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休日になって、アンリは防衛局の新人研修の様子を見学に来ていた。
防衛局職員として必要なさまざまな心構えが欠けていることを自覚したアンリは、当初隊長に言われていたような、研修講師を務めることはとっくに諦めている。魔力制御の訓練のために、と新人のふりをして研修に参加する期間も終わった。
それでも新人たちの研修を眺めるのはなかなか面白いので、休日にはできるだけ、見学に来るようにしている。
新人たちが防衛局に入ってから、だいぶ日も経った。防衛局の本部で行われる研修は今日が最後で、以降は新人たちも国内各所の支部に散らばって、任務を兼ねた実地研修をこなすことになっている。そうなればさすがにアンリも見学は難しいので、研修の見学は今日が最後だ。
今日の研修は座学。アンリは部屋の後方で隅のほうの席に着き、講師役の職員の話に耳を傾けた。最後ということで講師の声にも力が入っているようだ。いつも以上に精神論が多い。アンリはうんざりしつつも、できるだけ表情を変えないように気をつけた。
(こうやっていると、俺も真面目に聞いているように見えるのかな)
研修を受ける新人たちは皆、真面目な顔をして、熱心に講師の言葉に耳を傾けているように見える。けれども彼らが必ずしも真面目一辺倒の性格をしているわけではないことを、アンリはすでに知っている。
先日まで新人のふりをして参加していた実技研修で知り合った新人たち。彼らの様子は、アンリが普段付き合っている友人たちとそう違わなかった。
実は新人ではないということがバレると面倒なので、見学には彼らが参加していない講義を選んでいる。しかしこの部屋に今集まっている新人たちも、きっと本質的には彼らと同じはずだ。
(話してみれば皆、きっと普通の人なんだろうな)
いつも研修を見学するだけで、なかなか話す機会がなかった。今日で最後だと思うとやや惜しい。思い切って自分から話しかけてみれば良かったかもしれない。
「君たちはこれから、各地の支部での実地研修に入る」
アンリが感傷に浸っている間にも、講師の熱の入った講義は続く。この講師役の職員の熱心さは本物だろうか。それとも新人たちの手前、熱心な講師役を演じているだけだろうか。
「研修といっても、各々、実際の任務にあたることになるだろう。周りの住民からすれば、研修生であろうと、防衛局の職員であることに変わりはない。それを肝に銘じて、職責を忘れず、誇りを持って任に当たるように。私からの講義は以上だ、健闘を祈る」
仰々しい挨拶とともに、研修が終わった。新人たちは合図と共に一斉に立ち上がって挨拶をした後、各々部屋から去って行く。各自、明日から自分が配属となる支部に向かうための準備に移るのだ。
去って行く新人たちの誰かに声をかけてみようかと、アンリは唐突に思い立った。交流できなかったと後悔するくらいなら、最後にひと言「頑張って」と声をかけるだけでも良いから、話をしてみてもよいかもしれない。
けれども突然知らない上級戦闘職員から声をかけられたりしたら、新人もびっくりしてしまうだろうか。下手に声をかけて怖がらせるくらいなら、大人しくしておくべきかーーそんなふうに悩むアンリのもとに、不意に、近寄ってくる影があった。
アンリが目を向けると、影たちがびくりと立ち止まる。先ほどまで、アンリから見て右前方に座っていた新人たち三人だ。
何だろう、とアンリが不思議に思っていると、先頭の一人が「あ、あのっ」と、緊張の滲んだ声をあげた。
「わ、私たちは明日から、二十三番隊に配属されることが決まっています。新人ながら二十番台前半の隊に入れたことを、大変光栄に思っていますっ」
「…………それは、すごいですね。おめでとうございます」
心底から驚いて、アンリは言った。防衛局には隊が三十番まであるが、数字が若いほど強く、精鋭の隊になる。新人ならば三十番隊か、せいぜい二十番台後半の隊に配属されるのが普通だ。新人が二十三番隊に配属されるなど、滅多にあることではない。この三人は相当の実力者として認められ、将来を期待されているということだろう。
「お、お伺いしたいことがあります」
今度は三人のうち、右の一人が言った。アンリが首を傾げると、彼は緊張した様子で身を強ばらせながら言葉を続けた。
「失礼ながら……大変お若く、私たちとそれほど歳が変わらないようにお見受けしました。どのような隊で、どのような経験をされて今の地位に至ったのか、教えていただくことはできないでしょうかっ」
予想外の質問に、アンリは目を丸くした。とはいえその驚きは、彼らには見えていないはずだ。なにせ今着ているのはアンリが顔を隠したいときに使う特製の戦闘服で、フードを目深くかぶることで、外からアンリの顔が確認できないようにしてある。
年齢がわからないように、そうしている。にもかかわらず彼らがアンリのことを若いと思っているのは、体格や動き、声などによる印象からだろうか。新人ながら二十三番隊に配属されるだけのことはある。すさまじい観察力だ。
「俺の、経歴ですか」
「はいっ。私たちもいつか上級戦闘職員になりたいと思っています。どういう経験を積んだらそうなれるのか、知りたいんですっ」
左の一人が言う。向上心溢れる素晴らしい新人たちだ。彼らの期待に応えることができないことを、アンリは申し訳なく思う。
何せアンリの経歴は特殊だ。彼らの参考になるようなものではない。そのうえ、その経歴を彼らに教えることはできない。
「……申し訳ないですが、俺の経歴は機密扱いなんです。教えることはできません」
アンリがきっぱりと言うと、新人たちの間に戸惑うような、恐れるような、妙な空気が流れた。さすがにこれで終わりでは居たたまれないので、アンリは場をなごませるために言葉を付け足す。
「でも、俺の周りの一番隊の人たちは、魔法の腕なり戦闘力なりを早くから評価されていた人が多いように思います。今から二十三番隊に配属されるくらい期待されている皆さんなら、十分に可能性はあるんじゃないでしょうか」
アンリの言葉に、三人の顔がぱっと輝いた。アンリもほっと安堵する。彼らの期待に直接応えることはできなかったものの、失望させることは避けられたらしい。
新人たちは「ありがとうございました」と礼儀正しく頭を下げて、部屋を去っていった。
新人研修の見学を終え、アンリは一番隊の隊長室を訪れた。相変わらず嫌そうな顔をしながら書類に向かっていた隊長は、アンリの姿を見ると上機嫌になって立ち上がった。
「やあ、アンリ、よく来たね。そうか、もしかして、今日で最後だったかな」
「はい。だから最後に、挨拶だけ」
話には付き合わないぞと言いたかったのだが、伝わらなかったのかあえて無視されたのか、隊長はそのままアンリを応接用のソファに座らせた。すぐにココアが用意され、いつの間にか隊長自身は自分用のマグカップを手にしている。
「どうだった、新人研修は」
「楽しかったですよ。何人か、新人さんとも話ができましたし。皆、普通の人なんですよね」
「ははっ、当たり前じゃないか」
アンリの言いように、隊長はおかしな話を聞いたとでもいうように声を上げて笑った。そんなに笑わなくても良いのに、とアンリは口をへの字に歪める。
「俺、今まで防衛局に入ってくる人がどんな人かなんて、知らなかったんですよ。俺が話す人はだいたい一番隊の人で、新人って呼べるような人はほとんどいませんし」
アンリの存在自体が機密に近いところがあって、接する相手といえば、一桁台の隊の職員だけだった。たいていは防衛局に入ってから十年以上が経過したような人ばかりだ。
新人というのは真面目で初々しくて、アンリからすると別世界の住人のようなものだろうと思っていた。しかし実際に話してみると、真面目で初々しさはあるものの、意外と話が通じるし、付き合いを重ねればきっと仲良くなれるだろうという希望も持てた。
「もし俺が卒業後に防衛局に戻ってくるとしたら、他の新人たちと一緒に新人研修を受けることはできますか?」
同じ年に防衛局に入った職員たちは、新人研修で仲を深める。そのつながりはその後の防衛局での仕事の中でも強いものだと聞いたことがある。今日出会った三人も、きっとこの後ずっと強い絆を持ち続けるだろう。
そんなつながりをアンリも得られたら。そう思っての言葉だったが、隊長はやや難しい顔をして苦笑した。
「できなくはないが……しかし、もったいないな。俺としては、アンリには講師役に回ってほしいくらいなんだが」
「無理ですよ。あんな精神論、俺には伝えられません」
あの研修講師にしても、本気で精神論を説いていたのかはわからない。しかし、たとえそれが本気のふりであったとしても、アンリにそれができる気はしなかった。
「別に心構えの講釈をしろと言っているわけじゃない。魔法のこととか、戦闘技術をいくらか教えてやってほしいだけだ。年齢的に新人と同じとはいえ、新人ではないんだ。ただ研修を受けるだけなんて、もったいないことを言うな」
「でも俺、こないだちょっと参加したくらいで、ちゃんとした研修は受けたことがないですし。もしも長く防衛局で務めるなら、それなりの研修は受けといたほうが良いんじゃないですか」
「問題ないだろうさ。アンリは今でも十分うまくできている。どうしてもというならこの前のように、必要な研修だけ少し受けておけば良いだろう。お前を半年も研修だけで縛りつけておくなんて、そんな余裕は一番隊にはない」
「そんな無茶苦茶な」
どうやら隊長は意地になっているらしい、とアンリは気がついた。そもそもアンリが防衛局に戻るかどうかさえ決めていない中で、一番隊に余裕が無いことを理由にアンリの研修について決めてしまうなんて。
最近書類仕事が多いから、それで気が立っているのかもしれない。今説得を試みたところで、態度は硬化していくばかりだろう。
「……わかりました。そのことはまた改めて話しましょう」
急いで説得しなければならないほどのことではない。アンリは諦めて、話題を変えることにした。
せっかくの機会なので、アンリは隊長に交流大会のことを報告しておくことにした。
「公式行事とは別に、また模擬戦闘大会に出ることになりました」
空間魔法を使って学園の寮の部屋から模擬戦闘大会のチラシを引っ張り出して、隊長に手渡す。模擬戦闘大会の後に特別試合が予定されていて……という内容を一から説明するよりも、チラシを見せてしまったほうが早い。
受け取ったチラシに目を落とした隊長は、少しだけ眉をひそめた。
「公式行事に出るようになったら、こういった有志団体の行事には出なくなるものだと思っていたが?」
「俺もそう思っていたんですけど、誘われたので。公式行事のほうに支障がなさそうだったから受けたんですけど、まずかったですか?」
不機嫌そうに眉をひそめる隊長の顔を見て、アンリは急に不安になった。やはり、あまり目立つようなことをするのは良くなかっただろうか。友人たちに指摘されたように、最近のアンリは目立たずに生活するという意識に欠けているのかもしれない。
アンリの問いに対して隊長は「まずい、というわけではないが」と低い声で答えた。
「今回は公式行事だけのつもりで、もう予定を組んでしまった。公式行事の前日にこんな面白いことをやられても、見に行けないじゃないか」
「……別に、見にきてほしいとは言ってないんですけど」
嫌な予感がして、アンリは渡したチラシを奪い返そうと手を伸ばした。しかし一瞬早く、隊長はチラシを空間魔法でどこかへ隠してしまう。報告のために渡しただけのつもりなのに、いったい何に使うつもりか。睨むアンリの視線をどこ吹く風と受け流し、隊長は不機嫌顔を改めて笑顔になった。
「まあ、見には行けないが、がんばってくれ。応援しているよ。……間違っても、防衛局からのスカウトを蹴って王宮騎士団に入ることを決めたような輩には負けないように」
どうやら隊長はダリオ先輩のことを知っているらしい。恨みを持ってさえいるようだ。
なんだか面倒なことになったなと、アンリは報告したことを少しだけ後悔した。




