(19)
翌朝。訓練室を借りていつもの訓練を行いながら、アンリはコルヴォ、サンディ、ウィリーの三人を相手に、どうしたら二年生から入部届をもらえるかを相談することにした。
「あんなにたくさんの人が見にきてくれているのにさ。どうしていまだに、入部する人が誰もいないんだと思う?」
訓練中に突然問われた三人は戸惑い顔だ。それでも、ややあって、サンディがおもむろに口を開く。
「ええっと。まだ、二日しかやってませんし。これからじゃないでしょうか」
「そうかなあ。……サンディは少し、話すと端のほうの魔力がぶれる癖があるね。せっかく綺麗な薔薇をつくれているんだから、花弁の先まで意識して形を保つようにして」
う、とサンディが言葉に詰まった。彼女は水魔法を使って、薔薇の花を空中に浮かべる訓練をしているところだった。最近では繊細な魔力の操作を覚え、水魔法で極めて細かい形まで精巧に作ってみせる彼女だが、まだまだ話しながらそれを完璧に維持するところまでは至っていないらしい。
こうして会話をしながら魔法を使うことこそ、彼女にとっては良い訓練になるだろう。
「サンディの言うとおり、たしかにまだ二日だ。でも、魔法器具製作部のほうはもう入部希望者が結構いるんじゃないかな。コルヴォは何か知ってる?」
話を振ると、コルヴォが水魔法で作っていた大きな朝顔が、波打つように小さく震えた。一度きりではあったものの、失敗は失敗だ。アンリは肩をすくめてコルヴォを見遣る。
「自分に話が来るかもしれないって、わかってただろ。そんなに驚かなくても」
「いや、驚いたってわけじゃないんですけど。話をしようとすると、どうしても」
と答えている間に、朝顔が再び波打った。どうやら驚いたからということではなくて、単純に、魔法に対する集中力が少しでも欠けると形の維持が難しくなってしまうらしい。
サンディに比べると、コルヴォの魔力操作はまだ粗い。たとえ集中していたとしても、多くの花弁が複雑に重なる薔薇を水魔法で作ることは、コルヴォには難しいだろう。そのうえ集中を欠いたときの魔法の崩れ方も、サンディに比べると大きい。この一年間の訓練でだいぶ成長してはいるものの、まだまだ発展途上だ。
「コルヴォには集中して複雑な形を作る訓練と、簡単な形であれば話しながらでも作れるようにするための訓練の両方が必要だな。とりあえず今日は、話しながら簡単な形を作ってみようか。朝顔よりももっと簡単なやつで試そう。葉っぱとかはどうかな」
アンリは自分の手の上で、人の顔くらいに大きな蓮の葉の形を作ってみせる。小さくても良かったのだが、きっとコルヴォには大きいほうが作りやすいだろう。案の定、コルヴォはすぐにアンリと同様の大きな葉を作ることに成功した。
「それで、魔法器具製作部のことは何か知ってる?」
「さ、さあ。ええと……そういえば、クラスの子が一人、魔法器具製作部に入部届を出したって言ってました」
「そっか。じゃあ、少なくとも一人は入部届を出したんだ。魔法工芸部に入りたいって言っている子はいないの?」
「興味を持っているっていう子なら……あっ、あっと……ええと、興味を持っているって言ってた子はいます」
途中でぐらりと、風に吹かれたように葉が歪んだ。黙って集中して作るならそれほど難しい形ではないはずだが、やはり話しながらというのが大きな障害になっているらしい。
アンリとしてはただ魔法工芸部のことが気になって相談を始めただけだったのだが、これは意外と、三人のために良い訓練になるかもしれない。この調子で続けてみようと、アンリは更に隣のウィリーに目を向ける。
「ウィリーはどう? 誰か、魔法工芸部に入りたがっている子を知っている?」
「僕も、コルヴォと同じですよ。興味があるって言っている子は知っているんですけど、すぐに入部届を出そうというほどに心を決めているわけではなさそうでした」
「……ウィリーは話しながらでも、綺麗に形を維持できているね」
ウィリーが作っているのは小手毬の花だ。数多くの小さな花が毬のように丸く集まっているさまを水で表現するには、極めて繊細な魔力操作が必要だ。花弁の多い薔薇と良い勝負だろう。それをウィリーは、話しながらでもしっかりと維持できている。たいしたものだ。
アンリが褒めると、ウィリーは嬉しそうな笑顔になった。しかし残念ながら、笑顔になったとたんに、一つ一つの花がふわっと溶けるようにくっついて、全体で一つの球体になってしまった。
あっと叫んだウィリーの挽回は速い。すぐに球はたくさんの花の集合体になり、何事もなかったかのように小手毬の姿でウィリーの手の上に浮かんだ。
それでも、失敗したという事実を取り消すことはできない。
「……できたと思っても、油断しないこと。ときにはその油断が命取りになる」
アンリがあえて重々しく言うと、ウィリーは苦笑して頷いた。
それにしても、結局どうしたら魔法工芸部への入部届を出してもらえるのかはさっぱりわからない。まだ日数はあるのだからとのんびり構えておいてよいのか、それとも何か策を練るべきなのかさえアンリにはわからなかった。
「ウィルはどう思う?」
アンリは離れたところで的撃ちの訓練をしていたウィルに声をかけた。こちらの話が耳に入っていない可能性も考えていたのだが、ウィルはごく自然に「どうだろうね」と話に加わった。
「サンディが言うように、まだ二日しかやっていないんだから何とも言えないね。でも、打てる手があるなら今から考えておいたほうが良いと思うよ。勧誘期間はあと三日しかないんだし」
そんなことを言いながらも、ウィルは的撃ちを続ける。話しながらであってもウィルの水魔法は百発百中だ。アンリは半ば呆れて肩をすくめる。
「ウィルにはもう、その的当ては簡単すぎるだろ。魔法の種類を変えるか、的の大きさとか位置とかを調整しようか」
そうだねえ、と言いながらもウィルは木魔法で指の先から蔦を生み出すと、それを器用に的まで伸ばして中心を撃ち抜いてみせた。どうやら水魔法以外でも、魔法の正確さは変わらないらしい。魔法の種類を変えること以外で、訓練の難度を上げる必要があるようだ。
そんなウィルの姿を見て、コルヴォたち三人は唖然としていた。アンリとの話を終えてうまく作れていたはずの花や葉の形が、全て崩れてしまっている。アンリはため息をついて「自分のことに集中して」と三人に声をかけた。三人は慌てて自身の水魔法の形を整える。
そんな三人にちらりと目を向けて、ウィルが微笑んだ。
「まあ、魔法工芸部のことは心配しすぎなくて良いんじゃないかな。なんといっても、すでに優秀な二年生が三人も入部しているわけだし」
ウィルに言われて、アンリも気付く。
ずっと一緒に部活動をやっているので忘れがちだが、コルヴォたち三人は二年生。本来であれば、これから部活動に入ろうという学年だ。
二年生をゼロから勧誘しなければならない他の部活動と違い、魔法工芸部は三人からのスタートなのだ。まだ入部届をもらえていないからといって、悲観する必要がどこにあるのか。
「たしかに。さすがウィル、冴えてるね」
「いや、冴えてるっていうか、当たり前のことを言っただけなんだけど……」
それを当たり前と言えるのがウィルのすごいところだ。明るい気持ちになったアンリは、ウィルの使っている訓練用の的の近くに、土魔法で三つ、小さな的を追加で設置する。
「とりあえず、即席だけれどこんな感じでどうかな。四つだから、さっきよりは難しくなるでしょ」
「それぞれの的に当てれば良いの?」
ウィルが頓珍漢なことを言って首を傾げた。アンリは「まさか」と笑う。ただ四つの的それぞれに当てるだけなら、今やっている訓練とたいして変わらない。ウィルには簡単すぎるだろう。
「一つの水魔法で、四つ全部に当てるんだよ」
こういう感じで、とアンリは自ら水魔法を使ってみせた。普通の的当てであれば撃ち出すときだけ魔力を使うものだが、四つの的を一度に落とそうと思うとそれでは足りない。撃ち出した水に魔力を込めたままにする。そうして一つ目の的に当てた後、水を操って向きを変え、二つ目の的に向かわせる。同じことを繰り返して、四つの的すべてに水を当てる。
要は、自分の思うように水を動かす訓練だ。本質的にはコルヴォたちがやっていることと変わらない。しかし操るべき水が手元ではなく遠いところにあるぶん、難度は格段に上がる。
アンリのやった手本を見て、ウィルは引きつったような笑みを浮かべた。
「ねえ、そんなこと、僕にできると本当に思ってるの?」
「練習すればできるよ。別に、今日できるようにならなくたっていいだろ」
「…………卒業までにできるかな」
大袈裟なことを言いながら、ウィルが深々とため息をついた。しかしやる気はあるようで、さっそく四つの的に向けて水魔法を撃ちだしている。一つ目の的に当たった水は、少しだけ向きを変えたが、到底二つ目には届かずに地面に落ちた。
ウィルは難しそうに眉を寄せているが、初めてで向きを変えられただけでも大したものだ。これなら卒業までと言わず、今年のうちに自在に水魔法を操れるようになるかもしれない。
(ウィルがどこまでできるようになるのか、楽しみだな。……あ、魔法工芸部のこと、もうちょっとちゃんと聞いておけばよかった)
二年生が三人いるから焦る必要はないが、それでも新人を増やすためにできる限りのことはしておくべきだろう。魔法工芸部の二年生を増やすために何ができるか、何をすべきか。相談したかったのに、ウィルは新しい訓練に夢中で、とてもアンリの話し相手にはなってくれそうにない。
(……自分で考えるか)
手遊びに手元で水の薔薇やら小手毬やらを作りながら、アンリはため息をついた。




