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(9)

 売ってもらう店が決まった。作ってもらう工房が決まった。


 これでようやく魔法器具作りに集中できると、アンリは嬉々として机に向かった。


 さて、何を作ろうか。生活の中で困っていることを解決するような物を考えると良いと、ウィルの父親は言っていた。その方向で考えてみようか。アンリが今の生活で、困っていること……


「ねえ、アンリ。邪魔するわけじゃないんだけどさ」


 ふと声をかけられて、アンリは振り返った。


 自らも勉強のために机に向かっていたはずのウィルが、気分転換なのか伸びをしつつ、アンリに目を向けている。


「もう昼だけど、今朝からずっと同じことをやっているよね。魔法器具の開発がアンリの進路にとって大切なのはわかるけど、学年末試験の準備は大丈夫?」


 言われてアンリははっとした。


 進路を決めなければとか、決めたら決めたで魔法器具の開発をしなければとか。色々あって、試験の存在をすっかり忘れていた。もう交流大会からは日が経って、学年末試験は目と鼻の先である。今年は教養科目をたくさん選択したから試験勉強は頑張らなければならないと、交流大会前まではちゃんと覚えていたはずなのに。


 アンリの顔色を見て、ウィルは呆れた様子で苦笑した。


「そうじゃないかと思っていたけど、やっぱり忘れていたんだね。どうする? 今年も皆と勉強会する?」


 ウィルの提案に、アンリは一も二もなく頷いた。






 幸い、勉強会という提案に対しては皆、前向きだった。


 誰もが就職活動に忙しい時期だと思っていたが、そんなアンリの予想は外れていた。


 ハーツとエリックは実家を継ぐことを決めている。イルマークも家族の許可さえもらえれば祖父母の旅に同行するつもりとのことで、いわゆる就職活動には興味がないようだ。三人とも、今は進路のことを考えるよりも、試験のための勉強をすべき時期だと思っているようだった。


 唯一マリアだけは試験のことより進路のことを考えているようだったが、勉強会には前向きだった。ただし、その目的は学年末試験対策ではない。


「アンリ君、お願いっ。研究部の試験対策手伝って!」


 マリアは卒業後に防衛局の研究部に入りたいと考えているらしい。そこで、この年末から受験資格を得られる防衛局研究部の試験を受けるつもりなのだ。


 その試験対策がしたい——マリアの願いはそこらしい。


「ええと、マリアちゃん。アンリ君だって研究部を狙っているってこの間言っていたし、それは難しいんじゃないかな……?」


「何言ってるの、エリック。アンリ君は試験じゃなくて、試験免除狙いなんでしょ? それなら私の勉強見てくれたって、アンリ君の不利にはならないでしょ?」


「いや、俺、試験も受けるけど」


 大した問題ではないものの、一応訂正だけしておく。するとマリアが顔色を変え、この世の終わりでも見るかのような絶望的な目をアンリに向けた。


「アンリ君、今、なんて……?」


「言ってなかったっけ。戦闘部も研究部も、一応試験は受けることにしたんだ。試験で成績を示しておくのも高評価には繋がるだろうって、ミルナさんに勧められて」


 ここしばらくアンリが実績作りに奔走しているのは、試験を免除してもらうためではなく、試験免除と同等の実力を示すためだ。試験を受けること自体への抵抗はない。むしろ試験でアンリの評価が少しでも上がるのであれば、受けておくに越したことはない。


 できることは何でもやっておきましょうとミルナに言われ、アンリにも否やはなかった。それで、戦闘部と研究部との両方の試験を申し込んであるのだ。


「じゃ、じゃあ私、試験ではアンリ君と競わないといけないの……?」


「そんな大袈裟な。受験する人はたくさんいるし、合格する人だってたくさんいるんだから。俺一人の受ける受けないなんて、マリアには影響しないだろ」


 そもそもアンリの試験成績が、通常の受験生たちと並べて測られるかはわからない。アンリが合格した分、ほかに合格する人が一人減るなどという単純な話ではないはずだ。


「そうは言っても、だって。アンリ君、競争相手には勉強を教えてなんてくれないでしょ?」


「そんなつもりはないよ。俺も一応試験対策はしておくつもりだし、一緒に勉強しようよ」


 ミルナから、試験対策などしなくてもアンリなら満点が取れるくらいの試験だと聞いている。それでも一応試験前に少しは勉強しておこうと思っていたところだ。今は学年末試験のほうが優先だが、マリアが防衛局の受験対策として勉強したいというのなら、試験勉強の合間に少しくらい付き合うのもやぶさかではない。


 アンリの言葉に、マリアが表情を輝かせた。


「本当っ!? アンリ君、ありがとう!」


 こうして例年どおりいつもの六人で、毎日授業後に食堂で勉強会を開くことが決まったのだった。






 学年末試験に向けた勉強を始めてみて、アンリはこれまで何もしてこなかったことへの後悔を強く覚えた。


「ねえ、イルマーク。俺、基本は南は暖かくて北は寒いんだと思ってたんだけど。なんでここの地方だと逆なの?」


「地熱の関係ですね。この地方の北の山脈では地面が温かく、温泉もあります。その影響で、北にある都市が暖かいんですよ」


 突然尋ねたにもかかわらず何も見ずにすぐ答えをくれたイルマークに、アンリは感心した。やはり地理学のことならイルマークだ。試験中にも、どうにかして彼の知恵を借りることはできないだろうか——アンリの魔法力をもってすれば不可能ではないだけに、そんな誘惑に駆られる。


「……言っておきますが」


 アンリの心中を知ってか知らずか、イルマークはため息をついて続けた。


「今のは一年で習う内容ですよ。簡単すぎて、三年の試験では出ないかもしれません。そのくらいの、かなり常識的な話です」


 アンリははっとして顔を上げ、友人たちを見回す。エリックとウィルが苦笑していて、マリアまで笑いをこらえるような顔をしていた。助けを求めるようにハーツに目をやると、彼はその視線を受けてにっこりと笑う。


「悪いな、アンリ。さすがに俺でもその問題はわかるわ」


 勝ち誇った彼の笑みに、アンリがどれほど落胆したことか。


 一年のときから勉強しているはずの地理学さえこうなのだから、他の教養科目は言わずもがな。教本を開いてみても、まずは文章の読解から苦労する始末で、自然と眉間に皺が寄ってしまう。


「アンリ君、なんでそんなに教養科目ばっかり取ったの」


 呆れ顔をしたエリックに問われて、アンリはしばし教本から顔を上げて考えた。昨年末、今年の授業を選ぶ際には色々と真剣に悩んで、結果としてこういう選択になったはずだ。それなのに、今となってはその理由さえ思い出せない。


「……将来のことを考えて色んなことを勉強しておきたいって、言っていたじゃないか」


 横からウィルが、心底呆れたという様子でため息をつきつつ言った。そういえばそうだった、とアンリは当時の自分を思い出す。


「そうだった……魔法関係の科目なら楽かとは思ったんだけど、やっぱり知っている内容の授業ばかりじゃ、自分のために良くないかと思って」


「志は立派でしたね」


 イルマークの半ば嘲るような笑いの混じった言葉に、アンリは何とも言い返せなかった。当時の志は立派だったが、それを持ち続けて一年間しっかり勉強してこそ、意味のある授業選択になっただろうに。


「俺、来年は魔法系の授業を中心に選ぶよ」


「それが良いでしょうね。……いえ、それよりも昨年の志を思い出して、次こそ真面目に授業を受けることにしたらどうですか?」


「やめてよ、イルマーク君。これ以上アンリ君が落ち込んで、魔法とか教えてもらえなくなったら困るでしょ」


 項垂れたアンリを庇うようにして、マリアが言う。どうやらマリアは研究部の試験勉強をアンリに見てもらえなくなることが恐ろしいらしい。


 アンリははたと、自分もその試験を受けるのだという事実を思い出して、顔を上げた。


「そうだ、マリア。研究部の試験ってどんなのか知ってる? まさか、教養科目の内容なんて出ないよね?」


「えっ。アンリ君、試験内容知らないの?」


 マリアがあまりにも目をまん丸に見開くので、アンリは気まずくなって目を逸らせた。


「知らないよ。ミルナさんが、俺なら勉強しなくても余裕だって言ってたから……」


「じゃあ、魔法の内容だけってことだよな?」


 ハーツの言葉に、マリアがこっくりと頷いた。


「うん。魔法そのもののこととか、魔法に関する研究のこととか。これ、先輩からもらった過去問だけど、見てみる?」


 マリアがそれまで勉強に使っていたとみられる冊子を、アンリのほうへ滑らせる。受け取って中身をパラパラめくり、アンリは「なるほど」と頷いた。


 問題形式は記述式や選択式など色々で、中には小論文くらいの長文で答えるような問いもある。魔法に関する基礎的な理論を問うものや、魔法倫理の考え方を問うもの、最新の研究に関する時事問題など、出題範囲も幅広い。


 しかし、内容はあくまでも魔法に関するものに限られていて、アンリにとって難しい問題はなさそうだ。


「たしかにこれなら、勉強しなくてもいけそう」


「アンリ君、お願いだから私にもその知識を分けて……」


 ふと気づくと、マリアが懇願するような涙目でアンリのことを見つめていた。


 もちろんいいよ、とアンリは軽くマリアの願いに頷いた。ただ、と改めて過去問をパラパラめくって首を傾げる。


「わからないところがあるなら教えるけど、これ、授業でもやったような内容ばかりだし。俺じゃなくても、そんなに難しくは……」


 難しくはないのではないか——そう言いかけて、アンリは周りからの冷たい視線に気がついた。マリアは目をいっそう潤ませて、もはや泣きそうなほどに顔を歪ませている。


 何かまずいことを言っただろうか。アンリが言葉を止めて固まっていると「あのね、アンリ」と、ウィルが呆れた声で言った。


「その言葉、そのまま自分に返ってくるってわかってる? 学年末試験の内容も、全部これまでの授業で習ったことのはずなんだけど」


 ウィルの言葉をすぐには理解できず、アンリは首を傾げた。防衛局の試験の話だったはずなのに、なぜ学年末試験の話になるのか。しかし周りでは、マリアも含めて全員がウィルの言葉に頷いている。


 それで改めて、アンリもウィルの言葉を真剣に考えた。アンリが言ったのは、研究部の試験が授業で習った内容ばかりだから難しくはない、ということだ。そしてウィルが言ったのは、学年末試験もそれと同じだということで……


「……あー」


 ようやく理解に至って、アンリは曖昧な声を漏らしつつ、皆からの視線を避けるように目を逸らした。


 授業で習った内容であれば難しくない、誰でもわかると言うのであれば、アンリだって学年末試験に向けた特別な勉強など必要はないはずなのだ。それでも実際にはこうして勉強会で皆に勉強を教えてもらっているし、勉強会で必死に勉強してさえ、試験で良い点数を取れる自信はない。そもそも、一年のときに習ったはずの内容ですら危うい状態だ。


 授業で習ったからと言って、それを全て理解できているわけでも、試験まで確実に覚えていられるわけでもない。教養科目であろうと、魔法科目であろうと、同じことだ。


「……ごめん。うん、ええと、わからないところがあったら何でも聞いて」


 気まずく思いながらもアンリが改めて真面目な顔で言うと、マリアは涙目のまま大きく頷いた。

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