(6)エルネスト 1
馬車で行くか、魔法で行くか——わざわざそんなふうに希望を尋ねてくれたのに、エルネストには答えられなかった。どちらが良いとも、まるでわからなかったのだ。というか、魔法で行くというのはどういうことだろう。
「まあ、馬車にしようか。そのほうが普通らしいし」
エルネストが何とも言えないでいるうちに、アンリが自分で答えを出した。時間にも余裕があるからね、と言いながら彼はエルネストの前に立って歩き出す。
「乗合馬車でいいよね? 友達に頼めば、もっと良い馬車にも乗れるとは思うけど」
「あ、はい、乗合で……」
「この時期って混んでいるのかな? 俺、あんまり馬車って乗らないから知らないんだけど」
「さ、さあ……僕も……」
迷いのない歩調で進むアンリの後ろを、エルネストはそわそわしながらついていく。
年が明けてすぐに孤児院に少しだけ顔を出したアンリは、サリー院長から「エルネストさんを学園に連れて行ってあげてくれないかしら」と頼まれたらしい。そのときにはすぐに帰ってしまったアンリだが、数日後、改めて孤児院にエルネストを迎えに現れた。
「今日の馬車に乗れれば、入学式の三日前には寮に着くよ。もっと早くても良いらしいけど、俺のときは前日だったし、どのくらいが普通なのかはよくわからないな」
歩きながら、アンリはエルネストに色々と話しかけてくれる。
「寮は二人一部屋で、同じ学年の誰かがルームメイトになるはずだよ。仲良くなれるといいね」
「は、はい……」
一方でエルネストの返事は歯切れが悪い。先日世話になったとはいえ、深い交流があるわけでもないアンリに対し、どう接したら良いかがわからないのだ。これからの生活に対する不安や緊張もある。
エルネストの態度に構わず、アンリはどんどん話を続ける。
「エルネストは部活動とか考えてる? 一年生だと入る人も少ないと思うけど、魔法系の部活動でなければ、一年生でも歓迎してくれるらしいよ」
「え、ええと……魔法系の部活動っていうのは」
「活動で魔法を使うから、魔法ができないと入れないんだよ。授業で魔法を習うのは二年生からだから、魔法系の部活動に入るのは、普通は二年生からなんだって」
魔法ができれば一年生でも入れるけれど、とアンリは補足するように言う。けれどもエルネストはまだ魔法が使えないので、その例には当てはまらないだろう。
アンリが学園生活について色々と話してくれているうちに、乗合馬車の停車場に着いた。早朝の馬車であれば夕方にはイーダに着くところだが、今からだと休憩所での野営を挟んで、イーダに着くのは明朝になる。
御者に行程を確認したアンリから「本当にこれでいい?」と尋ねられたエルネストは、ほかにどんな方法があるかもわからずに「は、はい」と答えた。
そういえば魔法で行くという選択肢もあったんだっけ、とエルネストが気付いたのは馬車に乗ってからだった。
(魔法で行くって、意味がよくわからなかったけど……もしかして魔法なら、もっと早くにイーダに着くことができたのかな)
エルネストにとって、イーダまでの道のりに時間がかかるのは当然のことだ。先日サリー院長に学園へ連れて行ってもらったときも、早朝から夕方まで、丸一日馬車に揺られた。ほかにイーダに行く方法など知らない。
けれどもアンリにとって、それが普通ではないのだとしたら。
アンリは本当は、魔法を使ってさっさと帰りたかったのではないか——不安に駆られたエルネストはアンリの顔色を窺ったが、不満そうな表情には見えなかった。むしろ、楽しそうに外の様子を眺めている。
「エルネストは、首都から外に出ることはあまりないよね。街の外の景色は珍しいだろ?」
アンリに促されるままに、エルネストも外を見遣る。
平原に近いほどのなだらかな丘陵地帯で、遠くまで草原が広がっている。奥のほうにぽつぽつと黒い塊が見えるのは、樹々がまとまって生えているところだろう。遠くてわかりにくいが、近づけばきっと森のように見えるに違いない。
近くへ目を転じれば、広く舗装された街道が、まっすぐ延々と続いている。歩いて街道を進む人もいれば、乗合馬車もあり、貴族のものと思しき馬車も通っていて、街道は賑やかだ。
実のところエルネストは、先日イーダを往復した際にもこの景色を見たばかりだ。しょっちゅう通る道でもないが、物珍しさを覚えるほどに見慣れない景色というわけでもない。
けれどもエルネストはこれからイーダに住み、イーダの学園に通うのだ——つまり、しばらくはこの道を戻ることもない。それを思えば、この景色をよく見ておきたいという気持ちにもなった。
「この道は遠くまで見渡せて、気持ちがいいですよね」
「そうだね。この道なら、馬車で行くのも悪くはないかなって思える」
「……アンリさんは、普段は馬車で行く以外の方法を使っているんですか?」
エルネストの問いに、アンリははっとした様子で馬車の中をきょろきょろと見回した。
時期が時期なので乗合馬車を利用する人は多く、ほとんど満席の状態だ。大人もいるが、中にはエルネストと同じような中等科学園の新入生なのではないかと思われる、初々しい様子の子供も含まれている。さらには既に中等科学園の制服を着ている人もいて、これは制服の着こなしから、おそらくは上級生だろうと思われた。きっと休み期間中に帰省して、ちょうど今イーダに戻るところなのだろう。
そんな乗客たちをさっと確認すると、アンリはにっこりと、わざとらしく微笑んだ。
「ええっと、いや、もちろん、俺だっていつも馬車を使っているよ」
「……まほ」
「あーっ、エルネスト。それはあとで、馬車を降りてから話そうかっ」
魔法で行こうかとも言っていたはずなのに——どうやらこの馬車に乗っている人に、その話を聞かれてはならないらしい。
そう理解したエルネストは、大人しく口を閉じることにした。
野営する休憩所に着いたのは、もうすぐ日も暮れようという夕方だった。
馬車の中で過ごしても良いと御者には言われたが、アンリとエルネストは、いったん馬車を降りることにした。というのも馬車の中は人が多く、そこで眠るのはやや窮屈に思えたからだ。幸い天気も良く、寒くもない。その辺りの草の上に寝っ転がって夜を過ごしたとしても、ちゃんと朝を迎えられるだろう。
アンリはどこからともなく大きな布を取り出すと、近くにあった平らな岩に被せた。その上をテーブルのように使って、またどこからともなく取り出した温かいお茶の入ったカップを置く。
勧められるままにエルネストがそのお茶を飲んでいる間に、アンリはまたまたどこからともなくサンドイッチの載った皿やサラダ、スープ、デザートを取り出して、次々と布の上に並べていった。
いったいどこから出したのだろう。目を白黒させるエルネストに対して、アンリは「しーっ」と口に指を当てる。
「あっちの馬車の人たちには内緒な。院長先生が出かける前に用意してくれたのを、魔法で運んできたんだ」
移動中の食事として、エルネストは鞄の中に携帯用の食糧を入れてある。けれどもアンリは「それは今後の非常食にしなよ」と言って、並べた食事を勧めてくれた。
「魔法って、便利ですね」
サンドイッチを頬張りながらエルネストが言うと、アンリは「まあね」と頷いた。しかしすぐに、自分の答えに疑問を持った様子で首を傾げて「でも」と言葉を覆す。
「こういう便利なことを魔法でできるようになるには、それなりに時間がかかるから。魔法士科に入ったからといって、すぐにできるようになるとは思わないでおいたほうがいいかな。あと、魔法士科の先輩なら皆できるとも思わないほうが良いよ」
「そうなんですか?」
「ええと、うん、たぶん……」
アンリの答えは歯切れが悪い。
その様子を見て、エルネストはなんとなく察した。きっとアンリは学園でも魔法の成績がずば抜けて良いのだ。先輩や同級生ができないことも、簡単にできてしまうに違いない。けれどもそれを自分から言うと嫌味のように思われてしまうから、素直にそうと認められないのだろう。
魔法がどのくらいできるのかということも、学園では隠しているのかもしれない。それで、同じ馬車に乗っていた学園生たちの目を気にしていたのではないだろうか。
初等科学園の同級生でも、そういう子がいた。頭が良くテストの点数はいつでも満点なのに、そのことを隠そうとするのだ。せっかくの長所なのに、隠してしまうなんてもったいない。エルネストはいつもそう思っていた。
「だ、大丈夫です、アンリさんっ!」
このままにしてはおけない。そんな義務感から、エルネストは勢いよく言った。アンリはびっくりしたように目を丸くするが、構わずにエルネストは続ける。
「えっと、うまくは言えないんですけど。魔法ができるのって、絶対に良いことだと思うんです! 隠す必要なんてないですよ。だって、僕はアンリさんの魔法のおかげでこんなに美味しいご飯が食べられているんですから。せっかくこんなにすごい力があるのに、隠すなんて、もったいないです!」
「え、あ……う、うん。そうかな」
エルネストの語調に押された様子で、アンリは曖昧に頷いた。そうじゃなくて、もっと本気で受け止めてほしいのに——何と言ったら気持ちが伝わるだろうか。エルネストは言葉を探す。
「僕、学園に入ったら、アンリさんの代わりにちゃんと自慢します。僕の兄さんはすごいんだぞって。魔法で何でもできちゃうんだって。アンリさんがすごい人だって、ちゃんと皆に知ってもらえるようにしますから!」
「えっ!? ええっ……えっと、エルネスト、それはちょっと……」
「駄目ですか? なんで駄目なんですか? きっと人気者になれますよ」
「いや、人気者にはなれないと思うし、なれたとしてもあんまり嬉しくないというか……」
嬉しくないのか。アンリの答えに、エルネストは少しだけ落ち着いて言葉を止めた。
とりわけ特別な取り柄というものを持っていないエルネストにとって、魔法にせよ頭の良さにせよ、他よりも秀でたことがあって人気者になっている人のことは、羨ましく思えるのだが。しかし、本人はそれをあまり望んでいないらしい。
「……人気者にはなりたくないんですか?」
「人気者になりたくないというか、あまり目立ちたくないんだ。普通の学園生活を送りたいんだよ」
だから自慢するなんてやめてくれ、とアンリが困ったような顔で言う。
自分の主張を受け入れてもらうことのできなかったエルネストは、これ以上どうしたらよいかもわからず、ただしょんぼりと俯いた。




