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二話。

 死。

 小学校の道徳では”生の反対”又は”悲しく苦しいもの”という話をしていと思う。

 しかしながら、それを学ぶ前に死とは”病的な迄に焦がれるもの”だった。

 

 異常も異常。――でもね? 常軌を逸した価値観を持つ者には、常軌逸した過去がある。私もそう。


 私、六出梨は過去に3度死を実感した事があった。

 1度目は5歳の頃。2度目は8歳の頃に。3度目は2度目の少しあと。しかも2度目は自ら生を手放し、3度目に至っては自ら死を追い自殺を図った。


 5歳の時。気性が荒い大型犬2匹通っていた幼稚園に侵入した事があった。で、その内の1匹が私の足を噛んで引きずり回した。それはもう新しい玩具に大興奮して振り回す子犬のように。

 恐らくだが当時私の後ろで尻餅をついている同い年の男の子に襲い掛かろうとしたのだろう。でもその近くで怯えもしない私が気に入らなくて標的をこっちにしたんだと思う。


『――……??』


 噛まれている時、犬への恐怖はなかった。初めて見る大量に流れる血にも。痛みも無くてただただ困惑してたのを覚えてる。


 それでも、生まれて初めて悪寒を感じた。死の感覚。生の実感。


 犬は2分程私を引きずったのち、私の喉に噛みつこうとした。犬の視線が足から私の首に移ったのを覚えてる。


 でも死ななかった。モップを持ち出した保育士の先生によって助けられたから。

 ――凄く、残念な気持ちになったのを覚えてる。50円玉握りしめて駄菓子屋に行ったらお目当ての駄菓子だけが売り切れだった時以上の残念な気持ち。

 この時から私は死に憑りつかれてしまった。


 で、その3年後の8歳の時。班で登校中、反対車線を走っていた車が突如として暴走。車線上にあった電柱やら壁やらを破壊した挙句、障害物に当たった衝撃で逆車線にいた私達に突進してきた。

 

 前に向かって飛ぶ。本来ならこれだけで轢かれずに済んだ。しかし前を歩いていた同級生の女の子が障害物を破壊する暴走車を見て驚いた事で尻餅をついてしまい、反射的に私の手を掴んだ事で身動きが取れずにそのまま轢かれてしまった。

 胸から下、右半身が車のせいで見えず、また感覚がない。要は車と壁の間に挟まり圧し潰されている状態。


 一度目とは比べられない程の死の感覚(悪寒)。齢8年余りの走馬灯。

 

 本来ならこれで私は死ぬはずだった。

 でも死ななかった。父親が私を助けたからだ。父は名医と謳われた医者だった。

 そんな父のせいで一命をとりとめた。


 父に聞いた。『どうして助けたの?』と。

 父は言った。『運』と。

 私は言った。『そう』と。


 父とは一度だけ死について質問をしたことがあった。

 世間一般の常識・・・おわり。

 医者の価値観・・・医学の敗北。

 父の見解・・・人類の発展。


 父は言った。『人類の発展に死は付きものだよ。死というタイムリミットがなければ人間なんて繁栄どころか繁殖すらしないんだから』と。

 父は個人ではなく人類の為に。そういう医者だった。


 で、入院して4か月後。杖有りでようやく歩けるようになった頃に病院の屋上で投身自殺を行った。

 血液と共に遠のく意識の中で目が潰れるくらい空が光っていたのを覚えてる。


 ――ただ、過去二度に比べて湧き上がるものは何もなかった。刹那で遠のいた意識も遠のくだけで過去に飛ぶ(走馬灯を見る)事もなかった。


 結果としては死ななかった。関わった誰もが即死しなかった事に困惑していた。


 父は表情変えずに見ていた。これが二度、手術室で我が子を見た父親の反応だったという。


 手術後、一命を取り留めた私は精神病棟に入れられて全身を拘束されていた。

 精神病棟に入っていた頃の記憶はあまり残っていない――が、台風があった日に精神病棟から抜け出して病院の外に出た事があった。その時に例の路地裏の親子猫の話と、後日談のような父と子の親子話がある。それと精神病棟患者に出される特別病院食が生理的に受け付けない苦味と舌触りだった事。


 此処で後日談のような親子の会話をご紹介。

 精神病棟から抜け出したあの日。病院に戻った際に父を憩いの場として利用していた個室の休憩所で見つけて話をした。

 その話の過程で父が言った。『梨にとって死とは?』と。親子の時間が積み重なっていくにつれて呼ばれなくなった梨という名前と共に、以前自分がした質問を問い返される。

 私はその手にある、先ほど路地裏で拾った懐中時計を見ながら答えた。


 ――『病的な迄に焦がれるもの』。


 と。それを聞いた父は少し考えてから別の質問を問う。『死と自殺の違いは?』と。

 世間一般の常識・・・細かな違いはあれど結局は同じ意味合い。おしまい。

 個人()の見解・・・価値の有無。


 私は答えた。『発展の為に死に抗うのが人間なんでしょう? なら生き汚い方に価値がある。自殺に価値は生まれない。――生きようと必死になって。死にたくない足掻いて。未練がましく過去を悔やんで。描いた未来に縋りつく。――……あぁ。どんな絶景よりも美しく、加工した宝石よりも価値があって、職人がこさえたガラス細工よりも繊細で、最後の線香花火みたいに儚い素晴らしい光景だった』と。


 此処で父が初めて目を細めて薄っすらと、でも確かに興味深いと笑みを浮かべた。そんな父に対し、私は手元の懐中時計が与えてくれていた微笑みを向け、初めて親子で笑い合った。


 ――おしまい。


 ちなみに退院はこの日の約一か月後。交通事故から一年程経っていた。


 んでもって数年後の小学5年生の時。たまたま腹違いの兄と姉が居る事を知った。


 その腹違いの兄は生まれつき重い心臓病を患っていた。

 その腹違いの姉は生まれつき多臓器不全を患っていた。


 そしてその腹違いの兄姉は――素晴らしいの一言だった。我が儘を通してでも二人の助けになりたい、と一目惚れの如く心臓が高鳴ったのを覚えてる。


 だから父に聞いた。『どうして二人の事を教えてくれなかったの?』と、生まれて初めて父に拗ねた。

 この問いに父は首を傾げ、初めて見せる困惑顔で答えた――そう『ああ、嗚呼……忘れてた』と。

 そんな父を前にして、完璧だと思っていた父の欠点(致命的な物忘れ)を目の当たりにして、我が子である私は同じような心境に為って言う――『親子だね』と。


 そうして少々奇特な親子の絆を深めては深めた絆で一芝居打ち、何も知らない腹違いの兄と姉に健康な臓器を提供し、代わりに新しい心臓と新しい臓器を受け取った。


 誇らしかった。素晴らしい兄と姉の力になれたから。

 嬉しかった。精一杯生き汚くなれる身体になれたから。


 これが私です。六出梨です。――ロクデナシです。キチガイではありませんので理解できる範囲でご理解を。

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