(5)ナタリア 1
首都の防衛局に附属する孤児院に勤めて一年半となるナタリアは、孤児院で二度目の年越しを迎えようとしていた。
孤児院の年末年始が忙しいものだということをナタリアが知ったのは、一年前のことだ。今いる子供たちの世話をしなければならないのはもちろんのこと、寮暮らしから帰省する子供たちを迎える準備、挨拶に顔を出す卒業生たちの対応、年明けに孤児院を出て行く子供たちの見送りーーやるべきことが山とある。
一年前は忙しさに目を回すばかりでろくな働きもできなかったナタリアだが、今年はもう新人ではない。年越しに帰る家や家族の無い子供たちのために、ちゃんと親代わりとして振る舞わなければならない。
「ねえ先生! 今年もアンリ兄ちゃん帰ってくるかなあ!」
「マグネシオンのおじちゃんは、また何かくれるかなあ!?」
十歳にも満たない幼い子供たちが、ナタリアにまつわりつくようにして、元気な声で尋ねる。子供たちは帰る家のない悲しみなどまるで感じていないようで、年末年始はむしろちょっとしたイベント感覚のようだ。ナタリアはそんな子供たちに合わせて笑顔で「帰ってくるっていう手紙があったって聞いたわよ」とか「さあ、どうかしらね。お楽しみね」と応じる。ナタリアの答えに子供たちは満足した様子で「楽しみ!」と叫んで庭のほうへ駆けていった。
「子供たちは今日も元気いっぱいですねえ」
にこにこと彼らを見送ったナタリアに、後ろから声がかかる。サリー院長だった。ナタリアは苦笑交じりに「そうですね」と頷く。
「羨ましいです。私なんかこれからの忙しさを思うと、げんなりしちゃいますけど。あの元気を分けてもらいたいですね」
「あら、私はむしろ、子供たちから元気をもらえるような気がしますよ」
にっこりと微笑むサリー院長は、孤児院の職員の鑑とも言える人物だ。どの子へも平等に愛情を注ぐ寛容さ、ときに優しくときに厳しい子供たちへの接し方、そして、年齢を感じさせないてきぱきとした動き。元気をもらえるという言葉も、決して嘘ではないだろう。
院長先生はすごいですね、とナタリアは正直に言った。
「私も子供は好きですけど、こうして四六時中元気な子供たちと一緒にいると、逆に、私の元気があの子たちに吸い取られているんじゃないかなっていう気がします」
「あらあら……。ま、ものの感じ方は人それぞれですから。私がすごいわけじゃありませんよ。ナタリア先生も、無理はしないでくださいね」
そう言って、サリー院長はナタリアの肩をぽんと叩いた。その軽快さに、ナタリアの心は少し軽くなる。
愚痴に対して否定することもなく、必要以上に深刻にすることもなく、ただ聞き入れてくれる。そんなさっぱりとしたところも、ナタリアがサリー院長を尊敬する点のひとつだ。
ずっと子供たちと過ごすのは疲れるが、ナタリアはそれが嫌いなわけではない。もしもそれが嫌いで致命的にやっていけないのであれば、こんな仕事は昨年末の時点でとっくに辞めている。そうやって辞めた人を、ナタリアはこの孤児院でも、前に働いていた託児所でも何人も見ている。ナタリアがそうしないのは、結局のところ、仕事を辞めようと思い詰めるほどにこの仕事を嫌ってはいないからだ。
それでも、ちょっとした愚痴を誰かと共有したいときはある。そんなときに話しやすい空気が、サリー院長にはあるのだ。
「せんせーい! 見て見てー!」
庭で遊ぶ子供たちが、サリー院長とナタリアに向けて大きく手を振っていた。どうやら木登りに成功したのを見てほしいらしい。
サリー院長が「はいはい」と応じて彼らのところへ向かう。そのまま子供たちと一緒に木登りを始めてしまうのではないかと思えるほどの軽快な足取りに、ナタリアの顔にも笑みが浮かんだ。ナタリアもサリー院長に続いて、子供たちのもとへ向かう。
子供たちから元気がもらえるなど、ナタリアには到底思えない。けれどもサリー院長の姿を見ていると、自然と元気が湧いてくるように感じるのだった。
さて、元気が出るかどうかとは別に、年末年始が慌ただしいのは紛れもない事実だ。
普段は物置になっている部屋を整理して荷物を運び出し、掃除をして、ベッドを使えるように整える。中等科学園への進学で孤児院を出て寮に入った子供たちが、年末年始には戻ってくることが多いからだ。
孤児院を出たとは言え、中等科学園を卒業するまではまだ子供。孤児院に籍があることになっているから、年末年始の帰省を望むならこの孤児院で受け入れる。この孤児院から中等科学園に行った子供たちのうち、だいたい三分の二くらいが帰省してくる。
彼らの寝床と食事を用意して、滞在中の面倒を見るという仕事がナタリアたちに降りかかってくるというわけだ。
「せんせーい! お布団、これでいい!?」
「だーめ。シーツはもうちょっと丁寧に整えて」
「先生、これ、どこに持ってく?」
「廊下の奥の倉庫に持って行ってちょうだい。重いから一人では持たないで、二人で行ってね」
たくさんの部屋の用意をナタリアたち職員の手だけでこなすのは難しく、準備は子供たちも一緒に行う。ところがこれが厄介なのだ。
子供たちは素直で良い子ばかりなので、文句も言わずに楽しく手伝いをしてくれる。しかし意欲的に手伝ってくれることと、手伝うための力が足りていることとは別問題だ。
「せんせーい!! お布団、今度こそこれでいーいっ!?」
廊下に荷物を運び出す子供たちを見守っていたナタリアは、別の子供に呼ばれて部屋へ戻った。先ほどベッドにシーツを張っていた子。一度目にはあまりにもしわくちゃだったので、やり直すようにと言った子だ。
ナタリアが部屋に入ると、その子が胸を張って立っている。その隣には、全体が斜めに傾いて、皺が寄り、端がだらしなくはみ出したシーツ。
「先生っ! 俺、さっきより上手くできたと思うの!」
「ええと、そうね、さっきよりは良いけれど……」
頭を抱えたくなりながらも、ナタリアはなんとか笑顔で言った。先ほどとの違いがわからない。けれどもこんなに自信満々な子に、それを告げるのも心苦しい。
「あーっ。だめだよマルク。ぐっちゃぐちゃじゃないの!」
どう言ったものかと悩むナタリアの後ろから、同じ年代の子供たちの中でもお姉さん格のウェンディが顔を出す。言いたいことを言ってくれたのは助かるが……それでも、ナタリアはよけいに頭を抱えたくなる。
案の定、マルクは愕然として目を見開き、ベッドとウェンディとの顔を見比べ、それからその目一杯に涙を溜めた。
「お、俺、すっごい頑張ったんだぞ!」
「頑張れば良いっていうもんじゃないの!」
泣かないように必死に涙を抑えながら自分の努力を主張するマルクに対して、ウェンディは怯むことなく言い放つ。マルクは言い返そうとしたのか「だ、だって」と口を開いたものの、そのあとが続かない。そのまま口も顔も歪んでいくので、これ以上は見ていられない。
「ほらほら、喧嘩はしないの」
ナタリアは二人の間に割り込んだ。
「マルクはよく頑張った。えらいえらい、ありがとうね」
まずは優しくマルクの頭を撫でてやる。マルクは口をぐっと引き結んで、こぼれ落ちそうだった涙を何とかこらえた。
「でもっ、先生っ!」
「うんうん、ウェンディの言いたいこともわかるわ」
不満げに食ってかかろうとするウェンディに向き直って、ナタリアは落ち着いてにっこりと微笑む。
「だけど、そんなに厳しい言い方をしてはだめ。マルクが頑張ったのは本当なんだから」
でも、と口を挟もうとするウェンディを遮ってナタリアは続けた。
「マルクはちょっと不器用なだけよ。それを厳しく言ってやり直したところで、上手くはいかないわ。ほら、ウェンディはこういうのが得意でしょう? やり方を教えてあげて。私も手伝うから、皆で一緒にやりましょう」
ね、とナタリアが微笑みかけると、ウェンディは不承不承ながらも頷いた。物言いがきついところはあるが、元々面倒見の良い子なのだ。こうしてお願いすれば、ちゃんとマルクの面倒を見てあげてくれるはず。これで準備も進むだろう。
ああもう、本当に、自分で全部やってしまいたいーーナタリアは顔に笑みを浮かべたまま、心中で文句を垂れる。部屋数が多いとはいえ、集中してやれば半日もかからないだろう。こうして子供たちの相手をしながら進めるから、二日も三日もかかるのだ。
しかしナタリアが胸中で不満を呟けたのも一瞬だった。
「先生……」
弱々しい声で後ろから呼ばれて、ナタリアははっと振り返る。今しがた落ち着いたはずのマルクが、また、目にいっぱいに涙を浮かべて口を歪めていた。
「俺って、ぶきよう……? やっぱり、これ、へたくそ……?」
ああ、もう、どうしたら良いのかしら。
ナタリアは笑顔を崩さないよう苦労しながら、心中でため息をついた。




