(32)
阿呆め、と控室にやってきた副隊長に笑いながら言われて、アンリは眉間に皺を寄せた。
「笑わないでくださいよ。俺だって、反省はしてます」
「相手を甘く見ているからそうなるんだ」
最後にアンリが勝ったと思って油断し、蹴りをくらったことを言っているのだろう。アンリも油断したことは反省している。
しかしアンリは決して、ダリオのことを甘く見ていたわけではない。
「甘く見ていたわけじゃないですよ。強いって聞いていましたし、実際、強かったですから。俺、剣で魔法を払いのけちゃう人を隊長と副隊長以外で初めて見ました。……とはいえ、あそこから諦めずに剣を取りに行くとは思わなくて」
「相手の勝利への執念を甘く見ていたということだろうが」
そう言われると、ぐうの音も出ない。たしかにその通りではある。まさか剣を取り落とし、もう負けるまで秒読みだという状態で、蹴りを繰り出してまで剣を拾い、勝ちを奪いにいこうとするほどの執念がダリオにあるとは。アンリにとって、想定外だった。
それを想定していなかったことが「甘く見ていた」ということなのであれば、全くその通りだ。
「いいか。魔法が使えなくても、強いやつはいくらでもいるんだ。試合のときには、常に相手は自分よりも強く、執念深いものだと思ってかかれ。なんなら、魔法の使えない相手は全部俺だと思って対戦するんでも良い」
「…………はい」
アンリは苦い顔で頷いた。確かに副隊長ならば、最後の最後まで諦めないだろう。その執念深さは、負けず嫌いの多い一番隊の中でも突出している。何なら今日の試合の最後のように氷の刃で囲んでも、副隊長ならば怪我を承知で暴れ回って、窮地を脱しようとするかもしれない。
そう思えば、剣を岩石魔法で押さえたのも、やり過ぎではなかっただろう。
「まあ、反省しているならいい。なかなか面白い試合だった。相手の子が騎士団に取られているというのは、隊長ではないが、やはり悔しいな」
「……もしダリオさんが騎士団への入団を決めていなかったら、スカウトしていましたか」
アンリが興味本位に尋ねると、副隊長は「そりゃあもちろん」と大きく頷いた。
「あれだけの戦いができる逸材は、国広しといえどなかなかいないからな。これが公式行事でないことが残念だが、彼ほどの子なら、公式行事でもきっと活躍するだろうさ」
副隊長の物言いに引っ掛かりを覚えて、アンリは首を傾げた。
「つまり、この交流大会での活躍では、スカウトはできないってことですか」
「できなくはないが、今の試合は、あくまで有志の活動だろう? 公式行事での成績のほうが優先されるのは当然だ」
当たり前のように副隊長が言う。そういうものか、とアンリが頷くと副隊長は「だが」と、にやりと笑って言葉を足した。
「これは、俺たちがあくまでも防衛局という立場で人材を探しているからに過ぎない。民間の傭兵団なんかだったら、今日の試合を見ただけで動くだろうな。お前にも、色んな話が届くんじゃないか」
「……いいんですか、そんなに面白そうに。俺が防衛局を辞めて傭兵になるって言ったらどうするんですか」
アンリが口を尖らせて言うと、副隊長は目を丸くして首を傾げた。
「なんだ、アンリ。お前、傭兵になりたいのか?」
心底不思議そうな副隊長の声に毒気を抜かれて、アンリは「そういうわけじゃないですけど」と正直に言う。
そうだろう、と副隊長はごく当たり前のことのように頷いた。
「お前は防衛局が嫌いじゃないだろう? 傭兵団や騎士団に取られるなんて、俺は、はなから思っちゃいない。それよりも研究部に取られることの方が心配だ」
いつだったか隊長は、アンリがやりたいようにすれば良いと言ってくれていた。それに比べると随分乱暴な物言いだが、これはこれで、アンリのことを信頼してくれている証でもあるし、アンリのことをよく知っているからこそ出てくる言葉だろう。
アンリは返す言葉に迷って、ただ俯いて「そうですか」と、呟くように言った。
控室を出たアンリはさっそく、副隊長の言葉の正しさを身をもって知ることになった。
「君、さっきの模擬戦闘大会の最後に戦った子だよな」
まず話しかけてきたのは、壮年の男。引き締まった体をしていて、アンリの見たところ魔力が多い。街中という場にあわせたごく平凡な服を着てはいるが、全く似合っていない。鎧か何かを身に着けていたほうが、よほど自然に見えるだろう。
そんな男に声をかけられて、アンリは足を止めたものの、警戒する気持ちを隠すことなく眉をひそめた。
「……そうですけど、何ですか」
「ああ、突然悪いね。さっきの戦い、素晴らしかったよ」
男はアンリの反応に頓着することなく、わざとらしいほど陽気に言葉を続ける。
「僕はこの首都を中心に活動している傭兵団の者でね。君のことを知りたいんだが、この後、一緒に食事でもどうだろうか」
知りたい、などと言われてアンリは戸惑った。おそらくこれが「スカウト」ということなのだろう。しかし、アンリのことを仕事に誘うのであればわかるが、一緒に食事をしたいなどと言う。
アンリの何を知りたいというのか。知りたいことがあるなら食事に誘うなんて面倒なことはせずに、直接この場で聞けば良いのに。
返事もせずにアンリがそんなことを考えているうちに、別のところから声がかかった。
「ちょっと待て! 抜け駆けは狡いぞ!」
声の方に目を向ければ、細身の若い男。こちらは体格こそ最初の男のような迫力はないが、魔力量がずっと多い。防衛局でいえば、一桁台の隊で魔法戦闘職員をしている魔法士並みだ。
「私だって、その子に目をつけていたんだ。その食事とやら、私も同席させてもらおうか」
「何を言う。そもそも俺が先に声をかけたんだ。横から邪魔をするな」
アンリの話のはずなのに、なぜかアンリを無視して二人で言い合いを始めている。
アンリがそれを呆然と見ていると、横から「あの、少しお話よろしいでしょうか」と、今度はかなり若く、アンリと同じ年頃と見える少女から声をかけられた。にこにこと、愛想の良い笑みを浮かべている。
「ええと、私、首都を中心に活動している運送屋の者です。私は事務職なんですが、うちには運送の際に護衛をするための戦闘職というものがありまして。あ、ちなみに私、よく幼いって言われるんですけど学園を卒業してもう五年は経っているので、安心してくださいね。それであの、私たちの仕事にちょっとでもご興味があるようでしたら……」
「ちょっと待て!」「待ちなさいっ!」
言い争っていたはずの二人が突然、声を揃えて少女を止めた。少女が表情を歪めて舌打ちする。そうして笑顔が引っ込むと、若いものの、たしかにアンリよりは歳上だろうと思われる、大人の女性の顔が現れた。
男二人と女一人。アンリを巡って、睨み合いが始まる。
アンリはため息をつきたい気持ちになりながらも、三人の言葉が止まったこの機会にと思って「すみませんが」と、意識してやや大きな声を上げた。三人の視線がアンリに向く。
「俺の卒業後を期待しているなら、諦めてください。俺は傭兵になる気はないし、運送屋さんの護衛職になる気もありません。だから、あなたたちとゆっくり話をするつもりはありません」
はっきり言ったほうがいいだろう。そう思ってアンリがきっぱりと言うと、三人はそろって愕然とした顔をして言葉を失った。その反応にアンリは若干の気まずさを感じつつ、言葉を足す。
「ええと……その、すみませんが、だから、諦めてください」
アンリの言葉に、三人は驚きの上に困惑を重ねたような顔をした。困っているのはこちらなのだが、とアンリがこの後の対応に迷っていると、不意に後ろから、豪快な笑い声が響いた。
アンリは唇をへの字に歪めて振り返る。一緒に控室を出て一緒に歩いていたにもかかわらず、この三人が話しかけてくるなり他人のふりを決め込んでいた副隊長が、今になってようやく口を出す気になったようだ。
「はっはっは。悪いね、お三方。実はこの子には、すでに私が話を持ちかけているところでね。こちらの話がご破算にならない限り、君たちの話が受け入れられることはないと思ったほうが良い」
副隊長が三人を見渡して言う。笑いながら軽い口調で言っているのに、副隊長が言うとなかなかの迫力になるから不思議なものだ。
副隊長は私服姿なので「私」というのが防衛局のことを指すとは、三人にはわからないはずだ。それでも明らかに一般人ではない雰囲気をまとった男の言葉に、負けを悟ったらしい。三人は悔しそうに表情を歪ませながらも、それほど粘ることもなく、潔くその場を去っていった。
「……もうちょっと早く助けてくれても良かったんですけど」
「あんな誘いくらい、自分で断れなくてどうする。これからいくらでもあるぞ」
文句に対して呆れた口調で返されて、アンリは言い返すことができなかった。たしかに、副隊長の言うとおりなのだろう。これからのことを思うと頭が痛い。
ところが副隊長はアンリの様子を見て、面白そうににやりと笑った。
「しかし、隊長への良い土産話ができた。傭兵にも運送屋にもなる気がないと、アンリが自分ではっきり言ったと知れば、隊長も喜ぶだろうなあ」
「別に。副隊長も言っていたじゃないですか。俺を傭兵団に取られる心配はしてないって」
「そりゃあ、俺は心配してないが、隊長は心配性だからな。俺の言葉なんかより、アンリが自分で言ったことのほうが安心するだろうさ」
そうですか、とアンリはできる限りそっけなく答えた。
アンリはこれまで隊長に対して、自分がどういう進路を希望しているのか、伝えたことがない。隊長が気にしてくれているからこそ、中途半端な内容ではなく、ちゃんと考えて、これと決めた道を報告したかったのだ。
今回の話が隊長に伝われば、少なくとも、傭兵や民間での護衛職という進路は選択肢から消える。もちろん言ったことを翻して、やっぱり傭兵になるという道もないわけではないが、隊長に対してそういう不誠実な態度をとりたくはない。
自分が選べる進路の幅を自分で狭める行為だ。本当にそれで良いのかと、アンリは今一度、自身の心に問いかけた。
「どうする? 別に、隊長には言わないでおいてやってもいいが」
顔に出したつもりはないのに、副隊長はアンリの心を読んだように、笑みを崩さないままに言った。アンリは改めて自分の考えを整理しなおして、それから落ち着いてゆっくりと「大丈夫です」と答えた。
「さっきの人たちに言ったことは、その場しのぎの嘘っていうわけじゃありませんから。隊長に言ってもらっても構いません」
アンリの言葉に、副隊長は「そうか」とだけ言って大きく頷く。その表情があまりにも余裕のあるものだったので、アンリは警戒して言葉を足した。
「言っていいのは、傭兵と運送屋を断ったってことだけですからね。防衛局に戻るかどうかは、まだ考え中ですから」
「ああ、もちろん。俺が報告するのは事実だけさ。お前が油断して蹴りをくらったことと、ほかからのスカウトを断ったってことだな」
「ちょっと、余計なこと言わないでくださいよ」
アンリの言葉など気にした様子もなく、副隊長はただ豪快に笑った。




