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一晩考えて翌朝、アンリは自分から四年生のサニアの教室を訪れた。劇場にまで連れて行ってもらった手前、断るなら、彼女の来訪を待つよりも自分から行ってしまったほうが気が楽だと思ったからだ。
できません、と頭を下げるアンリを前にして、サニアは悲しげに眉を歪めた。
「どうして? 昨日はあんなに楽しそうに話していたのに。相手の子と、話だけでもしてみない? そのうえで断るなら、それはそれで良いから」
「断るつもりでいるのに話しに行くなんて、変に期待を持たせるようなことをするのも悪いかと思ったんですけど」
「そんなこと気にしなくていいから。それより、なんでできないのか、教えてもらえる?」
サニアが悲しげな声のまま言う。アンリとしても、魔法演舞の公演チケットまで用意してくれた彼女のお願いを、理由も言わずに断るような不義理をするつもりはなかった。
「ええと、昨日の魔法演舞は、たしかに面白かったです。ありがとうございました。……でもあれを見たらいっそう、俺にはできないように思えてしまって」
魔法のことならたいていのことはできる、とアンリは自負している。昨日舞台上で使われた魔法も、その魔法を使うだけならば、アンリには朝飯前の、ごく簡単なことだ。
しかし魔法演舞で魔法を使うということは、アンリ一人がその魔法を使えれば良いというものではない。演者と息を合わせて、演技の中で完璧なタイミングを見計らって魔法を展開する必要がある。
良い演舞を完成させるためには、演者と魔法士との連携が最も重要になる。
「交流大会までにああいう演技ができるように、相手の人と練習を重ねるんですよね。でも、どんなに頑張っても、交流大会までの期間じゃ限界があると思うんです」
魔法そのものの技術に自信があるとはいえ、アンリが得意とするのは戦闘魔法。演舞のための魔法には疎い。それをこれから練習し、さらに相手の学園生と息を合わせるための打ち合わせと練習を重ねなければならない。
交流大会までまだ日はある。しかしアンリは、それでも足りないと思った。付け焼き刃程度の雑な演舞ならできるかもしれないが、昨日アンリが観たような、観客を感動させるほどの作品を仕上げることは難しい。
「交流大会の公式行事だから、その人の将来を左右することになるでしょう? 自信を持ってできない分野の種目を、軽い気持ちでは選べません」
交流大会は学園生にとって、学園卒業後の道を決めるための大切な場だ。特に公式行事には、優秀な学園生をスカウトしようと多くの企業や研究所の採用担当者が集まる。つまり学園生にとっては、自分を売り込むための絶好のアピールの場なのだ。
サニアが紹介しようとしている騎士科の学園生にとっても、それは同じはずだ。
将来を左右する大事な場が、アンリと組んだことによって台無しになってしまったら。考えるだけで恐ろしい。そんな危険を冒すわけにはいかない。
交流大会での相手探しを手伝うほどその後輩に目をかけているサニアなら、きっとわかってくれるはずだ。相手のためを思えば、アンリと組ませるべきではないと思ってくれるだろう。
ところがサニアはアンリの言葉を聞くと「なんだ、そんなことを気にしていたの」と、呆れたような声で言った。
「ごめんね、ちゃんと話しておけばよかった。私が紹介しようと思っている子は、もう卒業後の進路がちゃんと決まっているの。公式行事に将来を賭けているわけではないから、そんなふうに重く考えなくても大丈夫」
だからアンリ君に声をかけたんだよ、とサニアは笑いながら言う。
「アンリ君だって、交流大会でどこかにアピールする必要はないでしょ。それで、ぴったりだと思ったんだけど」
相手の騎士科生も、やはり相方となる魔法士科生の将来の道を閉ざすようになってはいけない、と気にしているらしい。だからこそ交流大会に将来を賭けていない者同士を引き合わせようと考えた——それがサニアの言い分だった。
「だから、相手のことは心配しなくても大丈夫。むしろアンリ君こそ、もしも将来のことを考えて交流大会で何かしようとしているなら、それはそれで断ってくれて構わないけれど……でも、アンリくんはもう進路が決まっているよね?」
サニアの目は自信に満ちていた。教室という他者の目がある場所ゆえにはっきりと言葉にはしないが、サニアはアンリが防衛局の戦闘職員であることを知っている。アンリが就職活動をせず、卒業後もそのまま今の職を続けるものと思っているのだろう。
しかし、サニアは誤解している。アンリには、ただ漫然と今の職を続けていくつもりはない。
「ええと、いや、俺、進路は決まっていないですけど」
「え……ええっ?」
サニアが戸惑いの声を上げる。よほど予想外だったのだろう。何かと世話になっている先輩ではあるので、アンリはやや申し訳なく思って言葉を継いだ。
「俺、まだ卒業後に何をしたいとか、決めきれていないんですよ。でも、交流大会でどういうことをしたらいいかもわかっていないので、そういう意味ではこの機会に魔法演舞に挑戦してみるっていうのは良いかもしれません。……そうですね、必ずお受けするかはわかりませんけど、それでよければ、その騎士科の人と話だけはしてみたいと思います」
相手の人生を左右するようなことになってしまわないのであれば。もっと気軽に考えて良いのであれば。それなら、遠慮する必要はない。
そう思ってアンリが言うと、サニアは戸惑いから脱しきれないような顔をしながらも「そ、そう……? まあ、そうね、とにかく会ってみて」と頷いた。
その日の授業後、アンリはサニアと学園の正門で待ち合わせて、二人で騎士科学園に向かった。今日の今日でサニアがどう連絡を取ったのかはわからないが、相手の騎士科学園生が、ぜひ今日会いたいと言ってくれたそうだ。
アンリとしても、ありがたい話だった。交流大会の公式行事でどの種目を選ぶか。希望票の提出期限はもうすぐだ。
相方が決まっていなくても、種目さえ決めてしまえば希望票を提出することはできる。しかしアンリの場合、サニアが紹介してくれるという騎士科の学園生と組むのでなければ、そもそも合同演舞という種目を選ぶ理由がない。組むか組まないかを先に決める必要がある。
「その騎士科の人って、どんな人なんですか? もう卒業後の進路が決まっているっていうのは、どういうことです?」
道中の世間話もかねて、アンリはサニアに尋ねた。会って話せばわかることだろうが、先に知っておいても損はない。
サニアも特に秘密にしようとは思っていないようで、むしろ「まだ話していなかったっけ」などと言いながら、これから会う騎士科生のことを話してくれる。
「オーティス・ティンダーっていう子で、騎士科の三年生。アンリ君とは当たらなかったけれど、一昨年の交流大会で模擬戦闘大会に出てくれたの。そのときの縁で、ときどき連絡を取っているんだ」
一昨年といえば、アンリが初めて交流大会に参加した年だ。優勝景品であったパルトリチョコレートのココア目当てに模擬戦闘大会に出場し、優勝してしまった年。そういえば、サニアはその年の模擬戦闘大会の主催者の一人だった。
「彼は領地を持っている貴族の家の子なんだけれど、お父様が早くに亡くなってね。卒業したらすぐにお父様の立場とお仕事を継いで、貴族として領地経営に携わらなければならないらしいの」
現在は彼の母親が領地経営をしているが、これがなかなか忙しいらしい。そういうわけで彼は卒業したら、どこかで働くとか王宮騎士団に入るとかいう経験を挟まずに、すぐに実家に戻るそうだ。
「だから交流大会で就職先を探そうとか、どこかに自分をアピールしようだとかは考えていなくて。強いて言えば貴族間での繋がりは持ちたいらしいけど、まあ、交流大会でっていうのは難しいでしょうね」
なるほどそういうこともあるのか、とアンリは納得して頷いた。
交流大会の公式行事は全ての学園生にとって重要な場だと思っていたが、それほどでもない学園生もいるらしい。考えてみればエリックも卒業後は兄の手伝いをすると言っていた。ハーツも卒業したら実家に戻って農作業に勤しむのだろう。彼らにとって交流大会は、卒業後の進路に関わるような一大事ではない。
「アンリ君だって、卒業後は普通に防衛局に就職するんじゃないの? それなら、公式行事はそんなに重要じゃないでしょう?」
アンリのことを気遣うように、サニアはそれまでよりもやや声を落として言った。戦闘職員を続けることが当たり前であるかのように言われて、アンリは苦笑する。
「別に俺、防衛局に就職するなんて決めてはいないですよ。まだ考え中なんです。たしかに、防衛局が一番現実的な道だとは思いますけど」
「そうだったの。ごめんね、知らずに誘っちゃって。……まあでもアンリ君自身が言っていたように、それならそれで、新しいことをやってみるのも良い経験だとは思うよ。まずは話だけでも聞いてみて」
気を取り直した様子でサニアが明るく言う。
そんな話をしているうちに二人は、オーティス・ティンダーとの待ち合わせ場所である騎士科学園の正門に辿り着いた。




