二十二話。
分かってても限界は急に訪れるものです。
「お母さんを宜しくお願いします」
そう言ってオレ――久遠九々は頬の鈍い痛みと血の味を噛みしめながら、お母さんの病室前で厄介そうにオレを見下ろすナースに頭を下げ、一人でエレベーターへ向かった。
今日は定期的にしているお母さんのお見舞いの日。我慢できずに今回も学校も早退して会いに来た――筈なのに、実際に会ったのは一瞬だけ。運悪く5回に1回の頻度で引き起こされていた発作に今日当たってしまったのだ。
5回に1回の発作。それはお母さんが実の娘であるオレへの拒否反応。正確にはオレにあるお父さんの面影への拒否反応だと担当医の先生は言っていた。
――けど、実の娘であるオレにはわかる。あれは拒絶だ。お母さんは、自分を裏切っていた男との子供であるオレの存在が受け入れられないんだきっと。でも自分が生んだ娘でもあるからと無理矢理にでも受け入れようとして――そして限界が来る。それが5回に1回の頻度で来る発作の原因だとオレは知っている。でもそれを伝えてしまえば会う事すら出来なくなるんじゃないかと思って未だに伝えられないでいた。
「――あ」
と、病院の出入り口から少し歩いた場所で遭遇した人物に思わず声を零してしまう。遭遇したその人は叔父――お母さんの実のお兄さんだった。
「……はぁ」
「あっ」
叔父さんは私の頬のガーゼを見るなり溜息をついて引き返す。オレの頬に付けられたこのガーゼは先ほどのナースに付けられたもの。発作を起こし、自傷までしようとしたお母さんを抑えようとした際に出来た傷をただ覆い隠す為だけのものだった。
「ま、待ってっ――」
憎たらしいを超え、この真冬の時期に吹く冷たい風よりも冷め切ってた視線に怖気づきながらも歩き去ろうとする叔父さんを必死に呼び止める。
叔父さんは元々、お父さんの事を良く思ってなかったという。実際にお正月等で開かれる親族会でお父さんと叔父さんが一緒に話している所を見た事なかった。そして当然、そんなお父さんの子共であるオレも快く思われている筈も無く、今回のお父さんの不貞行為と、そして何よりも真相を知って今のあの状態に至ってしまったというわけです。
「なんだ?」
「っ……お、お母さん……今……落ち着……いてます。あ、会えます……会って、下さい……」
叔父は足を止めて顔半分だけ振り返る。片目のみでもさっきの冷たい視線に心臓と喉がキュッと、締め上げられた。
「っ」
居た堪れない。今すぐ逃げ出したい。帯々兄ぃに泣きつきたい! ――あぁ、こんな事を思っちゃいけないのについ心の中で弱音を吐いて思ってしまう。それも毎回。叔父さん達に会う時も、学校にいる時も。
「……」
叔父さんは黙ってオレを見る。何も言わない、言ってくれないのが心底怖くて堪らない。けれど、叔父さんの頭の中を覗かなくてもその目は訴えかけている。
――”ふざけるな”と。
「ッ!? ごめんなさいっ……ごめんなさいッ!!」
遂に耐えに耐えきれずに頭を深々と下げてしまった。そして一度でも耐え切れずに逃げてしまえば二度目も早く限界が訪れてオレは叔父から走って逃げた。
こんなんだから叔父さんを苛立たせるんだ。分かってる――分かってるけど! 走り出した足は止まってくれない。
「――……あ、ゲーセン」
気が付けばオレは行きつけだったゲームセンターまで来ていた。
「ハハッ」
楽しいから、音ゲーが好きだったから、その中でダンスゲームが好きだったから週三、四でここに通ってたのに、今では何の面白みも感じられない。今はただ、行き場の無い感情を――ストレス発散用にだけ利用してる。その事に気づいてしまったオレは、先週からゲームセンターの中に入れなくなった。入ろうとすれば自然に『何故? 何しに? 何の為に?』と、悩んでしまうようになったから。
――あぁ。そんな事を考えてるせいなのかな? 今日に限って聞き慣れていた筈の騒音混じりの店内音楽がやけに煩い。沢山の笑い声が耳に纏わりついて鬱陶しい。
「か……ん……」
堪らず”帰ろう”と、言おうとしたけど明かりを点けても暗がりを感じてしまう家が怖くて言うのを止めてしまった。
――初めて知った。”行ってきます。ただいま”を言って”いってらっしゃい。お帰り”を言って貰えない寂しさを。その逆を言えない虚しさも。
「んっ」
急に自分の意思とは関係なく喉が締め付けられ、その数秒後には両目に熱っぽい違和感を感じてしまう。
――いや違う。違和感なんかじゃない。孤独に押しつぶされそうになって泣きそうになっているんだ……。
「何だってんだよ……」
キュッとなる喉で声を震わせながら、自分じゃどうする事も出来ない感情を地面を踏み躙りながらぶつける。
夏休みが開けてからこの状態が始まった。こうなる頻度も今じゃ多くなった。特にあの人達と出会ってからは家で一人っきりの時にしかこの状態にならなかったのに、今じゃこうした人通りが多い外や学校でこの状態になるようになった。
「――今日も………来てくれるのかな……?」
時刻は15時37分。会える時間にしては1時間以上早い。それでも会いたい。今日も会いたい! ――と、そう願ってオレは湧き上がる諸々の感情を無理矢理飲み込んであの人達と出会ったスーパーへ走り出す。
――が、
「来てない……」
スーパーの出入り口近くに着くなりドッと気持ちが落胆する。残念な事にいつも皆で買って食べているコロッケ屋、もとい焼き鳥屋が今日に限って来てなかった。
「あ」
そうだ。焼き鳥屋のオバちゃん、最近足腰の調子が悪いから病院に行くって昨日、オレ達3人に教えてくれてたんだった。
「っ」
買い物も昨日済ませてしまった。じゃあ今日は来ないか――とはいかない。もしかしたらオレと同じでオバちゃんの病院の話を忘れてていつも通りに来てくれるんじゃないか? という微かな希望を捨て去る事が出来ない。
そんな事はありえないと思いつつ、それでもと言い訳を並べてオレはスーパーの外と中を歩き回って時間を潰した。
――がしかし、
「あ、17時……」
時刻と店員達に温度チェックを知らせる店内放送が流れて今の時刻を知る。
「――帰ろう」
と、今度はちゃんと口に出す。口に出しつつも、心のどこかでは希望を捨てきれずに店内から外へ出る。
「――……ハハ」
真冬の風が頬を撫で、真冬の星空の輝きがオレに言う――お前は一人だと。お前は独りぼっちなのだと無数の星々が教えてくれていると思った。
「――……ハハッ」
ふと、振り返ってみる。振り返った先にはさっきまで居たスーパーがある。
「――……あれっ?」
さっきまであの光っている世界にオレは居た。――居たんだ。居たはずなんだ! それなのに……それなのにどうしてあの光っている世界を見てオレは! オレは!! オレ、は……恐怖を覚えているの? あの光り輝く世界の中で、仲睦まじい親子や恋人、客達を見て感じるこの嫉妬ですら無くなった気持ちはなんなの――?
「帰らなきゃ……帰らなきゃ……」
気づけばオレ、久遠九々はスーパーの店内照明の光から逃げる様にその場を走って後にした。後にし――、
『九々』
「ッ!?」
走り出した瞬間、幼馴染であり、血の繋がりのない家族であり、心が通った兄妹であり、かけがえのない半身だった兄ぃ――久遠帯々の声が聞こえたような気がして走り出した勢いは急激にその勢いを無くして立ち止まる。
此処が運命の分かれ道。その運命の分かれ道にオレが間違った方へ行こうとしてたのを帯々兄ぃがオレを正しい正解の道へと戻してくれたらしく、
「あらあらまあまぁ」
「おや」
高校生が二人――会いたい人達にオレを会わせてくれた。
「「こんばんわ」」
「っ――こ、こん……ばんわっ……んっ……」
「「えぇっ!?!?」」
崩壊したダムの如く大きく泣き崩れたオレに、六出梨先輩と二宮棗先輩が大慌てで駆け寄ってくれたのだった――。
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