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(35)

 ウィルの研究発表は見事なものだった。


 内容は、魔力と物質の結びつきに関することだった。物質に対する理解が魔法の精度や威力にどう影響するか。


 いつの間にこんな準備をしていたのだろうとアンリが不思議に思うほど、研究はしっかりと組み立てられていた。仮説を実証するための実験は質も量も確保されていたし、その結果を示す資料はわかりやすくまとまっていた。発表の場でも、演壇に立ったウィルが研究成果を話すだけでなく、わざわざ実演までしてみせたので、会場は大いに盛り上がった。


(内容も良いし、発表の仕方も面白いし、きっと評価は高いだろうな)


 ウィルは高等科学園への進学を希望している。就職と違って、研究発表の良し悪しは進学の可否に影響しないはずだ。それがもったいないと思えるほどに、ウィルの研究は素晴らしかった。


(でも、ウィルなら高等科の入学試験なんて楽勝だろうし。それより、進学後の評価にちゃんとつながればいいのかな)


 研究発表の会場には、合同演舞ほどの観客は集まっていない。それでも大人が多く、きっとどこかの研究所の人や、教師たちが見に来ているのだろう。見るべき人さえ見ていれば、しっかり評価はされるはずだ。


 ふとアンリは、客席の端のほうに隊長の姿があることに気がついた。先ほど合同演舞に来ていたときは防衛局の制服姿だったので目立っていたが、今は上着を脱ぎ、一般客に紛れている。リラックスした様子で客席に座り、隣に座る女性に何やら話しかけていた。


(誰だろう、あの女の人。……別に、ナンパしているわけでもなさそうだし)


 好みの女性を食事に誘おうなどという下心のある様子なら、見ないふりをすることもやぶさかではない。しかし隊長は女性にただ話しかけているというよりも、どうやら女性の手元を覗き込むようにして、彼女が取っているメモに口を出しているらしい。


 隊長に何やら言われるたびに、女性は頷いたり首を傾げたりしながら、手元のノートに何やら色々とメモを付け足しているようだ。


 ふと、隊長が顔を上げて辺りを見渡した。


 隊長は、そのときになって初めてアンリがいることに気づいたようだ。アンリと目が合うと、意外そうに少しだけ目を見開いた。しかしそれだけで、すぐに表情を取り繕って視線を逸らす。どうやらアンリのことは知らぬふりで通すらしい。


 アンリとしても、隊長と繋がりがあるなどと周りに知られては面倒臭い。


 隊長の姿は見なかったことにして、アンリはウィルの研究発表が終わったところで、さっさと会場を出た。






 翌日、アンリはウィルとともに合同模擬戦闘の会場に来ていた。


 アンリもウィルも、公式行事における自分の出番は終わったので気楽な身だ。早いうちに会場に入り、観客席の中でも特に試合が見やすそうな真ん中の席を確保した。


「模擬戦闘が二日間あって良かったよ。昨日は見そこねちゃったし」


「僕も昨日は観られなかったけど、聞いた話だと、特にアイラの魔法がすごかったって」


 それはそうだろう、とアンリは苦笑した。模擬戦闘なのだから、アイラが活躍するのは噂など聞かなくてもわかる。


「イルマークはどうだったかな。うまく勝てているといいけど」


「さっき、昨日の対戦の結果表が貼ってあったよ。昨日の試合は全部勝てているみたいだった」


「いいね。じゃあ、今日も頑張ってもらわないと」


 アンリは入口で見た今日の対戦表を思い出して、わくわくした気分で言った。ウィルも少なからず期待しているようで「そうだね」と笑って頷く。


 今日この会場で行われる試合の三番目に、イルマークとアイラの対戦が組まれているのだ。


「イルマークとアリシアは、アイラと当たったら諦めるなんて言っていたけど。でも、実際試合になったら、きっと勝つつもりでやるだろうな」


「僕もそう思うよ。イルマークはああ見えて、負けず嫌いだから」


 合同模擬戦闘は二対二の対戦なので、単純にイルマークとアイラとの魔法力の差で勝負がつくものではない。とはいえ、あのアイラのことだ。中途半端な騎士科生を相方にするとは思えないので、それなりに実力のある騎士科生が出てくるだろう。であれば、二対二だからといって勝機が生まれるとも限らない。


 しかしイルマークの魔法力も、アイラには及ばずともなかなかのものだ。組んでいる騎士科生のアリシアも、アンリを唸らせるだけの剣の腕を持っている。全く勝ち目のない戦いではないはずだ。


 少ないとはいえ勝ち目のある戦いで勝ちを簡単に捨てられるほど、イルマークは諦めの良い性格ではない。


「ほかには面白そうな試合ってあるかな。俺、そういう噂には疎いんだけど」


「うーん、僕もあんまり聞いていないかな。今年は何と言っても、アンリの特別試合のほうが噂としては大きかったし」


 アンリは顔をしかめつつ「四年生の試合なら面白いかな」と、わざとらしく話題を逸らす。ウィルも強いてこだわることはなく「どうだろうね」と笑った。


 そんな他愛もない話をしながら会場を見回して、アンリは観客席の前のほうに隊長が座っているのを見つけた。その左隣にはレイモン、そして右隣には、昨日の研究発表で隊長が話しかけていた女性が座っている。


 隊長もレイモンも、それぞれ防衛局や王宮騎士団の制服を着ているので、なかなか目立っている。一方で隣の女性は黒く地味なスーツ姿だ。今日は隊長もレイモンのほうを向いて喋っているので、昨日の様子を見ていなければ、たまたま隣に座っているだけの他人にも見えなくはない。女性は今日も手元にノートを広げ、そこに何かしら書き込みをしようと、ペンを強く握りしめている。


(もしかして、防衛局の採用担当の人かな)


 隊長は人材獲得のために公式行事を観に来ると言っていたが、隊長一人で来たわけではないのかもしれない。そもそも隊長は戦闘部に所属する戦闘職員だ。人事を担当する事務職員の誰かが一緒に来ていたほうが、むしろ自然にも思われる。


(事務の人って、あんまり知らないんだよなあ)


 防衛局に在籍していれば、諸々の手続きのために事務職員の世話になることは多いらしい。ところがアンリは半ば存在を秘された職員だった上に、最初は文字の読み書きもあやしい子供だったので、面倒な事務手続きはたいてい誰かが代わりにやってくれていた。アンリが直に接することのある事務職員は、訓練場の受付職員くらいだ。


 そういうわけで、アンリは防衛局で人事を担当している職員を一人も知らない。隊長の隣に座る女性がその一人なのかどうかなど、見当もつかない。


「アンリ、何をぼうっとしているのさ。最初の試合が始まるよ」


 ぼんやりと女性を見ていたアンリの肩を、隣からウィルが叩いた。アンリははっとして試合場に目を向ける。最初の試合に臨む魔法士科生と騎士科生とが、試合場に姿を現していた。いずれも知らない顔だが、気合いは十分のようだ。きっと、面白い試合が見られるだろう。


 アンリは隊長やレイモンや女性のことを忘れて、しばし観戦に集中することにした。






 最初の三試合は、可もなく不可もない戦いだった。


 正統派の戦い方で、騎士科生が前に出て剣で戦い、それを後方から魔法士科生が魔法で支援する。騎士科生たちの剣の技術はアンリから見ればどれもまだまだ未熟に思われたが、三試合もそれが続いたので、一般的な中等科学園生の水準はそのくらいということなのだろう。


 魔法士科生の魔法も、目立って強いということはなかった。魔法で積極的に攻めるということはなく、ただ水魔法で相手の邪魔をしてみたり、土魔法で相手の足元を崩してみたり。あくまでも生活魔法の応用でできる範囲の、ごく簡単な戦闘支援にとどまっていた。


(つまらないけど、こんなもんだよな……)


 さすがのアンリも、もう同年代の魔法力の程度はだいたい理解しているつもりだ。派手な魔法が見られないことを残念には思うが、それが普通であることはわかっている。


 それでも期待する気持ちを捨てきれずに試合場をじっと見ていると、次なる四試合目の出場者として、イルマークとアイラが現れた。


 観客席がわっと盛り上がる。皆がこの試合を待っていたのだろう。アンリも身を乗り出して試合場を見つめた。


「いよいよ始まるね。イルマーク、やっぱり頑張る気でいるみたいだ」


 ウィルの言葉に、アンリも大きく頷いた。試合場に現れたイルマークの表情は引き締まっていて、とても勝負を諦めた顔には見えない。それはイルマークの相方であるアリシアも同じだ。きっと、アイラが相手でも諦めずに試合に臨むことを決めたのだろう。


 対するアイラとその相方も、真剣な表情でイルマークたちと向き合っている。相手にとって不足はないと捉えているようだ。


 アイラの相方は、アンリの知らない騎士科生だった。しかし身のこなしから見て、相当の手練れと思われる。


 公式行事は淡々と進む。二組四人は試合場の中央で向かい合ってそれぞれ一礼すると、すぐに距離を取り、試合開始の合図を待つ体制になった。有志団体の模擬戦闘大会のような、派手な司会進行もない。


 担当教師の「始め」という静かな合図とともに、試合が始まる。


 試合開始のその瞬間、ごおっと空気の唸る凄まじい音と熱気、そして炎の明るさが会場いっぱいに広がった。


(最初から飛ばすなあ……)


 眩しさに目を細めつつ、アンリはのんびりと考えた。


 会場中に広がったのは、アイラの炎魔法だ。


 勢いをつけるために風魔法も一緒に使っているようだ。試合開始と同時に、アイラは問答無用で強烈な魔法を放ったのだ。


 観客席は防護壁で試合場から隔たれているので、炎が直接こちらへ飛んでくることはない。それでも音に加えて熱気まで感じられるのだから、威力のほどが窺える。観客席には困惑と興奮によるざわめきが生まれた。


(ええと、試合はどうなってるのかな)


 そんな中で、アンリは試合から目を離さなかった。


 炎が明るすぎて、試合場がよく見えない。アンリは眩しさを堪えながら目を凝らした。よく見れば試合場の中央で、炎を免れている部分がある。大きなシャボン玉のように水の膜が張っていて、その内側には炎が及んでいなかった。


 その中で、二人の騎士科生が剣を交えている。


(あの水魔法はイルマークだな。アイラの炎魔法を水で防ぐなんて、なかなかやるな)


 感心しつつ、アンリはイルマークの姿を探す。シャボン玉の内側では騎士科生同士の剣の戦いが繰り広げられているが、そこにはアイラもイルマークもいなかった。


(アイラは炎に隠れているんだろうけど。イルマークは……)


 アイラにとっては自分の生み出した炎だ。自分のために熱くない場所を創り出すことくらい、わけはないだろう。それよりも問題はイルマークのほうだ。イルマークの生み出した水魔法が正常に作用している以上、彼が無事であるのは確かだ。しかし、この炎に包まれた会場の、いったいどこに身を潜めているのか。


(……ああ、あそこか。うまいな)


 目で見ても炎ばかりでわかりにくいが、魔力の流れを読めばすぐにわかった。会場の、アンリから見て右側の端のほう。会場の地面が掘られ、小さな塹壕のようなものがつくられている。その中で、イルマークは小さく身を縮めて隠れていた。


(アイラが炎魔法を使った瞬間に土魔法であれを掘って隠れて、アリシアのために水魔法で真ん中の空間を用意したわけか。……最初から予想していたんだろうな)


 アイラは戦闘魔法の中でも、氷魔法と炎魔法を得意としている。大規模な魔法を派手に放つのも得意だ。そんなアイラの魔法の性質をわかっていれば、こうして会場を覆うほどの炎魔法が使われることも、可能性の一つとしては想定できただろう。


 大規模な炎魔法が使われたらどう対応するか。イルマークはあらかじめそれを想定しておいて、アイラが炎魔法を使ったと同時にその作戦を実行に移したに違いない。そうでなければ、咄嗟にこれほどの速さで対応するのは難しいだろう。


(問題は、この後どうするかだけど)


 会場の中心で続く剣同士の戦いは、どうやら拮抗しているようだ。剣の打ち合いが続いており、終わる気配がない。一方魔法のほうも、アイラの炎魔法は力強く派手だが、イルマークの水魔法も安定している。このままでは勝負がつかない。


(持久戦になったら、アイラのほうが有利だけど)


 イルマークよりもアイラのほうが魔力量は圧倒的に多い。大規模な魔法を使っている分アイラのほうが魔力消費も多いだろうが、それを差し引いても、持久戦になれば先に魔力切れを起こすのはイルマークのほうだ。


 何かしら動きを起こさなければ、イルマークは負ける。


 しかしアイラの動きを予想してここまで対応してみせたイルマークだ。そのことはわかっていて、何か手を用意しているに違いない。


(イルマークは何をどうするつもりかな。……面白くなってきた)


 一つ前までの試合とは雲泥の差だ。こういう試合が見たかったのだ。


 アンリの口元に、自然と笑みが浮かんだ。

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