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院長先生ばかりずるい、と大勢で駆け込んできた子供たちが興味を示したのは、久々に帰ってきたアンリではなく、初めて見る「お兄ちゃん」と「お姉ちゃん」だった。
「木登り! 木登りしようよ! あっちに大きくて、登りやすい木があるの!」
「私、スカートだから登れないわ」
「大丈夫、スカートで登るコツを教えてあげる!」
遠慮を知らない子供たちが、二人の手を引いて部屋から連れ出して行く。やや寂しく思いながらも止めずに見送ったアンリは、サリー院長から二人にこれ以上余計なことを吹き込まれずに済むと、安堵の息をついてようやく紅茶に手をつけた。
そんなアンリを前に、サリー院長は静かな微笑みを浮かる。
「本当によかったわ。アンリさんが、学園でうまくやっているようで」
「……だから、その言い方は」
「心配だったんですよ。これまで同年代との付き合いがほとんどなかったでしょう? ちゃんとお友達ができるか、ちゃんと力を抑えられるか」
ウィルやアイラに対する楽しげな様子は、いつの間にか、なりを潜めていた。代わりに、落ち着いた、まさしく聖母のような微笑みをたたえている。
「お手紙も嬉しかったですけどね。こうして連れてきてくれて、本当に安心しました」
「……あの二人とは一緒に体験カリキュラムに参加してるんです。イーダには、もっとたくさん友達がいますよ」
仏頂面で紅茶のカップを見つめたままにアンリが言うと、サリー院長はふふっと小さく声に出して笑う。いつか皆さん連れてきてくださいねという彼女の言葉に、アンリは視線を上げずに頷いた。
木登りを楽しむ子供たちとウィル、結局上れず悔しそうに見上げるアイラ。応接間の窓からは、彼らの様子がよく見える。しばらく静かにその様子を見つめていたサリー院長は「そういえば」と口を開いた。
「ここの孤児院を作ったときに多額の出資をしてくださったのが、マグネシオン家のご当主なんですよ」
思いも寄らぬ言葉に、アンリは口に含んだ紅茶を思わず吹き出しそうになった。なんとかこらえてサリー院長を見上げると、彼女は、お行儀が悪いと叱るときの目をしている。驚かせる方が悪い、という言葉はなんとか飲み込んだ。
「ここって、国のお金で建っているんじゃないんですか」
「設立にかかったお金は、国費と寄付が半々というところかしら。マグネシオン家のご当主は自身にも幼い子供がいるからと、お金だけでなく、設備のことや働く人のことまで色々とお世話してくださったんですよ」
民設公設にかかわらず、国内にはいくつも孤児院がある。そのなかでこの孤児院は比較的新しく、作られてから十年余りしか経っていない。記憶にはないが、アンリにしても拾われてから一、二年は、別の孤児院に預けられていたのだと聞く。
アンリとアイラは同い年。当時のアイラは、ちょうどよちよちと歩き始めた頃合いだったに違いない。孤児院設立の話を聞いた若い貴族があどけない自身の子の姿を見て正義感に駆られる様子は、想像に難くない。
「アイラはそのこと、知っているんですかね」
「さあ、どうでしょうね。でもこれは一般的にも有名な話ですから。お父様が話していなくても、どこかで耳にする機会はあったのではないかしら」
軍事を担う防衛局がわざわざ孤児院を設置したのは、戦争や大規模事故など、防衛局が携わる案件で保護した子供たちの居場所をつくるためだというのが表向きの理由だ。
素晴らしい慈善事業なのだから、隠す話ではないだろう。娘にも自慢して語ったかもしれない。その娘は、幼い時分から防衛局で戦闘職員として働く同級生がその孤児院の出身だと知り、なにかに気がついただろうか。
「賢そうな、良い娘さんですね。……優しいアンリさんなら心配ないでしょうけれども、決して、たちの悪い噂話で彼女を傷つけてはいけませんよ」
念を押されて、アンリは肩をすくめた。もちろんアンリには余計なことを言うつもりはない。ただ、彼女自身がその可能性に気付くのではないかと不安に思うだけだ。
十余年前。巨大な魔力を体に貯めた状態でアンリが保護されたのと、ほぼ同時期に設立の計画が立てられた防衛局附属の孤児院。戦争孤児の受け入れという表向きの理由を盾に、実はアンリという存在を防衛局で囲い込むために作られたのだという噂は、当事者であるアンリの耳に届くほど、防衛局内では有名な話だった。
もしその噂が真実だったとして……いや、真実ではないにしても、その噂がアイラの耳に届いたとして……それに自分の父親が関わっていることについて、アイラは何を思うだろうか。




