(18)
隊長の気を逸らすべく、アンリは再び話題を変えた。
「ところで隊長、真面目な話なんですけど、俺が防衛局に戻るとしたら、どんな手続きが必要ですか」
「ん? 戻ることを決めたのか?」
「そうじゃないです」
下手な期待を抱かせないために、アンリはきっぱりと否定する。
「まだ何も決めてないです。ただ交流大会が終わったら、皆でそういう話題が増えるだろうなと思って。俺って休職しているだけだし、試験なしで防衛局に戻れますよね。でも、皆の前でそんな話をしたら、やっぱり問題になります?」
交流大会は学園生が卒業後の進路を決めるにあたり、自身を学外に売り込むための場として利用されている。交流大会で進路を決める者ばかりではないが、今後はどうしても進路の話題が増えるだろう。
卒業後の進路について、アンリはまだ決めきれていない。しかしいつまでも「決まっていない」と、その話題から逃げ続けるわけにもいかないことは、わかっているつもりだ。
特に防衛局に戻ることを選択肢の一つとするなら、せめて防衛局に入るための試験を受ける姿勢くらいは示しておかないと、不自然に見えるのではないか。
「……ああ、なるほど」
アンリの問いを受けて、隊長はぼんやりと視線を上に向け、首を傾げた。
「試験なしで防衛局に入るというのは、たしかにあまり例が無いなあ」
あまり真剣に考えているように見えないその態度に、アンリは眉をひそめる。
「ちゃんと考えてくださいよ。俺、ふりでも試験を受けたほうがいいですか?」
「いや、そこまでの必要はないとは思うが……。そうだな、アンリが受けたければ、受けてもいいよ」
曖昧な返事にアンリは苛立った。高い魔法力がばれないように、防衛局の戦闘職員という立場が知られないように。そう言ったのは隊長ではないか。
友人たちの言葉によれば、もはや目立たずに学園生活を送ることはほぼ不可能なのかもしれないが、それでもアンリはせめて隊長たちに迷惑がかかることがないようにと、精一杯考えている。それなのに当の隊長が、真面目に考えていないとは。
アンリが不機嫌に黙り込むと、隊長は苦笑しながら「そんなに怒るな」と、諭すような口調で言った。
「本当に防衛局に戻るつもりなら、試験を受けるかどうかなんて、それほど気にする必要はない。まれな話ではあるが、特に高い実力が認められれば、試験の免除が認められることもある」
防衛局に入るための最も一般的な方法は、年四回実施される試験に合格することだ。交流大会で実力が認められてスカウトされる場合であっても、総合的な能力の確認のために試験は受けることが多い。
しかし、試験を受けずに防衛局に入る道が全くないわけではない、と隊長は言う。
「試験で確認する必要がないほど能力が顕著に高い場合とか、特別扱いするに足る理由があれば、試験の免除くらいなんてことはない」
そして、それだけの力がアンリにはある、と隊長は言い切った。
「試験が免除になったことが知られれば、学園にいる間は多少注目されるだろうな。しかし実際にお前の力を見れば、皆すぐに納得するだろうさ。だから、心配はいらない」
隊長が力強く言い切る。そういうものかと一瞬納得しかけたアンリだが、すぐに思い直して首を振った。
「いや、何言ってるんですか。俺にとってはその『学園にいる間』が大事なんですけど」
「ん、そうか?」
とぼけた顔で首をかしげる隊長。そこでアンリはようやく、どうやら隊長はわざとこういう物言いをしているらしい、ということに気がついた。
「…………つまり、もう俺の好きにして良いってことですか」
「ま、簡単に言えばそういうことだな」
それでようやく隊長も、とぼけたふりをやめた。にやりと笑って肩をすくめる。
「今度の交流大会を過ぎれば、きっとアンリにも色々なところからスカウトが来るだろうさ。防衛局がそのうちの一つに名を連ねても、何も不思議なことはない。ついでに言えば、そこで防衛局に入ると決めてくれれば、事前研修と称して堂々と任務に当たってもらうことだってできる。もう防衛局との繋がりを過度に隠す必要はないんだ」
アンリのような子供が防衛局で上級戦闘職員として働いているという事実。規則上の問題はないものの、外聞を考えて隊長たちはこれまでその事実をできる限り隠してきた。
しかしそのアンリも、あと一年余りで中等科学園を卒業するというところまできた。
気を遣って隠さなければならない時期は過ぎたーーそういうことだろう。
「あとは、アンリがどうしたいか、だ。騒がれるのが嫌なら、試験は受けたほうが良いだろうな」
防衛局の戦闘職員となるための試験を免除されたなどと噂になれば、学園中が大騒ぎになるだろう。今もダリオとの特別試合のことで話題にされているが、それよりももっと騒がれるかもしれない。
「……そうですね。試験は、一応受けておきたいです」
防衛局に行くことはまだ決めていない。しかしいざ行くとなったときに試験免除だと知られるのは避けたい。
そんな考えでアンリが答えると、隊長は嬉しそうににっこりと笑った。アンリは改めて「別に、防衛局に行くと決めたわけじゃないですからね」と念を押す。隊長は「わかっている」と応えながらも、笑みを崩さなかった。
「防衛局に決めてくれたことが嬉しいわけじゃないさ。ただ、なんというかな。学園に入る前なら、そもそもこんな話題をアンリから出してくることはなかっただろうし、そういう答えも、出てこなかっただろうと思ってな」
隊長が何を言いたいのかわからず、アンリはしばし呆然としてしまった。
学園に入る前ならと言うが、今も昔も、アンリは噂され、騒がれることは好まない。学園に入る前であったとしても、騒ぎを避けるために必要だと言われれば、同じ答えになっただろう。
ただ、そこではたと気がついた。中等科学園に入る前のアンリでは、試験免除によりどれほど騒がれるか、噂されるか、実感できなかったに違いない。隊長から勧められれば試験を受けるという選択はしただろうが、自分から試験を受けようとは思わなかっただろう。
これまで学園生活を送ってきたからこそ、気づくことができたのだ。
「……まあ俺も、常識がわかるようになってきたってことですかね」
「少しだけだがな。本当に常識がわかるやつは、公式行事の前日に大きな模擬戦闘をやろうなんて思わないさ」
「それは、だって、相手も同じですよ」
「その相手だって常識がないんだろうよ。なにせ、防衛局からのスカウトを断るくらいだ」
隊長が口を尖らせて、拗ねたように言う。話題を戻してしまったことを後悔しつつ、アンリは「そうですかね」と曖昧に相槌を打った。
ところで、とアンリは隊長の機嫌を損ねることを覚悟しつつ、別の問いを口にした。
「試験免除って、研究部でもありますか」
防衛局では新人を部ごとに採用している。主に試験で採用を行うことや、その試験が年四回行われることなど共通点も多いが、運用の違う部分もあるはずだ。
それで確認のために尋ねたのだが、案の定、隊長は不満げに大きく表情を歪めた。
「なんだ、アンリ。研究部に入りたいのか?」
アンリの進路に関し、アンリ自身の意思を尊重してくれている隊長だが、やはり戦闘部に戻ってきてほしいという気持ちは強いらしい。ほかの進路を考えていることを匂わせると不安げになる。特に研究部には対抗意識があるのか、研究部に興味があることを示すと、とたんに不機嫌になるのだ。
アンリは苦笑しながら「そういうわけじゃないですけど」と、言い訳を探した。
「ええと、研究部の試験に合格した先輩がいるんですよ。すごい人で、ミルナさんがどうしても入ってほしいって言ってました。その人でも免除にはならないってことは、やっぱり、珍しいんですよね?」
「当たり前だ」
隊長は眉をひそめたまま、低い声で短く言った。
「試験は違うが制度は同じだ、試験免除の仕組みはある。珍しいということも同じだ。試験免除なんて出たら、どこの部だろうと話題になる」
それから隊長はいっそう声を低くして、苦々しい顔で言った。
「……研究部でも、アンリになら適用できるだろうという話は聞いている。詳しく知りたければ、ミルナに聞け」
思いもかけずに答えが得られたことに、アンリは目を丸くした。ミルナからよく誘われるので、自分が研究部に求められているということは、なんとなく認識している。ただ、それがどの程度のものなのかーーあるいはミルナの冗談という可能性も含めて、確認したかったのだ。
なにせ戦闘部では戦闘職員としての実績を重ねてきたアンリだが、研究部では、ただ思いつきを伝えたり、実験に付き合ったりしてきただけだ。それが、試験を免除してでもほしい人材だと思われるような実績になっていたのか、自信はなかった。
だが、どうやらミルナは本気でアンリのことを研究部にほしいと思っているらしい。
「言っておくが」
それまで不貞腐れたような不機嫌顔を見せていた隊長が、表情を改めて、やや真面目な声で言った。
「試験が免除になるのは、お前に期待をしているからだ。同じ理由で、ある程度の優遇もできるかもしれない。だが、それに甘えて怠けるようなことは許されないぞ。中等科学園を卒業すれば、もう大人だ。これまで子供だったから許されていたようなことが、今後も許されるとは思うな。これは、戦闘部でも研究部でも同じことだ」
それはそうだろう。アンリは神妙に頷いた。
これまでアンリは子供だからと、さまざまな特例を受けてきた。責任の重い仕事は任されなかったし、任務の前にはわざわざアンリだけ特別に易しく説明してもらうことが多かった。報告書を書くのを嫌って他の人に押し付けても、たいして怒られることはなかった。訓練場を壊したことはさすがに怒られたが、もしかすると、普通の職員が壊したときよりも責めは甘く済んだのかもしれない。
そういった特例が、今後はなくなる。それは当然だ。さすがにアンリも、そのことはわかっている。
その上で、隊長の言葉に少しだけ、疑問を持った。
「ちなみに、優遇って何です? 俺、防衛局に戻ったら何か優遇してもらえるんですか?」
「……今の話で、気にするのはそこか?」
隊長は呆れた顔をしたものの深くこだわる様子は見せず、ひとつだけため息をつくと「アンリ次第だな」と答えをくれた。
「たとえばアンリが防衛局以外に行きたいところを見つけたとする。その理由が、給料が高いことだったとしたら、防衛局としては多少アンリに手当を出すことも検討するだろう。もちろん、限度はあるがな」
つまり、と隊長はアンリを真っ直ぐに見つめながら続けた。
「こういう条件なら防衛局に行く、というアンリの希望が、防衛局として許容できるものであれば認められるということだ」
試験免除ほど珍しいことではない、と隊長は言う。ぜひ防衛局に入ってほしいという人材がいれば、ある程度の交渉には応じるらしい。
(ミルナさんは、制度を調べると言っていたけれど……)
イシュファーに研究部に来てもらうため、さまざまな制度を提示したミルナ。アンリにも何か条件があるなら、それを満たすための制度がないかを調べる、と言っていた。
(今の制度で対応できないなら、その次の段階があるってことかな)
ミルナがそこまで言わなかったのは、研究部としてアンリやイシュファーを優遇するつもりはないということか。あるいはミルナ独特の交渉術のようなもので、手札を隠しているだけか。
「……ちなみにその優遇っていうのも、戦闘部と研究部で同じですか?」
「今日のアンリはやたらと研究部のことを気にするな」
隊長はまた少し口を尖らせたが、それでも律儀に「同じだよ」と答えをくれた。
「だから、何か考えがあるなら遠慮なく相談しろ。癪ではあるが、ミルナにでも構わない。お前を防衛局以外のところに取られるくらいなら、研究部のほうがまだマシだ」
隊長が探るような目でアンリを見る。その視線を受けて、アンリは肩をすくめた。今はまだ、アンリの心も決まってはいない。何も答えられない。
しかしここまで話を聞きながら何も言わずに帰るわけにもいかないか、とアンリは隊長の期待に応える言葉を探した。
「……まあ、少なくとも、何も相談せずに勝手に防衛局を出ていくようなことはしませんよ」
曖昧なアンリの言葉に、隊長は安堵と諦めが半々で混じったようなため息をついた。




