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休日に、アンリはまた防衛局の新人研修に顔を出していた。
今度こそ誰かに顔を見られることがないようにとフードを目深くかぶって、大きな会議室の一番後ろの隅にこっそりと腰掛ける。
会議室の机と椅子は、学園の教室のように、全て前方に向くように並べられていた。前回は魔法実技の研修だったが、今日は座学だ。魔法の理論や、任務の際の決まりや心構えといったものを、講義により学ぶ場。新人たちは研修のために少人数の班に分かれているが、講義には複数の班が合同で参加するため、大きな会議室が使われる。
隊長からは、実技以外の研修には無理に参加しなくても良いと言われていた。どのみちアンリに座学の講師は務まらない。見学させても無意味だと思われているのだろう。
けれどもアンリは、座学の研修にこそ興味を持っていた。
これまでアンリは防衛局で、研修というものを受けたことがない。必要なことは日々の訓練の中で、あるいは任務の中で、先輩たちから教わった。魔法の実戦だけでなく、理論も、任務に必要な決まりや心構えも。
それが当たり前であったアンリにとって、座学の研修というものが、いまいちピンとこないのだ。魔法理論や決まりごとのような、知識を身につけるための講義ならまだわかる。けれども、座学で学ぶ心構えとは一体どういうものなのだろうか。
良い機会だから、是非知っておきたい。そう思って、アンリは敢えて座学にも顔を出すことにしたのだ。隊長も「アンリが参加したいと言うのなら」と、強いて止めることはなかった。
隅のほうに座ったのに、やはり上級職員の制服は目立つらしい。入ってきた新人たちは、アンリの姿を見つけるとぎょっとした様子で背筋を伸ばし、一礼してから自分たちの席に向かっていった。席が決まっているわけではないはずだが、前のほうから詰めて座っていく者が多く、アンリの近くには誰も近寄らない。そのほうが都合は良いのだが、なんとなく、寂しい気持ちが無いわけでもない。
とはいえ、気付かれてしまうのも困る。会議室にヤンが入ってきて「あれ、アンリ君……?」と呟いたときには、焦りで肩がびくりと跳ね上がってしまった。慌てて身振りで「内緒にしてほしい」と頼むと、ヤンはすぐに理解して、素知らぬ顔をしてくれた。
アンリが知っている先輩と研修で一緒にならないようにと、普段は隊長が気を遣ってくれている。しかしアンリが自主的に参加を希望した座学の研修にまでは目が及ばなかったのだろう。なにはともあれ、ヤンが理解のある先輩で助かった。
「皆さん、お揃いですね。それでは研修を始めます」
研修の始まる時間になると、会議室の一番前に、講師役の職員が立った。最初の自己紹介によれば、五番隊の現役の戦闘職員らしい。それでいて、彼の立ち居振る舞いはまるで学園の教師のようだ。
こういう講義も戦闘職員がやるものなのだなあと、アンリは感心して話に耳を傾けた。
会議室での説明を聞いて、アンリは愕然としていた。
フードで顔を隠しておいて本当に良かったと思えた。顔が見える状態だったら、驚いたり焦ったり戸惑ったりしているさまが、新人たちに丸わかりになってしまっていただろう。
(防衛局職員になったからって、そんなに立派な人にならなきゃいけないのか……?)
講師役の戦闘職員の語る、あるべき防衛局職員像。
それはずいぶんと立派な人物像だった。任務を忠実にこなすことはもちろん、常に国を守ることを第一に考えて行動する職員。業務中はもとより私生活においても、困っている人を助け、世のため人のために為すべきことを為す。
(そりゃあ、困っている人がいたら助けたいとは思うけど。心構えとして、こんなところで説くようなことか……?)
加えて、と話は続いた。曰く、任務をこなすにあたっても、その任務の意義を常に問う姿勢が大切だとのこと。
どんなに意味がないと思える任務でも、巡り巡って国や国民を守ることに繋がるはずである。その意義を常に意識して任務にあたり、行動すること。そうすれば行動に迷うときにも、きっと正しい道を選ぶことができるはずだ、とのこと。
たしかに、任務の意義を意識するのは必要なことかもしれない。意義のある任務にあたっているのだと思うことで、任務に対する意欲も上がるだろう。だが、アンリに言わせれば。
(そんな、全部の任務の意義なんて、考えてないよ……)
戦闘職員に命じられる任務は多種多様で、数も多い。一つ一つの意義など考え出したらきりがないし、仕事が回らない。
雪かきや街道警備、危険生物の排除くらいにわかりやすい任務なら良いが、たとえば単純な素材採取を命じられることもある。きっと研究部の職員が役に立つ魔法器具か何かを開発するために必要なものなのだろう。それでいて危険地帯でないと採取できない素材だからと、戦闘部に採取の依頼があったもの、かもしれない。
しかしそういった一つ一つの任務の事情は、想像するしかない。命令の際に事情の説明はないし、採取した素材を実際に何に使うのかは、採取前も採取後も説明されることはない。そんな任務はいくらでもある。
ただ、そのくらいのことはさすがに講師役の職員もわかってはいるようだ。
彼は爽やかな笑みを浮かべて「最初のうちは、悩むことも多いだろう」と言った。経験の浅いうちは、自分のやっていることが何の役に立つのかわからずに悩むこともあるはずだ、と。私もそうだったからねと優しく言う彼の声には、説得力があった。新人たちも、真剣な様子で彼の言葉に耳を傾けているようだ。
アンリも安堵して、思わず頷きそうになった。やはり全ての任務に意義を見出すのは難しいと、この人もわかっているのだと。
ところが彼は説得力のある声色のままに、アンリには思いも寄らない言葉を続けた。
「だからと言って諦めずに、普段から考える習慣をつけておくことが大事だよ」
任務に忙殺されようと、無意味な任務に思えようと、理不尽な命令があろうと。
その全てに意味があるのだと思って考え続けることが大切だと、彼は言った。
「わからないからと言って考えるのをやめてしまったら、君たちの成長はそこで止まってしまう。普段から考える習慣を付けておくことが重要なんだ。最初はわからないかもしれない。しかし考え続けていれば、いずれは、防衛局における自身の役割が見えてくるはずだ」
彼はそんなことを、生き生きと言い切った。そのうえ会議室に集まって研修を受けている新人の多くが彼の言葉に大きく頷いたので、アンリは唖然としてしまった。
自信に満ち、それでいて新人たちへの心遣いを忘れない優しい声で紡がれる言葉。たしかに説得力があるように聞こえるが、防衛局職員の実態を知るアンリからすれば、かなり精神論に偏っているように感じる。それを知らない新人たちだからこそ、感銘を受けてしまうのだろう。
実際に働いている防衛局職員に聞かせれば、アンリと同じように感じるに違いない。
(……いや。でも、俺が知っているのはほとんどが一番隊の職員ばかりだし。もしかして、普通の職員たちって、皆この人みたいな考えを持っているのか……?)
アンリは自分の知っている「防衛局職員の実態」に不安を抱き始めた。本当に自分は、防衛局職員の実態を知っているのだろうか。なにせアンリは研修さえ受けたことがないのだ。自分の知っている「防衛局職員の実態」なんて、彼らのほんの一面に過ぎないのかもしれない。
(だいたい、毎年新人はこういう研修を受けているってことだよな。だったら、隊長や副隊長だって、最初はこういう研修を受けて、こうやって頷いている新人たちのうちの一人だったわけで……)
考え始めたら、アンリには空恐ろしく感じられてきた。
七歳のときから防衛局の戦闘職員として働いているのだ。歴史的なことはともかくとして、現在の防衛局のことならだいたいわかっているつもりでいた。ところがこんな新人研修で語られる心構えでさえ、アンリにとっては未知の世界だ。しかも、それが新人には当たり前のように受け入れられている。講師役の職員も、嘘をついたり虚勢を張っているようには見えないから、きっと自身が常に抱いている本心からの心構えを説いているのだろう。
おかしいのは、アンリのほうなのだ。
(どうしよう。俺、研修講師なんて、できる気がしない)
もちろん隊長はアンリに座学の講師など期待してはいないはずだ。だからこそ、座学の研修には参加しなくても良いと言ってくれていた。
しかし実技であったとしても、新人たちが「上級戦闘職員」に対して期待するのは、こうした座学の講義で語られる模範的な職員であるに違いない。その期待に応えられる姿で彼らの前に立つ自信は、アンリにはない。今、この場で彼らと同じ部屋にいることさえ、気まずくなってきてしまうほどだ。
(研修講師の話はやっぱり断るか……)
元々、見学をしてできそうだと思ったら引き受ける、という約束だった。見学した結果として務まらないと思ったと伝えれば、隊長も強いてアンリに研修を任せるとは言わないだろう。
それにしても、まさか実技の見学ではなく座学の見学で、これほどの衝撃を受けることになるなんて。
アンリは顔が隠れているのをよいことに、大きくため息をついたのだった。




