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交流大会の公式行事でどの種目を選ぶのか。
そろそろ希望票の提出期限が迫っているというある日、アンリがいつものように朝の訓練室でコルヴォたちの訓練に付き合っていると、そこに四年生のサニア・パルトリが現れた。
「ねえ、アンリ君。公式行事の種目はもう決めちゃった?」
「いえ、まだです」
訓練室の端で皆の訓練を眺めながら、アンリはサニアの問いに苦い顔で答える。そろそろ決めなければいけないことは、アンリにもわかっていた。
交流大会の公式行事のうち、魔法士科の学園生が選べる種目は四種類。騎士科との合同模擬戦闘、騎士科との合同演舞、研究科との合同製作、研究科との合同研究発表。この中から、通常なら自分の得意な分野の種目を選び、参加希望票を提出する。
提出期限が数日後に迫るなか、アンリはいまだに、どの種目に出場するかを悩んでいた。
「模擬戦闘が一番無難かなとは思っているんですけど、あんまり目立つことはしたくないんですよね。でも、ほかの種目もなんとなく決め手に欠けて」
「製作は? 魔法工芸部でしょ?」
「俺、魔法工芸は苦手なんですよ」
魔法工芸部という部活動に参加していながら、アンリには魔法工芸に対して苦手意識がある。むしろ、部活動に参加しているからこそ苦手であることに気付いたと言うべきか。魔法戦闘や魔法器具製作に比べると、なぜだか魔法工芸はまったくうまくいかない。
「魔法工芸なんて選んだら、相手の研究科の人に迷惑をかけちゃうと思うんです」
自分一人の問題なら、苦手克服のために魔法工芸を選ぶという道もある。しかし交流大会の公式行事は、イーダの街にある他の中等科学園の生徒と二人組で臨むものだ。苦手な種目を選べば相手の足を引っ張ることになる。誰と組むかはまだ決めていないが、誰であろうと、迷惑をかけるのは悪いだろう。
「そっか、ちゃんと考えてるんだね。でも、まだ決まっていないなら良かった」
サニアの言いように、アンリは首を傾げた。この時期にまだ種目を決めかねていることについて、アンリはそれなりに悩んでいるのだ。それを「良かった」とは。
戸惑うアンリに対して、サニアはにっこりと微笑む。
「実はアンリ君にお願いがあって来たの。私の後輩の騎士科生の子で、合同演舞の相手を探している子がいてね。一度、会ってみてあげてくれないかしら」
「合同演舞、ですか……?」
今まで全く考えていなかった選択肢を提案されて、アンリは訓練の見守りも忘れて、ただぽかんと口を開いてサニアの顔を見返した。
アンリにとって魔法とは、実用的なものだ。魔法とは戦闘で用いるものであり、あるいは日々の生活を便利にするために用いるものだ。
もちろんその技術を活用して、見栄え良く人を惹きつけるための魔法を使うこともある。様々な行事の中で防衛局の魔法戦闘職員が行う魔法のデモンストレーション、あるいはアンリが孤児院で子供たちを楽しませるために使う魔法がそれだ。
しかしアンリにとってそうした「見せるための魔法」は、あくまでも余興にすぎない。魔法の本質は実用にあり、装飾的な魔法の使い方は、そこから派生した「おまけ」にすぎないという認識がある。
だからこそ「魔法演舞」という分野が広く一般的な魔法の活用の場となっていることや、そのために魔法の研鑽に励む者がいることに、アンリはこれまであまり関心を寄せたことがなかった。
当然、騎士科学園生の剣舞と魔法士科学園生の魔法演舞とを組み合わせて行う公式行事である「合同演舞」は、アンリにとって、はなから検討の対象にすらなっていなかった。
「合同演舞なんて、俺、これまで一度も考えたことがなかったんですけど」
「それなら、これからちょっと考えてみてくれない? 大丈夫、アンリ君なら簡単だと思うから」
「でも俺、普通の魔法演舞だってあんまり見たことないですよ」
「あら、そうなの? じゃあ、観に行ってみる?」
朝の訓練室におけるサニアとのこんな軽いやり取りの結果として、アンリは今、イーダの街の中心に近い場所へ来ている。チケットが用意できたから授業が終わったら来るようにと、授業と授業の合間の休み時間にサニアからの伝言を受け取ったのだ。幸い授業後に予定はなかったので、彼女の誘いをそのまま受けることにして、今に至る。
教えてもらった住所はおそらくここだろうと、アンリは目の前の大きなテントのような建物を見上げた。テントのような、と言っても本物の移動式テントではない。旅芸人の一座による仮設劇場を模して造られた、常設の劇場だ。
入口には簡単な看板が立っていて「魔法戦士のドラゴン退治」と書かれている。おそらく今日の演目だろう。まだ開場していないようで、建物の中に入っていく人の姿は見られない。
「アンリ君、おまたせ!」
そうしてアンリが劇場の様子を観察しているところに、ようやくサニアが現れた。アンリが制服の上着を脱いだだけの姿なのに対して、彼女は小綺麗なワンピースに着替えている。
「あれっ、アンリ君、制服のままで来たの? つまらないじゃないの」
「……着替えたほうがいいですか?」
「うーん、ま、いいかな。もう始まっちゃうし」
見ればちょうど会場の扉が開き、周囲で待っていた人たちがぱらぱらと中に入っていくところだった。間もなく公演が始まるのだろう。常識的に考えれば、着替えのために学園の寮まで戻っている時間はない。
(俺なら急げばすぐだけど……ま、そこまで頑張るほどのことでもないか)
どうしても必要なら、魔法で行って帰ってくることもアンリならできる。しかしその必要性は感じなかった。街中の大衆劇場だけあって、中に入っていく人たちの格好はまちまちだ。お洒落をしている人も中にはいるが、ほとんどが近所を散歩しているだけのような格好で入っていく。身なりに気を遣うような劇場ではないのだ。サニアは野暮な服装のアンリをからかっただけだろう。
サニアに促されて、劇場の中に入る。
入ってすぐのところには受付があり、サニアがチケットを提示するとそのまま通してもらえたが、どうやらチケットを持っていなくても、ここで幾らかの木戸銭を払うことで中に入れてもらえるようだった。
その先は階段で、いくつかの踊り場で折り返しながら、学園でいえば二階分ほどの高さを上る。そうしてたどり着いたフロアで改めて扉をくぐれば、その奥が会場だった。外から見て感じたよりもずっと頑丈で、壁も扉も分厚く、しっかりとした建物だ。街中に常設の劇場を建てるにあたって、音や振動が外に漏れない造りにしたのだろう。
会場の中は外から見て感じたよりも広く、奥に向けて緩やかに下る階段状になっていた。奥の一番低いところに半円形の舞台が設置されており、それを囲むように、およそ二百人分の観客席が配置されている。階段状になっているので、どの席からでも舞台がよく見える。
何よりアンリが感心したのは、窓ひとつないというのに、外とほとんど変わらない明るさが保たれていることだった。
「すごい数の魔力灯ですね」
「目の付け所がさすがね。でも始まったら、もっと面白いんだから」
弾むような明るい声で言ったサニアは、そのままアンリを舞台近くの席まで連れて行った。舞台に向かってやや左側、斜めに舞台を観る席だ。
「中央がいいって言う人もいるけど、この演目なら私のおすすめはこの辺り。ドラゴンにかかった魔法がとってもよく見えるの」
「ドラゴンにかかった魔法?」
「それは観てのお楽しみ。ほら、そろそろ始まるから」
サニアの言うように、会場内の魔力灯の明かりが、ゆっくりと暗くなりはじめた。いつの間にか舞台上に立った演者が、間もなく開演する旨をよく通る声で宣言する。
どなた様もごゆるりとお楽しみください——舞台上でのその言葉を合図に、魔力灯の明かりは完全に消え落ち、会場は暗闇に包まれた。
どうだった、と会場の外でサニアから感想を求められて、アンリははっとして考えにふけるのをやめた。
「あ、ええと、すごく、すごかったです」
「何それ」
咄嗟に言葉を思いつくことができなかったアンリのことを、サニアが遠慮なく笑った。気まずく思って目を逸らしながらも、アンリは改めて言葉を探す。
「ええと、まず思ったよりも魔法の技術が高くてびっくりしました。実用的な魔法でなくても、こんなに研鑽して技術を発展させているんだなあって。それから、魔法器具の使い方も効果的で、ちょっと感動しちゃいました」
サニアに連れられて入った劇場の中で上演された魔法演舞は、音楽と踊りが組み合わされた演舞に、魔法や魔法器具による演出が加えられた豪華なものだった。
開演と同時に明かりの消えた魔力灯は、その後再び点灯し、舞台上を明るく照らし出した。そのうえ、舞台の動きに応じて赤や黄色、青、緑、紫とさまざまに色を変え、演舞に華やかな彩りを添えた。
舞台上で繰り広げられたのは、魔法戦士がドラゴンを討伐するために旅をする物語だ。旅の過程で狼を倒し、毒蛇を倒し、獅子を倒し、最後に辿り着いた山の火口でドラゴンを倒す。偉業を成し遂げた魔法戦士は人々から勇者と称えられ、かねてより想いの通じ合っていた姫と結婚する——そんな華々しいロマンス。
「剣を振るたびに火とか光とかがパチパチ散るのが面白かったです。雷魔法も使っていたから、結構豪華に見えましたし。ちゃんと剣が敵にぶつかるタイミングで魔法を使うっていうのが上手でしたね。本人がやるならともかく、舞台袖にいる魔法士が魔法を発動していましたよね。よほど練習しないと、あんなふうに絶妙なタイミングで魔法を使うのは難しいんじゃないかな」
戦闘の場面を思い返しながらアンリは言う。
旅の道中における小話や姫との恋愛譚などもあったが、やはり全体の中で見せ場となっていたのは戦闘の場面だった。魔法がふんだんに使われ、舞台が明るくなった。
「敵が強くなると少しずつ魔法の規模が大きくなるのも、迫力が増してよかったですね。そういえば、最初の狼と毒蛇のときは、そもそも敵の攻撃の演出は魔法器具だけでしたし。それが獅子のときには魔法も加わって、かなり派手になりましたね。あと、サニアさんの言うとおり、ドラゴンの鱗を七色に光らせる魔法は、さっきの席からだとすごく観やすかったです。ただのハリボテみたいな作り物なのに、一枚一枚の鱗が動きに合わせて輝くから、本当に生きているみたいに見えました。まあ、本物のドラゴンの鱗は光らないですけどね。それから、ドラゴンの炎魔法を、火を使わずに水魔法の蒸気と魔力灯の赤い光で表現するのはいい発想だなって思いました。たしかに少し火花を散らすくらいならともかく、あそこで本物の炎魔法なんて使ったら建物焦げちゃいますもんね。それからドラゴンに対峙したときの魔法戦士の……」
あのときの魔法がこうだった、ああだったと、アンリの話は延々と続く。学園までの道のりをゆっくりと歩きながら、アンリはひたすら喋り続けた。
話に付き合ってずっと頷いたり相槌を打ったりを繰り返していたサニアだが、やがて分かれ道に至って「ごめんねアンリ君、私、こっちだから」とアンリの話を遮った。アンリははっとして足と言葉を止める。
「ごめんなさい。俺ばっかり、ずっと喋っちゃって」
「いいの、いいの。それだけ気に入ってくれたってことだと思うから」
長々とアンリの話に付き合わされたにもかかわらず、サニアは機嫌良く笑顔で言った。恐縮するアンリに「今日はありがとう」と笑顔のまま続ける。
「そんなふうに楽しんでもらえて、本当に良かった。これを機に、ぜひ交流大会の演舞のことを考えてみてちょうだい。まずは、話だけでも聞いてもらえると嬉しいかな。明日、また連絡するから」
そういえば、とアンリは当初の目的を思い出す。交流大会の種目を選ぶにあたって「合同演舞」を選択肢に入れるかどうか。これまで魔法演舞になどほとんど関心を抱いていなかったアンリだが、こうして実際に観てみれば、意外と面白いものだった。
「そうですね……考えてみます」
アンリの返事に、サニアはいっそう嬉しそうな笑顔をみせた。




