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人を狂わす輝き  作者: 西松清一郎
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「それで、ジャメルの爺さんには何て言った」比嘉はすでにコクピットに収まり、左手で操縦(かん)を握っている。森内は比嘉の隣で四点式シートベルトを手繰り寄せた。

「別に何も言わなかったです。適当に茶を濁して、さっさと出てきました」「浅井が行方不明だとか言わなかったか」「はい」

 比嘉は目の前の操作スクリーンに右手を伸ばし、「エネルギー送填開始」タブを押した。湾曲した石英ガラス窓の端に突如、釣り糸のような細いオレンジ色の光線が現れる。給電塔からポッドに発射されるマイクロ波ビームの軌跡であり、フェイスシールドの可視化機能によって目視することができる。要は、とてつもない高出力の電子レンジでポッドが温められ、それによりこの船は恒常的な推進力を得るというわけだ。

「今回のことについて、ジャメルは何か知ってるかもしれませんね」森内は迫る離陸時の高Gに備え、座席に深く座り直した。比嘉の目は、スクリーン上で徐々に増えていくエネルギー充填バーをじっととらえている。

「あの爺さんが何を知ってるにせよ、まだこっちの手札は見せない方がいい。さっきも言ったように、ああいう輩の裏にどんな組織がついてるかわからないからな。それにあの爺さん、前なんか、うちの搬送作業ちょっと手伝っただけで金をせびってきたしな。油断ならない奴だよ。たとえ正しい情報をくれるにしても、真っ向から飛びつくのは賢明じゃない」

 ポッド下部から穏やかでない轟音が響く。集光したリフレクター内の水素がプラズマ化し、断続的な爆発を起こしているのだ。

「行くぞ」比嘉が森内の了解も待たず、スティックを手前に引く。耳をつんざく爆音の直後、森内の体は一気に重みを増し、座席に押さえつけられた。横隔膜も下に引っ張られているはずで、そういった想像がより一層呼吸を困難にさせる。顎に力を込めスクリーンに目をやると、垂直加速度2.2Gの表示が見えた。いくら何でも、今日は吹かしすぎじゃないか───森内の心の声は、そのとき振り切られる重力同様、容易に無力化され、機体の加速は徐々に強まっていった。

 高度500mに達したとき、ポッドは水平飛行に移り、内部の重力は正常に戻った。森内は体にめり込んだように思える首を伸ばし、改めて幅広の窓を通して眼前の光景を眺めた。薄い雲がタバコの煙のように後ろへと流れていく。眼下には、乾いた砂の大地に点在する採掘プラント群、そして空の端では、岩山の稜線に沈んでいく上弦の月が見える。

「どうした」比嘉が言いながら、頭部を横に振り向けた。たそがれるように遠くを見つめる後輩を不思議がる様子でいる。

「いや、黒池さんたちのポッドが見えるかな、と思って」

 白い半月の周囲では確かに、いくつもの白い点として浮かぶフライングポッドが、走光性を持つ昆虫のようにして漂っている。黒池らは、本来バカンスも兼ねて行くはずであった研磨施設ジオ・ルナを辞し、急いで地球に引き返してくるという。彼らからいつか、38万km先のその施設で磨かれたダイヤは、何よりも美しく、そして凛々しく輝く、と聞いたことがある。ダイヤにまじまじと見入ったことなどない森内は、やはり宝石には魔性ともいえる輝きが秘められているのだろうか、とおぼろげに考えた。

「まだ見えないだろうな」比嘉は納得して再び前を向いた。「黒池さんたちが戻ってくるまで、一時間半はかかるだろ。だけど、心配するな。浅井の不始末の尻拭いは俺がやるから。何年かに一回はさ、宝石を前にしておかしくなっちまう奴がどうしても出てくるんだよ。何て言っても、現場が現場だからな。お前はとりあえず、坑内をくまなく観察するだけでいい」

「わかりました」森内はそれだけ答え、口を閉じた。

 急に船体が小刻みに揺れ始めた。わざわざ見下ろさなくとも、何の上空へ来たかはすぐにわかる。巨大坑に向かって吹きすさぶ下降気流は、永遠に止むことがない。ハデスが「宝石が欲しいのなら来るがいい」と手招きしている、などというイメージはどう考えてもナンセンスである。しかし、死人の落ちくぼんだ目のような採掘坑へと降りていく段には毎回、そういった印象がどうしても付きまとってくる。

「そしたら」比嘉が操縦桿をゆっくりと前へ傾けた。「下の保管室で坑内を監視してくれないか。お前が下りたらすぐ、全方位映像に切り替える」「了解です」

 森内はシートベルトを外してから立ち上がると、狭い室内上部に据え付けられたエアロックの取っ手につかまった。そしてバランスを取りながら、床中央から階下へと伸びる梯子(はしご)に足をかけた。保管室の天井は操縦室よりもさらに低く、少し前のめりにならないと立っていられない。照明ガードとプロジェクターにぶつからないよう、ゆっくりと辺りを見回す。部屋の隅には泥だらけの備品に混じって、使い古されたパイプ椅子が一脚もたせ掛けてある。森内はそれをつかむと、梯子の脇に置き、疲れを預けるようにして腰かけた。

 一息つくと、白い縞鋼板(しまこうはん)の床をぐるりと眺めた。そこには森内を囲むように六枚の丸いガラス窓が取り付けられてある。そして今は、それら全てにスライド式のブラインドがかかっている。森内は少し身を乗り出すと、六枚のうち最も手近な窓を選び、ブラインドを引き開けた。 予想通りSad Hadesの虚ろな目は、ポッドの下降速度で徐々に近づいてくる。「深淵を覗くとき、深淵もまたこちらを覗いている」とは誰の言葉だったか、などと考えるうち、スピーカーから比嘉の声が届いた。

「準備できたか」

「はい、大丈夫です」森内は言いながら、素早くブラインドを元に戻した。

 それ以上の合図はなく、照明は消え、たちまち室内は暗くなった。天井の丸穴からそそぐ光の柱の中で、白い埃がちらちらと舞っている。決して雪のようではない、粉塵の混じった汚らしい埃───

 次の瞬間、森内の体は宙に預けられた。この感覚にはいまだに慣れない。わかってはいたが、それでも、夢の中で高所から落ちるときのように体がびくっと震える。これまで見えていた壁、床、梯子は消え去り、代わりに広大な「空中」がそこに現れる。360度水平方向には、地平線まであまねく広がるアフリカの荒野。そして足下には、労働の絶望を予感させるハデスのあの黒い瞳。

「映ったか」比嘉の声で、森内は糸で引っ張られるように上を向いた。操縦席の一部を覗かせる丸穴だけが、そこが船内であることをはっきりと示している。

「映りました。視界映像良好です」

 しかし実際には、と森内は落ち着いて部屋の一部に目を凝らす。焦点が合うに従い、捨て置かれた備品の輪郭が、蜃気楼のように漠然と浮かんでくる。梯子も、椅子も、そして自分の膝も。3D補正投影により凹凸面全てがスクリーンとなるが、その映像は完璧ではない。少なくとも、このポッドに搭載されたプロジェクターに関してはそう言える。もしどんな微細な凹凸も補正され、今いる空中の完全な映像が出現すれば、床が抜けたと感じる恐怖とともに、いよいよ俺は卒倒してしまうだろう。

「もしもし、こちらトランテック輸送です」比嘉の声に反応し、森内はフェイスシールド右隅で小さくなっていたグループセッションのアイコンを注視した。見ると、二人のセッションにもう一人男が加わっている。こざっぱりしたシャツの上から着た、染みのない緑のストレッチジャケット。日双鉱業の主任技師外崎(とざき)が、シールド下部の小枠でいつもの屈託ない表情をこちらへ向けている。

「こちら管制室」外崎は抑揚の無い口調で言った。

「これから、坑内作業を開始します」慣れ切ったやり取りのようで、比嘉の話しぶりはいつも以上に流暢に聞こえる。「遠隔給電システムの切り替えをお願いします。ポッドはトランテックの二号機。レイヤー50以下まで入坑する予定です」

「かしこまりました」外崎は一旦沈黙し、手元のキーボードで何やら操作を始めた。それからカメラに視線を戻すと元の事務口調で話し出した。「トランテック二号機の入坑を許可しました。レイヤー1に進入した時点で、地下の遠隔給電システムに自動的に切り替わります。現在、レイヤー20から30付近は他企業のポッドで混雑しています。接近時には注意して航行願います」

「了解です。ありがとうございます」比嘉が外崎との通信を切ろうとしたとき、主任技師は引き留めるように言葉をさし挟んだ。

「あの、比嘉さん」外崎の声には新たに若干の疑念が含まれている。

「はい」「比嘉さんたちは、これからお昼の休憩のはずですよね。どうかされましたか」

 このとき比嘉は、森内がさすがと思うほど冷静に言葉を継いだ。

「ええ、積み込みの無人ダンプがもう現場に到着したみたいで、昼休憩を繰り上げてきたんですよ」「積み込みは午後からの予定でしたけど」「いや、もうダンプは来てるんですよ。それで外崎さん、通話のついでで恐縮なんですけど、うちの浅井ってどこかで見ました?」「いや、見ませんね。浅井さんがどうかしましたか」「いえ、いいんです。あいつまだ奥で作業してて、もしかしたら日双さんのポッドかなんかで出て、入れ違いになったかもしれない、と思いまして」

 森内は息を殺して二人の会話を聞いていた。外崎に怪訝な様子はなく、あくまで言葉の応酬は滑らかに行われた。

「浅井さんの出坑記録はないので、彼はまだ坑内にいるはずですね」「了解です。ありがとうございます」

 外崎がセッションから退場するのを見届けてから、森内が言った。

「やっぱり、浅井はまだ中にいるんですね」

「そうだな」比嘉の声にいくばくかの懸念が混じり始め、事態がどれほど悪いかを無遠慮に訊くのはためらわれた。森内はこれまでの関係者の言葉をもう一度洗い、自ら状況の精査を試みた。きっと、浅井が盗人として日双鉱業に捕らえられていた方がよっぽどましだっただろう。面倒ごとは確かに増えるが、少なくともその場合怪我人が出ることはない。だが、その線はもう消えてしまった。もし我々トランテックだけで解決できなければ、ジャメルの爺さんに当たるしかないだろうか。いや、それよりも日双鉱業に正直に打ち明けた方が───

 スピーカーから柔らかな案内音が鳴り、森内の思考は中断した。顔を上げると、ポッドはちょうど地表面の高さを航行していた。岩盤と吹付けコンクリートの境界線が円環となって、浮遊するポッドを大きく囲っている。そして、暗闇が淀む大穴の底からは先ほどのオレンジ色のビームが、まさに森内の体を突くように差し込んでいる。

「地下給電システムへの移行が完了しました」機械の女性の声がスピーカーを通じてそう告げた。「主立坑(しゅたてこう)内、レイヤー54までの全ての操業鉱区で航行可能です。レイヤー55以降へ進入する場合、新たなシステム切り替え処理が必要です。その際、時速20km以上で航行しますと、処理がうまくいかず墜落する危険性が生じます。給電システムの切り替えには常に注意を払うようにしてください」

 説教めいたアナウンスに対し比嘉は「わかってるよ」と独り言でも言いそうだな、と森内は考えた。しかし、その予想は外れた。

「なあ、森内」

 声が階上から聞こえたわけではないのに、やはり突然呼びつけられると上を向いてしまう。

「はい」森内は天井の丸穴しか見えないことに再度気付き、答えながら下方に視線を戻した。

「お前寝てないだろうな」

 予想外の軽い問いかけに、森内の緊張はわずかにほぐれた。「大丈夫ですよ。浅井じゃないですから」

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