(17)
都合の悪いことはさっさと忘れることの多いアンリにしては珍しく、朝の不機嫌を昼休みにまで引きずっていた。
「本当に、俺、あいつに恨まれるようなことをした覚えはないんだけど」
食堂で昼食をとりながら、マリアやエリック、イルマーク、ハーツ、ウィルといういつもの仲間たちを前に、アンリは不機嫌に愚痴を言う。
「まあまあアンリ君、落ち着いて。とにかく模擬戦闘で決着をつけようっていうことになったんでしょ?」
エリックが苦笑交じりに、アンリを宥めるように言った。まあね、とアンリは不機嫌ながらも頷く。
すると、アンリの不機嫌を吹き飛ばすほどの明るさで、マリアが「それなら!」と声をあげた。
「アンリ君がレオ君をぼっこぼこにするところ、私も見てみたい!」
「ちょっと、マリアちゃん……」
「なかなか爽快そうですね。私も興味があります。その模擬戦闘は、いつどこで?」
なだめようとするエリックに対して、マリアとイルマークは模擬戦闘に乗り気だ。ところがアンリは「そういえば」と首を傾げた。
「いつどこでやるかとか、細かい話はしなかったな。近いうちが良いんだろうけど」
「近いうちって。アンリ、これから部活動が忙しいだろ。そんな暇あるのか?」
ハーツの冷静な言葉に、アンリは「そういえばそうだなあ」と、さらに首を捻った。
今日から部活動の新人勧誘期間だ。これから数日は、授業が終わればすぐに魔法工芸部の展示場に行かなければならない。役目のない休憩時間にも魔法器具製作部や魔法戦闘部の催しを覗きに行きたいと思っているので、アンリに暇な時間はない。
さらに、新人勧誘期間が終わっても、それで魔法工芸部の活動が終わるわけではない。むしろ入部してくれた新人たちに魔法工芸の基礎を教えるという、勧誘と同じかそれ以上に大切な仕事が待っているはずだ。
そして休日には防衛局の新人研修に顔を出す予定が入っている。こうして考えると、本来、レオに構っている時間などないのだ。
「うーん。まあ、あいつから何か言ってこないうちは、先延ばしにしておこうか」
「……そういう態度も、レオを怒らせている原因の一つのような気もするけどね」
ウィルが呆れた調子で言った。さすがにそれは否定できずに、アンリも肩をすくめるしかない。レオが本気でアンリを恨んでいる様子なのに対して、アンリのレオに対する恨みは一時的な苛立ちに過ぎない。ほかの大切な用事を思い出してしまえば、優先順位が下がるのもやむを得ないだろう。そういうところがレオの目には「へらへらした態度」と見えるのかもしれない。
「とにかく!」
アンリの物思いを、マリアの元気な声が遮った。
「いつどこでやるのか、決まったら教えて。見に行くから!」
「う、うん……あ、駄目だ。ごめん、観客なしでやるつもりなんだ」
マリアの勢いに頷きかけたアンリだが、すぐに矛盾に気がついて首を横に振った。他人の目のないところなら思う存分魔法を使うことができるから、レオにも負ける必要がない。そういう模擬戦闘をするために「無観客」という条件を付けるつもりなのに、さすがに、当の自分が友人を呼ぶわけにはいかない。
ええーっ、とマリアは不満げに下唇を突き出した。そういう顔しちゃだめだよ、と横からエリックが慌てたようにマリアをたしなめる。
「だって、最近アンリ君が思いっきり魔法を撃っているところが見られないから、つまらないんだもの。私も魔法戦闘実戦の授業、選択すればよかったかなあ」
自身で魔法を実戦することも好きなマリアではあるが、将来の道として考えているのは魔法の実戦を補助するための魔法器具を製作することだ。三年に進級する際に選んだ授業の多くは魔法器具製作の道に進むにあたって必要な知識を得るためのもの。ずいぶんと悩んだようではあるが、結局、魔法戦闘実戦の授業は選択しなかった。
代わりに選択した授業を楽しく受けているようではあるが、魔法戦闘に関する授業に出たかったという気持ちも残ってはいるらしい。
「残念だけど、マリア。魔法戦闘実戦の授業を選んだところで、アンリが思いきり魔法を撃っているところは見られないよ」
マリアをなだめるような調子で、ウィルが言う。
「授業だとアンリはだいぶ手加減をしているからね。最近では、僕でも勝てるときがあるくらいだよ」
「えっ!? アンリ君、手加減なんて覚えちゃったの!? つまんない!」
マリアが驚いた様子で叫ぶ。失礼な、とアンリはむっと顔をしかめた。覚えたわけではなく、昨年の授業でも手加減くらいはしていた。たしかに昨年は慣れない手加減に苦労し、失敗してそれなりの魔法を使ってしまったこともあったが。必要なこととはいえ模擬戦闘で負けるのが悔しくて、ついつい勝ちを重ねたこともあったか。
とにかく、そうした経験を重ねて手加減が上達したというだけで、決して、今年になって新しく覚えたというわけではない。
しかしマリアはアンリの反応など気にしたふうもなく「そっかあ」と残念そうにため息をついた。
「じゃあ、アンリ君の魔法をちゃんと見るなら、学園以外の場所じゃないとだめだね。……そういえば、交流大会は? 交流大会でも、アンリ君は手加減するの?」
「それはもちろん。もし模擬戦闘に出ることになったら、だけど」
マリアの問いに、アンリは大きく頷く。
交流大会も学園の行事である以上、学園内と同じようにふるまう必要があるだろう。観客には学園生も多く、事情を知らない学園の教師たちも見ているはずだ。そんなところでアンリが手加減無しに魔法を使おうものなら、たいそう注目を集めてしまうに違いない。その後の学園生活に差し障りもあるはずだ。
「模擬戦闘に出ることになったらって……アンリの場合、どの分野でも手加減は必要だろ?」
ハーツの何気ない指摘にアンリは考えを巡らせた。模擬戦闘のときに手加減が必要であることは考えていたが、ほかの分野でもそうだろうか。
たとえば合同演舞。これは経験が無いからあまり実感は湧かないが、おそらく魔法の実演によるものになるだろう。当然、模擬戦闘と同じで手加減が必要になる。
合同製作では製作する物によって注意が必要といったところか。魔法工芸ならそれほど得意でもないのでなんとかなるだろうが、魔法器具を作るつもりなら、これまでの自分の経験を生かした作り方は避けなければならない。なにせアンリには、研究者さえ唸らせるほどの滅茶苦茶な作り方しかできないのだから。
研究発表でも同じことで、これまでの経験に基づく知識を生かせるテーマを選んでしまったら、学園生としてはあり得ないような、とんでもない成果を出してしまうだろう。
「…………何を選ぶにしても、よく考えるようにするよ」
それがいい、と友人五人が一斉に頷いた。
交流大会でどの種目を選ぶのか。
いまだに悩んでいるのはアンリくらいのものかと思いきや、どうやらそうでもないらしい。「俺もそろそろ決めないとなあ」と頭をかきながら困ったような声を出したのは、ハーツだった。
「研究とか製作とかは俺には向いていない気がするし、かと言って模擬戦闘とか演舞なんて、上手くできる気もしないからなあ」
そう言いながら、ハーツは眉間に皺を寄せて「うーん」と唸る。そんなハーツを見て、不思議そうに首を傾げたのはマリアだ。
「ハーツ君は、卒業後はお父さんのお仕事を継ぐんでしょ? それに役立ちそうな種目はないの?」
「うちは農家だからさ。魔法の関係で役に立つようなことなんて無いんだよ」
「そっかあ、難しいんだねえ」
そう言って、マリアまでハーツと一緒になって「むむむ」と眉間に皺を寄せて悩みはじめる。そんな二人を見てエリックが苦笑しながら「でもさ」と、控えめに進言した。
「ハーツ君は、魔法を活かして家の仕事を手伝いたいと思ったから、ここの学園に来たんでしょ。魔法をどう活かせるかっていうのを調べたら研究発表ができるし、将来の役にも立つんじゃない?」
魔法の関係で役に立つことがない、と諦めるのではなく、どうすれば役に立つかを研究すること。それがそのまま研究発表の材料になるだろうとエリックは言う。
その言葉にマリアは「なるほどね!」と納得した様子で手を叩いたが、当のハーツは、眉間の皺を一層深くしてしまった。
「そうかもしれないけどさ……研究発表なんて、俺には向いてないと思うんだよ。勉強は苦手だしさあ」
体を動かすことのほうがよほど性に合っている、とハーツはぼやく。どうやら研究発表に取り組むことが身のためになるとは理解しつつ、思いは模擬戦闘や演舞といった実技のほうに傾いているらしい。
ハーツがまだこうして悩んでいることにアンリは内心で安堵したが、他の面々の様子を窺う限り、どうやら交流大会でどの種目を選ぶのかまだ決まっていないのはアンリとハーツくらいのようだ。
魔法器具製作の道に興味のあるマリアはもちろん合同製作を選ぶと言うし、エリックはウィルと同じく研究発表を選ぶとのことだった。もっとも高等科への進学を志して研究を選ぼうというウィルと、自分の性に合っているからとその選択をしたエリックとでは、研究の内容や質感には違いが出てくるのかもしれないが。
イルマークは模擬戦闘に出るつもりだという。直接聞いたわけではないが、おそらくアイラも同じく模擬戦闘だろう。アンリの周りの友人たちは、もうほとんど、交流大会での選択種目を決めているというわけだ。
(俺も、ちゃんと考えないとなあ)
もう同じことを何度考えただろうか。これまでだって、アンリはちゃんと真面目に考えてきたはずだ。しかし、答えはまだ出ていない。
希望種目の提出期限まではまだ間があるが、周りの友人たちは着々と先のことを決めている。
(早く決めれば良いってわけじゃないだろうけど……)
それでも、できるだけ早くに決めて提出したい。そうして、早く皆に追いつきたい。
アンリの中に、そんな焦りが芽生えはじめた。
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