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勉強会の息抜きに、アンリは休憩がてら食堂を離れ、魔法工芸部の作業室に向かった。
進路のことにかまけて、最近は部活動に全く顔を出せていなかった。学年末試験が終われば年末年始休暇、それが明ければ新学年。そしてすぐに、新人勧誘期間が始まる。
新人勧誘期間が終われば、現在アンリたちの学年で担っている部長職も下の代に譲ることになる。逆に言えば、それまではアンリたちの代が部活動の中心だ。新人勧誘期間に向けて、アンリも新しい作品をつくるなど、何かしら部活動のために動かなければいけないだろう。
学年末試験までは試験に集中したいところだが、試験後にすぐ作業に取り掛かれるように、部活動の動きくらいは把握しておきたい。
ところが、そんな意気込みもあって作業室に顔を出したアンリのことを、部長のセリーナと副部長のセイアは呆れ顔で出迎えた。
「アンリ君、試験勉強と就職活動で忙しいんでしょ?」
「ウィル君から言われているの。アンリ君が来たら、追い返してくれって」
どうやらウィルは、アンリがそのうち勉強会をサボって部活動に顔を出すだろうと予想していたようだ。それで先回りして、セリーナとセイアにアンリが来ても受け入れないよう頼んだに違いない。
「で、でも俺だって部活動の一員だし、新人勧誘の準備くらい……」
「アンリ君なら年が明けてから準備するのでも間に合うから」
「そうそう。今は試験勉強に集中して」
試験があるのはセリーナやセイアにしても同じだろうと思ったが、その反論はできなかった。真面目な彼女たちは、おそらく普段から勉強を欠かしていない。試験前だからといって、アンリのように特別に勉強に精を出さなければならないという状況ではないのだ。
そのうえ二人の希望進路は、魔法工芸に関する道だったはずだ。二人には、この作業室で魔法工芸に打ち込む理由がある。
「さ、アンリ君、戻って戻って」
セリーナに肩を押されて、アンリは結局何もできずに作業室を後にすることになった。
それでも、作業室に顔を出したことは、無駄ではなかった。
「あ、あのっ、アンリさん……っ」
食堂に戻るべく作業室を出てとぼとぼと歩くアンリを、後ろから、聞き覚えのある声が呼び止めた。振り返ると、二年のコーディアナとボルドがアンリを追いかけてきていた。
二人はアンリに追いつくと、こそこそと後ろの作業室を気にする素振りをしながら「も、もうちょっと先に進みましょう」と、アンリの手を引くようにして廊下の角を曲がったところまで連れて行く。
作業室から見えない位置まで進んで立ち止まった二人は、しばらくどちらが口を開くかで無言の押し付け合いをしたようだった。元々、アンリに対して極度の緊張を示し、なかなか話しかけてくれない二人だ。アンリは急かさずに、静かに二人の言葉を待つことにする。
「……じ、実は、お願いがあるんです」
最終的に、押し付け合いに負けた様子で、コーディアナのほうが口を開いた。
「お願い?」
「あの、お忙しいだろうとは思うんですけどっ……その……学年末試験に向けて、私たちに、魔法の使い方を教えてもらえないでしょうかっ」
全身を力ませて、何を言うかと思えば。魔法の使い方を教えてほしい、とは。
「ええと。二人とも魔法戦闘部だし、魔法は使えるよね?」
「は、はいっ……ええと、そうなんですけど……」
アンリの確認に、コーディアナが口籠もる。
コーディアナを困らせる意図は、アンリには無かった。魔法が使えるのに「使い方を教えてほしい」と言われても、いったい何を頼まれているのかわからなかっただけだ。
何かしら言葉を足そうか。アンリが迷っているうちに、コーディアナの横から意を決した様子でボルドが口を出した。
「あの、俺たち、学年末試験の魔法実践で、良い成績を取りたいんです。それで、アンリさんに魔法を見てもらいたくて……」
「練習全部に付き合ってほしいわけじゃないんですっ。一回か二回、魔法を見てもらって、その、アドバイスとかをもらえれば」
二人の説明で、アンリもようやく理解した。
つまり二人は根本的な魔法の使い方を教えてほしいと言っているのではなくて、魔法の効率的な使い方だとか、試験で良い成績を残すための、魔法のコツのようなものの指導をしてほしいと言っているのだ。
どうしたものか、とアンリは首を捻る。
元々魔法工芸に興味があるわけではなかったにもかかわらず、アンリがいるからと魔法工芸部に入部してくれたかわいい後輩たちだ。彼らの願いはできるだけ聞いてやりたい。一方で、アンリ自身も試験に向けて勉強しなければならない時期であり、安請け合いはできない。
何より、簡単に引き受けてしまったら、魔法工芸部に顔を出すことさえ先回りして止めようとしたウィルに、何と言われるかわかったものではない。
何かウィルを納得させられるような方法はないだろうか。しばらく考えて、アンリは「一回だけなら」と言った。
「一回だけ、休日に。学園の訓練室は混んでいるから、街の外の森に行こうか。邪魔の入らない辺りで二人の魔法を見せてくれるかな」
最近、ウィルは勉強に、アンリは研究部に入るためのあれこれに忙しく、森に出る機会が少なかった。けれどもウィルの魔法訓練に付き合う約束は今も有効だし、学年末試験には魔法の実践も含まれている。一日くらい、魔法の訓練に時間を割いても良い——いや、むしろ一日くらいは時間を割くべきなのだ。
そこにコーディアナとボルドにも参加してもらえば。彼らのためだけに時間を使うのではないと説明すれば、きっとウィルも認めてくれるだろう。
アンリの答えに、二人はぱっと顔を輝かせた。それからコーディアナが、アンリにとっては予想外の一言を、何でもないことのように付け足した。
「そ、そしたら、魔法工芸部の皆も誘っていいですかっ? きっと皆、私たちと同じで、学年末試験の魔法実践のことを不安に思っていると思うんです」
「えっ」
二人だけ連れて行けば良いと思っていたアンリからすれば、想定外だ。しかしコーディアナは大したことを言ったとは思っていないようで、アンリの困惑も知らずにただきらきらと目を輝かせている。
どうしようかなと頭を掻いたアンリは、ひとまず「ちょっと考えさせて」と答えを保留した。
「それで、私のところへ相談に来たわけか」
教員室の奥、防音の結界の張られた指導室で、アンリはレイナと向かい合っていた。
部屋に入るときこそ何の話かと目を鋭くしていたレイナだったが、話が進むにつれて穏やかな顔になり、話が終わる頃には、笑顔こそ見せなかったものの、声も随分と柔らかくなった。
「君が独断で進めずに、こうして相談してくれたことは嬉しい」
ため息をつくでも呆れるでもなく真面目な声音で言ってもらえて、アンリは内心でほっと息をついた。くだらないことで深刻そうに相談するなと叱られることも多少は覚悟していたのだが、杞憂だったらしい。
アンリがレイナに相談したのは、コーディアナとボルドに頼まれた件だった。
後輩二人を街の外に連れて行くくらいであれば、アンリもこっそりやってしまっていただろう。ただ、魔法工芸部の後輩みんなを連れて行くとなれば話は別だ。話が伝われば、朝訓練をしている一年のエルネストやクリスも行きたがるだろうし、なんだかんだでウィルだけでなく、いつもの友人たちも参加するかもしれない。
学園生ばかり十人を超える集団で街の外、それも人の少ない場所を目指して森の奥へ行こうというのだ。以前から「何かをするときには相談しろ」とレイナには言われていたが、これこそその「何か」に該当するのではないかと考えた結果の相談だった。
「森で訓練ね。学園の訓練室ではだめなのか」
「この人数で使えるような広い訓練室は試験前だと混み合っちゃって、なかなか予約できないので。それに、森に行くのは魔力量を増やすための訓練にもつながりますから」
「一回行くだけの予定なのだろう? それだけでは、魔力量を増やすことにはつながるまい」
「あ、ええと。後輩たちはそうなんですけど。ウィルとはときどき出かけているので、その……」
人の少ない森に入り、周りの魔力を吸収することで自分の魔力貯蔵量を上げていく——その訓練を、アンリはウィルと一年の頃から続けている。一回の外出で増える魔力貯蔵量などアンリでさえ感じ取れないほど微々たるものだが、回数を重ねることで、ウィルの魔力量は少しずつだが着実に増えている。
結果の出る、やりがいのある訓練だ。しかし問題は、アンリがこれまでこの訓練のことをレイナに伝えていなかったことにある。
アンリの言葉にレイナは再び目を鋭くしたが、それは一瞬のことだった。すぐにため息をついて「……まあ、街から出ることが禁止されているわけではない」と、首を振りながら言った。
「君とウィリアム・トーリヤードであれば、問題が起こるということもないだろう」
これまでに起こった諸問題——一年の最初にテロリストに見つかったり、二年の頃に後輩が大型動物に襲われたところに遭遇したりといった問題については、絶対に口にするものかとアンリは心に決めた。
アンリの心中を知る由もないレイナは、そのまま話を続ける。
「しかし、さすがにそれだけの人数の後輩たちを引き連れて行くというのを見過ごすわけにはいかない」
「……やっぱり、だめですか」
後輩たちの落ち込む様子を想像してアンリは肩を落としたが、レイナは表情を変えずに「駄目とは言っていないだろう」と、冷静に言った。
「魔法力を伸ばすための生徒たちの自主活動を妨げるつもりはない。生徒だけで行くのは許可できないが、そのくらいの人数であれば、誰か一人でも教員の引率が付けば十分だろう。休日でも一日くらいであれば、都合はつけられるはずだ」
日にちが決まったら連絡するように、とレイナは言った。その日に外に出られる教員を探してくれるという。
予想外の展開に呆然とレイナの言葉を聞いていたアンリは、話が終わると反射的に「ありがとうございます」と頭を下げていた。これで、話は決まってしまった。
教員室を出てから、アンリはさてどうしようかと頭を抱える。
訓練そのものを否定されなかったことは良い。後輩たちを失望させずに済んだことは喜ばしいことだ。
一方で、教員の引率とは。
レイナのように、アンリのことをよく知る教員なら良い。しかしレイナの言い振りでは、引率の教員が誰になるかはわからない。
知らない先生の前で後輩を指導する——後輩たちにもアンリの本来の実力を見せるわけにはいかないから、どのみち魔法力を抑える努力は必要だ。けれども、後輩に対して隠すのと教員に対して隠すのとでは、難易度は大きく違ってくる。
面倒なことになったなと、アンリは大きくため息をついた。
ところで寮に戻ってから「皆で一緒に森に行こう」とアンリが言うと、ウィルは呆れた顔を見せつつも、反対はしなかった。一日だけだよと念を押すように言ったのは、ウィルの中でいろいろな葛藤があった結果の妥協点だったのかもしれない。
「……正直なところ、僕にとってはありがたいよ。学年末試験に向けて魔法の練習もしたいと思っていたから。でも、アンリには必要ないだろ。アンリはアンリでやるべきことがあるんだから、あんまり周りの頼みばっかり聞きすぎないようにね」
アンリのことを思って諌めてくれる友人の存在をありがたく思いながら、アンリは「気をつけるよ」と笑って応えた。




