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 翌日、アンリは防衛局の新人研修の場に来ていた。


 上級戦闘職員用の黒い制服の上から黒い外套を羽織り、フードを深くかぶって顔を隠す。制服の襟を高めに立てて口元を隠し、いつも任務のときにやっているように顔を隠したまま、研修に臨む新人たちの後ろに立って会場を眺めた。ちなみに外套のフードはアンリ用の特別製で、外からはアンリの目元が見えないが、アンリからは布を透かして外が見えるようになっている。ミルナに作ってもらったものだ。


 会場はイーダの中等科学園で一番広い訓練室と同じ程度の広さの部屋だった。魔法の実践にも耐えるように、防護壁が張ってある。そこに新人が十人と講師役の戦闘職員が二人。どうも先ほどから、講師役の戦闘職員がアンリにちらちらと視線を向けてきているようだ。上級戦闘職員がいることで新人職員の気合いが入ると隊長は言っていたが、どうやら講師の気合いにも影響しているらしい。


(そういえば、トウリ先生もこういうところで講師をしているのかな……)


 中等科学園でアンリが一年のときにクラスの担任だったトウリ・ハワード。その頃は専任の学園教師であった彼だが、昨年から、学園教師と防衛局職員とを兼務している。戦闘職員ではあるが一般の隊には所属せず、非常勤として職員の研修に当たると言っていた。防衛局ではまだ廊下ですれ違う程度でしか見かけたことはないが、長い新人研修期間のどこかで、研修講師をするトウリの姿を見ることもあるかもしれない。


 しかし今日アンリが見学する班の講師はトウリではない。そもそも研修のための非常勤講師ではなく、実際にどこかの隊に所属する戦闘職員らしかった。


「戦闘職員というと派手な戦闘魔法を想像するかもしれないが、実際の任務の場で役に立つのは、地味な魔法のことが多い。地味な魔法こそ訓練して上手く使えるようにしておくことが、魔法戦闘職員として仕事をするにあたっては非常に重要だ」


 訓練の前段の話にも実感がこもっている。そうだよなあ、とアンリもバレないように心の中だけで頷いた。任務だからといって、大きな魔法を使う機会は稀だ。一番隊に所属するアンリでさえそうなのだから、危険度の低い仕事を任されることの多い下のほうの隊の職員ならなおさらだろう。


「たとえば、先日の任務ではこういう魔法が役に立った」


 話からそのまま実践に移るのかと思いきや、まずは手本を見せるところから始めるらしい。やはり指導において見本は大切のようだ。エルネストへの今後の魔法訓練のためにも参考にさせてもらおう。


 さて、どんな地味な魔法を見せてくれるのだろうか。ワクワクしながら見ていたアンリの前で、唐突に、講師の一人がバケツ一杯分ほどの水を頭からばしゃりとかぶった。


 水は水魔法で用意されたものだ。髪の毛から滴る水が制服をつたい、足下に落ちる。びしょ濡れになった彼の横で、もう一人の講師が火魔法と風魔法とを組み合わせて、上手に温風を作り出して濡れた講師を乾かしはじめた。


 突然のことに、研修を受けている新人たちも唖然としているようだ。後ろから見ているアンリにも、彼らの困惑が伝わってくる。


「……先日、町の外で危険生物の対応をしていた際に」


 まだ濡れそぼったままの講師が、隣の講師に乾かしてもらいながら口を開いた。


「うっかり、その生物の粘液を浴びてしまったんだ」


 うわあ、とアンリは顔をしかめる。粘液を飛ばすような危険生物といえば、蛙などの両生類が魔力溜まりにより巨大化したものが真っ先に思い浮かぶ。どの程度の大きさの生物からどの程度の量の粘液を浴びせられたかは知らないが、あれは、すごく嫌なものだ。

 たしかに、水をかぶりたくもなる。


「その粘液を落とすために、こうやって咄嗟に水をかぶった。けれどもびしょ濡れのままでは風邪をひくし、みっともない。そこでこうやって、火の魔法と風の魔法を使って、体を乾かしたわけだ」


 今は隣の講師が行っている魔法を、そのときは自分で行使したのだという。そんな説明をしている間にも、彼の服は目に見えて乾いていく。


 アンリから見れば、効率が悪いようにも思える。水魔法で生んだ水なのだから、そのまま水魔法で回収すれば良いだけなのに。ただ、体中に張り付き、散らばり、服にまで染み込んだ水を回収するのは、たしかに一般の魔法士にとっては複雑すぎて難しいのかもしれない。


(そういえば、エルネストならできるんじゃないかな……)


 アンリはふと前日の訓練のことを思い出す。魔法を使えるようになったエルネストは、楽しそうに何度も何度も水球を作ってはしゃいでいた。まだ拙く、長い時間水球を維持するのはできないのだが、球の形は何度やっても正確だった。魔力に対する感覚の鋭敏さが、正確な魔力操作につながっているのだろう。


 そんなエルネストなら、頭からかぶった水をそのままもう一度頭上でまとめあげるような水魔法の使い方も、もしかしたら簡単にやってのけてしまうのではないか。


(今度やらせてみようかな。こういうのは難しいって頭で気付く前にやってみたほうが、案外うまくいくものだし)


 色々と魔法のことを学び、それがどれだけ精緻な魔力操作を必要とする作業かに気付いてしまったら。本来ならできたはずのことでも、できないだろうという思い込みから、逆にできなくなってしまうかもしれない。そうなる前に、物は試しでやらせてみることも大切だ。


(エルネストには色々と、難しいことをやらせてみよう……楽しみだな)


 アンリがそうやって今後のエルネスト訓練方法に思いを巡らせているうちにも、水浸しになった職員の服はどんどんと乾いていった。やがてほとんど乾ききったところで、温風の魔法が止まる。そうして今度は、その魔法を最初から最後まで上手に操っていた職員のほうが口を開いた。


「今の魔法は火の魔法と、風の魔法だ。どちらも戦闘時には強い威力で用いるが、こうして仲間に向けるにあたっては、もちろん強い威力で使うべきではない。魔法を弱く使うこと……というよりも、必要かつ十分な威力で使うこと。そのための魔力操作の方法を掴むのが、今日からの訓練の第一目標だ」


 なかなかわかりやすい説明だ。たしかに学園での魔法実践は、的撃ちや模擬戦闘など、どれだけ強い威力で魔法を使うことができるかというほうに主眼が置かれているように思う。学園を卒業したばかりの若い職員が多いので、魔法の訓練と言えば、きっと学園でのそうした授業での訓練を想像していただろう。


 もちろん威力重視の訓練も、それはそれで大切だ。特に学び盛りの学園生なら、自分の魔法の威力の限界を知り、それを伸ばしていくことで魔法力を向上させることができる。


 しかし、戦闘職員としての実戦で使える魔法の訓練という意味では。講師役の職員が言うように、必要かつ十分な威力の魔法というものも、覚えていかなければならない。ときには魔法を弱く使う必要もあるのだということを、学ばなければならない。


「さて、では火魔法から始めてみよう。皆、各々手の上に火の玉を一つ浮かべてみて。大きすぎても、小さすぎてもだめだ。このくらいの大きさでやってみようか。火の玉を作ることができたら、そのままそれを維持するように」


 ボッと小さな音がして、二人の講師の手の上に、それぞれ小さな火球が浮かんだ。


 どうやらアンリがいつも朝の学園で友人や後輩たちに教えている訓練と似たようなことをやるらしい。アンリは安全性を重視して水魔法でやっているが、こちらでは安全性よりも実用性を重視しているようだ。実際の任務においては、水魔法を正確に使う能力よりも火魔法を正確に使う能力のほうが求められることが多い。敵との戦闘のほか、戦闘以外でも暗闇を照らす灯になり、食糧を温める熱になり、先ほどのように身体を温めるのにも使える。火魔法の扱いに慣れたほうが、戦闘職員にとっては色々と都合が良い。


 いずれ朝の訓練でも火魔法を取り入れてみようか、とアンリは考える。その場合、どうやって安全性を保つかが重要ではあるが。コルヴォたちがはしゃいで火魔法を振り回さないように、どう留めるか。どうやってレイナに認めてもらおうか。


 そうしてあれこれと考えを巡らせながら、アンリはぼんやりと、慣れない訓練に四苦八苦する新人たちを眺めたのだった。

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