(8)
寮への帰り道、アンリは頭の中のメモ帳に「研究所は不可」としっかり書き留めた。
(たしかに、研究所っていうのはあくまでも製品を開発するところであって、開発したものを量産するところではないよな)
どんなに設備が整っていようと、それはより良い製品を開発するために用意されたものであって、製品を量産するための設備ではない。開発という工程を終えた製品の製造だけをお願いするには、研究所は不向きだ。
やはり、元々魔法器具の量産を仕事としている工房で、やってくれそうなところを探すしかない。街中で製造と販売を一緒にやっているような小さな店では使える設備も限られるので、できれば製造だけを専門にやっている、大きめの工房が良い。
(どんな設備が使えるかによって、作るものも考えたほうがいいかな)
いや、あるいは……とアンリは考え直す。
(その工房に無い機器が必要だったら、それも用意した上でお願いするっていうのも一つの手か)
研究所で受けてもらうことが難しいというのは理解した。それなら量産するための設備と人員の揃った工房でと思っていたが、必要な機器をアンリから提供するつもりであれば、人員さえいればそれで足りるはずだ。魔法器具製作の知識を持った人が一定数いるところ——工房以外にも、あるではないか。
(今日はもう遅いから、明日だな。明日の朝にでも、ちょっと聞いてみよう)
アンリは自身の素晴らしい思いつきに、はやる気持ちを抑えつつ寮まで戻った。
「ええっと。それで、魔法器具製作部を思いついたの……?」
朝の教室で生き生きと自身の考えを話したアンリを前に、エリックは困惑顔を見せた。これ以上ない最高の案だと考えていたアンリは、エリックの反応に首を傾げる。
「駄目かな? 魔法器具製作の練習にもなるし、我ながら、かなり良いことを考えついたと思うんだけど」
「うーん。その、発想はアンリ君らしいんだけど……」
苦笑するエリック。素晴らしい思いつきに自信を持っていたアンリだが、そこで初めて不安を覚えた。
そういえば昨日は、勉強の邪魔をしてはいけないだろうと、ウィルにも相談しなかった。今朝も調べ物があるとか言ってウィルは早くに寮を出て図書室に行ってしまったので、これまで会えていない。
良い案だと思って疑ってもいなかったが、誰かに話すのはこれが初めてだ。自分では気づけなかった、思わぬ穴があるのかもしれない。
しかし、そうは言ってもアンリの案は単純だ。開発した魔法器具の製作方法や製作に必要な機器を提供するから、それを魔法器具製作部で作ってもらえないか。そう提案しただけである。毎年多くの部員が入る魔法器具製作部であれば、人員には困るまい。
もちろん、交流大会などの諸行事に向けた部の活動に支障が出ない範囲でやってもらえれば良い。できるだけ単純な製作方法になるよう開発において注意すれば、新人部員たちの練習用としても活用できるだろう。
この案のどこに、エリックの心配するような穴があるのだろうか。
「良い案だと思わない? どこか、駄目なところがあったかな」
「うーんと、そうだね、えっと……」
「アンリ君はまず、自分の作る魔法器具がすごいんだってことをちゃんと自覚したほうがいいと思うの!」
答えづらそうに口ごもるエリックに代わって、隣から口を出してきたのはマリアだった。
「よーく考えて。アンリ君は、私のこの腕輪を作っちゃうくらいすごいんだよ。そんなにすごい魔法器具、普通の学園生が作れるわけないでしょ?」
そう言ってマリアが掲げてみせたのは、彼女の腕につけられた飾り気の少ないシンプルな腕輪。アンリの作った魔力放出補助装置という魔法器具で、魔法の使用に障害を持つ彼女にとって、魔法を使うためになくてはならないものだ。指輪や首飾りにも形を変えられるように作っているが、普段の彼女は、それを腕輪の形にして身につけることを好んでいる。
「いや、別に、魔力放出補助装置を作ろうなんて言っているわけじゃないって。もちろん、もっと簡単なのにする」
「アンリ君の言う簡単って、全然信用ならない」
きっぱりと言い切るマリア。そしてアンリが反論する前に、エリックが「それもそうだけど」と追い討ちをかけた。
「もしもアンリ君が、本当に僕たちにとって簡単な物をつくれたとしても、だよ。そもそも、学園生の技術で作れる程度のものを開発したからって、防衛局でちゃんと実績として認めてもらえるの?」
「…………うーん」
何かを開発すれば良い——それしか考えていなかったアンリは、開発品に求められる水準のことにまで頭が回っていなかった。マリオネット魔法器具店でも、そこには言及されていない。そかしそれは、あの場でアンリが作った物を見ての話である。
あのときに作った魔法補助具と同程度か、それ以上の水準の技術によって作られる製品——マリオネット魔法器具店も防衛局も、それを期待しているのだろうか。普段から自身の実績などというものを意識せずに過ごしてきたアンリは、そのあたりの感覚に疎い。
それからね、とエリックは自嘲ぎみの笑みを浮かべて言った。
「もしも技術が簡単であったとしても、やっぱり僕らは素人だからね。どうしても仕上がりの粗は目立つと思うよ。マリオネット魔法器具店と言えば、一流のお店だから。学園生が部活動で作ったような物は、扱いたがらないんじゃないかな」
たしかに、とアンリは唸った。製作方法は教えられるが、その出来栄えについて、店に認めてもらえるほどの水準にできるかどうかは部員次第だ。魔法器具製作に興味のある面々が揃っている部活動とはいえ、最初はほとんどが初心者。一流店で扱ってもらえるほどの精度で魔法器具を作れる部員など、いたとしても人数は限られているだろう。
よく考えれば、エリックが断るのも当然だ。
アンリは良い案だと思っていたが、こんなにも簡単に穴が見つかってしまうとは。
「わかってくれた?」
エリックが苦笑混じりに言う。アンリは大きくため息をつき、渋々ながら頷いた。
アンリが完全に諦めた様子であるのを見て、エリックはほっとした様子で息をついてから「そういえば」と、改めて口を開いた。
「卒業した魔法器具製作部の先輩たちなら工房に就職した人も多いから、声をかけてみるのはどうかな。アンリ君は、レヴィさんと話したことがあったよね。まずは、レヴィさんに頼んでみるっていうのはどうだろう」
突然の話に、アンリはしばし呆然とした。レヴィは魔法器具製作部で以前部長を務めていた人だ。エリックの言うように、アンリも話したことがある。
レヴィに頼む——しばらくの間を置いてエリックの提案を理解したアンリは、さっと視界が開けたような気分になった。
レヴィは実家が魔法器具製作工房で、卒業後はその工房に勤める予定と言っていた。つまり、今は工房を運営する側の人として働いているはずなのだ。それならある程度、工房での製品作りにも裁量が認められているかもしれない。アンリの持ち込む製品を扱うことを、考えてもらえるかもしれない。
「それ、いいね! 先輩なら、きっとアンリ君の頼みを聞いてくれるでしょ!」
隣で聞いていたマリアが、アンリの気持ちを代弁するようにはしゃいだ声を上げる。
そうしてアンリはエリックの勧めにしたがって、レヴィに面会を求める手紙を書いた。幸い、レヴィの工房は学園からそう離れていない。アンリが手紙を出して数日後には、いつでも訪ねてきて構わないという、快諾の返事が来た。
次の休日に、アンリはさっそくレヴィの工房を訪ねた。
事前にエリックから「結構大きいところだよ」と聞いていたが、着いてみると、アンリの想像の三倍以上は規模がある、本当に大きな工房だった。
大きな敷地をぐるりと囲む塀は高いが、その奥に、さらに高い壁を擁した倉庫のような建物が三棟見えた。中からは微かに音が漏れていて、どうやら倉庫ではなく、工房の作業場として使われているらしい。
無骨だが正門とわかる大きな門の横には守衛室まであって、そこでレヴィに会いに来た旨を伝えると、まもなく敷地の中に通された。事前に手紙を出しておいてよかった、とアンリは胸を撫で下ろす。そうでなければ、ここで門前払いされていたかもしれない。
門をくぐって左へ、外からも見えた三棟の巨大な建物を横目に見ながら進んでいくと、奥に小ぶりながら意匠の凝った建物が見えてきた。工房の事務所に違いない。
そして、ちょうどその建物から、アンリの会いたかった人物が顔を出した。
「アンリ君、こっちこっち。よく来たね」
「レヴィさん、お久しぶりです」
慣れない場所を訪ねて多少なりとも緊張を覚えていたアンリだったが、卒業時と変わらぬ様子のレヴィが笑顔で出迎えてくれたことで幾分か和らいだ気持ちになって、笑顔で彼に会釈した。
応接間と思しき部屋に通されたアンリは、前日までにウィルに考えてもらった内容で、レヴィに事情を伝えた。
つまり、防衛局の研究部に就職したいと思い立ったこと。しかし思い立ったのが最近であることから、他に遅れをとってしまっていること。ついては自らの力を防衛局にアピールすべく、得意とする魔法器具製作の分野で防衛局に認めてもらえるような実績をあげたいので、協力してほしい——趣旨としては、このような形だ。
すでに卒業したレヴィに対して、アンリの事情を隠す必要性はそう高くない。しかしウィルに言わせれば「アンリの本当の事情って、初めて聞く人には信じてもらえないよ」ということらしい。
たしかに、すでに防衛局で戦闘職員としての籍を持っており、加えて研究部での職を兼務したいから協力してほしい、などという正直な事情に比べれば、ウィルの考えてくれた話のほうがよほど現実味があるように思われる。
実際、レヴィはアンリの話を疑わなかった。話を聞き終えた彼はただ「なるほど」と頷いて、意地の悪い笑みを浮かべた。
「アンリ君、魔法器具製作が得意なんだね。それならやっぱり、うちの部に入れば良かったのに」
「あ、いや、その……すみません」
なんと言い訳して良いかわからず、アンリはしどろもどろになって俯いた。まさか、部活動のレベルでは満足できないから入りませんでした、などと正直に言うわけにもいかない。
そんなアンリを見て、レヴィは「冗談だよ」と笑った。
「今さらそんなことを言っても仕方ないしね。それにしても、防衛局にアピールか。具体的に、どんな物を作るのかは決めているの?」
「ええと、それはまだ……」
再びアンリが口ごもると、これにはレヴィも少々困ったように眉を寄せた。
「アンリ君には学園でお世話になったし、頼みはできるだけきいてあげたいとは思うけど。でもさすがに、どんな物を作るかもわからないのに、協力すると約束はできないよ」
「すみません、そうですよね。でも、今の段階で約束が欲しいというわけではなくて」
ここで断られてはたまらない。アンリはやや早口に、これまでの次第を説明した。
まだ何を作るかは決めていないが、すでにツテのある魔法器具販売店と話はしており、継続製作のめどが立っていればそこで扱ってもらえる予定であること。それで製作を請け負ってくれる先を探し始めたが、知り合いの研究所からは量産体制を整えるのが難しいとして断られ、友人の親の勤める工房では他所からの製品は扱えないとして断られてしまった。
「防衛局に入ることになったら、俺自身が製作を続けるのは難しくなると思うんです。だからどうしても、どこかに作ってもらう必要があるんですが……」
どんな魔法器具を作るかもわからないうちに、受け入れると決められる工房などあるはずがない。それはわかっているが、そもそもの前提として、開発した製品の製作だけを請け負ってくれるような工房があるのかどうか——アンリの考えていた前提が崩れてしまうとしたら、また別の方法を考えなければならない。
「そういうわけで、約束がほしいというよりは、可能性があるかどうかだけでも教えてもらいたいと思っているんです」
アンリが丁寧に説明すると、レヴィは「なるほどね」と、眉間の皺を消して、にっこりと笑った。
「そういうことなら、協力できるかもしれない。ついてきて」
そのまま立ち上がって建物を出て、連れて行かれたのはすぐ隣の倉庫のような巨大な建物だった。
入ってみるとアンリが想像した通り、作業場として使われていることがすぐにわかった。広い建物の中には魔法器具を作るための機器がずらりと並び、各所で魔法器具製作に勤しむ人が見える。ところどころで機器を調整しているらしき人もおり、見える範囲だけでも百人以上が働いていた。
「ここが、うちの工房の主要な作業場だよ。隣の建物も同じような造りになっている」
レヴィは誇らしげに言いながら、アンリを案内するように通路をゆっくりと進んだ。
「うちの工房では、主に魔法器具の量産をしている。研究や開発の部署もあるけれど、そこで開発したものの生産は全体の半分くらいかな。残りの半分は、外の研究所で開発されたものの製作を受託したり、設計図を買い取って製作したりしているんだ」
色々な物が作れるように、魔法器具製作用の機器は種類も数も豊富に取り揃えている、とレヴィは言う。新しい魔法器具を作るために、必要であれば新たな機器を導入することもあるらしい。
「さっきのアンリ君の話だけれど」
一通りの見学を終えてから、レヴィは勿体ぶるように、ゆっくりと言った。
「可能性という意味では、うちの工房なら十分に受託できる可能性があるよ。ただ、こちらも商売でやっているからね。縁のある後輩だからといって、特別扱いをすることはできない。持ち込まれた製品がうちの工房で作るにふさわしいものかどうかは、きっちり精査させてもらう」
もちろんです、とアンリはしっかりと頷いた。どのみち最終的にはマリオネット魔法器具店で扱ってもらわなければならないのだ。中途半端な魔法器具は作れない。
この工房で扱ってもらえる魔法器具を作る——アンリは改めて、作業場をぐるりと見回した。そうして、ふと疑問に思ったことを「ところで」と、そのままレヴィに問いかけた。
「武器や防具の製作はしていないんですね。この工房で扱っている魔法器具って、もしかして、分野に制限があるんですか?」
アンリの問いに、レヴィは目を丸くする。
「ここを見ただけで、よくそこまでわかったね。たしかにうちでは、武具はあまり扱っていない。多いのは日常用品かな。誰もが使うような魔力灯とか、時計とか収納具とか」
製作する魔法器具の分野を限定しているわけではないが、量産を主として工房を運営しているため、一般に普及しているような需要の高い魔法器具の製作をに力を入れているのだとレヴィは言った。
「魔法士科で学んだ僕たちからすると、魔法器具というと武器だとか護身用だとかを思い浮かべがちだけれどね。でも一般的には、そういうのを使うのは一部の人に限られるから、意外と需要は少ないんだよ。量産しても、なかなか利益につながらない。だから扱っていないんだ」
どういった魔法器具なら扱うかという明確な決まりがあるわけではなく、利益になりそうかどうか、工房にある機器で製作できるかどうか、新しい機器を導入するとすればその費用に見合った売上げを確保できるかどうか——そんな観点から、一つ一つの案件について、個別に判断しているのだという。
「そんなわけで、アンリ君の開発する予定のものを扱えるかどうかは、まずは開発した物を見てからということになるね。……役に立てたかな?」
「もちろんです。ありがとうございます」
深く頭を下げてから、アンリはもう一度作業場を見渡した。
たくさん並ぶ魔法器具製作用の機器。それそのものが魔力を使って動く魔法器具である場合もあるし、手動の機械もある。数は多いが単純なつくりの機器が多く、アンリがこれまで頼ってきた防衛局の研究室やマグネシオン家の研究所にあったような、高度な機器は置いていないように見えた。
(ここの設備で作れるものを作る。あるいは、新しい機器を入れても良いと思ってもらえるような何かを作る)
せっかく可能性が見出せたのだ。この機会を逃したくはない。ぜひともこの工房で作ってもらえるものを開発しよう——アンリの気持ちは、もうその方向で固まっていた。
「また、作るものがちゃんと固まったら相談させてもらいます」
アンリが改めてそう言うと、レヴィは「楽しみにしているよ」と笑顔で頷いてくれた。




