1026:バッドコンディション
実際エアコン壊れた際に買い替えをサクッと決められるかどうかは死活問題ですよね。
ギルドに到着したが、すぐに入ダン手続きには入らない。まずはいろんなモヤモヤをリセットするために、普段は仕事終わりに飲む冷えた天然水を今飲むことにする。スゥっと喉を通っていく冷たく気持ちいい感じで、ついでに頭にまで回っていた昼飯を食べ終えたという感覚を脳から流し落とす。
んー……よし、頭は落ち着いたな。次は体だ。こっちはちょっと時間がかかるのでエレベーターの中でやってしまおう。入ダン手続きを済ませてリヤカーを引き、エレベーターで直接四十九層へ向かう。エレベーターが閉まって動き出したのを確認するとリヤカーを保管庫に入れて、エレベーターの箱めいっぱいを使ってあちこちのメンテナンス、つまりストレッチを行う。
頭、首から順番に上から下へと可動範囲の確認と、それをギリギリ何処まで伸ばせるかの確認を始める。可動範囲が広いということはそれだけ無理が効く姿勢でも動くことが出来る。首が良く回るということはモンスターの位置関係を素早く目視確認が出来る。それぞれ戦闘中になって突然首がつる、なんてことにならないように念入りにミチミチと音をさせながら確認していく。
続いて肩。まだ四十肩にもなっていないので肩はしっかり上がるし、頭の上で耳に腕が触れたまま手をぴったり着けることもできる。でも、ちょっと厳しくなり始めているかもしれないな、若干腕がプルプルしている。
これを腕を上下させながら繰り返し、無理が無いように確認しながら徐々にプルプル感が無くなっていくことを意識。次は肩を前後に回す。ゴリッ、ゴリッとゴマすり器を回すような音をさせながら、それでも問題なく肩が動いてくれている。
あんまり鳴らしすぎるとかえって体に良くないらしいので、可動が確認できればそれでいい。気持ちいいからついつい鳴らしてしまうところではあるが、悪くなるならあまりやらないほうがいいだろう。
腕をもう片方の腕を使って体に近づけ腕の付け根当たりの筋肉を伸ばす運動。これも体にぴったりくっついて、筋が伸びていく感覚を味わう。中々気持ちいい。こっちは肩と違って静かに筋が伸びていくようだ。
肘の曲げ伸ばしや握力の確認が終わったところで、一番大事な腰から下だ。歩くにせよ走るにせよ戦闘行動に移るにせよ、足腰の調子が悪いとその日の巡回効率にダイレクトに響く。しっかりとチェックしていこう。
まずは両足を肩幅にまっすぐ立って、片足を上げ、上げたほうの足と逆方向に体をひねる。ゴキゴキゴキっという音と共に、背骨から肋骨にかけて振動が響く。これは相当溜まっていたんだな、ということを感じる。金もあるし、一度整体にでも通って全身のチェックをやってもらうことも考えてみるか。
逆側も同じく凄い音を立てて腰を鳴らす。鳴ったところで前屈をして、床に手がまだつくことを確認。柔らかさはまだまだ兼ね備えているらしい。体の柔らかさは大事だからな。続いて後屈をやり、重心が許すギリギリの範囲まで後ろにそる。途中で腰が痛くて曲がらないということにはならなかったので、腰は今のところ問題ない、という確認が出来た。
最後に、足。両足をぴったり閉じた状態で太ももに力を入れて、内側に寄せてパリッと関節が鳴るような音を出す。それを感じたところで足を片方ずつ上げてぶらぶらさせる。ついでにおててもぶらぶら。
最後にスクワットで空気椅子を数秒して、耐えれるかどうかを試す。スーツの尻がビリっと行かないかどうかだけが心配だったが大丈夫らしい。流石俺の身体に合ったスーツだ、着心地だけでなく可動範囲まで計算されたその設計には有り難さを感じる。
これで一通りのストレッチは終わった。体も程よく温まり、胃袋も落ち着いた。普段通りのコンディションに戻せたような気分になってくる。少なくとも肉体的には問題が無いことはこれで解った。
最後はメンタル面かな。今日は朝から普段通りではなかったということを思い出さないように集中して探索に入る必要がある。もし普段通りに意識を遥か彼方に飛ばしながら戦闘が出来るならば、このバッドコンディションとはうまく付き合えるようになっている、という結論を導き出すことが出来る。
あと十分ぐらいまだ余裕があるな。クロスワードの続きでもやるか。机と椅子を出し、いつも通り食後にやっていたクロスワード誌を取り出し、空きマスを埋めることにチャレンジする。
気が付くとエレベーターは到着していた。ほんの十分ほどだったが、クロスワードに集中できたということは探索にも集中できるということ。つまりコンディションをいくらか取り戻せたという証拠になりはすまいか。
机と椅子を片付けてエレベーターを降りる。降りたすぐのところに結衣さん達が持って来たであろうリヤカーを発見すると、その隣にリヤカーを設置。時間的に奥へ潜っている頃だろうから追いかける形になるな。もし途中で合流したらウォッシュをかけにいこう。
もし出会わなかったとしても、帰りの時間に出会う可能性はあるからその時でも良い。かけられなかったら……また地上で苦情を言われる姿が目に浮かぶが、彼らも彼らなりに匂いを地上に持ち出さないように何らかの工夫はしているだろうし、【生活魔法】のオファーをかけたであろうことは想像できる。
生活魔法と毒耐性残り四人分。ざっくり計算して二億。二億かけてまで……と思うかもしれないが、例えば五十一層でひたすら探索をする場合、荷物の都合を考えない前提だが一時間で二千万、ギルド税抜きにして千八百万ほどの収入を得ることが出来る。
二日三日の我慢と経費で安全と安心が買えるなら安いものだろう。彼らも一級探索者であることに間違いは無いのだ、その辺の折り合いはうまくつけていると信じよう。
さて、今日は五十層と五十一層どっちへ潜ろうかな。一分考えて、いつも通り五十一層でいいだろうと結論付けた。こういうのは考えるのは短いほうがいい。どっちにしろ潜るのなら深いほう、出来ればスキルオーブのドロップ権は結衣さん達に譲りたいのが信条というものだ。譲る……譲る……
あ、ミルコにお供え物をするのを忘れているな。これはうっかりだ。これも朝エアコンが壊れたせいにしておこう。
階段の前でいつも通り机を出してお菓子とコーラを乗せてパンパン。すると虚空へ消えていった。ちゃんと見ているらしいな。ということは俺がストレッチしたりしていたことも見ていた、ということだろうか。
よし、コンディションが多少悪いからと言って情けない所を見せるのも癪だ、ここはひとつ頑張って稼いで帰るか。
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五十層から五十一層にかけて真っ直ぐ進みながら戦闘を行う。今のところ支障らしき支障は出ていない。今日は五十層近辺での直刀の試運転も兼ねているので、体に不具合があった場合は柄に持ち替えていつも通りのソロ狩りという流れに行きそうだったが、体のほうはすこぶる順調であり、直刀での戦闘も問題なく終えている。
具体的には、シャドウバイパーが直刀でスルスルと斬れてくれるようになった。今までは柄でないと直接攻撃としてはそこまでの効果を発揮できなかったのだが、新しい直刀は五十層程度のモンスターなら充分に威力を発揮してくれるらしい。シャドウバタフライも同じくよく斬れるんだろうなと見込みは付けているが、スーツが甘ったるくされるのを出来るだけ避けるため、距離を取って雷撃で対応するようにしている。
そして、この間に結衣さん達と出会うことは無かった。もしかしたら五十一層か五十二層で戦闘を行っているのかもしれないな。【隠密】によるモンスターの探知範囲減少効果が無い状態で五十二層での連続戦闘はかなりきついものがあるかもしれないな。ちょっと顔を出しに行くのも有りかもしれない。
あ、シャドウスライムだ。おいでおいでー、今バニラバーあげるからねー。
シャドウスライムが一匹か二匹で現れた際は一匹を瞬時に蒸発させた後、一匹残ったほうにバニラバーを上げて潮干狩り……いや、直刀で直接核を破壊しているからもう潮干狩りではないか。とにかく処理をして、およそ八十万円の見込み収入を得るようにしている。
そういえば、そこそこ戦っては来たが結局シャドウスライムがスキルオーブをくれたことは今のところ無かったな。スライム系はスキルオーブを落とさない設定になっているのだろうか。帰ったら涼しいリビングで調べてみるか。もしかしたらBランク探索者の中にはレッドスライムからスキルオーブをドロップしているケースが見られるかもしれない。
階段に到着して五十一層へ下りる。全身の不調は今のところ無い。念のため自分にウォッシュ二回、体にまとわりついていた甘い香りを黒い粒子に還す。充分に距離を取ってシャドウバタフライと戦闘はしているし、出来るだけ遠距離でドロップも回収するように心がけてはいるものの、シャドウバタフライがまき散らした鱗粉はモンスターの一部と認識されていないことが問題なのだな。
これがなければこの階層を抜けるためにキュアポーションや【毒耐性】をそろえる必要があることを考えるとこの階層は十層に次いで鬼畜マップということになる。もしB+探索者が増えてこの階層にたどり着くようになった場合、ここで足踏みする探索者はかなりの人数になりそうである。そして【毒耐性】の価格もどんどん上昇していくだろう。【物理耐性】と同じぐらいの重要さになるかな。
五十二層の階段に向けて歩きながら、引き続き探索を続ける。探索と言っても五十一層は一通り回るものは回ったはずなので、今更新しく地図に描きこむようなオブジェクトがあるわけでもなく、逆に描き入れることでややこしくなるようなものがありそうなので地図の更新はしないようにしている。
しばらく歩くと黄色い反応が五つまとまって見えた。一緒に赤い反応が二つ見えるのでどうやら戦闘中らしい。戦闘が終わってから近寄ることにするか。多村さんの【索敵】にもう引っかかってるかもしれないが、余計な気を回させて戦闘を混乱させるようなことはしたくないからな。
戦闘が終わってから後ろから五つの塊に近づく。多村さんが最初にこっちに気づき、他のメンバーに声をかける。
「こんにちは。お疲れ様です」
「一人だから安村さんかな? と思いましたが案の定でしたね。今日はごゆっくりな出勤で」
最初に気づいた多村さんからねぎらいをかけられる。とりあえずあいさつ代わりのウォッシュ十連発。彼らにも綺麗になってもらったところで行き先をたずねる。
「このまま五十二層まで行くつもりですか? 結構厳しいですよ五十二層。モンスターがひっきりなしにグループの垣根を通して連続で来るのでずっと戦闘をしている気分になれます」
「一回行ったからその辺は大丈夫よ。むしろ、それだけいっぱい来てくれればスキルオーブのドロップにも期待がかかるってものでしょ」
結衣さんには勝算があるらしい。
「ちなみに予備のキュアポーションは? 」
「拾いながら来てるから大丈夫。シャドウスライムが居なければここは通行不可能な領域だったかもしれないわ」
「それには同意する。そっちが五十二層へ挑むなら俺は五十一層でのんびりやるかな。また【毒耐性】スキルオーブが落ちたらギルド経由で取引するということでいいよね」
「いいわよ。一応ギルドで【生活魔法】含めてオファーもかけておいたし、あとは声がかかるのを待ちつつ全力で頑張るだけね」
一通り自分たちで打てる手は打った、という形らしい。まぁ運が良ければ後四つ、五十層で二つと五十一層か五十二層で合計二つ、【毒耐性】が落ちる可能性はある。他のが落ちる可能性もあるが、その時でも彼らの補強には一役買うだろうし、悪い流れにはならないはずだ。
「ただ、急いだほうがいいかもしれないね。どうやらダンジョン庁はB+ランクの開放をそろそろ考え始めているらしいから、スキルオーブの拾い合いにも我々先行探索者にとっては競争相手が増えることになる。……と、敵だ」
シャドウバタフライがフラフラと近寄ってきたので対処。遠距離から全力雷撃で倒す。すると、モンスターを倒した地点からここまで輝きが伝わってくる球体が落ちた。
「出ましたね」
「出ちゃったな」
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