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「パルトリチョコレートから君に、新たにスカウトの話が入っている」


 突然教員室に呼び出されて戸惑うアンリに、レイナは淡々と事務的な口調で言った。


「パルトリチョコレートという会社は知っているだろう。チョコレートを中心とした甘味を扱っているところだが、そこが商品輸送の際の護衛職として、君を雇いたいと言っている。滅多にない高待遇でのスカウトだ」


 レイナから差し出されたメモに目を通す。たしかに高待遇だ。給与と福利厚生の条件は、はっきり言って防衛局の新人職員よりもはるかに良い。それが最低保証とされていて、働きによっては更なる好条件も期待できるという。


 普通に考えるなら、魅力的なスカウトだろう。しかしアンリの気持ちが傾くことはなかった。


 新規採用としては滅多に見ない好条件ではあるが、さすがに防衛局戦闘部の一番隊の給与を超えるほどのものではないし、護衛職としての採用ということは、アンリの望むような戦闘職と研究職を兼ねるような働き方ができるわけでもない。


「せっかくですけど……」


「君がそう言うであろうことはわかっていた」


 断るアンリの言葉を半ばで遮って、当たり前のような口調でレイナが言った。わかっていたなら、なぜわざわざ呼び出して渡すという場を作ったのだろうかと、アンリは首を傾げる。


 各所からのスカウトが届いている話はもう前に聞いたことだ。そのときにアンリの考えも話してある。追加のスカウトについてアンリに伝えなければならないというのはわかるが、呼び出すほどの話ではないだろう。断ることがわかっていたのであればなおのこと、参考程度にと教室でメモを渡してくれればよいだけだ。


 アンリの疑問に答えるように、レイナは「パルトリチョコレートからは」と続けた。


「このスカウトを受ける、受けないに関わらず、君と話がしたいという申し出があった。君に感謝の意を伝えたいということらしい」


「感謝?」


「先日の外出の際、馬車を助けただろう」


 そこでアンリはようやく、忘れていた狼退治の件を思い出した。レイナには伝えていなかったはずだが、なぜ知っているのだろうか。


 というか、その件でパルトリチョコレートから感謝、ということは。


「君が助けたのは、パルトリチョコレートの商品を輸送する馬車だったそうだ。パルトリチョコレートは君のクラスと名前とを出して、ぜひとも君に礼がしたいと」


 レイナの目がやや非難めいた色を帯びたように見えたのは、アンリの気のせいではないだろう。そんな事件があったなら報告しろと、その目が言っている。


 はっとして、アンリはすぐに頭を下げた。


「す、すみません、先生に報告するのを忘れてました。それに、お礼なんて、まさかそんな話になるなんて思いもしていなくて」


「まあ、その日の引率に私が行けなかったのも悪かった」


 説教が長く続くことはなかったが、代わりにレイナはそのまま「防衛局からも君宛てに、感謝状の話がきている」と、アンリにとってぎょっとするような話を続けた。


「防衛局のイーダ支部からだ。街道警備への協力に対して、感謝状をと……」


「いやいやいやいや!」


 アンリは全力で首を横に振った。


 たしかにアンリはイーダ近辺の街道に現れた狼を退治した。それはイーダ支部の業務への協力行為となっただろう。


 しかしアンリは防衛局戦闘部の一番隊職員だ。休職中とはいえ、目の前で緊急事態が発生すれば、対処に当たるのは当然だろう。むしろ、あの場で何もしなければ責められたに違いない。


 それに対して、感謝状などと——と、慌てた思考の中で、はたと気がついた。


「……俺が、名乗らなかったからですか」


「君は名乗っただろう、学園名とクラスと名前を。だからこうして、話が来ている」


 レイナが珍しく、笑いを含んだ声音で言った。そうしてアンリは、その言外の意味を正しく理解して頭を抱えた。


 あの日アンリは学園の制服を着ていた。だから防衛局の戦闘職員としての所属を名乗るわけにはいかないと思い、あえて学園の所属だけを名乗ったのだ。それでパルトリチョコレートも、間抜けなことに防衛局のイーダ支部さえ、アンリが一番隊の上級戦闘職員であるということに気付けなかったのだろう。


「……断れませんか、二つとも」


 パルトリチョコレートからの感謝の言葉などいらない。まして防衛局から感謝状などもらったら、一番隊で物笑いの種になることが目に見えている。


 ふむ、とレイナは唸りつつ首を傾げた。


「防衛局のほうはともかく、パルトリチョコレートのほうは面会の申し出だけでも受けたらどうだ」


「別に、感謝されたくてやったわけじゃないですし」


「とはいえ、向こうは感謝の意を伝えたいのだろう。それは君が学園生であろうと、防衛局の職員であろうと同じことだ」


 そうだろうか。防衛局の戦闘職員として街道警備に当たり、馬車を助けたとして。それに対してその場で感謝の意を伝えられることこそあれ、後になって改めて礼がしたいと言われたことなど、これまでにあっただろうか。防衛局の戦闘職員が街道を通る馬車を助けるのは当たり前であって、改めて深く感謝するほどのことではない。


 アンリが学園生であったからこそ、パルトリチョコレートはその珍しさとともに強い恩義を感じたに違いない。


「どうしても君が行きにくいと言うのなら」


 なんとしてでも断りたい。そのための方策を考えて黙り込んだアンリに、レイナが優しく続けた。


「私かトウリが同席することとしても構わない。元々、その場で君を行かせたのはトウリだったと聞いている。同席しても、不自然ではないだろう」


 レイナはなんとしてでもアンリをパルトリチョコレートとの面会の場に出させたいらしい。よほどの理由がない限り、レイナを説得して断るのは難しそうだ。それなら、むしろトウリに言って断ってもらうか——いや、今回の件ではせっかくの休日を潰して引率してもらったり、目立つなという助言を守らずにこんな結果を招いたりと、迷惑をかけ通しだ。これ以上、彼の手を煩わせるわけにもいかない。


 しかし、それならどうしたら断ることができるだろうか。咄嗟には思いつかない。


「……ええと、すみません。先生、ちょっと考えさせてください」


 ひとまず時間を稼ぐことにして、アンリは教員室を辞した。






 一人になってよく考えてみれば、パルトリチョコレートからの申し出を断るにあたってとてつもなく有効な手をアンリは持っていた。


「ええっ、断っちゃうの?」


「……いや、だって。受けるわけにいかないですよ」


 アンリが頼ったのは、四年生のサニア・パルトリ。パルトリチョコレートは、彼女の家の事業だ。


 彼女自身は卒業後、家業とは関係のない職に就く予定だと聞いている。しかし自身の就職先でないとはいえ、家族の経営している会社にアンリの意向を伝えてもらうことはできるだろう。この様子だと、そもそもパルトリチョコレートからアンリに面会の話が入っていることも知っているようだ。


 サニアにも、アンリはかなり世話になっている。それを思えば迷惑はかけたくないが、背に腹は変えられない。なによりトウリに対するのと違って、サニアにはここ最近迷惑をかけたという記憶がないので、頼りやすい。


 ついでに、サニアはアンリの事情——つまり、アンリが上級戦闘職員であることも知っているのだ。


「そりゃあ、スカウトの話を受けてくれるとは私も思っていなかったけど。でもアンリ君、学園生の格好をしていたときに助けてくれたんでしょう? それなら、お礼くらい受け取ってくれたっていいじゃない」


「どんな格好をしていたって、俺は俺ですよ。大袈裟にお礼なんかされても申し訳ないし、あとでバレたら恥ずかしいじゃないですか」


「助けてくれたのは事実なんだから、申し訳なく思う必要はないと思うんだけど……」


 それでも、バレたら恥ずかしいという心持ちのほうは理解してもらえたようだ。「たしかに上級戦闘職員様に対して改めてお礼なんて、逆に失礼だったかしら」などと、サニアが独り言のように呟く。アンリは慌てて首を振った。


「失礼ってことはないですよ。でも、大袈裟にしないでほしいんです」


「うーん。たしか、うちに来てもらっておもてなしするって話だったはずだけど。それなら、うちに来てもらうのは無しにして、お礼の品だけアンリ君の寮の部屋にお届けするっていうのでどう?」


「お礼の品も、いらないですけど……」


「うちからのお礼だから。ココアとかチョコレートとか、そういうのをお届けできると思うんだけど」


「あ、それなら是非」


 ここで断れずに受け取ってしまうところが、アンリの自分に甘いところだろう。けれどもサニアが安堵した様子の笑顔を見せたので、結果的にはこのくらいの妥協は必要だったのだと、アンリも心を軽くした。






 そしてもちろん、完全にはっきりと断らなければならないのは防衛局イーダ支部からの感謝状の話のほうだ。アンリが恥を忍んで隊長に連絡を入れると、案の定、隊長は通信魔法の向こう側で大笑いした。


『アンリに感謝状か! イーダ支部もなかなか面白いことをするな。いいじゃないか、そのまま受け取っておけば』


「面白くないですし、受け取れないですってば」


『試験に有利に働くかもしれないぞ』


「そんな馬鹿な」


 たしかに防衛局に入るための試験にあたり、これまでに防衛局に協力したことがあって感謝状を受け取ったこともあるとなれば、その実績はきっと有利に働くだろう。しかしそれはあくまでも、一般の受験生であればの話だ。アンリに当てはまるはずもない。隊長の声が笑いを含んでいることからも、冗談であることがわかる。


「とにかく、なかったことにしておいてください。このまま話が進んだとして、後でわかって恥ずかしい思いをするのは俺よりイーダ支部の人たちですよ」


『それはそうだが、もったいないなあ』


 こんなに面白い話は滅多にないのに、と隊長は半ば本気で悔しがるような口調で言う。


 とはいえ隊長も本気でこのままアンリが感謝状を受け取れば良いとは考えていないのだろう。ため息混じりに『仕方がないな』と諦めの言葉を口にした。


『俺の部下に感謝状を送るのはやめるよう、イーダ支部には俺から言っておこう』


「なんだか言い方に不安は残りますけど、まあ、よろしくお願いします」


『心配するな。……しかしお前も、試験のときの態度には気をつけろ。イーダ支部の奴らに、俺の部下だと知られるわけだからな』


「ああ、そういえば……」


 防衛局戦闘部の試験は筆記試験と実技試験に分かれていて、筆記試験は近隣の支部で受験することになっている。受験者が多く、首都にある防衛局の本部だけでは試験の実施に支障があるためだ。各支部で行われる筆記試験に合格した者だけが、本部で行われる実技試験に進むことができる。


 アンリはイーダの学園寮に住んでいるため、当然、筆記試験を受ける支部はイーダ支部となる。その上、イーダ支部で行われる筆記試験は、ちょうど次の休日に迫っていた。


『きっと受験者名簿にお前の名前があるのに気づいて、試験に有利になるようにと急いで感謝状の話を進めたんだろうさ』


「そんな配慮、いらなかったんですけど……」


 急いだからこそ、アンリの身元確認も疎かになってしまったのかもしれない。本当に、いらない配慮だ。


 まあそう言うな、と隊長は笑った。


『試験で上級戦闘職員として扱われないように、イーダ支部にはよくよく話しておくさ。だが、支部の職員には知られるものと思って覚悟しろ。上級戦闘職員として、恥ずかしい振る舞いはするなよ』


 どんな振る舞いだと、恥ずかしい振る舞いだと思われるのだろうか。一瞬、聞いてみようかとも思ったが、馬鹿馬鹿しくなってやめた。


 イーダ支部で行われるのは筆記試験だけで、実技も面接もない。上級戦闘職員としての振る舞いが求められる場など、あるはずがないのだ。それなら、周りの受験生たちと同じようにしていれば良いだけだ。


 これ以上、隊長の冗談に付き合う必要はない——最後に「じゃあ、お願いしますね」と念だけ押して、アンリは通信魔法を切った。

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