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職員寮まで戻ったアンリとウィルは、それぞれ机に向かって教本を開いていた。アンリは歴史の教本、ウィルは魔法知識の教本。二人ともたまに頭を抱え、たまにため息をつき、たまにうんうん唸っている。
やがて先に音を上げたのは、アンリの方だった。
「……あーっ! もう無理。ウィル、ちょっと気分転換に出かけようよ」
「アンリ、早すぎるよ。わからないところがあるなら教えようか?」
「わからないわけじゃないよ。覚えるのが面倒なんだ……そうだ、ウィルこそわからないところがあるなら教えるよ。魔法知識の方が少しは楽しそう」
「僕だってわからないわけじゃない。そうやって逃げていると、本当に補習になるよ」
「う……この内容を補習でやるのも、辛いな……」
ちょうど二人がこんな言い合いをしているところに、部屋のドアが叩かれた。おや、と二人は顔を見合わせる。男性寮のここにはアイラもミルナも入って来られないので、わざわざ部屋を訪ねてくる相手が思い当たらない。
「はーい、どちらさまですか」
不審に思いながらもアンリが声をあげると、扉の向こうが微かにざわめいた。マジか、ほんとにいるぞ、嘘じゃなかった……そんなざわめきに混じってはっきりと聞こえたのは、アンリにとって聞き覚えのある声だ。
「アンリか? 俺だ、リーンだよ。アンリが来てるって聞いて、遊びに来たんだ」
「リーン兄さん?」
アンリが扉を開けると、そこには二十歳前後の男が五人ほど集まっていた。出てきたアンリを見て、おお、と再びどよめく。その様子を不審に思ってか、ウィルも椅子から立ち上がり、扉まで出てきた。
「アンリのお客さん?」
「え、ああ、うん。俺の知り合い……」
「知り合いなんてひどいだろ! 兄さんって呼んでくれたじゃないか。兄弟って紹介してくれよ!」
迫ってきたリーンの暑苦しさに耐えかねて、アンリは食堂で話をしようと提案した。すると、それなら女子も呼べるよな、友達に女子だっているんだろ、などという話になって、なぜだかアイラも呼び出して食堂に集まることになった。
「左からリーン兄さん、イルマ兄さん、ベン兄さん、カイル兄さん、セス兄さん。俺と同じ孤児院の出身なんだ。皆、五年くらい前に中等科学園に行くために孤児院を出たけれど」
まだ食事の時間には早く、人もまばらな食堂の中央近くのテーブル。アンリ、ウィル、アイラの三人はテーブルを挟んで五人の男たちと向かい合った。一人一人に自己紹介をさせていては日が暮れるので、アンリがまとめて名前だけ紹介する。
初めまして、と兄たちは爽やかな笑顔を浮かべた。同じ地域の出身のためかどことなく顔立ちの似かよった五人は、幼い頃から仲良くつるんでいたそうで、笑顔の質までよく似ている。
「初めまして。アイラ・マグネシオンと申します。アンリの友人です」
「同じくアンリの友人で、ウィリアム・トーリヤードです」
二人の自己紹介に、五人はおおっとざわめく。言いたいことはアンリにもわかる。
「院長先生の言ってたことは本当だったんだな。まさかアンリに友人だなんて。しかもこんなべっぴんのご令嬢までなあ」
リーンの言葉に、他の四人もうんうんと頷いた。思っても言うなよ失礼だろ、とアンリから文句が飛び出す前に、リーンはさっさと言葉を続ける。
「それにしてもアンリ、水臭いじゃないか。ここへ来たなら、俺たちに連絡くらいくれたっていいだろう? 今日、院長先生から聞いて驚いたよ」
「ごめんごめん、仕事の邪魔をしたくなかったんだ。それに兄さんたちはよく院長先生のところに来るから、すぐ話は伝わるだろうと思って」
「嘘だな、どうせ俺たちの相手は面倒くさいと思ったんだろ」
低い声で鋭く言うのはリーンの隣に座るイルマ。わかっているなら皆まで言うなとアンリは思う。そういうところが面倒くさいんだ。
「まあまあイルマ。とにかくアンリの元気な姿が見られたんだから、よかったじゃないか」
「そうだよ。アンリのお友達にまで会えたんだし」
さらに隣のベンとカイルが言う。この二人は本当の双子なので、他の三人よりも特に似通っている。
「それにしてもマグネシオンさんってさ。あのマグネシオンさん? ほら、僕らの育った孤児院を作ったっていう」
一番端に座ったセスの言葉に、アイラの表情が固まった。とはいえ、大きな変化があったわけではない。初対面の相手向けに浮かべていた柔らかな微笑みが、ほんの少し強張っただけだ。些細な変化に気付くくらいには付き合いも深まってきたものだと、アンリは感心しながら話題を変えるために口を開く。
「兄さ……」
「ええっ!? それじゃ、アイラさんは俺たちの恩人の娘さんってことか!?」
アンリの言葉は一呼吸遅く、リーンの驚きの叫びに遮られた。残念ながらアンリにできたのは、話題を変えることではなく、リーンの叫びが辺りに響き渡らないように、急いで防音の結界を張ることくらいだった。




