1度目。ーー自覚した想いと不穏な気配。
それは公式に婚約発表をされてから10日程経った日の夜だった。もう寝もうと思ったのに人の気配がする。
「影かしら」
「御意」
人の気配に声を掛ければ暗闇から声が響く。
「向こうに何か?」
「隣国に不穏な動きが。詳しくはこちらに」
闇から白い物が差し出される。お父様からの密書だと気付いて直ぐに目を通した。そこには隣国で密かに武器の買い占めが始まっている、とのこと。それは戦争という事に他ならない。
「先ずは様子見で誰かを寄越すと思う?」
「はい」
という事は戦争になるにしろ、ならないにしろ使者が来る事は確実だ。
「王家には?」
「既に王家の影が」
「そう。……いいわ。明日朝までに情報を掻き集めておいて頂戴。使者は私の予想だとコッネリ公爵が騎士団長を副使にしてやってくると思うけれど、その動きも含めてね」
影の気配が消えて私は一つ溜め息をついた。鈴を鳴らして専属の侍女を呼ぶ。明日は予定を変更して朝から登城する事を伝えておいた。元々明日は王子妃教育も休みで城下に行くつもりだったが無しになった。もうすぐ国王陛下の生誕祭だというのに何故こんな時に隣国が。……いいえ、こんな時だからこそ?
そうだとしたら隣国は用意周到だということで。いつから企んでいたのか……という事になる。そして何を望んでいるのか、という事にも。我が国そのものを欲しているとしても隣国の国王は莫迦じゃない。我が辺境伯家が国境を守っている限り簡単に我が国を明け渡せない事くらい知っているはずだ。
隣国の国王陛下と私のお父様は友人と言ってもおかしくない付き合いをしていたというのに。一体どういう事かしら。眠れぬ夜を過ごす事になりそうでドミーから頂いた絵を眺める。それだけで元気になれるし力も沸いて来るし頭の回転も早くなれる気がする。
「ドミトラル様……」
ポツリ呟いた名前が此処、王都にある辺境伯家のタウンハウスの私の部屋いっぱいに広がって響いて消える。ーー私自身が狼狽る程、幸せと優しさと喜びを空間に余韻を残して。
「莫迦ね」
自分の気持ちに気づいたところでどうしようもない。殿下が学園を卒業する2年後には結婚するしドミトラル様とは年齢差も身分差もある。いくら陛下お抱えの画家でも男爵家の出である彼との身分差は一目瞭然で。私が彼を好きでドミトラル様も私を好きになってくれたとして。それでも私達が結ばれるなんて有り得ない。それに万が一殿下に婚約破棄されようものならそんな傷物令嬢を引き取る彼は同情と好奇の目に晒される。そんな視線を彼が向けられるなんて耐えられない。
……いいえ。そもそも本当に婚約破棄されてしまえば王家の秘密を知っている私を王家が生かしておくはずが無い。どのみちドミトラル様と私が障害を乗り越えて結ばれるなんてハッピーエンドはあるわけがない。
悲劇の戯曲家・シェイクスピアならどう書いてくれるかしらね。いえ。私とドミトラル様が恋人同士ならともかくそんな事実も無いのだから興味も沸かないかしら。ロミオとジュリエットより私達の方がまだ悲劇性が無いかしら。