(12)
昼頃には休憩を取り、アンリは収納具の中から豪華な昼食を取り出してまた後輩たちに驚かれた。どれだけの物が入るのかというアルヴァからの問いに、「まあまあたくさん」などと曖昧な答えを返しつつ、アンリは手際良くサンドウィッチやら飲み物やらスープやらを人数分用意する。
途中でスープ用のスプーンを用意するのを忘れたことに気がついて、収納具の中に手を突っ込んだ状態で空間魔法を使い、寮の部屋に置き忘れていたスプーンを人数分掴み取った。
収納具から取り出したように見えたはず——と思って周りを窺えば、エルネストが不思議そうな顔をしてアンリのほうを見つめていた。少し離れたところでは、トウリが呆れた顔をしている。ほかのメンバーに気づいた様子はないものの、不用意に魔法を使うべきではないなとアンリは反省した。
平らな地面に大きな布を敷いて、サンドウィッチとスープと手軽につまめる揚げ物やらフルーツやらを並べる。ちなみに料理は全て、外出する学園生用にと朝方に食堂で配られているものだ。人数分の昼食を頼んだら「あら、ピクニックにでも行くの? 楽しそうね」と、フルーツを多めに用意してくれたので、思った以上に華やかな昼食となった。
収納具の大きさに驚いていた後輩たちも、目の前に美味しそうな料理が並べば自然とそちらに意識が向いたようだ。準備を終えたアンリが「食事にしよう」と誘えば、皆、遠慮なく座り込んで料理に手を伸ばし始めた。
サンドウィッチを頬張りながら、午前中の的当て訓練の振り返りなどをする。
「皆、だいぶ慣れてきたよね。午後はどうする? 同じことを続けて精度を上げてもいいし、同じ的当てでも別の魔法でやってみるっていう手もある。あるいは的当て以外のことをやってみたければ、それでもいいけど」
同じことを繰り返す訓練にもそろそろ飽きてきた頃合いだろうと思ってアンリが提案すると、案の定、皆が目を輝かせた。特にコルヴォ、サンディ、ウィリーの三人は、よほど的当てが退屈だったようで、安堵の息をついて「よかった」と互いに目を見合わせている。
さて、そこまで的当てが嫌だと言われてしまうと、この後は何をすべきだろうか。
模擬戦闘なら皆興味を持つだろうが、学年末試験に向けての実践には向かないだろう。学園は戦闘職員の養成機関ではないのだ。魔法実践の試験内容が模擬戦闘になるとは考えにくい。
それならいつもの朝の訓練のように、水魔法で何かしらの形づくりをさせてみるか。しかし魔力制御の力を身につけるために必要な訓練とはいえ、短期的に魔法力を上げられるわけではない。差し迫った学年末試験に向けた訓練としては、やはり不向きだろう。
三年生がやっているように、二年生以下にも動く的を狙ってもらおうか——しかしそれだと結局は的当てだということで、不満は解消されないかもしれない。
そんなことをつらつらと考えているときに、ふと、アンリの魔力に関する鋭敏な感覚が、近くの異常を捉えた。
近くといっても、木々の生い茂るなだらかな斜面を下った遥か先、街道のある辺りだ。目視できるところではないし、音も聞こえない。けれどもアンリの感覚は、そこで異常が起こったことを捉えている。
アンリだけではない。一拍遅れてトウリも異常に気づいたようだ。木々の向こうを見透かそうとするかのように目を細めたトウリに、アンリは「先生」とできるだけ穏やかに呼びかけた。
「ちょっと俺、ここを離れてもいいですか。様子を見てきたいんですけど」
トウリは逡巡する様子を見せた。異常の現場にアンリを向かわせることと、自分が向かうこと——その二つを比べたに違いない。しかし迷ったのは一瞬で、すぐに結論を出す。
「行ってこい。あまり目立つなよ」
「わかってます」
唖然としている友人たちに説明している暇はない。アンリは立ち上がると、事の起こっているであろう街道に向かうべく、迷わず木々の茂みへと突っ込んだ。
街道が見えるところまで斜面を下ったアンリは、そこで足を止めた。運の悪いことに、二台の馬車が街道をイーダに向かって走っているところだった。
それをただ見送ることはできなかった。アンリから見て街道の向こう側の森の奥——いや、もう奥というほど遠くない。ちょうどその森から街道に向けて、十数頭の狼が飛び出してくるところだった。
ただの狼ではない。どこかの魔力溜まりで魔力を蓄えたのだろう。普通の狼よりも大型で、動きが荒々しい。
アンリはすぐに魔法を使った。岩石魔法で向こうの森と街道の間に壁を作り、狼が街道に出ないようにする。急に壁を作ったことで馬や御者を驚かせてしまったようだが、仕方がない。突然狼の群れに襲われるよりはマシなはずだ。
壁を作る前に街道に出てしまった狼が二頭いた。そちらには氷の槍を降らせて、かわいそうだが串刺しにする。
斜面を駆け降りて街道に出た。「馬を落ち着かせておいてください」と御者に声をかけつつ、自分で作った岩石魔法の壁に登る。反対側では狼が、頭突きや体当たりで壁を壊そうとしていた。即席の壁ではあるが、さすがにその程度で崩れるほど弱くはない。しかしそんなことにも気付かない様子で、狼たちは狂ったように壁に向かって突進を繰り返している。
(魔力を吸いすぎると知力が下がるのって、どういう仕組みなんだろう)
壁の上に登ったこちらにさえ気付きもしない狼たちを前に、アンリはどうでも良いことを考えながら魔法の準備をした。魔力の気配に反応して数頭の狼がアンリを見上げるが、もう遅い。アンリは土魔法で、狼たちの足元の地面に、沼のようなぬかるみを作った。狼たちの脚が半ば以上沈んだところで、すぐに土を固める。
狼たちは身を捩って地面から抜け出そうとするが、アンリの魔法で石のように固まった土は、いくら狼が暴れようがびくともしなかった。これでひとまず、狼たちが街道に出て馬車や人を襲うという事態は避けられた。
(この狼を殺すか助けるかは……どうせ防衛局の人が来るだろうから、そっちに任せればいいか)
しかしこのままにするにしても、興奮した狼たちの吠え声がうるさくて耳がおかしくなりそうだ。仕方がないのでアンリは木魔法によって作り出した蔦で、狼たちの口をぐるぐると縛った。唸り声はやまないが、吠えられるよりは良い。
狼たちにすれば災難だろう。暴れようとしても動けず、吠えようとしても声が出ず。かわいそうではあるが、しばらくは耐えてもらうしかない。
気持ちを切り替え、アンリは振り返って馬車の様子を窺った。馬車を降りた御者が、興奮気味の馬を懸命に宥めている。
荷馬車のようだが、荷台にも人が乗っていたようだ。いったい何事かと、幌の内から顔を覗かせている。
「怪我はなかったですか」
壁から下りつつアンリが声をかけると、そんな人たちが一斉にアンリのほうを向いた。視線が集まって気後れしつつも、アンリはその場の全員と馬車の様子を観察する。
狼に直接襲われたということはないはずだが、突然馬車が止まったことで怪我をしたり、荷が崩れたりということはあり得ただろう。しかし見たところ、皆、戸惑っているだけのようだ。怪我や荷の被害に顔を歪めている人はいない。興奮していた馬も、落ち着きを取り戻しつつある。
「怪我とか、被害がなければいいんですけど」
「あ、ああ、おかげさまで。……ええと、君は、イーダの学園生かい」
戸惑った様子の御者に問われて、アンリははっとした。
今日のアンリは防衛局の戦闘服ではなく、学園の制服姿だ。どこからともなく現れた学園生が、凶暴化した十数頭の狼を退治したなんて。目立つことこのうえない。
あまり目立つな——今さらながら、トウリの言葉を思い出す。しかし今さら学園生であることを誤魔化すこともできない。
アンリは仕方なく、学園生としての所属と名前とを、正直に彼らに名乗ったのだった。
街道警備にあたっていた防衛局の職員たちが到着したのは、それから少ししてのことだった。
「私たちでは間に合わなかったよ。君の対応がなかったら、大きな被害が出ていたところだ。どうもありがとう」
十七番隊の職員だと名乗った彼らは、そう言ってアンリの功績を褒めた。そこでもアンリは、学園生としての所属と名前とを名乗らざるを得なかった。
「ただの学園生とは思えない手際だな。……君、卒業後の進路はもう決まっているの?」
「え、あ、ええと……」
「防衛局の戦闘職員なんてどうかな。難しそうに思うかもしれないけれど、君ほどの実力があれば……」
「おい、今はそんな話をしている場合じゃないだろ」
アンリのことをスカウトしようとしていた職員が、別の職員にたしなめられる。はいはい、とおざなりに応えた彼はアンリに対して「おすすめだよ」と念を押すように言ってから、馬車のほうへと向かっていった。
気まずい思いをなんとか顔に出さないよう気を付けていたアンリは、ほっと安堵の息をつく。ただの学園生と思ってもらえているのは良いが、あとで一番隊の戦闘職員だとバレたらと思うと気恥ずかしい。
防衛局の職員たちが狼の様子を調べ、馬車や乗っていた人たちに被害がないかを調べることに力を割いている間に、アンリは「友人たちが待っているので」と軽く断りを入れ、逃げるようにその場を離れた。
戻った先でトウリに経過を説明すると、「目立つなと言っただろうが」と苦い顔で言われた。しかし馬車を助けたという功績もあったからか、長い説教はなく、話はそれだけで済んだ。友人たちには「ちょっとトラブルがあったんだけど、もう解決した」とだけ説明し、午後にはそのまま何事もなかったかのように魔法指導を再開した。
ちなみに訓練内容は、午前中に三年生たちにやらせていた訓練と同じもの——つまり、湖に動く的を浮かせて、それを魔法で打つという簡単なものにした。的当てという言葉に最初こそコルヴォたちは顔をしかめたが、やってみると意外と難しく、やりがいがあったらしい。しばらく続ける中で、退屈そうだった顔はみるみる真剣になり、そしてうまく魔法を的に当てられるようになってくると、達成感に輝くような表情を見せるまでになった。
そうして夕方になって疲れた友人たちを連れてイーダに戻る頃には、昼にあった件など、アンリはほとんど忘れてしまっていた。一晩寝て朝になった頃には、すっかり頭から抜け落ちていたほどだ。
アンリが次にその件を思い出したのは、数日後、レイナに教員室に呼び出されたときだった。




