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アンリがイシュファーから呼び出されたのは、休み明けの日の昼休みだった。
呼び出された先は、魔法器具製作部の作業室。広い作業室の中にいたのは、イシュファーだけだった。新人勧誘期間が終わり、交流大会までも間のある今、昼休みの時間にまで熱心に魔法器具製作に取り組もうという部員はいないらしい。魔法工芸部と同じだ。
「イシュファーさん、こんにちは」
そんな中でも奥の作業台で、台の上に広げた設計図らしき紙をじっと睨むように見つめていたイシュファーは、アンリが声をかけるとすぐに顔を上げた。
「やあ、アンリ君。呼び出して悪かったね、どこか適当なところに座って」
勧められるままに、アンリは近くの作業台にあった椅子に腰掛ける。イシュファーはそれまで広げていた設計図をくるくると手早く丸めて棚にしまうと、アンリのもとへやってきた。
「昼休みにごめんね、手短に済ませるよ。この間の、防衛局への就職の話なんだけど」
ああ、とアンリはそこでようやく、イシュファーからの話の内容に思い至った。
年が明けてからというもの、新人勧誘があって、終わったと思えば入部した新人の指導があって、その後はレオとの模擬戦闘があった。防衛局でも新人訓練を見学し、さらには新人に紛れて訓練に参加までした。
そんなふうにバタバタと忙しくしていたものだから、イシュファーとの間にあった話のことを、すっかり忘れてしまっていたのだ。
防衛局研究部の採用試験に合格したイシュファーだが、せっかく合格したにもかかわらず、防衛局に入るかどうかは保留にしたいと申し出たらしい。アンリは研究部のミルナからイシュファーの説得を頼まれた。ところがイシュファーはアンリの説得に応じないどころか「考えがまとまったら言うから」と、はぐらかすようにして理由も教えてくれなかったのだった。
あれははぐらかされたのではなく、イシュファーの本心だったらしい。
「……その顔。アンリ君、僕の話を忘れていたんでしょ」
「えっ、いや、まあ、あはは……」
心中を見透かされて、アンリはうまく誤魔化すこともできずに苦笑した。一方でイシュファーも苦笑しながら「そうかもしれないとは思っていたけれど」と、諦め混じりの声で言う。
「人に話したほうが、僕も考えも整理できると思うんだ。だから、もう興味はないかもしれないけれど、一応聞いてもらえると嬉しいんだけど」
「興味がないなんてことはないです」
アンリは咄嗟に言った。イシュファーとのやりとりを忘れてしまっていただけで、防衛局への就職を一度は希望しつつ保留とした彼の考えは気になる。
何より、これはミルナからの頼まれごとだ。今からでも、うまくすれば彼女に恩を売ることができるかもしれない、絶好の機会だ。
「聞いたこと、俺、たぶん防衛局の人に言っちゃうと思いますけど。それでもいいですか」
「もちろん。そのつもりで話すんだから」
改めて話すのは恥ずかしいけれど、とイシュファーは照れたように笑いつつ話し始めた。
イシュファーの話はおおむね単純で、アンリにもわかりやすかった。けれどもその分、アンリにとっては残念にも思われた。
「つまりイシュファーさんは、よりたくさんの人に使ってもらえる魔法器具作りをしたいから、防衛局じゃダメだと思っているんですか」
「ダメだって、決めつけているわけじゃないよ。でも、簡単に言えばそういうことかな」
幼い頃から複雑なつくりをした装置が好きだったイシュファーは、初等科学園の低学年の頃から魔法器具に興味を持ち始めたという。ところが子供が興味を持つような複雑で派手な魔法器具は高価で、イシュファーのように一般家庭に育った子供にはなかなか手が出せる物ではなかった。
そこでイシュファーは、見様見真似で魔法器具を自分で作ってみるようになった。もちろん高価な素材は使えないので、屑石のような魔法石や、古くなって捨て置かれているような魔法器具から取り出した部品を使うしかなかった。
その経験はイシュファーにとって楽しいものだった。しかし同時に、今後、魔法器具製作を生業としていくにあたって、ひとつの決意を固めるきっかけにもなった。
誰にでも手が届くような魔法器具を作ろう、という決意だ。
「防衛局で研究開発されるのは、戦闘用の魔法器具が中心だろう? それに、高度な技術と材料が使われている分、高価になりがちだ。僕はそういう魔法器具ではなくて、誰もが使える、誰にでも手が届くような魔法器具を作りたいんだ」
言われてみればアンリがこれまでに見たイシュファーの魔法器具製作は、その主義に見合ったものだった。たとえば彼は、便利だが高価になってしまう魔法無効化装置などは作らず、魔法の威力を弱める程度の、安価に作ることのできる魔法器具を好んで作っていた。
彼はそうやって、多少性能が劣っても万人が使える魔法器具を作りたいと考えているらしい。
魔法器具製作を行える場として、一度は防衛局を志望した。しかしよく考えてみれば、防衛局では、自分の目指す魔法器具製作ができないのではないか——イシュファーは、そう考えているらしい。
誤解だ、とアンリは思った。
「防衛局の魔法器具は、戦闘用だけじゃないですよ。たとえばマリアの使っている魔力放出補助装置も、防衛局で開発されたものです。あれは戦闘用だけじゃなくて、魔力放出困難症に悩む全ての人の役に立つものです」
「まあ、そうだね」
アンリの説明に、イシュファーは動揺することなく笑って頷いた。
「戦闘用の魔法器具ばかりじゃないことは、わかっているよ。でも、やっぱり中心になっているのは戦闘用のものだろう? 魔力放出補助装置だって、元々は魔力放出困難症の人にどうやって魔法戦闘をさせるかっていうところから研究が始まったんじゃないかな」
「そんなことはないですよ」
「アンリ君、知っているの?」
イシュファーが笑いながら首を傾げる。アンリは言葉に詰まった。知っている、と頷くわけにはいかない。あの魔法器具の開発者がアンリであることは、イシュファーには伝えられない事実だ。ここで隠さなければならない自分の立場がもどかしい。
「……知らない、ですけど。でも結果としては、誰にでも使える魔法器具になっているじゃないですか」
「そうでもないよ」
アンリの反論にも、イシュファーは涼しい顔をして言い返した。
「魔力放出補助装置は高価だからね。学園では貸し出してもらえるけれど、卒業してしまったらどうしようもない。お金持ちなら自分用を用意できるだろうけど、そうじゃない人は、結局魔法を使わずに生きていかなくちゃならない」
「……今はそうでも、いずれは」
「その『いずれ』をつくるのは、きっと防衛局ではなくて民間の研究所だ。防衛局の出した情報をもとにいろんな研究所がそれぞれの角度から改良を重ねて、多様な魔法器具をつくるんだ。もしかしたら、僕は、そういう仕事のほうが自分に向いているんじゃないかと思ってね」
昨年の交流大会で作品を展示して以来、いくつかの研究所から誘われるようになったのだとイシュファーは言った。
「南にあるトルカという街を中心に活動している非営利の研究所から、特に熱心に誘われているんだ。その研究所は、古い魔法器具や壊れた魔法器具を集めて、新しい魔法器具に生まれ変わらせることを中心に活動しているらしい」
活動内容を聞いて、イシュファーは強く興味を惹かれたという。たしかにイシュファーの元々の主義から考えれば、その研究所の在り方は魅力的だろう。
「……じゃあ、そこの団体に就職するんですか?」
「いや、実は、それもまだ決めきれないでいるんだ」
イシュファーは首を振って苦笑しながら「恥ずかしい話だけど」と言った。
「僕はこうして誘われるまで、そういう非営利の研究所があるっていうことを知らなかったんだよ。防衛局とか、有名な商品を出している大きな研究所しか考えていなくてね」
誘われて初めてそういう団体があることを知り、イシュファーは衝撃を受けたのだという。そんな研究所があったのか、自分にはそんな道もあったのか、と。
それから彼は、様々調べたそうだ。そうして、トルカにあるその団体以外にも同じようなことをしている研究所が各所にあることを知ったらしい。
それを含めて今は考えているところなんだと、イシュファーは続けた。
「非営利の研究所は、僕にとって魅力的だ。けれど学園を卒業したばかりの僕が行ったところで、どれだけの役に立てるだろうかと思ってね。それなら防衛局でしばらく修行を積んで、それから別の道を考えたほうが良いかな、とか——防衛局の人たちには、申し訳ないけれど」
アンリが防衛局の人の知り合いであるということを思い出したように、イシュファーは申し訳なさそうに微笑んだ。しかし、言葉を撤回するつもりはなさそうだ。
「……つまり、まずは防衛局に就職して、それから別のところに転職するつもりってことですか?」
「絶対にそうすると決めているわけじゃないけどね。そもそも防衛局に入らないかもしれないし、あるいは防衛局に入ったとして、僕の考えがそこでまた変わるかもしれない」
なるほど、とアンリは感心して深くため息をついた。卒業後の進路を決めたらずっとその道、と思い込んでいたアンリにとっては、イシュファーの言うことこそ、まったく新鮮な、衝撃的なものに聞こえた。
考えてみれば、なぜこれまで思いつかなかったのだろうかと不思議にも思う。防衛局職員から学園教師に転じたトウリ、傭兵から家庭教師に転じたエイクスなど。アンリの身の周りにも、例は多い。
「……と、まあ、そんなことを考えていて、せっかく合格させてもらったんだけれども、防衛局のことは保留にしたくなったんだ」
アンリが色々と考えている間に、イシュファーは言葉を続けた。
「この話、そのまま防衛局の人に伝えてもらって構わないよ。それで合格が取り消しになるようなら、それはそれで、仕方のないことだと思うから」
わかりました、とアンリはただ頷くしかなかった。本当は「大丈夫ですよ」と言いたいところだが。ミルナなら、この程度のことでイシュファーを諦めたりはしないだろう。きっとこの話も踏まえて、イシュファーが防衛局に入りたくなるような策を講じるに違いない。
イシュファーも防衛局に入ることになれば、きっと彼女の執念に気付くだろう。そうなったら、いずれイシュファーと、ミルナのことで愚痴を言いあったり、ミルナの研究について語り合ったり、どうやったらミルナから逃れることができるかと相談することもあるのだろうか——そんなことを、アンリはぼんやりと考えた。
防衛局の研究部に入れば、イシュファーはきっと活躍するだろう。そんな彼と、アンリはどういう立場で話すのだろうか。彼と同じくミルナの指示に奔走する研究部職員としてか。あるいは、ミルナからの「お願い」を断りきれない戦闘職員としてだろうか。
いずれにせよ、そうなれば、自身の立場を偽る必要はもうなくなっているはずだ。
(……卒業後に防衛局に戻るなら、イシュファーさんだけじゃなくてほかの人たちとも、そういう話ができるようになるんだよな)
アンリはまだ想像することしかできない将来を思い描いて、思わず緩みそうになる顔をなんとか引き締めつつ、「それじゃあ、俺はこれで」と作業室を出た。
誰になんと言われようと、将来の道はまだ決めない。今度の交流大会を含めて、まだまだ学園生活で経験すべきことが山とある。エルネストたちに魔法を教えるのは楽しいし、レオは腹の立つ奴だったが、同級生と模擬戦闘を行う経験は悪くなかった。学年が上がれば、授業で習うことも増えるだろう。あるいはイシュファーが経験したように、自分がこれまで全く考えもしなかった道を新たに見つけることもあるかもしれない。
そんな様々な可能性を、今は排除したくないとアンリは思う。
けれども、ありのままの自分を受け入れてくれる場所。自分の魔法力を隠すことなく、自然体で過ごすことのできる場所。
そんな場としての防衛局に、アンリはこれまで以上に魅力を感じ始めていた。
第11章、ここまでとなります。
次の章も、またお付き合いいただけると嬉しいです。




