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人を狂わす輝き  作者: 西松清一郎
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 少し飛ばしただけで《鉄馬(モトホース) 》の関節は逆方向にひん曲がりそうになる。手間を惜しんで中古販売サイトで買ったせいだ。メタリックでほっそりとした馬身。まさか運命なんて大それたものを感じたわけじゃなかったけどな。即決だった。だけど───時間と金をケチらず、ヨハネスブルグまで出向いて新品を買うべきだった。メインストリートのショウウィンドウには、もっとつやつやして丈夫そうなのがいくつも並んでいたはずだ。後悔先に立たず、か───森内光矢もりうちこうやは、鋼鉄製の馬のうなじから突き出たT字ハンドルを握りながら、鉱山都市のあの意外なほど洗練された中心街を思い返していた。

 振動も想像以上だな。きっと、アフリカ奥地の悪路を走ることまでは想定していないのだろう。サイトの商品情報には「衝撃吸収に優れ、(くら)なしでもOK」とあった。何が「OK」なものか。《鉄馬》の前脚がこぶし大の石でも踏もうものなら、直にまたがった鋼の背が尾てい骨に無慈悲な一撃を食らわせてくる。一週間前に乗り始めてから、これで何度目かしれない。特に、今日のような火急の用で叩き起こされた日にはなおさらだ。さっきからなんでもない起伏を通るだけでも、いつもなら吸収できる衝撃が、まるで地獄の餓鬼が突き上げる拳のごとき打撃に変貌する。

 ただし、悪いことばかりでもない。疾駆する鋼鉄製馬とそれを操る俺の姿を見て、たまに地元の子供たちが、ひゅう、と口笛を鳴らす。フルフェイスのヘルメットをかぶっているため、子供たちに微笑み返すことはできないが、それでも首だけ向けて関心を示すくらいのことはする。

 ふいに軽快な着信音が森内の意識を再び前方に戻した。ヘルメットのシールド内側に「比嘉(ひが)さん」の文字が浮かんでいる。着信音が決して愉快なものでなくなったのはいつからだっただろう。ちょうど給料をもらって生活し始めたときからかもしれない、などと考えながら森内は視線とともに動く小さなカーソルを下部の「応答」に合わせた。もちろん《鉄馬》の速度で迫り続ける背景にも注意しながら。

「今、どこにいる」比嘉の不機嫌そうな声がヘルメットのスピーカーから響く。

 どこにいるって、出勤途中に決まってるだろう。つい三十分前に俺を眠りの底から引きずり出したのを忘れたとでも言うのか。森内はそのような不平を飲み込んだ後、一つ咳払いして言った。

「今、現場に向かってます。あと十分くらいで着きます」

「急げよ。今回ばかりは人命がかかってるんだ」

 森内が「了解」と言う前に通話は切れた。フェイスシールドは再び、何も映さない透明なプラスチックプレートに戻った。

 同僚の浅井ルーカス健が今朝方、坑道の奥で消息を絶った。まったく、あのバカめ。詳細は、比嘉がやたら早口だったのと、自分の頭がまだ十分回っていなかったため覚えていない。何でも、ダイヤとは違うものが出てきたという。何だ、奴はタンザナイトかブラックオパールでも見つけたのか。仮にそうだとしても、俺たちがサインした(させられた)契約書には「ダイヤモンドまたはその他の鉱物を、職長及び現場作業監督の許可なく外部に持ち出してはならない」とあるはず。よって浅井が何を見つけたとしても、どのみちそれを猫糞(ねこばば)することはできないのである。もちろん、法を破る覚悟があるのなら話は別だが。

 脇から伸び出た細い木の枝がヘルメットをかすり、ちっ、と音がなる。これ以上スピードを出せばこいつの前脚は折れ、ついにお釈迦になるだろう。せめて、就労ビザの期限が切れるまでは「健康」でいさせたい。砂のオー・ルージュのような登り坂を突っ切ると、見えてきた。作業員の間でSad Hades(サッド・ハデス)と呼ばれている巨大な穴。元々はダイヤを掘り尽くされた露天掘り坑で、所有者であるイギリスの鉱山会社は、それを人口湖としたまま百年以上放置してきた。しかし耐熱自動穿孔(せんこう)機やフライングポッドが出現し、掘削技術が飛躍的発展を遂げると、状況は徐々に変わっていった。歴史を伝える遺産としての役割しかなかったこの穴に再び、世界中から採掘権目当ての開発業者が群がってきた。蟻の巣のように掘り進められて出来たこの階層的採掘坑は現在、地下で数百の鉱区に分割され、混然としたダイヤモンド・シンジケートを形成している。

 はあ、と吐くため息でフェイスプレートが一瞬曇る。森内は、地獄の入り口にしか見えない巨大坑を眺めながら思った。景気のいい話の裏で、これまで生き埋めになった作業員は数え切れない。今日も冥府の神ハデスに祈るのみだ。悠久の時の結晶をほじくり返す俺たちをどうか見逃してください、って。

 漏斗(ろうと)形の大仰な採掘プラント脇に《鉄馬》を停め、詰所(つめしょ)であるコンテナハウスまで徒歩で向かった。二歩歩いただけでお気に入りのテンホールブーツは砂で真っ白に染まってしまう。だから今では諦めて、布で一拭きすることさえしない。ガタつくアルミ製ドアを開けると、苛立ちを隠さず椅子に座る比嘉の姿が見えた。森内が「おはようございます」と決まりきった挨拶をすると、比嘉は無言でわずかだけ頷いた。黙っていても向こうから口を開きそうにないと思い、森内はさらに付け加えた。「浅井と連絡取れました?」

「いや」比嘉の声の調子はさっきスピーカーから聴いたときと変わっていない。「何回か通話かけたけど、ダメだ。出ない」「呼び出し音は鳴るんですか」「鳴る」「じゃあ少なくとも、あいつの通信機は壊れてないんですね」「少なくとも通信機はな」

 比嘉はそこまで言うと腕を組み、また押し黙った。その横顔には当然のごとく湧いた怒りや呆れに加え、不安や焦りといった湿っぽい感情も湧いている。責任ある立場として、次にどのような行動を取るべきか考えているのだ。

「遅番の日に悪かったな。まだ寝てたんだろ」比嘉が勢いよく立ち上がった。そしてローテーブルを回り、錆びだらけのロッカーの列まで歩いていった。

「いえ、構わないです。悪いのは浅井ですから」森内も比嘉にならい、自分のロッカーを開けた。

「耐熱スーツを着ろよ。どこまで潜ることになるかわからん」「了解です」

 それから森内は多層生地でごわつくスーツを出しながら、浅井とのやり取りの詳細を尋ねた。

 午前の休憩時間を迎えたとき、比嘉は浅井と二人で帰還のためポッドに乗り込んだ。いつも通り比嘉が操縦席に座り、ポッドを浮上させた。そして地上の発着場に着陸してエアロックを開けようとすると、船内に浅井がいないことに気付いた。

「浅井と一緒に乗ったんですよね」森内が尋ねた。

「一緒に乗った、と思ったんだよ。だけど地上に着いたとき、ポッドには俺一人しか乗ってなかった。いつも通り俺に操縦を任せて、後部座席で居眠りしてると思ったんだよ。だけど今日は違った。きっと俺とポッドに乗り込んだ後、何を思ったかあいつだけ坑内に引き返したんだろう」

 その後、比嘉はこの詰所に向かい、すぐに通話アプリで浅井にかけた。

「最初はあいつ、しどろもどろでさ、『お前何やってんだ』って何度も問い詰めたんだよ」

「そしたらあいつ、何て言ったんですか」と森内。

「『ダイヤでないものを見つけた、かなり大きい』って。いじけた子供みたいに、ぼそぼそ喋りながらな。それで、何を見つけたのか訊こうとしたら、通話が切れやがった。あいつ、ダイヤじゃなくても自分のものにはならない、ってわかってないのかな。まあ、そんなことはいい」

 比嘉は後ろを向き、背中のジッパーを上げるよう森内に要求した。森内が言われた通りにすると、再び向き直り語り始めた。

日双(にっそう)鉱業の連中に見つかったってんなら、まだいい。事情を説明すれば、多分解放してもらえる。まあその場合でも、俺ら下請けの信用はガタ落ちで大迷惑だけどな。最悪なのは、全く関連のない別の組織の持ち場で何かくすねた、って場合だよ。お前も現場で色んな業者見てきただろ。中にはさ、無届けで勝手にそこら中掘ってる連中もいるんだよ。そういうところの作業員は、低賃金で強制的に働かされてる場合もある。『紛争ダイヤモンド』って言ってな」

「紛争ダイヤモンド」森内が鸚鵡(おうむ)返しに言うと、比嘉は意味ありげに大きく息を吐いた。

「アフリカの内戦は今でも頻発しててさ、対立する組織同士がこぞって鉱物を採掘しあうんだよ、武器を買う資金のために。それにより紛争は激しくなり、さらに鉱物の奪い合いが起きる。そういった武器購入資金のために掘られるダイヤを、特に『紛争ダイヤモンド』って呼ぶんだ。紛争ダイヤモンドの弊害は単に紛争を長引かせるだけじゃない。武装組織は採掘地域の住人を奴隷同然に駆り立てて、鉱物を掘らせるんだよ。早い話が搾取だな。従わない者は見せしめのように痛めつけられて、時に無報酬で酷使される」

「搾取って、いまだにそんなことが行われてるんですか」

「外資系の連中の目が届かない旧坑道では案外多いらしい。そういった組織の『持ち場』で拘束されたのなら、話は相当厄介になる。裏にどんな武装グループがいるか知れたものじゃない」

 森内は経験したことのない過酷な現場を想像して肝を冷やした。「話が物騒になってきましたね」と言葉を継ごうとしたが、やめた。話の背景にある凄惨さは、そのときの室内の雰囲気には到底収まりきらない気がした。やがて比嘉がヘルメットをかぶることで、会話は強制的に途切れた。それを見て森内も口をつぐみ、またロッカーの装備品に手を伸ばした。

 耐熱スーツのネックリングにヘルメットをはめると、内部スピーカーから「正常に装着されました」と自動音声が響く。また、それと同時に、フェイスシールド内側にグループセッション開始の通知タブも表示された。森内は「トランテック採掘輸送チーム」の文字を一秒間凝視する。セッションが始まると、シールドには三人の男のリアルタイム映像が半透明で映し出された。会議通話を開始した比嘉は、シールド中央に大きく表示されている。

「浅井見つかったか」六十絡みの男の緊迫した声。チームリーダーの黒池は、シールド下部の小枠で、体をゆっくり旋回させながらこちらを見つめている。きっと無重力状態のポッドの中だろう。森内がそのように観察する間に、比嘉が口を開いた。

「まだ見つかってません。通話が切れてから沙汰なしです」

 もう一人の若いサブリーダー、大川が割って入った。「今、大急ぎでポッドに乗ってさ、黒池さんと一緒にそっちに向かってる。多分二時間はかかると思う。それまでに何とか目星つけながら、坑道内を二人で捜索しててほしい」

「了解です」と比嘉。「二人とも出張中なのに、災難でしたね」

「今回ばかりはしょうがねえからな」黒池が言った。「浅井が見つかったら連絡くれ。それと、日双の社員にはさ、何て言ったらいいのかな。それとなく探り入れとく、って言うか、はっきりと『浅井がいなくなった』とか言わねえでよ、『うちの浅井見ました?』とか気軽に訊いてみてくれねえか。元請け会社がまだ把握してないのなら、むやみにことを大きくしない方がいいからよ」

「了解です。そうします」比嘉が答えた。

「それと、森内」

 急に黒池に話を振られ、森内は反射的に声を発した。「はい」

「今日、遅番だったんだってな。早い時間から来てもらって悪いな」「いや、全然問題ないです」「比嘉と一緒に行ってもらうけどな、もし他の現場が絡んでるようなら、すぐ戻ってこい。下手に首突っ込むと危ねえから」「了解です」

 比嘉について二人でポッド発着場まで歩いた。フェイスシールド右上の時刻表示はすでに正午近くを示している。比嘉との会話はなく、砂利を踏む音がスーツを伝ってヘルメット内部に響いた。真四角に敷設されたコンクリートと、その上に停まる円筒形コテージのようなフライングポッドが視界の奥に見え始める。比嘉は意図的に向きを変え、発着場手前の無機質な金属製の尖塔に近づいて行った。森内は先輩の意図を読み、セッションにまだ二人が参加中であるのを確かめてから声を発した。

「私がエネルギー送填(そうてん)試験してきます。比嘉さんはポッドに向かっててください」

 比嘉は歩調を変えず振り向いた。「一人でできるか」「はい、試験は先週も一人でしたんで、手順は覚えてます」「じゃあ、頼む。マイクロ波調節系には触るなよ。ビーム出力を変に上げると、船体が焼け焦げるからな」「気を付けます」また元の方角へ向かう比嘉の背を横目に、森内は遠隔給電塔の薄い合金ドアを引いた。

 塔下部の制御室は無人で、錆びだらけのデスクに載ったディスプレイが一台、音も立てず青い光を放っている。部屋の中央では、円錐形真空管が塔先端に向けて大木のように一気に(そび)えている。制御盤の警告ランプは点灯しておらず、今のところ出力異常はない。森内は指差し点検の後、砂まみれのタイルを進み、ディスプレイの前に立った。

 電子加速電圧、最大発振周波数、共振器内磁場強度の値が適正であるのを確認し、「試験ビーム射出」タブを押す。真空管内部から、虫の羽音のような稼働音がうなりとなって響き始める。共振器内の電子が回転により、高エネルギーのマイクロ波を発生させるところを想像する。塔先端から発射されたマイクロ波ビームは、ポッド底部のリフレクターにエネルギーを供給する。一秒にも満たない時間で、ポッドから集光強度と推定推進力の数値が返ってくる。よし、全て正常に動いている。

 背後でドアの開く音がし、その後すぐに床から規則的な振動が伝わったきた。明らかに誰かが侵入し、こちらに向かってくる。直感で比嘉でないことは確信した。微かな嫌気とともに振り返ると、すでに腕を伸ばして触れられる距離に、紫の作業着を着た男が立っていた。ヘルメットは白のキャップタイプで、顔面に走る無数のしわがよく見える。ジャメルの爺さんだ。

 ジャメルはしきりに口を動かして、こちらに何事かをつぶやいている。森内はシールド左上の「設定」アイコンを睨み、スピーカーの「外音取り込み」と「外部放声」をオンにした。数秒間のノイズの後、自動言語検出が済み、翻訳された音声がスピーカーから流れる。

「あなたは比嘉さんですか」アナウンサーさながらの整った男の声。しかし実際は、「お前、比嘉か」くらいのニュアンスだろう。声だって、こっちがヘルメットを取れば、やすりで削ったようないつものしゃがれ声に変わるはずだ。

「違うよ」森内は言いながら、もう一度シールド左上のアイコンに目をやる。新たに出現したスピーカーのマークの下には、「取り込み言語:ポルトガル語」と表示されている。そう、この表示を見るたび、この老人の国籍が不明であることを思い出す。

「それでは、あなたは誰なのですか」今度も、きっと「じゃあ、おめえ誰なんだよ」といった具合だろう。そういった想像、そしてやり取りそのものにも辟易し始め、森内はディスプレイに向き直った。「森内だよ。爺さん、仕事に戻らなくていいのか」

 ジャメルはなおも、森内の横顔にねばりつく視線を向け続けた。「森内さんですか。仕事はもう終わりました。ところで」言葉を切ったジャメルに反応して森内は、デスクに両手をつきながら、横目で老人をちらっと見た。ジャメルの口は大きく歪み、そこからさもおかしそうな笑みが漏れている。さらに、上下二本ずつ前歯の抜けた黄色い歯列もむき出しになっている。

「なんだよ」森内は、にやにや笑いを止めようとしないジャメルに言った。

「あなたの会社の従業員がいなくなったらしいですね」

 森内の体が一瞬、硬直した。浅井について詳しく訊いた方がいいだろうか。先ほどの黒池との会話を思い出す。ジャメルは元請けの所属ではない。そもそも、どこの所属か聞いたこともない。しかし───黒池さんは「ことを大きくするな」とも言っていた。森内は慎重に言葉を選んでから、首だけ相手に向けた。

「どっかに飯でも食いに行ったんだろ。何にせよ、俺はよく知らない」

 ジャメルはそれを聞いて笑い声をあげた。それは翻訳されず、シールドの向こうから壊れたからくり人形のような振動として伝わった。それから森内は何も言わず、ジャメルの横を通り過ぎ、出口に向かった。老人はその背中にさらに言葉をかけたようで、ヘルメットはその声も翻訳して伝えた。「今頃、ハデスが盗人を料理しているかもしれませんね」

 森内は「外音取り込み」をオフにして、振り返らずにドアを開いた。

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