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朝の訓練でアンリが魔法工芸部の新人勧誘のことを話題に出したからだろうか。
その日の夕方、魔法工芸部の展示の見学に、エルネストとクリスの二人がやって来た。二年生のための展示会場に一年生二人だけで来る勇気がなかったらしく、テイルが二人の引率役をしていた。テイルは部活動に所属していないので、この時期だからといって忙しいということはないそうだ。
「なあ、アンリ。今、もしかして暇か?」
「よくわかったね」
展示を見て回り、感激したような声をあげるエルネストとクリス。そんな二人を扉近くからぼんやりと眺めながら、アンリはテイルの問いに、おざなりに答えた。
新人勧誘期間三日目。昨日までの客入りが嘘のように、今日の魔法器具製作部と魔法工芸部の展示場所は閑散としている。見に来る二年生がほとんどいないので、実演も体験もない。当然、監督役のアンリにも出番がない。
原因は、少し考えればすぐにわかった。今日から魔法戦闘部の体験入部が始まったのだ。魔法を習いたての二年生なら、誰もが憧れる魔法による模擬戦闘。それを体験する機会を逃すまいと、魔法戦闘部に行ってしまった二年生が多いのだろう。
「やっぱり魔法戦闘部って、人気なんだなあ」
アンリの呟くような一言に、テイルは首を傾げて「そうだっけか」と苦笑した。
「たしかに魔法を始めてすぐの頃は、かっこいいなって思ったけど。でも、すぐに気付くんだよな。かっこいい魔法戦闘ができるのなんてごく一部の奴だけで、自分にはそんなの無理だって」
「そんなこと……」
「そりゃもちろん、努力次第だってのはわかるよ。でもさ、そんなに努力してまで魔法戦闘がしたいかっていうと、そうでもないんだよな。ちょっとカッコいいから憧れてましたってだけで、そこまでじゃないんだ」
テイルはそう言って肩をすくめる。アンリにはいまいち共感できない話だが、これはテイル自身の経験談なのかもしれない。
心配するな、とテイルは笑って言った。
「今日明日くらいでそういう奴も我に返って、他の部活動のことを考えるようになるだろ。そうすれば、またここにだって人が戻ってくるさ」
そういうものかな、とアンリは再びぼんやりと魔法工芸部の展示を眺めた。展示会場は、もはやエルネストとクリスの貸切状態だ。今日の案内担当であるイルマークとキャロルが、一つ一つの工芸品について丁寧に説明している。二人はその都度驚いたり感激したりと、とても好ましい反応を示していた。二人が素直だからということもあるが、それだけ良い作品が集まっているということでもある。
新人勧誘のための展示は、今日を含めてあと三日。今日明日で二年生の目が覚めたとしても、明後日はもう最終日だ。これだけ良い作品を集めたというのに、もったいない。
どうにかして、今日も明日も、もう少し二年生を呼び込むことができないだろうか。アンリがそんなふうに頭を悩ませていると「ねえ、アンリさん」と、いつの間にか近くに寄ってきていたキャロルから声がかかった。
「このお二人がね、いろんな魔法系の部活動を見てみたいって言うのよ。せっかくだから、魔法戦闘部とかを案内してきてあげてくれないかしら」
えっ、とアンリは言葉が出ずに固まった。
アンリの気など知らずに、キャロルはにこにこと無邪気に微笑んでいる。
魔法工芸の実演や、体験の指導を頼まれるのかと思ったら。
まさか新人勧誘において敵であるはずの魔法戦闘部に後輩を案内するように言われるなどとは、思ってもみなかった。
アンリはクリスとエルネスト、ついでにテイルを連れて、二年生の体験入部が行われているはずの魔法戦闘部へと顔を出した。思うところはあったものの、結局、笑顔のキャロルに有無を言わさず送り出されてしまったのだ。
「……なんで俺、こんなところに来ちゃったんだろう」
体験入部による活動はすでに始まっていて、訓練室内ではそこかしこで、二年生対上級生の模擬戦闘が行われていた。使う魔法の制限があるのか、それほど派手な魔法戦闘にはなっていない。だからこそ、同じ部屋の中でいくつもの模擬戦闘を並行して行うことができるのだろう。
模擬戦闘の邪魔をしないよう、アンリはエルネストたちを引き連れて部屋の隅のほうに寄る。目立たないようにほどほどに見学して帰ろうと思っていたのだが、見学を始めてすぐに「あら、アンリじゃないの」と声がかかってしまった。訓練室の中央から、アイラが目ざとくもアンリのことを見つけたのだ。器用にも模擬戦闘の隙間を縫って、アンリに近寄ってくる。
「ウィリアムからは、来ないと聞いていたのだけれど」
「……俺だって、来ないつもりだったんだけど」
「ちょうど良かったわ。このあと、上級生同士の模擬戦闘を二年生に見学してもらおうと思っているのよ。アンリ、あなたも参加するでしょう?」
「なんでだよ。俺、部員じゃないんだけど」
「部員でなければ参加できないなんてルールはないわ。それに、貴方にとっても悪い話ではないはずよ」
アイラはそれだけ言うと、踵を返して部屋の中央へ戻っていってしまった。相変わらず強引だな、とアンリは眉を顰める。
一方、アンリの隣でやり取りを見ていたエルネストとクリスの二人は、きらきらと期待に目を輝かせた。一年生二人ほどあからさまではないものの、テイルまで興味津々の目をアンリに向けている。
「……やるとは言っていないんだけど」
最後の悪あがきとして、アンリは小さな声で抗議した。しかし、その途端に八の字に歪むエルネストの眉を見てしまったら、もう「わかったよ」と言うしかない。模擬戦闘への参加は避けたいと思っていたが、弟分の期待を裏切るわけにはいかない。
再びエルネストの表情が輝く。アンリは苦笑しながら「勝てるとは限らないから、あんまり期待しないで」と、一応言うだけは言っておくことにした。
魔法戦闘部の新人勧誘の場なのだ。いくら弟分たちに良いところを見せたいとは言っても、やって良いことには限度がある。
どう振る舞うべきかは、さすがのアンリでもちゃんとわかっているつもりだった。
二年生対上級生の模擬戦闘が一段落すると、アイラの言っていたとおり、上級生同士の模擬戦闘が始まった。二年生に見せるための模擬戦闘なので、広い訓練室の中央を使って、一試合ずつ行うようだ。最初に行われたのは、アンリの知らない部員同士の試合だった。
一方が風魔法で相手を吹き飛ばすほどの強風を吹かせ、もう一方はそれを土魔法で作った壁で防いだ。しかし風は強力で、土の壁は端からボロボロと崩れていってしまう。このまま続ければ、いずれ土壁が壊れて試合は終わるだろう……と思いきや、不意に風魔法が途絶える。
土魔法が使われていたのは、防御だけではなかった。訓練室の中央、試合が行われている辺りの地面が全体的にぬかるんで、向かい合った二人の足が足首まで地面に沈んでいる。
土魔法を仕掛けた側は自分の仕掛けた魔法だから、足が沈んだところで動揺はない。一方風魔法で攻めていたほうは、突然足元が緩んだことで身体のバランスを崩してしまった。集中を維持することができずに、風魔法が中断してしまったのだ。
その隙に、土魔法によって床から大きな鎖が生える。風魔法を途絶えさせてしまったほうは、なすすべもなく土の鎖に縛り上げられた。試合終了だ。
「ねえ、アンリさん……」
試合が終わったところで、エルネストがこそこそと小声でアンリに呼びかけた。エルネストのひそひそ話に付き合うために、アンリは彼のほうへ耳を寄せる。
「今の土魔法、自分まで床に沈む必要はあったんですか?」
「うーん、必要は無いとは思うけど」
エルネストに合わせて、アンリも彼の耳元に向けて小声で返す。
「たぶん、相手の足下だけを狙えるほど魔法制御が得意じゃないんだな。でも、自分の魔法力に合わせて上手く戦っていたと思うよ」
「……なるほど」
「ちなみに風魔法のほうは、ちょっと足元が崩れただけで魔法が止まっちゃったけど。あれも訓練次第で、多少のことには動じずに魔法を続けることができるようになるよ」
「そうなんですね……」
エルネストなら訓練次第で、近い将来、今の模擬戦闘よりもうまく魔法を扱えるようになるだろう。そんな気持ちでアンリは言っているのだが、エルネストはどことなく他人事のように感心して頷くばかりだ。
続く試合にはウィルが出てきた。エルネストとクリスが、ぱっと顔を輝かせる。テイルも「おっ」と前のめりになった。
相手はアンリの知らない生徒だったが、ウィルとの対戦が組まれる程度には魔法が上手いのだろう。
試合開始の合図とともに、ウィルが水魔法を十発撃ち放った。へえ、とアンリも興味深く思って、改めて試合に意識を向ける。ウィルが先に攻めたということは、相手のほうが格上ということだ。四年生かもしれない。
ウィルの撃った十の水魔法は、素早く相手に迫った。相手は氷魔法で小さい盾のようなものを十個作って、ウィルの水魔法を防ぐ。無駄のない的確な防御だ。
ウィルが更に水魔法を十発放つ。同じように相手が氷魔法で防ぐ。再び水魔法が十発、氷魔法も十個……そうして、同じことの繰り返しが始まった。とはいえ、同じなのは魔法の種類だけだ。ウィルは毎回狙う位置を変えているし、水を撃ち出す速さやタイミングをずらすことで、防御に穴が生まれるように誘っている。一方で防御するほうは、それにうまく対応し、全く隙を見せない。
「……なんだか長引きそうな試合だな」
二人の魔法のやり取りを見ながら、アンリはぼそりと呟いた。こういう模擬戦闘は、守る側がミスをするか、どちらかの魔力が尽きるかといった終わりを迎えることが多い。しかし氷魔法で防御している彼の魔法は、アンリから見てもかなり巧い。そうそうミスなど起こさないだろう。一方ウィルも、最近は魔力量がかなり増えてきた。水魔法程度であれば、日が暮れるまで撃ち続けることができるはずだ。防御側の魔力にも、相当余裕がある。
なんならこのまま試合が長引いて部活動の時間が過ぎれば、アンリが模擬戦闘に出る必要も無くなるのではないだろうか。そんな希望をアンリが抱いたその瞬間、ピィーッと、鋭い笛の音が響いた。
「両者、引き分け!」
引き分けなんていう決まりまであったのか、とアンリは目を丸くする。
引き分けを宣言した審判役の部員がそのまま観客に向けて、引き分けのルールについて説明した。魔法戦闘部では限られた訓練場で多くの部員たちの模擬戦闘ができるよう、あまりに長引きそうな試合は途中で「引き分け」として終了することにしているそうだ。
どうやら今の模擬戦闘は、戦闘を見せるのと同時に、引き分けというルールを入部予定の二年生たちに知ってもらうためのものでもあったらしい。しかし、とてもそのためだけに行われたとは思えない高度な魔法の応酬だった。アンリは感心してため息をつく。
しかし、そうして感心してばかりもいられなかった。試合を終えたばかりのウィルが、そのままアンリの元にやってくる。
「来てくれて嬉しいよ、アンリ。アンリが来なかったら、僕がアイラとの試合をやらされていたところだった」
そう言って、ウィルは強引にアンリの手を引いて立たせる。訓練室の中央には、いつの間にか満足そうに微笑むアイラの姿があった。
(やっぱり、やらなきゃいけないのか……)
アンリは先ほどとは違った意味でため息をつきつつ、諦めとともに訓練室の中央に立つアイラのもとへ向かった。




