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次の休日、アンリは学園の制服姿で防衛局のイーダ支部を訪れた。もちろん、筆記試験を受験するためだ。
同じような制服姿でイーダ支部の建物に入っていく人は多く、さすがに誘導役の職員も大勢の中からアンリを見分けることはできないだろうと思われた。実際、門を入って建物までの道のりを他の受験生たちと並んで歩いている間、周囲にはそれなりの人数の誘導役がいたにもかかわらず、アンリに注意を向ける職員はいなかった。
ところが建物に入り、試験会場となっている会議室の入口で受付をしたときだった。名前を告げ、学園生としての身分証を提示すると、受付役の職員の顔付きが変わった。
「あ……え、ええと、は、はい。か、確認が取れ、ました。番号の席に、お、お座りください」
それまで受験生たちに対し機械的にスムーズに会場内の席を案内していたはずの受付役の声が、突如として上擦った。部屋の中を指し示す手が、小さく震えている。
アンリは苦笑が顔に浮かぶのを辛うじて堪えつつ「はい」と頷いて部屋に入った。そのアンリの返事にさえ受付役がびくりと体を震わせたのは、見なかったことにする。そんなに上級戦闘職員が珍しいのか。
部屋に入ったアンリは、指示された席に向けてまっすぐ歩いた。部屋の中には監督役と思しき職員が数人いたが、そのすべての視線がアンリに集中していた。どうやら案内役の態度で気付いたらしい。
そんなことよりちゃんと監督役としての仕事をしたほうが良いのではないか——とアンリは思うが、今日のアンリは防衛局の職員ではなくただの受験生、学園生だ。余計なことは言わず、集まる視線も気にしないことにして席に着く。
周りの様子を窺えば、受験生たちは席に着くなり教本やノートを開き、試験直前の勉強に勤しんでいるようだった。
もとより試験に向けた勉強などしてこなかったアンリには見直すべき教本もなく、にわかに不安になってくる。
(俺なら勉強なんてしなくても大丈夫って、隊長もミルナさんも言っていたけど……)
本当に大丈夫なのだろうか。魔法に関する知識であればアンリも自信はあるが、よくよく考えてみれば、試験が魔法の内容ばかりのはずはない。戦闘部の試験といっても、募集しているのは魔法戦闘職員ばかりではないのだ。
(魔法を使わない戦闘職員も募集枠は一緒だから、同じ試験を受けるんだよな。だとしたら……何の問題が出るんだ?)
学園で習う一般教養のような内容が含まれるようであれば、アンリに高得点の芽はない。しかし、それならさすがに隊長もミルナも「勉強しなくて大丈夫」などとは言わないだろう——いや、ミルナはどうだろうか。アンリが戦闘部の試験で失敗して研究部専任になれば良い、などと思ってはいないだろうか。
とはいえ、今からどうこうできることでもない。せめて周りの受験生たちが何の教本を見ているのかを盗み見て試験内容の当たりをつけられないかとも思ったが、大抵の受験生は教本にカバーを付けていて、本のタイトルが見えないようになっている。前の席の受験生のノートの中身ならば見ようと思って見えないこともないが、あまり不自然な動きをして監督役の職員たちに不審に思われても困る。ただでさえ注目されているのだ。
(どうせ試験が始まればわかるんだから。今さら気にしたって、どうしようもない)
そうしてきっぱりと諦めたアンリは、あまり視線を動かして周りの監督役の気を引くのも良くないと思って、試験開始までただぼんやりと前を見て過ごした。
試験監督が手元の鐘を鳴らして、試験終了を宣言する。
ようやくか、とアンリはペンを置いてぐいっと伸びをした。
終わってみれば、たしかに試験はアンリにとって簡単なものだった。
試験内容はまず魔法に関する基礎的な知識を問うものから始まり、魔法以外の戦闘に関する問いや、基本的な戦術に係る問い、そして防衛局の組織制度に関するごく基本的な問いが続いた。それから実際の任務を想定した動き方や、防衛局の戦闘職員として生きていくにあたっての心構えを問う論述問題があった。
知識問題は全て防衛局で戦闘職員として働いていれば当然に身につく基本的なものだった。論述問題も、実際に任務でどう動いているかを答えたので、おそらく大きな減点はないだろう。
ちなみに戦闘職員として心構えについては、以前参加した新人研修で聞いた内容が役に立った——あまりにも熱意溢れる講義にアンリは嫌気がさしたものだが、今日の試験に当たっては自分を抑え、そのときの講義内容に従って戦闘職員としての心構えを書き綴った。アンリにとっては違和感しかないが、研修で聞いたとおりに書いたのだから間違いはないはずだ。
こういう試験を経て防衛局に入ってきた新人たちだからこそ、あの熱意溢れる講義も素直に聞き入れられたに違いない。
とにもかくにも、試験の中でアンリを困らせるような問いは出題されなかった。すらすらと答えられる問題ばかりだったので、時間が余ったほどだ。アンリが全ての問題を解き終わったとき、周りではまだペンを動かす音があちらからもこちらからも聞こえていた。アンリの解答スピードは早いほうだったのだろう。
(隊長もミルナさんも、嘘は言っていなかったな)
試験監督の指示に従って解答用紙を提出し、筆記用具を鞄にしまいながら、アンリはぼんやりと考えた。アンリなら勉強しなくても大丈夫、という言葉に嘘はなかった。たしかに勉強などしなくても、これまでの経験で十分に答えられる問題だった。これで不合格になるということはないだろう。
退室の合図が出ると、受験生たちは一斉に立ち上がって外へ向かった。監督役の職員たちの目を引かないよう、アンリも人波に乗って部屋を出る。
人混みの中、アンリは廊下の遠くにアイラの姿を見つけた。別の部屋で試験を受けていたらしい。周りをよく見れば、ほかにも三年一組のクラスメイトや、名前は知らないが学園で見たことのある顔もある。騎士科学園のアリシア・エルネの姿も見つけることができた。
(強い人ばかりだ。筆記試験で選抜するなんて、もったいないけど……)
防衛局戦闘部に入るための試験だから当然かもしれないが、誰も彼も、模擬戦闘をさせればかなり良い試合のできる実力者ばかりだ。そんな彼らでも、筆記試験の点数が悪ければ、その実力を見せる場もないまま不合格となってしまうのだろうか。もったいない。
それとも試験は形ばかりで、たとえば交流大会などでの実績をもとにスカウトされたような人たちには、点数に関わらず実技試験に進むことができるような特典があるのだろうか。あるいは、そもそも防衛局の戦闘職員を目指しているような彼ら彼女らにとって、この筆記試験はアンリが感じたのと同様に易しいものなのかもしれない。
あとで誰かに聞いてみよう——そんなことを考えながら出口に向かうなか、アンリは受験生以外にも知った顔があるのに気がついた。
「あ、ケイティさん」
出口へ向かう受験生たちの流れとは別の、隣の棟へと進む廊下の奥。受験生たちが迷い込まないよう「関係者以外立入禁止」のロープが張られた向こう側に、戦闘服姿の二番隊の職員を見つけた。学園の制服姿でそちらに踏み込むわけにもいかないので、ロープの手前ぎりぎりまで行って手を振って合図する。
アンリに気づいたケイティは、ぎょっとした顔をして寄ってきた。
「アンリさん、な、何してるんですか、こんなところで」
「何って、試験を受けにきたんですけど」
「ま、まさか、冗談ですよね?」
「冗談なわけないじゃないですか。俺、学園生なんですから」
ケイティの反応があまりにも大袈裟なので、アンリは面白くなって笑いながら経緯を説明した。試験免除で防衛局に入るとなると目立つため、試験を受けておきたかったこと。卒業後に防衛局に戻る際に特別扱いを認めてもらうため、試験などの機会を捉えてできるだけ自身の力を示しておく必要があること。
「特別扱い?」
「俺、戦闘部と研究部の兼務がしたいんですよね」
アンリは声をひそめて言った。戦闘服姿のケイティと学園の制服姿のアンリとが話している様子を、帰りがけの受験生たちが怪訝そうに眺めるのを感じたためだ。知り合いの防衛局の人を見つけて挨拶をしている、それだけならあり得る光景だろう。しかし、話の内容を聞かれるのは少々困る。
「人事の人からは、まず相応の実力があることを示すようにって言われていて。だから、ちゃんと試験も受けておくことにしたんです」
「ええと……アンリさんなら、今までの実績で十分すぎるのでは?」
「たぶん戦闘職員としてはそれでいいんだと思うんですけど、研究部にも入りたいとなると、それじゃ足りないらしいんですよ」
「それなら、研究部の試験だけ受けるのでも……」
「まあ、そうなんですけどね。ついでなので」
ついで……と、ケイティが愕然とした様子で呟くように復唱した。何かまずいことを言っただろうか。アンリは首を傾げたが、ケイティはすぐに首を振って「いえ、何でもありません」と、平常の顔に戻る。
「それで試験を受けていたんですね。自信はいかがです? 実技試験には進めそうですか」
「まあ、たぶん大丈夫じゃないですかね」
アンリの答えに、ケイティは「そうですか、まあアンリさんですしね」と、ため息混じりに言った。
呆れさせてしまったらしい。戦闘服ということは、ケイティは受験生たちの筆記試験とは全く関係のない用件でここにいるのだろう。あまり長く話し込んで邪魔をしてはいけない——そう思って、アンリは「それじゃあ、また」と話を早々に切り上げた。
(ケイティさん、浮かない顔をしていたけど。嫌な任務でも当たったのかな)
受験生たちの波に戻って出口に向かいつつ、アンリは考える。
二番隊にもなれば、他の隊には任せられない難しい任務や嫌な任務が舞い込むこともあるだろう。今日は無理でも、後日会ったときにでも聞いてみようか。ケイティには普段から世話になっているので、助けられることは助けたい——任務を肩代わりできるかどうかはわからないが、何か助言することくらいはできるかもしれない。あるいは、話すだけでも楽になる、ということもあるかもしれない。
次にケイティに会えるのはいつだろうか。そう遠くない日であれば、ぜひとも話を聞いてみようとアンリは思った。




