(5)
ウィルの家で昼食を馳走になったアンリは、夕方にウィルを迎えに来ることを約束して、一人で防衛局へと向かった。ウィルが家族と過ごす時間を作ることも目的ではあるが、とにかく早くミルナと話したかった。
幸いなことに、研究室を訪ねるとすぐにミルナに会えた。いまだにアンリに対して引け目を感じているのか、ココアやらチョコレートケーキやらとアンリの好きそうな甘い物を卓に並べて、アンリの機嫌を取ろうとする。
「別にいいですよ、そんなに気にしなくて」
「でも、アンリくんには普段から色々と協力してもらっているのに、肝心なときに力になれなかったから……」
「ミルナさんが悪いわけじゃないじゃないですって。それより、これからの相談に乗ってください」
別にいいと言いながらも出された菓子には手を付けながら、アンリは先ほどウィルの家で思い至ったことをミルナに尋ねた。アンリがこれから何かを作ったとして、それをミルナに預けた後は、どうすれば良いか。どこまで関われば、開発者としてはっきりと認めてもらえるか。
アンリの問いに、ミルナは眉を寄せて唸った。
「うーん。本来なら、アイデアを私に預けてくれるだけでも大丈夫なんだけれども」
「本来なら?」
「そうよ。そもそも、アンリくんの名前を隠さなきゃっていう考えさえなければ、今までに色々と考えてくれた物だって、開発者のところにアンリくんの名前を連ねることはできたんだから。これまでと同じようにしてくれれば、開発者として十分認められるわ。本来ならね」
何度も繰り返し「本来なら」と強調するミルナの意図を図りかねて、アンリは首を傾げた。そんなアンリを前に、ミルナは不機嫌に口を尖らせる。
「今は、その……人事と揉めちゃったでしょう? 開発者として記録に載せるのは問題ないでしょうけど、それを人事が認めてくれるかどうかは、もしかしたら難しいかもしれないわ」
「つまり、不正を疑われるってことですか」
「まあ、そういうことね」
言われてみれば、これまで開発に携わった製品の記録にアンリの名前を足すよう申請するのも、今のタイミングでは難しいという話だった。それと同じことが、新たに何かを開発した場合にも言えるということだろう。
アンリは呆れると同時に、どことなく面倒くさい気持ちになってミルナを睨んだ。
これまでの開発品の記録にアンリの名前が載らなかったのは、必ずしもミルナのせいとは言い難い。しかし、人事部門とそれほど揉めてしまったのは、怒鳴り込んだというミルナに原因があるのではないだろうか。
アンリはこれまで、ミルナを責めても仕方がない、彼女を責めるべきではないと考えてきた。しかし、もしかすると話がややこしくなっている一因は、ミルナにあるのかもしれない。
「そ、それにね、アンリくんっ」
アンリの考えの変化に気づいたのだろうか、ミルナが慌てたように、やや早口に言い足した。
「これまでアンリくんは、こんなにも防衛局に貢献してきてくれたじゃないの。それを蔑ろにした防衛局を信用できる? アンリくんが優しくて広い心の持ち主だっていうことはよくわかっているけれど、そこまでお人好しだと、いつか自分が損しちゃうわよ」
アンリのことを心配するように、ミルナは眉をひそめて言う。
一方でアンリも眉をひそめた。お人好しなどと言われても。アンリ自身が防衛局に所属する一人なのだから、防衛局を頼りにするのは当然だ。それで損をすると言われても、それならいったい、どうすれば良いのか。
「つまりね」
アンリが黙っていると、ミルナはまるで子供に物を言い聞かせるかのように、ゆっくりと言った。
「新しい物を作るつもりがあるのなら、私たち研究部にくれるのではなくて、アンリくん自身で販路を開拓してみたらどうかしら。そうすれば不正を疑われる余地なんてなくなるし、防衛局の中で開発協議会にかけるよりも、早く話が進むはずよ」
何より、とミルナの声に力がこもる。
「それでアンリくんの能力の一端が外に出て話題になれば、きっと、人事の奴らをびっくりさせられるわ」
闘志を燃やすミルナの様子に、アンリは呆れてため息をついた。
研究部以外をアンリに勧めたミルナだが、そのままアンリを放り出すような薄情なことはしなかった。
「ちょうどイーダの街に、懇意にしている商店があるのよ。そこに行って、アンリくんの開発したものを取り扱ってもらえるか相談……ううん、ぜひとも取り扱ってもらいましょう」
あまり小さな店で売り出すことになっても実績としては弱い。しかし大きい店に紹介もなくアンリが直接交渉に行っても、門前払いされてしまうだろう。
そう言って、ミルナはアンリをイーダの街にある魔法器具店へと連れ出したのだった。
「……ここって」
「そういえばアンリくんは、職業体験でこのお店に来たのだったかしら。店長さんはとても気さくな方だし、置いている商品も良質なものばかりで、とても良いお店なのよ」
たどり着いたのはマリオネット魔法器具店——ミルナの言う通り、昨年、アンリが職業体験で魔法器具の販売を経験させてもらった店だ。
「店長さんがいらっしゃったら、少しお話させてもらいましょう」
こんなに突然の来訪で、これほど大きな店の長に会えるものか。アンリはミルナの無茶に呆れ、すぐに追い返されるだろうと半ば諦めていた。
しかしアンリの予想に反し、ミルナが声をかけた店員は慌てた様子ながらも恭しく応じ、一度店の奥に下がったと思うと、すぐに上役とわかる身なりの上等な男性を連れて戻ってきた。
「これはこれは、ミルナ様。ようこそお越しくださいました。あいにくと店長は所用で外しておりますが、間もなく戻る予定です。お時間よろしければ、奥でお待ちになりますか」
「ええ、お願い。——この子はね、私のとっておきなの。今日はこの子を紹介しに来たのよ」
ミルナの明るい声を受けて、彼はアンリに目を向けた。一瞬、意外そうに目を瞠ったが、目立つ反応はそれだけだ。すぐに「そうでしたか」と、礼儀正しい笑顔に戻った。
「それではお二人で奥へどうぞ」
こうしてすんなりと、ミルナとアンリは店の奥にある応接室へと通されたのだった。
出された紅茶を飲んで待った時間は、それほど長くはなかった。間もなく戻るという先ほどの男性の言葉の通り、店長はすぐにやってきた。
外出から戻ってすぐに駆け込んできたかのような慌てた様子で、額に汗さえ浮かべている。それでも彼は迷惑そうな様子を一切見せずに、演技とも思えない笑顔をミルナに向けた。
「お待たせして申し訳ございません。ようこそいらっしゃいました、ミルナさん」
「突然ごめんなさいね。ちょっと思い立ったことがあったものだから」
「ミルナさんなら、いつでも大歓迎ですよ。しかし、一体どうなさったんです。ご連絡もなしに急にいらっしゃるなんて、珍しい」
実はね、とミルナはやや勿体ぶったように言葉を止めて、アンリを見た。その視線に釣られて、店長もアンリに目を遣る。それから「おや」と小さく首を傾げた。
「アンリ・ベルゲンさんではありませんか」
「あら、この子のことを知っているの?」
それはもちろん、と店長は大きく頷いた。
「昨年、うちの店を助けてくれた英雄ですよ。あのときは、ご挨拶程度になってしまいましたが……」
言われて、アンリも朧げながら思い出した。職業体験でこの店を訪ねた際、強盗を捕らえるのに協力したが、その後、店の偉い人だと思われる何人かから、感謝の言葉を伝えられた。
そのときには自身の魔法力に疑念を持たれるのではないかとか、立場がばれるのではないかとか、不安もあってあまり相手の顔をよく見ることができなかったのだが。言われてみると、目の前の男性もいたように思う。
「……ええと、職業体験のときには、大変お世話になりました」
とりあえず強盗事件のことには触れないことにして、アンリはただ職業体験の礼のみ述べて頭を下げた。店長はアンリの思いを理解した様子で大きく頷くと「こちらこそ」とだけ言って、それ以上この話は続けなかった。
「改めまして、この店の主人をしておりますスチュアート・コックシーと申します。以後、お見知りおきください」
握手に応じて改めてアンリが頭を下げると、スチュアートはにっこりと笑った。
「アンリさんは、ミルナさんの『とっておき』らしいではありませんか。詳しくお聞かせいただけると思ってよろしいでしょうかね」
優しげに笑うスチュアートの目が、アンリを見定めるように鋭く光る。アンリが気後れして応えられずにいると、横からミルナが「大丈夫」と笑った。
「期待してもらって良いわよ。この子、すごいんだから。話をちゃんと聞かないと、損をするわよ」
ミルナが自信満々に胸を張る。
突然の訪問に驚き困惑しているであろう相手に対して、ミルナはどうして気遣いもなくこんなふうに強気で接することができるのだろうか。アンリは気まずくなって、いっそう口がきけなくなった。
しかしスチュアートは慣れているのか、あるいは仕方がないと割り切っているのか、不満げな様子は微塵も見せずに、むしろ興味深げに目を輝かせて笑みを深くする。
「それは楽しみです。では、ぜひゆっくりと話を聞かせていただきましょう」
そうしてスチュアートは、冷めた紅茶を淹れ直すように近くの者に言いつけて、しっかりと話を聞く体勢でアンリたちの前に腰掛けた。




