(27)
学園の敷地を出て次にアンリが向かったのは、魔法戦闘部の部員たちがやっている露店だ。
可哀想だからやめようよ、と乗り気でないウィルを引っ張るようにして、アンリは街中をずんずんと大股で進む。初めて参加した一年生のときの交流大会では右も左もわからずイルマークについて行くばかりだったアンリも、もう三年目。どこをどう歩けば目的地に辿り着けるかくらいは、さすがにわかるようになった。
途中からはウィルも観念した様子で、抵抗することなく素直にアンリについてくる。
二人で街中を歩いていると、ときどき警備をしていると思しき防衛局の制服を着た人とすれ違った。彼らを目で追いながら、ウィルは面白そうに小声でアンリに問う。
「今年は誰か、アンリの知っている人が参加していたりはしないの?」
「さあ、聞いていないけれど……」
アンリは昨年のことを思い出して眉をひそめた。昨年は突然警備の責任者としてロブが現れて、驚かされたものだ。
それを考えると、聞いていないからと言って、誰かが現れないとも限らない。不安になったアンリはウィルに断りを入れ、歩きながら通信魔法で隊長に確認することにした。
『なんだ、アンリ。交流大会中だろう、どうかしたか?』
通信魔法はすぐに繋がって、隊長ののんびりとした声が響く。
「その交流大会のことでちょっと聞きたいんですけど、今回は俺の知っている誰かが警備でこっちに来ているなんてこと、ないですよね?」
『ああ、なるほど、そのことか。どうだろうなあ、俺だって、お前の交友関係を全部把握しているわけではないから。お前の知っている誰かと言われても……』
「隊長」
アンリが苛立ちを声に混ぜると、隊長は『冗談だよ』と笑った。
『今回は、警備は普通の人選でやっている。アンリのことを知っている一番隊だとかは選んでいないから、安心しろ』
「新人研修で会ったような人たちは?」
『研修期間中の新人たちも、今年は当てていないよ』
それなら、とアンリがほっと息をついて通信魔法を終わらせようとしたところで『そういえば』と隊長が付け足した。
『このあいだもらった模擬戦闘大会のチラシを一番隊の中で回覧したら、明後日の休暇申請が殺到してな。さすがに全員に一度に休まれては困るから、誰が休むかはくじ引きにさせてもらった』
「何を」
『まあ、せいぜい頑張れよ』
それだけ言って、隊長はアンリの返事を待たずに通信魔法を切った。あとは何度アンリが繋げようとしても無視される。なんて大人げのない人だ。アンリは大きく舌打ちをした。
「……とりあえず、警備に知り合いはいないみたい」
隣で答えを待っているウィルに低い声で伝えると、ウィルは事情をあらかた理解した様子で苦笑した。
「そんなに怒らなくても。誰に見られたからって、困るようなことをするわけじゃないだろう?」
「見せ物になるのが嫌なんだ」
「それなら、最初から出なきゃいいのに」
「それはそうだけど……」
たしかにウィルの言うとおりではある。しかし、見ず知らずの街の人たちに見られるのと、アンリが一番隊の戦闘職員であることを知っている同僚たちに見られるのとでは、やはり心の持ちようが違うものだ。
特別試合に出ることを決めたとき、アンリが想定していたのは前者であって、後者ではない。
「ま、今さら気にしたって仕方がないだろ」
ウィルが爽やかな笑みを浮かべて、励ますように言う。「それに」と、彼は続けた。
「アンリだって、コーディアナとボルドが嫌がるかもしれないと知りながら、魔法戦闘部の店を見に行こうとしているじゃないか。同じことだよ」
ウィルの言いようにアンリは愕然とした。そんなつもりはなかったのだが。しかし言われてみれば、そうなのかもしれない。
だからといって、魔法戦闘部の露店に行くのをやめようとは思わないのだが。すでに通りの奥に、目的の店が見え始めている。通りに並ぶ露店の中でもひときわ色鮮やかで、周囲から浮いている。
「……店が見えてきたね。早く行こう」
アンリがあからさまに話題をそらすと、ウィルは苦笑しながら「そうだね」と、アンリに合わせて足を早めた。
魔法戦闘部の露店で扱っていたのは、よく冷やされた甘い果実水だった。甘すぎず、さっぱりとした味わいが美味しい。
だが、アンリが楽しみにしていたのは、何が売っているかではない。
「二人とも、似合ってるね。見に来た甲斐があった」
笑顔で言うアンリの前には、顔だけ表に見えるような形をした白い兎の着ぐるみに身を包んだコーディアナ。そして、同じく顔を出した緑色の蛙の姿をしたボルド。
二人は照れたように笑いながら「よ、ようこそ、いらっしゃいませ」と、やや上擦った声で言う。
二人とも魔法戦闘部に所属しながらアンリに憧れて魔法工芸部にも入った変わり者だ。魔法工芸部でも真面目に活動をしていて、今回の交流大会では展示販売にも、魔法器具製作部との共同展示にも作品を出している。
そのうえこんなお遊びのような魔法戦闘部の出し物にまでちゃんと参加しているのだから、本当に真面目で努力家だ。
「あんまりじろじろ見ないであげなよ、アンリ」
「だめかな? だって二人とも、こんな格好をしているのは珍しいから」
アンリは首を傾げたが、着ぐるみに入った二人はウィルに助けを求めるような視線を送っていた。
もったいないな、とアンリは思う。
制服や訓練服、作業着といった姿は、学園の中でもよく見る。しかし着ぐるみ姿などというものは、この交流大会でしか見られないのに。
魔法戦闘部は昨年の交流大会でも、こういう露店をやっていた。部員たちが可愛らしい着ぐるみに身を包んで、店で簡単な甘味を販売するのだ。普段から魔法戦闘に熱心に取り組んでいる怖い部活動、というイメージを払拭するための取組なのだという。
昨年の店が好評だったため、今年も同じことをやろうという話になったそうだ。店の周りではコーディアナとボルドのほかにも、犬や猫、狐や狸などに扮した魔法戦闘部の部員たちが、通行人たちにチラシを配ったり、店を案内したりと、賑やかに楽しげに立ち働いている。道行く人たちも着ぐるみ姿の学園生たちを見て、笑ったり面白がったりと、おおむね好意的な反応を示す人が多いようだ。
恥ずかしがる必要などない。堂々としていればいい。アンリはそう思うのだが、それでも当の二人が嫌がっているのであれば、いつまでも居座るのはやはり可哀想だろう。
「……まあ、二人とも忙しいだろうし、俺たちは果実水が買えたら帰るよ。頑張って」
「は、はいっ。あ、あの、アンリさんも、特別試合頑張ってくださいっ! 私たち、明後日はどこの部活動でもシフトを外してもらったので! ちゃんと、観に行きますから!」
アンリの声かけに対して、着ぐるみ姿でいることを恥ずかしがっていたことなど忘れたように、コーディアナが前のめりになって言った。彼女の気合いの入った大きな声に、周囲の視線が集まる。
アンリは「声が大きいよ」と彼女をたしなめつつ苦笑した。自分も面白半分に二人を見に来てしまった以上、来るなと拒むわけにはいくまい。
「ええと、まあ、頑張るけれど。あんまり期待しすぎないで」
「期待、してますっ!」
ぶんぶんと、兎の耳を振り回すようにしてコーディアナが首を振る。隣でボルドも蛙の目を突き出すようにして大きく頷いた。
もう一度「期待するな」と念を押したくなったアンリだが、着ぐるみの恥ずかしささえ忘れてアンリへの期待を口にする二人にそんなことを言っても、聞いてもらえるとは思えない。
しかたなくアンリは、ただ「ありがとう」と当たり障りなく応えてその場を離れることにした。
続いてそのほかの店も見て回ろうと、アンリがウィルとともに大通りを歩いていたときだった。
「そこのお兄さん、ちょっとごめんよ、道を聞きたいんだけれど!」
人混みのなかで、アンリを目掛けて声をかけてきた人がいた。大勢の通行人がいる中でのことだ。それがなぜアンリに対する声かけだとわかったのかと言えば、声に聞き覚えがあったからだ。
アンリは苦い顔をして振り返る。
「……何ですか、ラーシュさん。どうしてここにいるんです?」
人混みをかき分けるようにして近づいてきたのは、アンリの思った通りの人物だった。防衛局の一番隊に所属する戦闘職員、ラーシュ・ファウス。
見慣れた戦闘服姿ではなく、どこにでもいる通行人のような格好、つまり私服だ。案の定、彼は「休暇を取ったんだ」と笑顔で言った。
「本当は明後日の休暇が欲しかったんだけど、希望が殺到しちゃって。くじで負けて、俺の休暇は今日になったの。まあでもせっかくだから、祭を楽しもうと思ってさ。……ああ、ごめん、隣の彼はお友達? 初めまして。俺はアンリの……何だろう、兄貴分?」
「同僚でいいですよ。ウィルは知っているから」
アンリの言葉を受けてラーシュは「そうなの?」と目を輝かせる。それから「俺はラーシュ、一番隊の若手のエースだよ」とか「アンリのほうが若いし強いけど、こいつは例外だから。普通枠では俺だって強いほうなんだ」とか「アンリが騎士科の子と対戦するなんて面白そうだから見たかったんだけど、くじが駄目で」とか、好き勝手なことをまくし立てた。
相槌を打つ間さえない語りように、ウィルが気圧された様子で目を白黒させている。ウィルがこんなふうに慌てるなんて珍しいな、とアンリは他人事のように考えながらも「やめてください、ラーシュさん」とラーシュを止めた。
「俺の友達を困らせないでください。それで、道を聞きたいって、どこに行くつもりなんですか」
「ああ、うん。アンリは魔法工芸部だって聞いたからさ。魔法工芸部ってどこで展示とかやってるのかなって」
「……それなら、魔法士科の学園の教室です」
あえて展示販売の店を教える気にもならず、アンリはただ魔法工芸部と魔法器具製作部の共同展示の場所だけを告げる。あちらならアンリは出品していないので、見られたところで痛くも痒くもない。
素直に問いに応じたアンリに対して訝しげな顔をしながらも、ラーシュはその言葉を信じたようだ。アンリはともかく隣に立つウィルが否定しなかったことで、信じる気になったのかもしれない。「じゃあ、行ってみるよ」と、人混みの中を学園のあるほうへ去って行く。
彼が十分遠ざかったのを見計らって、ウィルが口を開いた。
「よかったの? アンリのつくったものが置いてあるところを案内しなくて」
「いいんだよ。どうせ、面白がっているだけなんだから」
アンリは肩をすくめる。下手な作品を笑われるくらいなら、あとで怒られるほうがまだマシだ。
「話、合わせてくれてありがとう」
「いや、口を挟む隙がなかっただけだよ。……面白い人だったね。明るくて、いい人そう」
ウィルが苦笑しながら言った。つられてアンリも苦笑する。明るい人であることも、いい人であることも間違いない。ただちょっとお調子者で、どんな悪戯を仕掛けてくるかわからない危なっかしさがあるだけだ。
来たのが今日だったのは、不幸中の幸いだった。明後日の試合を観られたら、どんな茶々を入れられるかわかったものじゃない。アンリの試合にちょっかいを出すに留まらず、模擬戦闘大会に出るなどと言い出しかねない。明後日は一般の部なので、出ると言うなら止めることはできない。
(……ん? いや、もしかして、ラーシュさんじゃなくても……?)
一昨年の模擬戦闘大会には隊長が偽名を使って出場していた。昨年はその名前を引き継いで、副隊長が似たようなことをした。そんな隊で、他の誰かが今年も同じようなことをしたとしても、不思議ではない。
(……いやいや、まさか)
隊長や副隊長には少々変わったところがある。皆の上に立つ職だからこその自由や裁量もある。ただの隊員が彼らを真似することができるかといえば、そんなことはないはずだ。ラーシュくらいのお調子者ならやりかねないが、そんな隊員ばかりではない。
(大丈夫、何も起こるはずはない)
アンリは今しがたの思い付きを強いて否定し、馬鹿げた考えを頭から追い出した。




