(9)
翌日は朝早くに歩き始めた。集落から離れて目的の山に近づくにつれ、道は細く、歩きづらくなる。それでなくとも連日長時間歩く経験の少ない学園生たちには、やや疲れる旅程だ。前日よりも休憩を多めに挟みながら、ゆっくりと目的地へと向かう。
「アンリ、あなた全然疲れてなさそうね」
「このくらいならね。それに、疲れたら回復魔法を使うから。アイラも覚えると便利だよ」
今日も雑談を交わしながらの道行きだが、疲れがあるからか口数はやや少なめだ。無意識に気安い仲間を求め、会話は一年生同士、二年生同士で分かれている。
疲れを知らないアンリにしても、自分の立場を知っているアイラとの会話の方が、気が楽だった。
「そんな大魔法を使ったら、魔力の方が底をつくでしょう」
「俺の魔力はそんなに少なくないから。……けど、そういえば皆の魔力はそんなものだっけ」
アンリは入学時の魔法力検査を思い出す。目立たないようにと魔力の器の大きさを偽装して三組になったわけだが、実際にあの程度の器しか持っていなかったとすれば、回復魔法が難しいのも納得できる。
「私だって、同年代では魔力は多い方なのよ。あなたが異常なの」
アイラの言葉を受けて、アンリは彼女の体に目を向けた。目を細め、彼女の体内における魔力の流れを感じ取る。たしかにアンリと同じ三組のエリックよりも、魔力の器は大きいようだ。魔力の器を大きくする訓練を最近始めたウィルと、現時点で同じくらいだろうか。
「アイラもウィルと一緒に、魔力量を増やす訓練をする? 重魔法の訓練より先にやっておいた方がいいと思うけど」
「ウィリアムったら、アンリの手解きでそんなことをしているの? ずるいわね」
「言ってくれればアイラにだって同じくらいのことはするよ。部活動の仲間なんだし」
ずるい、という言葉を意外に思ったアンリが呆れて言うと、アイラは驚いたように目を丸くした。その反応に、アンリは眉を顰める。
「なんだよ。俺、そんなに薄情に見える?」
「そうではないけれど……私、嫌われていると思っていたから」
なんで、と言いかけてアンリは口を閉じた。そういえば、出会った当初はさんざん馬鹿にされたのだった。三組の平民がどうの、だとか。アイラには、それで嫌われていても仕方がないという自覚があったのかもしれない。
まさかアイラがそんなに心配性だったとは。その意外さに、アンリは思わず息を漏らして笑った。笑われたことに気付いたアイラが、かっと頬を赤くする。
「ちょっとアンリ、あなた何を笑って……」
「はいはーい、みんな、止まってー」
アイラの抗議は、先頭で突然立ち止まったミルナののんびりとした呼び掛けによって遮られた。休憩にはまだ早い。学園生たちが訝しみながらも足を止めた直後、一番後ろを歩いていたグライツが、長剣を抜いて身構えた。その仕草に、サニアとスグル、それにアイラの三人が身を硬くする。
「あら、そんなに怖がる必要はないわ。ちょっと悪戯好きな動物が近寄ってきただけよ。でもみんな、動いちゃ駄目よ」
ミルナの言葉が終わらないうちに、ガサガサと草むらをかき分ける音が、気を付けずともはっきりと聞こえるようになってきた。右前方、木が多く草むらの濃い辺りを、草に隠れるほど小さな何かが、急激に勢いをつけて近寄ってくる。
その方向にミルナが右手を突き出すように向けるのと、ほんの十メートルも離れていないところで草むらから黒い影が数体飛び出し、ミルナに襲いかかるのとが同時だった。
見ていることしかできなかった三人の学園生たちは、息を呑む。
しかし、彼らが怖れたことは起こらない。ミルナに飛びかかった黒い影は彼女にたどり着く直前に、なにかに弾かれたかのように跳ね返り、宙を舞って地面に落ちた。
突き出したミルナの右手。その手首に巻かれた腕輪から、しゅぅっと空気を抜くような音が漏れる。
「ま、こういうこともあるからね。研究職でも、護身術くらいの戦闘はできると便利よ」
右手を下ろしたミルナは振り返り、学園生たちを安心させるようににこりと微笑んだ。




