(50)
野外活動を終えて防衛局の研究部職員寮に戻ったアンリたちは、退去のために荷物をまとめた。明日には馬車で再び、中等科学園に戻ることになっている。
「ひと月は長いって始まる前は思っていたけれど。短かったね」
荷物を鞄に詰めながら、ウィルが感慨深げに言った。たしかに、始まる前には想像もしていなかったことがたくさん起こり、忙しい一ヶ月になった。忙しい分だけ短く感じるひと月だったと、アンリも思い返して深く頷く。
荷造りを終えてから食堂でアイラと待ち合わせ、世話になった人たちに挨拶に行く。
「ええっ。お礼なんていらないのに。でもありがとう、皆で食べるね」
街中で買った菓子の差し入れを、ことのほか嬉しそうに受け取ってくれたのはミリーだった。隣でハーミルは、菓子に注目しすぎるミリーの頭を叩きながら、研究室の室長らしくアンリたちを励ます。
「ウィリアムもアイラも作業が丁寧で助かった。将来はぜひ研究部にって言いたいところだが……まあ、そうでなくてもお前らなら、何するにも上手くやるだろう。滅茶苦茶なアンリとはあまり比べたりせずに、くさらず頑張れよ」
なんだか余計な一言があったのではないかとアンリは思うが、ウィルとアイラは励ましを真面目に受け取ったようで、真剣な顔で頷いていた。
それからミルナの研究室へ行くと、ミルナは驚いた様子でアンリたちを出迎えた。
「私は明日イーダへの馬車に同乗するのよ。わざわざ来てくれなくても良かったのに。野外活動も疲れたでしょう?」
などと気遣いを見せてくれたミルナには、アイラから菓子を手渡した。きっと明日は慌ただしくなるだろうからと言うと、ミルナも嬉しそうに微笑む。
もっともこのタイミングでミルナの研究室を訪れたのには、別の目的もあった。
「明日だと渡すのは難しいと思って」
そう言ってアンリは、部屋に置いてきた包みを空間魔法で取り出してミルナに渡す。何かしら、と包みを開いたミルナの目が、驚愕に見開かれた。
「アンリくん……こ、これは……」
「野外活動の最後の夜にちょっと抜け出して、北の山脈まで行ってきたんです。やっぱりドラゴンの鱗を採るなら生息地が一番ですね」
包みの中身は、ドラゴンの鱗。百枚ほど入っている。これからの腕輪の研究と改良に使ってほしいと思って採ってきたものだ。
「こないだ作った魔力石、即席だったのが心残りなんです。魔力石に混ぜるときの比率とか、ぜひ、色々試してみてほしいと思って」
「アンリくん……あなた、北の山脈なんて、そんな危険なところに……」
「落ちていた鱗を拾っただけですよ。ドラゴンに見つからないように気をつけました」
わなわなと震えるミルナを前に、まさか本当はドラゴンに見つかって、一頭倒して逃げてきたなどとは言えない。アンリがしばらく黙ってにこにこ笑っていると、ミルナはやがて諦めた様子で、深いため息をつきながら包みを受け取った。
研究部の建物を出ると、アンリと顔見知りの戦闘部の職員が何人か出てきていた。中等科学園生という身分で戦闘部の建物に入るのは難しい。代わりに、わざわざ向こうから出てきてくれたのだ。その筆頭は隊長だった。
「やあ、ウィリアム君とアイラさんだっけ。先日のイーダの一件以来だね」
などと気軽に話し始める隊長の口から何の話が出てくるのか。アンリは精一杯彼を睨んで牽制するが、すぐにほかの職員たちに囲まれて、それどころではなくなった。
久々に話す機会を得た同僚たちは、アンリに中等科学園での生活やら友人たちとの付き合いやらと、聞きたいことが尽きないらしい。中にはこの機に乗じてあの美人を紹介しろとアイラを指し示す輩までいた。歳の差を考えてくださいと、アンリは現実的に返す。
「そういえば、二十五番隊のグライツさんってご存知です? 今回お世話になったので、渡しておいてほしいんですけど」
ミリーやミルナに渡したのと同じ菓子を同僚の一人に預けると、彼は、なるほどと得心がいったように頷いた。
「あいつ、こないだやけに落ち込んでいたんだよ……アンリの戦闘でも見たんだな。比べるだけ無駄だと言っておこう」
「ああ、あのドラゴンの一件か。なるほどなあ。そういえばアンリ、あのドラゴンは一番隊で飼うことになったぞ。ずいぶん可愛らしいじゃないか。いつでも会わせてやるから、もうちょっと頻繁に帰って来いよ」
え、と思ってアンリは隊長を振り返る。ウィルとアイラを相手にしつつ、アンリの方の話も聞いていたのだろう。彼はアンリに向けてにっこりと微笑んだ。
「そうなんだ。魔力放出無効化装置は着けたんだが、万が一のことがあっても困るから、対応できるところで預かってくれと言われてね。うちなら何かあってもアンリを呼べるから良いだろうということになったんだ」
爽やかに事後報告をする隊長に呆れつつ、しかし自らの撒いた種だからとアンリは反発しないことにした。あのドラゴンの成長が見られることは、アンリにとっても喜ばしい。
翌日、アンリたちの乗った馬車は、彼らを無事にイーダへ送り届けた。同乗したミルナとも、そこで本当にお別れだ。ミルナの研究室で実習していたサニアなどは、彼女との別れを泣いて惜しんでいた。いつでも遊びにきてねとミルナが優しく声をかけると「遊びにじゃなくて、就職しに行きますっ」と意気込んでいた。
ただの体験カリキュラムと呼ぶのがもったいないほど色々あった日々は、こうして無事に幕を下ろした。
翌日からはまた、中等科学園での楽しい生活が待っている。
これにて第2章完結です。ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
ブックマーク、ポイント、感想もありがとうございます。励みになります。




