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練習を終えて帰ろうと訓練室を出たところで、アンリは思わぬ顔を見つけた。廊下の向こうから、イルマークとアリシアが歩いてきたのだ。イルマークもすぐにアンリに気づいて、意外そうに目を見開く。
「こんなところで会うなんて、思ってもみませんでした」
「こっちの台詞だよ。これから訓練?」
イルマークは交流大会でアリシアと組んで合同模擬戦闘に出ることになっている。その訓練だろうと思ってアンリが尋ねると、案の定彼は頷いた。
「いつもは魔法士科の訓練室を使っているのですが、本番が近づいてきたからか、混み合ってきて部屋が取れないのです。それで今日は、こちらを使うことにしました」
「魔法士科のほうが防護壁のある部屋が多いから、魔法もたくさん使えて良い訓練ができるんだけどね」
アリシアが横から口を尖らせて言った。たしかにアンリとオーティスのような演舞ならともかく、魔法を使った模擬戦闘の訓練をするなら、部屋を守るための防護壁は必須だ。
交流大会の直前で、二人ともしっかり訓練したいだろうに。気の毒に思ったアンリは「じゃあさ」と提案した。
「俺が防護壁の代わりをやろうか。そうすれば普通の訓練室でも、魔法は使えるだろ」
アリシアとオーティスが、怪訝そうに眉をひそめる。一方でイルマークは目を見開いて、やや期待するような声音で「本当ですか」と声をあげた。
「やってもらえるのであれば助かります。しかし、アンリも訓練なのでは?」
「今ちょうど終わったところだから。なんなら戦闘訓練の相手もやろうか?」
ぜひ、と目を輝かせるイルマーク。話についていけないといった様子で呆然とするアリシア。アンリの横ではオーティスが驚いた顔をして、それから怒ったように「今さっきの話をもう忘れたの?」と鋭くアンリに詰め寄った。
「怪我をしないようにって言ったばかりじゃないか。必要のない戦闘訓練はやめてくれよ」
「必要ならあるよ。イルマークもアリシアも友達だから、力になりたい。それに俺も、騎士科の人との模擬戦闘がどういうものなのか、感覚を掴んでおきたいんだ」
本職の騎士との試合の経験はあるし、騎士科生であるアリシアと戦ったこともある。昨年の交流大会の時期には先輩たちの模擬戦闘の訓練に付き合って、騎士科の先輩とも何度か対戦をした。
しかし最近は騎士の戦い方をする相手との試合の機会がなく、感覚が薄れてきているところだ。ダリオとの試合の前に感覚を取り戻せる機会があるなら、ぜひとも利用したい。
しかしアンリの言葉に、オーティスはいっそう顔をしかめて強く反論した。
「怪我をしたら俺との合同演舞だけじゃなくて、アンリの楽しみにしている特別試合にだって出られなくなるだろう」
オーティスの言いように、アンリはびっくりして目を丸くする。とっさには言い返すこともできずに、言葉を詰まらせてしまった。
オーティスからは、それほどアンリが特別試合を楽しみにしているように見えるのだろうか。合同演舞に出られなくなるよりも、特別試合に出られなくなるほうがアンリにとっては痛手になるだろうとーーそんなふうに、オーティスは思っているのだろうか。
「大丈夫ですよ、オーティスさん」
助け舟を出してくれたのは、イルマークだった。穏やかに、アンリよりもよほど自信に満ちた笑みを浮かべている。
「私たちとの模擬戦闘くらいで、アンリが怪我をすることなどあり得ません。それに、アンリは貴方との合同演舞を楽しみにしているようですから。演舞に出られなくなるような事態は、万が一にもありませんよ」
力強く言い切るイルマークを、オーティスはいぶかしげに睨む。イルマークはひるむことなく、むしろ勝気な笑みを浮かべて「心配なら」と、挑発するように言った。
「オーティスさんも、一緒に来てはどうでしょうか。アンリが怪我をしないように、見張っていれば良いんですよ」
「……よし、わかった」
こうして四人で、防護壁もない一般の訓練室で模擬戦闘の訓練に臨むことになったのだった。
防護壁の代わりにと、アンリは訓練室の全体に結界魔法を仕掛け、それから魔法の出来を確認するために火炎魔法を打ち上げた。
アリシアとオーティスの二人はあんぐりと口を開けて部屋を見渡す。イルマークまで驚いた様子で目を丸くしながら「大胆ですね」とアンリに言った。
「いつも学園の中では、こんなに派手な魔法は使わないではありませんか」
「だって、ここは騎士科だし。誰にも見られないようにしているから大丈夫」
訓練室は扉を閉めてしまえば廊下から中が覗けない仕様になっている。加えてアンリは防護壁代わりの結界魔法を使う前に、防音や隠蔽効果のある別の結界魔法を使っていた。仮に魔法士科の教員であるレイナが訓練室前の廊下を歩いていたとしても、アンリの魔法には気づかずに通り過ぎてくれるだろう。
「それにしても、その……良かったのですか、アリシアたちの前で」
「いいよ、別に。アリシアもオーティスも友達だし。そろそろ俺も、色々と隠していることに飽きてきたんだ」
「飽きてきたとは……」
眉をひそめながら続けようとするイルマークの追及をかわすべく、アンリは「さあ、始めようよ」と、いまだに呆けているアリシアとオーティスに声をかけた。
「アリシアたちの訓練だからね。アリシアとイルマークで組んで、俺とオーティスの組と戦うっていうのはどう?」
アリシアが呆けた様子のままで「はあ」と頷く。一方でさすがに聞き逃さなかったオーティスは「おい」と声を上げた。アンリは素早く「大丈夫」と、彼の言葉を遮る。
「絶対に、怪我をするようなことにはならないから。見ただろ、俺の結界魔法。守るための魔法は得意なんだよ」
本当は守るのも攻めるのも得意だが。とにかくオーティスを納得させたいという一心で強く主張する。これでだめなら……とアンリは別の説得材料も色々と考えていたのだが、意外にもオーティスはあっさりと「まあ、それなら」とアンリの主張を認めた。
拍子抜けするアンリに対してオーティスは「あんな魔法を見せられたらね」と苦笑する。
普段からアンリは演舞の練習でも魔法を使っているが、たしかに部屋全体を覆うほどの大規模な結界魔法や、戦闘魔法として威力のある火炎魔法などは使ったことがない。どうやらそれがオーティスの目には、特別に映ったらしい。
「俺もやるよ。俺も怪我がないように、アンリ君の魔法で守ってもらえるんだろう?」
もちろん、とアンリは頷く。オーティスは満足そうに微笑んで、部屋の隅に用意されていた訓練用の木剣を手に取った。
そうして始めた戦闘形式の訓練において敗北を喫したオーティスは、不機嫌に唇を歪めた。
「あんなにすごい魔法が使えるんだから、当然勝てると思うじゃないか。なんで負けるんだよ」
「なんでって。オーティスが剣のせり合いでアリシアに負けたからだろ」
「そんなの、アンリ君の魔法でなんとでもなっただろ」
「アリシアたちの訓練なんだから。そんなことしても、ためにならないよ」
アンリの言葉にオーティスが唸る。理はアンリにあるはずだが、感情として、負けたことが悔しいのだろう。
公式行事の合同模擬戦闘では通常、騎士科生が前に出て剣を交えて戦い、魔法士科生が後方からそれを魔法で支援する。それに倣ってアンリは後方支援に終始し、アリシアと剣を交えるオーティスを魔法で援護はしたが、積極的な攻撃は仕掛けなかった。
オーティスも、剣の筋は悪くない。しかしアリシアはそれを上回って強かった。結果としてオーティスは、アンリの支援があっても勝つことができなかったのだ。
「もう一回。もう一回やりたい」
オーティスが諦め悪く言った。模擬戦闘は嫌いだと言っていたのに、いざやってみれば、負けたくないという気持ちはあるらしい。アンリは笑いを噛み殺しながら「俺はいいけど、イルマークたちは?」と、話をアリシアとイルマークに向けた。
もちろん良い、と二人が快諾してくれたので、次の戦闘に向けて準備を始める。オーティスが勝ちにこだわるのなら、次は勝てるように戦おうーーそんなふうに考えて、アンリはそっとオーティスに耳打ちした。
「次は俺も前に出るよ。二対一なら、アリシアにだって勝てるだろ」
「そうは言うけど、イルマーク君に魔法で邪魔されるだろう?」
「大丈夫、それはちゃんと俺が防ぐから。オーティスはアリシアとの戦いに集中して」
ひそひそ二人で話していると、少し離れたところでイルマークとアリシアも、何やらこそこそと話し始めた。
そうして始まった二戦目の結果は、それぞれの作戦会議の成果が如実に現れたと言って良いだろう。結果は、アンリとオーティスの勝利だった。
圧勝というわけにはいかなかったが辛うじて勝ちを手にしたオーティスは、体力切れでへたり込んで仰向けに寝転がりながらも、満足げな笑みを浮かべた。
「……勝てた…………」
「だから、勝てるって言っただろ?」
まだ体力にも魔力にも余裕のあるアンリは、オーティスを見下ろして微笑む。それから少し離れて魔力切れで座り込んでいるイルマークに目を向けた。
「思ったよりずっと苦戦したよ、イルマーク。まさか一戦目と合図を変えてくるなんて」
「……交流大会では、試合が三回ありますから。相手が違うとはいえ、研究されれば対策されないとも限りませんからね」
騎士科生と魔法士科生が組んで行う模擬戦闘。魔法士科生は魔法により騎士科生を援護するが、下手をすると味方を魔法に巻き込んでしまうことがある。そうならないように仲間だけでわかる合図を決めて、使う魔法の種類とタイミングを伝達するのは一般的な戦い方だ。
同じ二人で組むなら、合図はいつも同じだろうーー疑う余地もなくそう考えたアンリは最初の試合でアリシアとイルマークの使っていた合図を参考に、使われる魔法に当たりをつけて対応しようとした。
ところが火魔法が来ると思って水魔法を放ったら木魔法に水をかけることになり、水魔法かと思って土魔法で防ごうとしたら同じ土魔法とぶつかった。そうしてアンリは、合図が変わっていることに気がついたのだ。
合図がわからなくなったからといって、アンリが魔法で競り負けることはない。しかし、思っていたほど簡単に試合を終わらせることはできなかった。
「アンリくんは、なんでそんなに、平気そうなの」
寝転がったオーティスの隣で座り込んだアリシアが、肩で息をしながら疲れた様子で言う。試合中、アンリはイルマークの魔法に対処しながら、オーティスと一緒になって木剣でアリシアを攻めた。一対二で戦うことになったアリシアはだいぶ体力を使っただろう。それでもオーティスのように完全に寝転がってしまうのでなく座り込むくらいで済んでいるのだから、彼女の基礎体力の高さがわかる。
とはいえ、そんな彼女と戦い、四人中三人が立っていられなくなった中で、一人立ったまま息も切らさずに平然としているアンリこそ、体力の底が知れない。
「俺、体力にも魔力にも自信があるんだ。今くらいのなら、一日中でもやっていられるよ」
「なにそれ……化け物並みじゃないの」
呆れたように言いながら、アリシアが立ち上がろうとする。アンリはにっこりと笑って「よく言われる」と言いながら、彼女に手を貸した。
「イルマークとアリシアは、基本はできているんだから。あとは、今みたいに魔法士が前に出てくるだとか、そういう変わった戦い方をする相手にも対応できるように、やり方を考えておくといいんじゃないかな」
イルマークとアリシアの二人が少し落ち着いたのを見計らって、アンリは今の戦闘を思い返して言った。二人の合同模擬戦闘に向けた訓練のために来たのだ。ただ戦闘を楽しむのではなく、二人に益のある助言を残していかなければ意味がない。
しかしイルマークはアンリの言葉に呆れたような顔をして、うんざりとした声を上げた。
「今のような攻め方ができるのは、アンリくらいですよ。アンリは模擬戦闘には出ないのですから、対策をしても意味がありません」
「そんなことないよ。去年の合同模擬戦闘を見たけれど、何人か、魔法士科でも前に出る人はいたよ」
昨年の交流大会前、アンリは先輩に頼まれて戦闘の指導を行った。その縁で公式行事の合同模擬戦闘は比較的しっかりと観戦したつもりだ。騎士科が前、魔法士科が後ろという戦い方が主流ではあったが、中にはそれをあえて崩して臨む者たちもいた。
「たしかにそういう人もいるけど」
今度口を開いたのは、アリシアだ。
「アンリくんほど動ける人は、そうそういないから。イルマークの魔法があれば、攻め方が違っても大抵の相手には勝てるよ」
そう言われれば、アンリも「なるほど」と納得して頷くしかなかった。前に出るだけならともかく、普段から剣の腕を磨いている騎士科生とまともに戦えるほどの腕を持つ魔法士科生はほとんどいない。昨年の合同模擬戦闘でも、そこまで強い者はいなかったように思う。
相手がどんな攻め方をしてこようとも、正攻法で迎え撃つーーそれで勝てるという自信が二人にはあるのだろう。実際、それだけの実力がアリシアとイルマークにはある。
それでも、とアンリは言葉を足した。
「でも、相手がアイラだったら? アイラなら、今日の俺くらいは動けると思うよ」
「そのときは、潔く諦めることに決めています」
アンリの問いを予想していたように、迷いなくイルマークが言った。曰く、公式行事の模擬戦闘は勝ち抜き戦ではなく、勝とうが負けようが必ず三回の試合に臨むことになる。当然ながら全ての組と戦うわけではないので、アイラとの対戦は、あるかもしれないし、ないかもしれない。
「アイラさんって、誰も勝てないほど強いんでしょ? 運悪く当たっちゃったら、諦めて残りの二試合に賭けることにしようと思って」
「もちろん、全く無抵抗に負けるつもりはありませんが。しかし、他の試合に影響するほど精一杯戦って魔力を消費するつもりはありません」
どうやらアイラのような規格外との試合は捨てて、ほかの試合で勝てるように力を尽くそうということらしい。アンリからすればもったいないようにも思うが、それも作戦だ。
仕方がないね、とアンリは肩をすくめる。
きっとイルマークとアリシア以外にも、同じような作戦で臨む者は多いはずだ。
そう考えるとアンリには、アイラが少し気の毒にも思えた。




