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(4)

 その日の夜、アンリは呼び出しを受けて防衛局に来ていた。向かう先は戦闘部の隊長室ではなく、研究部のミルナのところだ。


「ごめんなさいね、わざわざ来てもらっちゃって。実は、イシュファーくんにこれを渡してもらいたいの」


 研究室を訪ねると、ミルナは珍しく前置きなく本題の話を始めた。


「これは……」


「この間アンリくんが、イシュファーくんのことで報告をくれたでしょう」


 そういえばそんなこともあったか、とアンリは思い返す。


 研究部の就職試験に合格した魔法士科学園四年生のイシュファー。魔法器具製作部の前部長である彼は、試験の成績がすこぶる良かったようだ。ミルナとしてはぜひとも研究部に、ぜひとも自分の部下にと思っているらしい。


 ところがイシュファーは、自分から試験を受けたにも関わらず、なぜか合格を保留にしてほしいと言い出したのだという。これに困ったミルナはイシュファーと同じ学園に通うアンリに、その理由を探らせたのだ。


 探ると言うほどコソコソとした動きのできないアンリは、イシュファーに直接理由を尋ねた。返ってきた答えは、防衛局よりも他のところに行ったほうが自分の作りたい魔法器具が作れるのではないかと思っている、しかしまだ自分には技術が足りないことを考えると防衛局に就職して経験を積んだほうが良いのではないかとも思い、迷っている——そんな内容だった。


 イシュファーの許しもあって、アンリは彼の返答をそのままミルナに伝えた。どうやらミルナはそれをもとに、イシュファーに渡すものを用意したらしい。


 渡されたのは白い封筒だった。封はされておらず、中にぎっしりと書類が詰まっているのが見える。


「イシュファーくんにぜひ読んでもらいたい資料よ。良かったら、アンリくんも見てみて」


 ミルナに促されて、アンリは近くの机の上に封筒の中の書類を広げた。どうやら防衛局における人事関連の制度に関する資料らしい。民間研究所との人材交流制度、長期研修のための休業制度、自身が独自で研究開発を進めるための補助制度。どれも、イシュファーの悩みを思えば有益な制度だ。


「研究部って、こんな制度があるんですか」


「あら、うちだけじゃないのよ。戦闘部にだって、同じような制度はあるはずだから」


 そうなのか、とアンリは目を丸くする。防衛局の人事制度など、気にしたこともなかった。


「アンリくんが学園に行くために防衛局をお休みしているのだって、研修休業の制度を使っているんじゃないかしら」


 アンリは丸くした目をますます大きく見開いた。中等科学園に通うあいだは休職扱い、と言われてはいたが、それがどんな制度によるものかなどと考えたことはなかった。


 驚くアンリを見て、ミルナがくすくすと笑う。


「卒業後も防衛局で働くなら、知っていて損はないでしょ」


 ミルナはこの書類を、アンリを通さずにイシュファーに渡すこともできたのだろう。あえてアンリを呼び出したのは、きっと、アンリにも見せるためだ。


「これは元々ある制度だから、アンリくんやイシュファーくんが特別というわけじゃないのよ」


 ミルナが落ち着いた声で続けた。


「これまでの防衛局の職員たちが、こういう職場であってほしいっていう思いを持って、制度をつくってきたの。その成果として、これだけ恵まれた環境で働けるのよ。誰しも、似たようなことは考えるものなのね」


 防衛局で働きつつ、別の研究に挑戦したい。あるいは防衛局に籍を置きつつ、学園やほかの研究機関で学びを得たい——もちろんこの場合の学園は通常、中等科学園ではなく高等科学園のことではあるが。いずれにしても、防衛局という栄えある職場にいながら別の活動にも心惹かれるという、他人からすれば贅沢な望みを持っていると言われかねないような職員も、案外少なくないらしい。


「だからアンリくんも、もし防衛局に戻ってくるのを迷っているようなら、何でも相談してちょうだい」


 ミルナが優しい声で言う。こういう声を使うときのミルナの言葉には、気をつけなければいけない。物事をミルナにとって都合の良いように持っていこうとしているに違いないから。そういうものだとわかってはいるものの、アンリはミルナの言葉に耳を傾けた。その内容が、進路に迷う今のアンリにとって、極めて有意義に聞こえたからだ。


 アンリの警戒心と逡巡を知ってか知らずか、ミルナはそのまま続けた。


「何か理由があって迷っているなら、先人たちの知恵でなんとかなるかもしれないでしょう。アンリくんの望むような制度がないか、私がちゃんと調べてあげる。だから、あれこれと独りで悩まないで、ちゃんと相談してちょうだいね」


「……ミルナさんに調べてもらうと、研究部寄りになりそうな気がするんですけど」


 このまま研究部に勧誘されるのではないか。そんな懸念を持ってアンリがなんとか言い返すと、ミルナは「そんなことはないわよ」と余裕のある笑みを浮かべた。


「戦闘部であっても、防衛局にいてくれるっていうだけでありがたいんだから。もちろん研究部に来てもらえそうな制度がないかを一番に探すけれども、それがなければ、戦闘部の制度だってちゃんと調べるから。心配しないで」


 本当だろうかと疑う気持ちを抱きながらも、アンリは「じゃあ、何か思いついたら相談します」と表面上は素直にただ頭を下げた。






 防衛局に来たついでに挨拶でもしようかと思って、アンリはそのまま戦闘部の隊長室に向かった。部屋で退屈そうに書類に向かっていた隊長は、アンリの顔を見るなり笑顔になって、嬉々として応接用のカップやらココアやらの準備を始めた。


「俺、すぐに帰りますよ」


「まあそう言わずに、少しくらい話し相手になってくれよ」


 そう言って隊長は、有無を言わさずアンリをソファに座らせる。


 向かい合ってココアを飲みながら、交わす会話はただの世間話だ。どうやら隊長は仕事から逃げ出す口実を探していたらしい。学園生活はどうだとか、勉強は難しいかとか、後輩の面倒はちゃんと見ているのかとか——そして、交流大会の話題も出てきた。


「今年は三年生だから、公式行事に出るんだろう? やっぱり模擬戦闘に出るのか? 楽しみだな」


 やっぱり模擬戦闘、などと言われてアンリは答えに窮す。隊長は、まさかアンリが模擬戦闘でも魔法器具製作でも魔法研究でもない種目を選ぼうとしているなんて、思ってもいないだろう。


 しかし、それ以上に聞き捨てならない言葉もあった。


「楽しみって? まさか隊長、また交流大会に来るつもりですか?」


「それはもちろん」


 よくぞ聞いてくれた、とばかりに隊長は得意げに胸を張る。


「前途有望な若者たちを探し出して防衛局にスカウトするのも、大切な仕事だからね。そもそも交流大会というのは、そのためにあるようなものだろう」


 たしかに交流大会は、学園生にとって将来の道を決めるために大切な行事だ。逆に言えば防衛局など学園生を採用する側にとっても、より有望な新人を探し出すにあたって重要な行事であると言える。そのためにある、という言葉もあながち間違ってはいないのかもしれない。


 隊長の言葉に納得しかけたアンリだが、すぐに思い直して「いや」と反論した。たしかに言っていることはおおむね正しいのだろうが、ひとつだけ、どうしても納得できないところがある。


「それって、わざわざ隊長がやるべき仕事じゃないですよね。去年も一昨年も、隊長が公式行事を見に来たなんて話は聞いてないですし」


「バレたか」


 否定も言い訳もせずに、隊長は肩をすくめた。開き直った様子で「いいじゃないか」と続ける。


「たしかに俺がやらなくてもいい仕事だ。でも、俺がやっちゃいけない仕事っていうわけでもない。防衛局では今、新しい人材の発掘と育成に力を入れているところなんだ。俺が行くことで、対外的にもそれをアピールできるだろう」


 もっともらしいことを言う。アンリは顔をしかめて「それで、本音は?」と続きを促した。


 隊長は隠すことなくにこりと笑って「そりゃあ、もちろん」と続ける。


「アンリの勇姿を見たいんだよ。ああ、だからって別に模擬戦闘に限る必要はないよ。学園にお願いして、一応全ての公式行事を少しずつでも見させてもらえるように段取りを組むから。アンリは俺のことなど気にせずに、好きな種目を選んでくれ」


「……そうですか」


 どうやら模擬戦闘ではなく演舞にしたところで、隊長の目から逃れられるというものではないらしい。ため息をつくアンリに対して、隊長は「それで、アンリはどの種目に出るんだ」と、楽しそうに言う。


「交流大会まで間があるとはいえ、もうそろそろ決まっているんだろう?」


「まだ確定したわけじゃないですけど。一応、合同演舞に出ようかと思っています」


 隠したところで、どうせわかってしまうのだ。そんな諦めとともにアンリが答えると、隊長は幾分か驚いたようで、目を丸くした。


「合同演舞か。また、珍しいのを選んだな」


「まだ選んだわけじゃないですよ、これから選ぶんです」


 一応訂正はしたものの、アンリの気持ちはほとんど決まっている。


 オーティスへの返事は保留としたが、時間を置いて改めて考えてみても、彼との合同演舞を断る理由は特に思いつかなかった。元々どの種目にするかは迷っていたところだ。彼に頼まれたことを契機に、これまで選択肢にも入れていなかった合同演舞を選んでみるのも悪くない。


 そのうえ隊長を前にして、もう一つ思うこともあった。


(隊長のような魔法を使えるようになるには、魔法演舞が役に立つかもしれない)


 戦闘用の魔法だけで考えれば、防衛局の中でアンリに勝る者はいない。隊長でさえ例外ではなく、制限のない本気の模擬戦闘であればアンリが負けることはないだろう。


 しかしそれでもアンリには、隊長の魔法に敵わないと思うことがある。


 各種行事で防衛局が披露するデモンストレーションにおける、観る者に防衛局の力を示すための魔法。あるいは内向きの行事や集会において、職員たちの意識を高揚させるための魔法。


 つまり、見せるための魔法。観る者を惹きつける魔法だ。


 場面ごとにどんな魔法を使えば観る者を惹きつけることができるか。あるいはどんな魔法を使えば効果的に士気を上げることができるか。必要な魔法を瞬時に見出す発想力と、それを確実に実現することのできる魔法力。


 そうした「見せる」ことに重点を置いた魔法において、アンリは隊長に敵わない。


 考えてみれば魔法演舞とは、見せるための魔法の最たるものだ。これをしっかり練習すれば、少しは隊長に近づくことができるのではないか。


 もちろん交流大会までの限られた期間の練習だけで隊長の域にまで達せるなどとは思わない。しかし、少しでも近づくことができるなら。あるいは今後、その方面の訓練を始めるためのきっかけになるなら。


 アンリの心中を知ってか知らずか、驚きから覚めた様子の隊長は、アンリの選択を肯定するように大きく頷いた。


「珍しいが、悪くはないな。いいじゃないか。アンリの魔法演舞なんて、楽しみだよ」


 その言葉に背中を押されたような気持ちになって、アンリはいよいよ心を決したのだった。

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