(21)
アイラと向かい合ったアンリは、さてどうしようかと考えを巡らせる。
ここは魔法戦闘部の新人勧誘の場だ。部外者であるアンリが勝つのはよくないだろう。
かといって魔法戦闘部の宣伝をするためのこの場でつまらない試合を見せることになれば、それはそれで、アイラやウィルに迷惑をかけることになる。
アンリに求められているのは、ほどよく試合を盛り上げ、それでいて自然に負けることだ。
「なんだか難しいことを考えていそうな顔ね? 何も考えずに、ただ私との模擬戦闘に付き合ってくれれば良いのよ」
そう言って、アイラが魔法を放つための準備を始める。初っ端から重魔法を使いそうな様子に、アンリは焦る。
「ま、待てよアイラ。こんなところで、なんて魔法を使おうとしてるんだ。周りが危ないだろ」
「あら、大丈夫よ。さすがに私だって、加減はするわ。それに、貴方がいるんだもの。観客に被害なんて出るはずがないでしょう?」
その無茶な言い分にアンリは唖然としたが、ぼんやりしている暇はなかった。審判が、今にも試合開始の宣言をしようとしている。さすがに重魔法に対応しようと思えば、アンリにも魔法の準備が必要だ。
「始めっ!」
アンリの準備が終わるか終わらないかというところで、試合が始まってしまった。アイラが一片の躊躇もなく、準備していた魔法を放つ。やはり重魔法。それも攻撃性に優れた炎と雷を重ねた魔法だ。
(何が加減だ……っ! こんなの、下手したら部屋が壊れるだろっ!)
心中で悪態をつきながら、アンリは急いで防御用の結界魔法を発動する。周囲に被害が出ないよう、魔法を闇雲に跳ね返すのではなく、当たった魔法を吸収し、霧散させる結界魔法だ。
アイラの放った重魔法が、アンリの展開した結界魔法にぶつかる。バチバチと、魔法同士のせめぎ合う音が響いた。魔法の力は拮抗しているようで、どちらが勝っても不思議ではない。突破されたときに備えて次の魔法の準備をしながら、アンリは様子を窺う。
バチッと一際大きな音がして、結界魔法が重魔法を吸収しきれずに弾いてしまった。弾かれた重魔法が観客席に向かう。アイラが一瞬、驚いたような、焦ったような顔になった。実戦ならその瞬間を狙って攻めに転じただろうが、今は模擬戦闘だ。アンリもそんな真似はしない。
それよりも、弾け飛んだ魔法の処理のほうが大事だ。
幸いにも重魔法は、それまでの魔法のせめぎ合いによってずいぶんと威力を落としていた。観客たちのところへ至る前に自然と空中で霧散して消えたように見せかけるのも、難しいことではなかった。
魔法が消えたことで、アイラは安堵の顔を見せた。しかし、すぐに眉をひそめてアンリを睨む。アンリが魔法を消したことに気付いたらしい。
「…………最初から、そうやって片付ければ良かったじゃないの」
「それじゃ盛り上がらないだろ」
アイラの小言におざなりに言葉を返しながら、アンリは手元に木魔法で短い木剣を二本用意した。単なる魔法による攻防は、見学者たちも前の二戦で見飽きているはずだ。魔法を使いながらの近接戦闘のほうが、見応えがあるだろう。
アンリが両手に木剣を持って攻めると、アイラも氷魔法で長剣を作り出してそれに応じた。剣を振るいながら、アイラは氷魔法や水魔法、木魔法や雷魔法、火魔法まで、あらゆる魔法を使う。単純にアンリの気を引いて隙を作ろうとするだけの魔法もあれば、火魔法を胸の真ん中に撃ち込むような直接的な攻撃もあった。その都度アンリも何かしらの魔法を使って防ぎ、回避する。
「ちょっ、アイラ、火は危ないだろ、火はっ」
「貴方を相手に何をやったところで、危ないことなんてないでしょ」
審判にさえ聞こえないほどの小声で色々と言い合いながら、剣と魔法による攻防を続ける。どうやらアイラも二年生に見られているということは意識しているようで、大きな声を出すことはなかった。それでも、ほとんど本気に近い戦い方だ。彼女はいったい、この模擬戦闘をどう収めようとしているのだろうか。
(……そうだ、このまま長引けば、さっきと同じように引き分けに持ち込めるんじゃないか?)
試合が長引きそうな場合には引き分けにする、と先ほど説明があったばかりだ。同じ理屈で、この試合も引き分けになるかもしれない。アイラはそれを狙っているのかもしれない……とアンリが期待しはじめたところで「ちなみに」とアイラが言った。
「引き分けは期待しないことね。この試合、長くなりそうなことは審判の子にちゃんと伝えてあるから。部活動が終わる時間にならなければ、引き分けにはしないことになっているわ」
アンリは舌打ちしながら、アイラの放った雷魔法を土魔法の壁で防ぐ。
部活動の終わりの時間までは、まだだいぶ時間がある。そもそもアンリは、そんなに長い時間、魔法工芸部の新人勧誘の場を空けるつもりで出てきたわけではなかった。少し見学するだけで帰ろうと思っていたのに。
(なんとかして、うまくどこかで負けないと……)
試合を終わらせたいが、勝つわけにはいかない。かといって、下手な負け方をして観客の興を削ぐのも良くない。
最近では魔法戦闘の授業の中でわざと負けることにも慣れてきたアンリだが、これほど真剣に考えて負けようとしたことは今までにない。何しろアイラがほとんど本気の勢いなのだ。もう少し攻勢を弱めてくれれば、逆に負けようもあるものを。
(このまま近接戦闘で負けようとすれば、怪我しそうだ。痛い思いをしないで負けるには、やっぱり魔法戦に戻ったほうが良いか)
剣と剣のぶつかり合いが続き、そろそろ見るほうも飽きてきただろう。ちょうど良い頃合いだと判断したアンリは、右手の木剣をわざとアイラの氷剣にぶつけるように振るった。
剣と剣のぶつかる鈍い音。アンリは衝撃を逃がすように後ろに跳んで、アイラから距離を取った。剣の間合いから抜け出れば、近接戦闘は終わりだ。
アンリの意図に気付いたらしく、アイラは悔しげに顔を歪めながらも剣を下ろし、魔法の準備を始めた。今度の魔法は重魔法ではないようだ。さすがのアイラも、一度の試合で何度も重魔法を使えるほど魔力に余裕はないらしい。
放たれた魔法は氷魔法だった。アイラの十八番だ。
氷の槍が十六本、アンリに向かって飛んでくる。槍を受け止めるために、アンリも氷魔法で空中に十六個の盾を浮かべた。槍が盾とぶつかって、バリンと耳障りな音を立てる。
アイラとアンリの氷魔法はほとんど互角だ。ぶつかり合った槍と盾は一瞬のせめぎ合いの後、どちらもパリパリと砕けて、氷の粒として床に落ちる。
全ての槍と盾が落ちると、アイラはすぐに再び同じ氷の槍を用意した。今度は十三本。本数が減ったのは、魔力切れの前兆だろうか。
アンリも改めて十三個の氷の盾を用意した。
先ほどと同じことが十三箇所で繰り返される、と観客の多くは思っただろう。しかし、その予想は外れた。十三本の槍のうち一本だけ、落ちない槍があった。その一本は耳障りな音と共に氷の盾を打ち砕くと、そのままアンリの胸元に迫った。盾で防ぎきれなかった槍を防ぐ手立ては、アンリにはない。
ドンッと鈍い音と共に、槍がアンリの胸に当たった。幸いにも盾との衝突で一部が欠けて脆くなっていた槍は、もはや刺さるほど鋭くはなかった。アンリにぶつかると同時に、槍はぽっきりと折れて地面に落ちる。
そして刺さりはしなかったものの、槍による重い衝撃で、アンリはその場で尻餅をついていた。
対戦相手に大きな魔法を当てて倒した。戦闘不能とするところまでいかなくとも、十分に、勝利の要件を満たす状況だ。
「勝者、アイラ・マグネシオン!」
審判の声が響いた。観客からの歓声が聞こえる。興奮した二年生たちの声のほかに、魔法戦闘部の部員たちの声も混ざっているようだった。きっと、自分たちの部活動の仲間が勝って、安堵していることだろう。
一方で勝利したはずのアイラは、にこりともしていなかった。むしろ不満げに、むっと口を歪めている。
仕方がないな、とアンリは立ち上がって制服についた汚れを払う。普通は勝者が手を差し伸べて立たせてくれるものだと思うのだが、どういうわけか、アイラにその気はないようだった。
「何が不満なんだよ」
アイラに近づいて小声で問うと、彼女はむすっとしたまま、試合中と同様に声量を抑えて答えた。
「貴方がわざと負けたことよ。最初から最後まで、手を抜いていたでしょう」
なんて無茶を言うんだ。アンリは呆れて眉を寄せる。
「当たり前だろ。魔法戦闘部の新人勧誘なんだから、この場で俺が勝つわけにはいかないって」
「勝ってはいけないなんて、誰も言ってはいないでしょう。私はただ、貴方と魔法戦闘がしたかっただけなのに」
「それなら場所を選んでよ、こんな大勢の前で……」
「貴方の魔法力なんて、今さら隠したってしようがないでしょう」
小声でひそひそと、二人で言い争う。
どうやらアイラは魔法戦闘部の新人勧誘など二の次で、ただアンリと模擬戦闘がしたかったようだ。だからこそ、自分が勝たねばならないという気持ちは特になかったのだろう。アンリが穿って考えすぎたのかもしれない。
……いや、周囲で見ていた部員たちの安堵した顔を見れば、必ずしもアンリの考えが穿ちすぎていたとも言えないだろう。アイラが独断専行したのを、周囲が止められなかったといったほうが正しいのではないだろうか。
「はいはい、二人とも。そんなところで喧嘩していないで、ちゃんと二年生たちに顔を見せてあげて」
いつの間にか近くに来ていたウィルが、アンリとアイラの間に割り込むように立った。そうして強引に二人の顔を観客である二年生たちのほうへ向けると「紹介します!」とにこやかに声を上げる。
「今の凄まじい模擬戦闘で見事勝利したこちらは、三年一組のアイラ・マグネシオン。彼女はこの魔法戦闘部で次の部長になることが決まっているから、二年生の皆にとってはこの部活動で一番関わることになる先輩かもしれないね」
さらりと重大なことを説明するウィル。アンリはぎょっとしてアイラを見遣ったが、当のアイラは気にしたふうもない。
やはり勝たなくてよかった、とアンリは胸を撫で下ろす。魔法戦闘部の新人勧誘のためのデモンストレーションにおいて、部外者が次期部長に勝ってしまったとしたら。アイラは気にしないかもしれないが、周りは気にするだろう。
「そして今回、次期部長である彼女の相手を務めてくれたこちらは、三年一組のアンリ・ベルゲン」
アンリが色々と考えを巡らせているうちに、ウィルはアンリの紹介まで始めていた。
「彼は、実は魔法戦闘部の部員ではないんだけれど、今日はさっきの模擬戦闘のために、特別に来てもらったんだ。彼ほど面白い魔法戦闘のできる人は、残念ながらうちの部員にはいないからね」
観客の二年生たちがどよめく。そんな内情を暴露してしまって良いのか、とアンリも驚き慌ててしまう。しかしウィルは二年生たちの反応もアンリの動揺も無視して、にこやかに話を続けた。
「ちなみに、彼は魔法工芸部の部員なんだ。今日このあと、時間があれば魔法工芸部の新人勧誘用の展示を見ていくといいよ。彼がつくったものを含めて、いろんな作品が見られるからね。それに、彼も今これが終わったら、自分の部活動に戻るはずだ」
そうだよねとウィルに問われて、アンリはぎこちなく頷く。見ていた二年生の中で、ざわめきが生まれた。興奮した面持ちで「行ってみようかな」とか「あの先輩と話せるのかな」とか。隣同士で囁き合う言葉は、好意的なものが多い。
「言ったでしょう、悪い話ではないって」
横からアイラが小声で言った。どうやらこうして魔法工芸部の宣伝をするところまで、考えの内であったらしい。それならそうと、最初から言ってくれればよいものを。
魔法工芸部に戻ってみれば、部長のキャロルは「ちゃんと宣伝はできたかしら」とにこにこしながらアンリを出迎えた。どうやらキャロルにも話は通っていたらしい。
騙された気分だとアンリは肩を落としたが、魔法工芸部の見学者がぐっと増えたのは、アンリにとっても嬉しい結果だと言わざるを得なかった。




