ありがとう、あなたのドロップさせた素材のおかげで気持ちいい眠りと目覚めを満喫できている。しかし、雨だ。今日は一日雨らしい。さすがに梅雨の季節という事だろう。
目覚めの気持ちよさが継続しているうちに、朝ごはんのトースト二枚と目玉焼きを作り、冷蔵庫のそろそろやばそうな代物からピックアップした添え物をつけて毎日のご機嫌な食事をとる。目覚めが良くなってからいつもの食事も美味しく感じるようになった気がする。
Cランク試験に合格してからしばらく経った。ランクが上がった事もあり、根を詰めてダンジョン探索をする理由もそれほどない、という二人の話し合いがあった結果、しばらく探索をせずに時間をおいていた。
喫緊の課題がほぼ無くなってしまったというのもあるが、取り急ぎダンジョンに用事があるというわけではない。一応やりたいことリストにはいくつかの項目が並んでいるが、一種の燃え尽き症候群に二人そろってかかってしまったのだろうと思う。
ダンジョンから一度離れ、現実での活動を一時的に優先しているというところだ。ハロワで失業給付更新したりとか色々だ。一応体をなまらせないように最低限のストレッチと軽い筋トレはしているが、久しぶりにだらーりとした長い休日を送りつつある。
金銭的な余裕があると人はこうも堕落していくのか。三日目ぐらいからそんな気分が蔓延し始めている。若く金が無い時は金を求め、金が溜まると暇がなくなり、金と暇が手に入った時には今度は体力がなくなっている、みたいな人生の格言があった気がする。今の自分はどうだろうか。
暇つぶしに同年代の年収と貯金額の中央値の書かれたサイトを見る。金額を見て、考えて、通帳の残高を見て、ニヤリとする。今の俺には金も暇もあるのだ。体力はそこそこ。
ダンジョン探索の全ての始まりである会社をクビになったのは些細な人の心の行き違いだったかもしれないが、今の俺にとってはあれが天啓だったのかもしれないな、とふと思う。
もしその後新しく仕事についていたら。お祈りメールを多数受け取らなかったら。あの時死んでいった少しばかりの毛根たちの犠牲が無かったら、今の自分は成り立たなかっただろう。
いきなり失業というマイナスをプラスに出来たのはひとえに運がとても良かった。これに尽きる。しかし、運をつかみ取るにはつかみ取るための努力がそれなりに必要だった。その努力のために必要な要素を俺は前職で受け継いでおり、もしライン勤務ではなく他の職業だったらとても耐えられなかったかもしれない。
どこかでボタンの掛け違えがあったとしたら今の俺にはならなかった、その可能性は非常に高い。人生とは非常に細かいイベントやフラグの連続の結果に今の自分がある。そのどれか一つぐらいは欠けても良かったかもしれないがどのパズルのピースがそれに当たるのかは解らない。
もしあの時スライムをひたすら狩らなかったら、【保管庫】スキルは俺の手元に落ちてくることは無かっただろうし、文月さんとも出会う事はあっただろうが、助けたその場所に出会わなかった可能性だってある。
そうなればスライムが大繁殖した際もそうだ。俺が最速最高効率を目指す気分にならなければあの日そのまま帰ってしまっていて、俺以外の誰かが大量のスライムを処理する事になっていただろう。
もし俺が頑張ったとしても文月さんにドロップアイテム管理を任せることはなかったかもしれない。仮にお願いしたとしても、その結果として【保管庫】スキルの保有を……いや、その時はもっとうまい言い訳を考えられたのかもしれないな。そうなったらパーティーを組んで探索という道には進まずに今日まで来ていたのかもしれない。
そうなれば俺はまだDランクのままで、一人で七層へ行って帰ってを繰り返しているだけかもしれないし、田中君みたいに何処かの企業に専属探索者として仕えていたかもしれない。
つまり今の俺になるために必要な要素の一つには間違いなく「会社をクビになった」というプロセスがあり、その会社にいた間の作業体験も同じく必要な要素だったわけだ。前の会社を恨む気持ちは全くなくなった、むしろ感謝しても良いぐらいだろうと俺は考えている。
ありがとう人事部長。もう名前も顔も覚えてないけれどあなたの個人的な恨みが無ければ今の俺は無かった。だが、そうなった原因を作ったのは紛れもなく自分であり、結局あれか、自分で考えて自分で行動してきた結果の上に今の自分が居るという事で良いのか。
それからハロワの神崎さんだ。彼女が探索者制度について圧の強いトークをしなければ探索者をまずやってみようという気にすらならなかっただろう。まだ何回かハロワに通う必要はあるけれど、その間は完全な無職として、その後はもう少し探索者を続けて行こうという気になっている。
下手に転職すると収入が余計に下がりそうだという事も有るが、ダンジョンという不思議空間に存在する更に不思議な事柄について興味がある。
何故モンスターが弱い順に地上から配置されているのか。
モンスターを倒した時の黒い粒子は何なのか。
何故素材をモンスターから剥ぎ取るのではなくドロップという形で出るのか。
何故ドロップする食物は扱いやすいよう、食べやすいようになっているのか。
何故探索者証がダンジョン内の出来事に対応して光ったりするのか。
何故すべての層をまたぐのが階段なのか。
何のためにセーフエリアという物が存在するのか。
ステータスブーストはどういう原理で使用できているのか。
何故スキルは地上でも使えるのか。
あげ始めればまだまだキリがない。答えが無さそうなものまである。特に気になるのはスキルとステータスブーストの違いについてだ。以前ステータスブーストは実質的に【身体強化】というスキルなのではないか? という仮説を立てた。
しかし、現実で使えない所を見るにその仮説は否定せざるを得ない。眩暈の代わりにお腹が空くデメリットを抱えている辺りも違う。もっと違った目線から物事を見る必要があるのかもしれないな。
例えば……黒い粒子だ。モンスターを倒すときに出てくる謎の黒い粒子。あれがステータスに関係があるとしよう。ステータスはモンスターをより多く倒してあの黒い粒子を浴びれば浴びるほど強化することが出来ているようにみえる。
ダンジョン空間が存在していない地上にはあの黒い粒子は基本的に存在しないはずだ。だとすると、ダンジョン内は実はあの黒い粒子で満たされていて、それを蒸着! することでステータスブーストが可能になっているのではないか、というのはどうだろう。それならば一応の筋は通る。
スキルについては、己の体内に堆積し続けた黒い粒子を使用する手段の一つではないか、と考えている。使いこなせば使いこなすほど自分のイメージ通りに動かせる。
ステータスブーストと一線を画すところがあるとすれば、スキルオーブを入手し体内に入れ込むことで、体をダンジョンとつなげているのではないか? と妄想するあたりが面白そうだ。俺は既にダンジョンの一部という事になる。
なら、現実も黒い粒子に満たされる事でステータスブーストが同時にかけられるということになりはすまいか。つまり現実には無い何らかの要素である黒い粒子が現実に満たされる事で使用可能になるのか。
ダンジョンで経験値っぽいものを貯める事で現実でもわずかながら身体能力の向上が見られるという話はあちらこちらに転がっている。実際ダンジョントレーニングと称してモンスター退治をして記録を少しでも伸ばそうという話はあるしある一定の証明もされている。
つまり、ダンジョン内の経験値というかステータスはある程度現実に持ち帰ることが出来る。「ある程度」というのがミソだが、ダンジョン内で三メートル四メートルジャンプできる俺だが、現実に飛べたとして……よっ。
うん、どんなに頑張っても一メートルは行かないだろう。それでも充分に高いという事は解る。俺にもダンジョントレーニングの結果が出ているという事らしい。
男性の平均が六十センチから七十センチぐらいだったと思う。それに比べれば随分飛べている。これもダンジョントレーニングのおかげであると言えるのか。しかもこちらにはまだまだ肉体の軽量化の余地があるから、それを考えればもっと上を目指せるな。
考えが逸れたな。黒い粒子で現実が満たされればステータスブーストも現実で行えるようになるのだろうか。その為にはモンスターがダンジョンからあふれるぐらいの黒い粒子密度が必要なんじゃないか。しかし現実にはモンスターはダンジョンから出ることは出来ない。何故だろう。
モンスターの生存にも黒い粒子が関わっている? 一定濃度に達しないとモンスターが生存できない仕組みになっているとか? ダンジョンに入る時のあの「つぷん」という感触が境界線になっているのは間違いないと思う。だとしたらダンジョン側としては地上に黒い粒子をばら撒かなきゃいけなくなるな。
さて、どのような手段でそれを実行するのだろうか。考えうる手段の一つを保管庫から出す。スライムの魔結晶だ。魔結晶があの黒い粒子の塊、ないし加工することで黒い粒子に返還されるものの一つ、というのはどうだろうか。
魔結晶を加工・消費することで現実空間にも黒い粒子が満ちはじめ、一定の濃度に達したところで一斉にモンスターがあふれ出す。そんな話だと実にいとをかしいプランだ。現実のペースではまだまだ実行不可能なことを除けば。
その場合、ダンジョンというのはこの先何十年何百年もかけてゆっくりと侵略を始めているという事になる。そこまで考えるような事ではないかもしれない。そして、それには何の根拠もないただの中年の妄想だ。
現状最先端のエネルギー開発事業以外には土産物のアクセサリーか、いつか来る大量消費の日のための先物取引の物品の一つでしかない魔結晶について、危険性を訴えたところで何の説得力も持たせられないだろう。
そうなる前に出来る事には何があるだろうか。ダンジョンを消滅させる手段を講じることが出来れば、確かにペースはゆっくりになるだろう。しかし、完全に消し去ってしまうと探索者という一つの職業とそれを基にした産業が崩壊することを意味する。
そうなると金銭的な価値と世界規模のゆるやかな現象を天秤にかける事になるのか。どっちに傾くのか結果は目に見えている。金は大事だ。ある程度の心の余裕を持たせてくれている。ダンジョンに対して対策を講じるにしても金は必要だ。世の中割と金である。
探索者が日銭を稼ぐためにせっせと集めた魔結晶だって、溜めこまれている分はかなりの量になっているだろう。つい先日実現可能になりそうな発電にこぎつけたというニュースがあったばかりだ。これから実験炉を早急に建てて商用炉を作り、発電が開始されれば消費も莫大なものになるだろう。
そんな矢先に「魔結晶は危険! 使いすぎるとモンスターがあふれ出る! 」なんてことを言い始めたとしても、他人の不安をあおって金を稼ぐ新興宗教としか見られないだろう。何よりも根拠がない。
ファンタジーなら、ダンジョンマスター権限で「あふれる」「あふれない」をON/OFF出来るってのが相場だな。今のところ世界であふれたって話を聞かないって事はデフォルトでOFFになっているのだろう。そもそもダンジョンマスターという者が存在することが前提になってしまうんだが。
俺もダンジョンを軸とした経済を回している謎の棒を回す側の人間なんだ。それを解決してダンジョンが無くなったところで困るのは自分なのだ。今の話は妄想に留めて素直に棒を押して回すことにするか。
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続きを頑張って書くためにも皆さん評価よろしくお願いします。
 





