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 戸惑いを隠せないアンリを前にして、レイナは厳しい口調を崩すことなく言葉を続けた。


「減点の対象は大きく二点。まず、この模擬戦闘は君が申し出たことだと言っていたな」


 アンリは恐る恐る頷いた。レオに挑発されたうえでのこととはいえ、模擬戦闘をしようと申し出たのはアンリだ。その事実は否定しようがない。


 そもそも否定しなければならないような、やましい事実ではないとアンリは思っていた。しかしレイナの厳しい目を前にすると、考えは揺らぐ。実は途方もない間違いを犯したのではないかと不安が募った。


「ええと……だめ、でしたか? 先生に立会いをお願いしての模擬戦闘であれば、認められていると思いましたけど」


「もちろん、模擬戦闘そのものは問題ない。むしろ推奨されていることだ。学友同士の模擬戦闘は、魔法力の向上に大いに有効だ」


 だが、とレイナは低い声で続ける。


「模擬戦闘の目的は、あくまでも互いの魔法力の向上にある。君たちのように模擬戦闘を喧嘩の手段として用いることは、あってはならないことだ」


 喧嘩の手段、という言葉にアンリは眉をひそめた。違う、喧嘩などではない。アンリはただ理由もなく睨まれることに我慢ができなかっただけだ。


 レオにしても、アンリの本来の力を引き出そうと画策しただけのはずだ。そこにアンリへの恨みや妬みが少なからず入っていたとしても、「喧嘩」などという言葉で括られるようなものではない。


「……色々と言いたいことはあるのだろうが」


 アンリの不満顔を見て、レイナはため息でもつきそうな呆れ顔で言った。


「互いの魔法技術の向上を目指した模擬戦闘でないことは明らかだろう。寮に戻って、冷静な頭でよく考えて反省しなさい。このような模擬戦闘は、二度と行わないように」


 反論を許さないレイナの言葉を、アンリは眉をひそめながらも大人しく聞いた。


 レオとの模擬戦闘を「喧嘩」と言われてしまうことには不満がある。一方でレイナの言うとおり、魔法力を高めるという本来の意義から遠く離れた模擬戦闘であったことは、アンリも認めざるを得なかった。


 アンリから反論がないことを確認するように間を置いてから、レイナは「二点目は」と続けた。


「戦闘中に、うわの空でいたことだ。模擬戦闘中は常に戦闘に集中するようにと、普段から授業でも教えているはずだ」


 模擬戦闘は魔法力を高めるための有効な手段の一つではあるが、魔法による攻防を行うという性質上、当然ながら危険が伴う。その危険を最小限に留めるためにも、模擬戦闘を行う際には必ず戦闘に集中すること。わずかな不注意でも致命的な失敗に繋がる危険があることを、模擬戦闘に臨む際には常に意識すること。

 魔法戦闘の授業において、耳にたこができるほどレイナから聞かされていることだ。


「……べ、別に、うわの空だったわけでは」


「目の前の模擬戦闘以外のことを考えていただろう。だから、相手の剣の鋭さにも気付かない」


 アンリは言葉に詰まった。たしかにアンリは目の前の戦闘そのもののことよりも、どうやったら不自然にならずに負けることができるかということばかり考えていた。考えながら剣をぶつけ合っていたから、レオが模擬戦闘には不向きなほどに鋭利な剣を使っていることに、最後のぎりぎりのところまで気付けなかったのだ。


 打ち合ったときの手応え、剣の音、レオの視線や態度。気付くための材料は、そこかしこにあったはずだ。戦闘に集中していれば、見逃さなかっただろう。


「君はレオの行いに憤っていたようだが、君の態度も、相手に対しては失礼だった。そのことも自覚しなさい」


 思わず漏れそうになった舌打ちを、アンリはなんとかこらえた。感情を排して理性だけで考えるなら、まったくもって、レイナの言うとおりだ。反論の余地はない。ただ相手がレオであるという、その一点のみによって、アンリの感情が素直に反省することを拒んでいる。


 しかしそんな子供っぽい感情を見られたくないという意地もあって、アンリは強いて心を押し隠し、無表情に沈黙した。


 アンリの態度を見て、レイナは肩をすくめた。


「講評は以上。二人とも、魔法や戦闘の技術以前の問題だ。よく反省し、二度とこのような模擬戦闘は行わないこと。良いな」


 アンリは素直に頷くことができずに、口を閉じて視線を逸らせた。横を見遣ればレオも同じように、苦い顔をしてそっぽを向いている。


 それでもレイナから「良いな」と念を押されれば、結局は二人とも頷かざるを得なかった。






 講評を終えたレイナはさっさと帰るかと思いきや、そうはならなかった。講評を続けるかのような姿勢でその場に留まった彼女は、怪訝に首を傾げるレオとアンリをそれぞれ見遣ると、首を振って大きくため息をついた。


「……君たちは、もうずっとそんな調子だな。不満があるなら互いに言葉で伝えたらどうだ」


 突拍子もない言葉に、アンリは思わず目を丸くした。まさかレイナに介入されるほど、レオとの不仲が目立って見えているとは。


「ご、誤解です、先生。俺は別に、レオに対して何も……」


「何もなくて、先ほどのような試合になるわけがないだろう」


 ぴしゃりと言われて、アンリは口を閉じる。


 たしかに、いつも睨んでくるレオのことを鬱陶しく思っているのは事実だ。その気持ちが、模擬戦闘でははっきりと表に出てしまった。


「お、俺だって、別に……」


「レオ・オースティン。私から見ると、普段は君のほうこそ彼を敵視しているように見える。何か言いたいことがあるのだろう。この際だから、全て言ってしまったらどうだ」


 肩をすくめるレイナはどことなく面倒くさそうで、教師としてというよりも、ただ年長者として助言をしているような様子に見えた。まさかレイナがこんな顔を見せるとは、とアンリは驚くばかりだったが、レオにとってはそんなことを考える心の余裕もなかったらしい。「俺は」とか「でも」とか、ためらうように口ごもった挙げ句、しばらくしてようやく「わかりました」と覚悟を決めた様子でレイナに対して頷いて、それからアンリに向き直った。


 いつものように、憎いものを見るようにアンリを睨む目。しかし今はその視線の中に、決然とした、レオの覚悟が含まれているようにも見えた。


「アンリ・ベルゲン。お前、本当はクラスの誰よりも魔法力が高いだろう」


「えっ」


 何を言われるかと思えばそんな言葉がレオから飛び出したものだから、アンリは拍子抜けして間の抜けた声を上げてしまった。


「な、なんのことだか……」


「ほら、そういう態度だ。俺は、お前のそういうところが許せないんだ」


 ごまかそうと口を開いたアンリの言葉を、レオが苛立たしげな声で遮った。


「お前の魔法力が高いのは間違いない。見ればわかる。それなのにわざわざ魔法力を低く見せて、授業にも本気で取り組んでいないだろう」


「……本気じゃないなんてことはないけど」


「嘘をつけ。……もっと言えば、お前ほどの魔法力があるなら、当然将来は防衛局に行って、国のためにその力を生かすべきだ。それなのに全く意味のない職業体験を選んだうえ、交流大会でも種目に迷っているなんて、ふざけたことを言う。実力があるんだから、模擬戦闘でその力を発揮して、将来の道をさっさと決めるべきだ」


 その強引な物言いに、アンリは閉口した。もはや言い返す言葉さえ思い浮かばない。そうして黙っているうちに、レオはさらに言い募る。


「望んでもその場に立てない者がいることを、お前はまるでわかっていない。自分がどれだけ恵まれているか、ちゃんとわかっていれば、そんな振る舞いはできないはずだ」


「恵まれているって……」


「どんな訓練を積んだかは知らないが、それだけの魔法力だ。生まれつきのものもあるだろう。魔法力に恵まれたことに感謝し、世のため人のためにそれを役立てることこそ、お前の取るべき道だ。それをのらりくらりと、自分の役割から逃げているから腹が立つんだ」


 アンリが途中で言葉を挟もうと黙らなかったレオだが、ここまで言って、ようやく言葉を止めた。どうやら言いたいことは全て言い尽くしたらしい。アンリを憎むような視線は変わらないものの、その中に、ようやく言ってやったぞという達成感が見て取れた。


 しかし、言われたほうはたまったものではない。


 一拍置いて、言われた内容を理解したアンリは、カッと頭に血が上るのを感じた。


「…………っ」


 言葉にならない怒りに、つい体が動きそうになる。けれども「手を上げた」などと言われることになるのも癪で、ぐっとこらえて拳を強く握った。


「……俺のことなんて、何も知らないくせに」


 アンリがかろうじてそれだけ言うと、レオはアンリの怒気にやや怯んだ様子ながらも「み、見てわかることもある」と、強気に言い返した。


「たしかに俺は、お前のことなんて知らない。でも、お前が魔法力を隠す卑怯者だってことは……」


「卑怯なのはどっちだ!」


 アンリが怒鳴ると、レオはびくりと肩を震わせて言葉を止めた。それどころか、その場にペしゃりと情けなく座り込んでしまう。


 そのレオの反応が、アンリの怒りに油を注いだ。この程度で怖気づくくらいなら、最初から文句など付けなければいいのに。


「自分が何をやったのか、全然わかっていないだろ! こっちが黙っているからって、調子に乗って。俺がどれだけ気を遣って、無かったことにしてやろうと……」


「落ち着け、アンリ・ベルゲン」


 レオのほうに一歩踏み出して言葉を続けようとしたアンリの肩を、レイナが強く掴んだ。


 反射的に、アンリはその手を振り払う。なぜ止めるのか。振り返って問おうと口を開いたが、言葉は喉で止まった。


 振り返った先のレイナは、痛みを堪えるように眉を顰めていた。一瞬のことで、表情はすぐに取り繕われたが、アンリは気付いた。肩に置かれた手を振り払ったとき。アンリの力が強すぎたのだ。


 激昂しているときの不意の動きで、きっと、魔力が乗ってしまったのだろう。レイナの右手が、ただ叩かれただけとは思えない様子で赤く腫れている。


 レオに対する怒りは、急速に冷めた。アンリは自分のやってしまったことに対する恐ろしさと恥ずかしさとで、頭に上っていた血が急に下がったように感じながら、恐る恐るレイナに謝った。


「ご、ごめんなさい、先生……その……」


「いや。今のは、急に掴んだ私が悪かった」


 腫れた右手を左手で隠すようにして、レイナはバツが悪そうに言った。


「君の意見は正当だ。だが、落ち着きなさい。感情的になっては話し合いもできないし……強すぎる力は、それを示すだけで暴力になり得る」


 レイナに視線で示されて、アンリはもう一度レオに目を向けた。アンリを恐れて座り込んでしまったレオは、情けなく眉を歪めて震えている。冷静になった目で見ると、彼に対して怒りを向けていたことが、申し訳なく思えるほどだ。


「…………別に俺、怖がらせたかったわけでは」


「わかっている。しかし、大きすぎる魔力というものは、ときに本能的な恐れを呼び起こす。君は普段、とても上手に魔力を制御しているが、感情的になると失敗することもあるようだね。そのことには、自分で気がついていたか?」


 アンリは力無く首を振った。結果を見れば、自分が魔力の制御に失敗していたのだということはわかる。ただ怒鳴っただけで、あのレオがこうも怖気付くわけがない。最大の失敗として、レイナに怪我をさせてしまった。


 いずれも、冷静になって結果を振り返り、初めて気付いたことだ。事が起こったその瞬間のアンリには、魔力が制御できていないという自覚はなかった。


 今までにも、こんな失敗をしたことはなかった。もちろん幼い頃には魔力の制御に失敗し、周囲に迷惑をかけたこともある。けれどもここ数年、そんな醜態は隊長の前でさえ晒したことがなかったのに。


 意気消沈するアンリを見て、レイナはひとつ息をつくと、レオに向き直った。


「レオ・オースティン。君はもう帰りなさい。話は明日にしよう」


 今日のことをよく反省した上で、明朝、教員室に来るように。レイナからそう指示されたレオは、よろよろと立ち上がると、アンリには目も向けずに、逃げるように訓練室を出ていった。


 睨まれるのは腹立たしい。誤解があるなら解消したい。しかし、こうして恐れられることを望んでいたわけではなかったのに。


「さて、アンリ・ベルゲン。君とはこの場で少し話をしておきたいのだが。良いかな」


 レイナのいっそ優しげな申し出に、アンリは深くため息をつきながら頷いた。

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