(26)
三日間はあっという間で、すぐにレオとの模擬戦闘の日がやってきた。アンリは結局、ウィルと少々話をした日以来、まともな作戦も考えずに今日を迎えている。つまり、アイラくらいの力に抑えて戦闘に臨み、三回のうち一回くらいは負けてやる。その程度の簡単な計画しか考えていないということだ。
(でも、アイラと同じ程度って思うと、負けることもなさそうだよな。そこはうまく加減しないと……)
魔法戦闘の授業を一緒に受けているため、レオの魔法力はだいたいわかっている。以前から付き合いのあるアイラの魔法力は、なおのことだ。
レオは一組の中でもかなり魔法のできるほうで、威力の強い戦闘魔法も使えるし、模擬戦闘における魔法の使い方もうまい。それでもアイラの魔法力にはまだ遠く及ばず、もしも二人が普通に模擬戦闘をするならば、アイラが負けることなどあり得ないだろう。
(ちょっとミスしましたっていう感じが良いかな)
そんなことを考えながら、アンリは訓練室の扉を開ける。無観客を約束しているので、今日はウィルすら一緒に連れてくることができなかった。よく使っている部屋ではあるが、こうして一人で入ろうと思うと、どことなく緊張を覚える。
「遅かったな」
中ではすでに、レオ・オースティンが待っていた。訓練室の真ん中で仁王立ちして、アンリを睨み据えている。視線を少し右に向けると、審判役のレイナもすでに到着していた。レオに比べると涼しい顔をしていて、無感情にアンリに目を向けている。
しまったな、とアンリは気まずさを覚えた。
時計を見れば、約束の時間にはまだ少し間がある。だから、レオを待たせたことには何の痛痒も感じない。しかしこちらから審判役をお願いしたレイナが先に着いているというのは、申し訳ない状況だ。
「すみません、先生。お待たせしました」
「構わない。まだ時間には早いだろう。準備があるなら、時間までは待つ」
レイナの寛大な言葉を受けて、アンリは恐縮して頭を下げる。
人によっては模擬戦闘前に、肩慣らしのためにいくらか簡単な魔法を使うことがある。あるいは準備運動も大切だ。もしかするとレオも、そのために約束の時間よりも早くに訓練室に着いていたのかもしれない。レイナもそれに備えて、早くに来てくれていたのだろう。
しかし肩慣らしも準備運動も、アンリには不要だ。レオに対してそこまで時間を使いたくないという意地もある。
「俺は大丈夫です。すぐに始めても」
アンリの答えに、レイナは「そうか」と短く応えた。レオも不満げに舌打ちするが、特段、口を挟むことはなかった。準備の仕方は人それぞれ、ということはさすがに心得ているようだ。
「では、中央で向かい合いなさい。早速始めよう」
レオも既に、準備は終えているらしい。
アンリはレイナの言葉に頷いて、訓練室の中央で待つレオのところへ歩みを進めた。
模擬戦闘が始まった。レイナの合図を受けて最初に動いたのは、アンリだ。試合開始とほぼ同時に、氷魔法により十数本の槍を作り出し、レオに向けて発射する。
模擬戦闘では実力の低い者が先に攻めるという暗黙の了解がある。しかし、アンリとレオは同じクラスメイト。実力はともかく立場上は、どちらが先攻を取るべきというルールもマナーもない。
つまり、早い者勝ちだ。
(一回戦は、実力差を見せつけて勝つ)
氷魔法を発射すると同時に、アンリ自身もレオに向けて駆け出した。槍は盾で防がれることが前提だ。さすがにそれだけで勝てるほど甘い相手ではない。
槍がどうなったかは見もせずに、アンリは走りながら手元に木魔法で短剣を作り出した。あわせて風魔法でレオの足元に強風を吹かせ、土魔法で地面を崩す。
(このままバランスを崩してくれれば……)
バランスを崩したレオの足をさらに木剣で払って倒せば、それでこの一戦目は終わる。
しかしさすがにアンリに喧嘩を売っただけあって、レオもそう簡単には終わりにさせてくれないようだ。同じ風魔法でアンリの魔法を打ち消すと、地面から跳び上がって足下の崩壊と木剣による攻撃から逃れる。
(それなら空中で叩く……っていうのは短絡的か)
攻撃を続けるなら、振り抜いた木剣を返しざまに空中のレオに向けるのが定石だろう。しかし瞬間的に嫌な予感を覚えたアンリは攻撃を止め、その場を離れるように駆け抜ける。
直後、レオのすぐ横、攻撃を続けていたらアンリがいたであろう場所に雷が落ちた。レオが眉を顰めて舌打ちをする。攻めてくるアンリに雷魔法をぶつけるつもりだったのだろう。黒く焦げた床が、その魔法の威力を示している。
もしもあのまま攻めていたら、とアンリは冷や汗をかいた。
「……危ないことをするね。雷なんて当たったら、ただじゃ済まないんだけど」
「このくらい、お前なら簡単に避けるか防ぐかするだろう。現に、ちゃんと避けてみせたじゃないか」
あくまでも模擬戦闘だから、命を奪うほどの攻撃は禁止されている。レオの使った雷魔法は、その程度を超えているように見えた。けれども、レオの言うとおりでもある。ちらりと横目で審判役のレイナを窺うが、彼女にも試合を止めようとする気配はない。
相手の反則による勝ち、という楽な選択肢はないらしい。
(まあ、元々正攻法で勝つつもりだし)
すぐに気持ちを切り替えて、アンリは木剣を握り直した。もう一度攻め込むために、大きく足を一歩踏み出す。
その踏み出した足が、ぐにゃりと、予想外の柔らかさの地面に沈んだ。
「…………っ!」
レオの土魔法だろう。アンリが先ほどやったことの逆をやられただけだ。しかしアンリはバランスを崩して、その場で転倒する。
転んだ先に、先ほどと同じ雷が襲ってきた。
(よしきた……っ!)
アンリはすぐさま、魔法を反射する結界を自分の周りに張った。転倒したのも、そもそもわざとだったのだ。レオの雷魔法を誘い、はじき返して彼の近くに着弾させ、驚かせてやろうという考えだ。
バチンとはじける音とともに、雷は結界に弾かれて、レオのいる方向へと跳ぶ。ここで想定外だったのは、雷魔法が偶然にも、ちょうどレオにぶつかる軌道ではじかれてしまったことだ。
(あっ、あぶなっ……)
アンリは慌てて雷魔法に干渉し、軌道を修正して雷がレオへ直撃するのを防いだ。空中で不自然に曲がった雷が、レオのすぐ右側に落ちる。
アンリに落ちそうになった雷が、弾かれてレオに向かい、さらに軌道を変えてレオの横に落ちる。瞬きほどの間に起こった一連の流れに、レオ自身はすぐに反応できなかったようだ。一秒ほどおいてから、自分の危機に気づいた様子で目を見開く。
さらに少しの間をおいて、レオは最終的に何が起こったのかというところまで悟ったらしい。眉を吊り上げ、「ふざけるなっ!」と大声で叫んだ。
「俺の魔法だっ! 情けをかけられるいわれはない!」
「そんなこと言われたって。実際、反応できていなかったじゃないか」
「うるさいっ。当たったからといって、死ぬほどの威力があるわけはないだろう! 俺が負けるだけだ! お前なんかに庇われるより、百倍マシだ!」
なんなんだこいつは、とアンリは舌打ちする。
たしかにあの雷には、確実に命を奪うほどの威力はなかった。しかし命に関わる大怪我に繋がりかねない強さはあった。そのことを、レオは自分でわかっていないのだろうか。
そもそもアンリは、助けてやった礼を求めているわけではない。単に模擬戦闘の基本的なルールに則って、相手の命の危険や重大な怪我を防いだだけだ。
それに対して何だかんだと、見当外れの文句を並べ立てて。
(負けたほうがマシだと言うなら、そうさせてやる!)
それまでの駆け寄るという速さの比ではなく、アンリは一瞬でレオとの距離を詰めた。もちろん魔法を使ってのことだ。レオには何の反応を取る隙も与えない。
背後を取って、彼の両手をまとめて背中側に回す。左手でその両手を押さえ、右手に握った木剣を彼の首筋に当てる。
相手の身動きを封じる。あるいは致命的な攻撃を相手に加えられる状況をつくり出す。どちらも模擬戦闘の勝利条件だ。
「そこまで。勝者、アンリ・ベルゲン」
状況を見て取ったレイナが、冷静な声でアンリの勝利を宣言した。
それを機にアンリが手の力を緩めると、レオはさっと身を離してアンリに向き直る。負けてなお、その目にはアンリへの強い敵愾心が溢れていた。強くアンリを睨みつつ、口を開く。
「やっぱりお前、いつも授業ではふざけているんだろう。お前のようにふざけたやつに、俺は負けない。三回戦だからな。あと二回は、必ず負かしてやる」
なるほど確かにウィルの言うように、レオはアンリの実力を感じ取っているのかもしれない。それでいて、授業中に全力を出さないアンリに苛立ちを感じているのだろう。
しかし、そうだとしても。
(ふざけているなんて、言われる筋合いはない)
アンリだって、必要に迫られて実力を隠しているのだ。決してふざけているわけではない。人の事情も知らないで、勝手な思い込みでこれほどの敵意を向けられるのではたまらない。
レオの言葉に、アンリは肩をすくめて「できるものなら」と短く返した。
(絶対に、こんなやつには一回たりとも負けてやるもんか)
作戦は変更だ。
次の試合に勝って、さっさとこの模擬戦闘を終わらせよう。
アンリは苛立ち混じりに、そう考えた。




