二十九話。
「やっ、やめッ――」
と、オレの下で情けない面で情けない声が上がりやがる。
でもやめない。やめれない! やめたくもない!! オレはひたすら込み上げる怒りに身を任せて拳を振り下ろし続けた。
「ッ」
だって――だってだってッ!? この糞ッたれは今のオレに残された数少ない帯々兄ぃとの思い出の品をオレの反応を見てからゴミと言って意気揚々と蹴り飛ばしやがったから!!
絶対に許さない。もう許さないッ!!
「っ、やめろテメェッ!?」
「!? ――痛ッ」
今になってようやく状況を飲み込めた糞ッたれの友達にオレは力任せに突き飛ばされてしまう。
オレの身体は背中から床に激突。後頭部と背中と両肘を強打したせいで身体が思うように動かない――。
「んっ……はぁ……はぁっ――」
でも――それでも!! 身体なんてどうでも良いと捨ててしまえる程にこいつ等が許せない――ッ。
込み上げる怒りに身を任せる事で立ち上がって、一歩ずつ目の前の糞ッたれ共に近づく。
「ふざけんなよっ。オレを悪者にして楽しんで……嗤って! 一体何が楽しいんだよ? なぁ……? 一体何が楽しくてオレの大切な思い出をゴミだと笑って蹴り飛ばすんだよッ! なぁッ!?」
痛みと崩壊した感情が、ずっとしまい込むしかなかった言葉を吐き出させる。ずっと我慢するしか出来なかった思いを暴力という最低な手段で相手に伝えようとさせる。
――最低、だって分かってる。暴力を振るったって仕方がない事を。振るえば色んな人達に迷惑が掛かる事も。そして帯々兄ぃや梨先輩が悲しむ事も。
でももう無理だ! 無理なんだ……ハハッ。
「なんの騒ぎだっ!?」
「!?」
「!? せ、先生助けてッ!!」
と、臨時担任である屑巣先生が今まで見た事ない程の慌てた形相で教室内に入り、あろう事か助けを求める糞ッたれ。
普通に考えれば日々の嫌がらせに耐えられなくなったオレが反撃に出たと思うだろう。――でもこの担任は、屑巣先生という大人は、呆れ果てた様子でオレだけを見下ろした。糞ッたれとその友達二人をオレから守るようにオレの前にわざわざ立って。
「遂にやっちなったなぁ……なぁ久遠?」
「――……はぁ?」
声が裏返った。”お前が悪い”と、そう物語った表情と言葉にオレの声は認識ごと裏返った。
この人――本当に教師か? 先生か?? それとも1~5年生の時の先生が間違った教師像でアレが本来在るべき教師像だったのか?
「なんだその顔は? 状況を見るに久遠、お前がこいつを一方的に殴った」
「――待って」
「見ろ。こいつは涙を流して口元と鼻から血まで出てる」
「待ってよ」
「それに対してお前はどうだ? 無傷だろ? 血どころか涙いてすらない。そしてこいつはお前を見てこんなに怖がってる」
「待ってってばっ」
「お前達どうだった? どっちが先に手を上げたんだ?」
「こ、こいつ」「久遠が先に……」
「ほらな? じゃあ――」
「ねぇ待ってよ先生――ッ」
「お前が悪い」
「ふざけんなよッ!?」
怒りとは別に嫌悪感が込み上げてそれが遂に爆発した。
「目に見えた事しか見れねぇのかよアンタは!? 数の多さでしか正しさを判断できないのかよ!? 可愛がってる生徒の言葉しか信じられないのかよ!? そうじゃないオレの言葉は聞く気すらないのかよッ――!?」
息継ぎせずに思っていた事を吐き出す。
「アンタ――それでも教師かよ?」
と、荒れた呼吸を整えて最後の言葉をも捻り出す。でもこの人は浅い溜息を吐いてオレの言葉を一蹴した。
「はぁ……でも手を上げたのはお前だろ? 先に手を出したのはお前なんだろ? そしてこの場ではお前しか暴力を振るっていない。それが一番の問題なんだ。――おい雪兎! 入ってこい」
そう言って廊下にいた野次の一人を教室内に呼び込む。入ってきた一学年下の男子は何処か六出梨先輩に似ていた。
「何もわからないお前から見てどっちが悪い? どっちが被害者でどっちが加害者に見える? 立っている方と、血まで流して泣いて方――どっちだ?」
「こっち」
入ってきた一学年下の男子は迷う事無くその指をオレに差し向ける。その梨先輩に何処か似た顔で。
梨先輩はパパ達が消えてから初めて普通に接してくれた人で素で優しい人。オレと帯々兄ぃの仲を修復しようとしてくれてる。そんな人に何処か似ている男子に”悪いのはコイツ”と、ハッキリ指をさされた。
「あ……あぁ……」
湧き上がっていた怒りと嫌悪感は一瞬にして何処かへ消えて、オレは声にならないか細い嗚咽を零しながら後ずさる。
「梨先輩……」
「っ――あぁ」
辛うじて出た言葉に対し、梨先輩に似た男子は不快そうにムッとした表情を浮かべた。――が、それは直ぐに先ほど糞ッたれが私の大切な思い出の品を蹴る直前に見せた表情に。――それに近しい表情へと切り替わる。
「あらあらまあまぁ、君が悪いね? 全部悪いね? 今回の事、それとお父さん達の事、お母さんの事、そして――」
「や、やめて」
聞きたくない。それ以上聞きたくない! 梨先輩に似た顔で、梨先輩の口癖まで使ってまで言ったその言葉の続きを聞きたくない――と、心の奥底からそう思い、また願う。
でもオレの現実は無慈悲だった。
「幼馴染の事も、ね?」
「っ――あぁ……あぁっ……ハハッ……ぁ――」
更にか細く小さくなった嗚咽を零しながら後ずさり、倒れたままの自分の机に躓いて間抜けな声を上げて尻餅を着き、その状態で顔を上げるとそこにはオレを冷たい視線で見下ろす梨先輩が立っていた――。
「――……あ……れ……?」
気が付くとオレは外に居て、息を切らして見覚えのある道路の端にへたり込んでいた。
「先輩っ」
梨先輩に今すぐ会いたい。声が聞きたい! と、強く思った。しかし強く思えば思うほど教室での事が有無を言わさずに頭に浮かんで凄く怖くもなった。
「――15時15分」
ふと学校指定の腕時計で時刻を確認する。
梨先輩達と交わした約束の集合時間には細かい時間設定は無い。大雑把に放課後とだけ。だから小学生のオレの放課後は15時半以降から。そして高校生の二人は更に少し遅い時間で放課後を迎えるからスーパーで会うのは毎回16時頃だった。
「ママ」
そうだママに会おう。確か近くに病院を通るバスのバス停がある。そのバスに乗ってママに会いに行こう。そしてママに元気を分けて貰おう。なんだったら無理を言って病院から携帯電話を借りてママの近くで梨先輩に電話をしよう。
オレは不安に押し潰されそうな心をなんとか励ましつつバス停へ向った。
20分後。
タイミング良くバス停に着いていたバスに乗れたのと帰宅時間の渋滞になる前だったので、考えられる最速の時間でママが居る病院に辿り着く事が出来た。
――けど、病院は平日の夕方にしてはいつも以上に混んでいた。
(ごめんなさい)
ルール違反を心の中で謝って、オレは長蛇の列を成す見舞い者用の受付を無視してエレベーターへ向かう。
本来なら受付で見舞い者の印であるストラップを貰ってそれを身に着けてないといけないけど、今のオレにはあの長蛇の列に並ぶ余裕は無い。
だから見つかって叱られる覚悟でエレベーターに乗った。
「――着いた」
運良くエレベーターは一度も停まらずに目的の階へ到着する。しかも声はするけど進行方向に看護師や医者の姿は一切見えない。
「ママッ」
と、オレは看護師と医者が見当たら無いのを良い事に病院の廊下を走り抜けた。
「!」
ママが居る病室に辿り着き、ドアを開けて病室内に入るとママは起きてて何かを言っていた。きっと看護師さんと何かを話しているんだろうと思いつつ、”叱られるついでに携帯電話を貸して貰おう”とも思って二人の会話に入ろうとママ達の前に出る。
――が、
「え――? なんで――? なにが――?」
そこに居たのは看護師じゃない。帯々兄ぃの姉――成神瑠々が居て、
「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい――」
と、謝罪の言葉を何度も何度も繰り返すママが居た。
「ビンゴ。やっぱり来たね? 会いたかったよ。私から――私達姉弟からお母さんを奪った男の娘さん♪」
「!? あぁ……」
冷やしたナイフで心臓を一突きにされたように、最後の希望を断ち切られたオレの身体は膝から崩れていった。




