(2)リリイ 3
兄の友人三人は、それぞれアンリ、イルマーク、ハーツと名乗った。
そのうちリリイに優しくしてくれたのはハーツという、体格は大きいが性格もおおらかで優しい人だった。母に何かを言われると照れたように「いやあ、俺も実家に妹がたくさんいるもので……」と頭を掻いていた。
リリイはそれから三日間、彼らがまた次の場所に向けて家を離れるまで、だいたいハーツのそばにくっついていた。
彼は嫌がるそぶりは見せなかったが「お兄ちゃんはいいのか?」と何度か気にしてくれた。その度にリリイは「いいの」と口を尖らせてハーツの腕にしがみつく。
「お兄ちゃんよりハーツさんのほうが、優しくて紳士的だから。私、ハーツさんの妹になる」
「そう言ってもらえるのは嬉しいけど、俺、家にたくさん妹いるからさ。これ以上増えるとちょっと困っちゃうというか」
ハーツはリリイを腫れ物のように扱うことはせず、普通に接してくれていた。それがまた心地良く、リリイは友達と遊ぶ約束をしていた時間を除いて、ずっとハーツのそばにいた。
そうすると自然とほかの二人の様子を見ることも多くなって、リリイにもなんとなく、兄の友人たちが悪い人ではないように思えてきたのだった。
アンリと名乗った人は、父と話が合うようだった。家の中にある魔法器具に目を向けて父と二言三言言葉を交わしたかと思うと、そこから色々と難しい話を始めてしまった。リリイには訳がわからなくてつまらなかったが、姉は横で、ずっとにこにことアンリのことを見つめていた。残念ながら、父との話に夢中のアンリが姉のことを振り返る様子はなかったが。
「それなら、魔力石をもう少し増やせばいいんじゃないですか。スピードはそれで上げられると思いますけど」
「それはそうだが、魔力石が増えると高価になってしまうからね。一般家庭でも買える程度の金額に収めないと、こうした調理器具では意味がない」
「そっか、そうですね。あ、でも、大衆食堂向けならどうでしょう。たくさんの料理を急いで作らないといけない食堂なら、多少高くてもそういう魔法器具は欲しがるんじゃないですか」
「それはそうかもしれないね。しかし、我々の開発コンセプトはあくまでも一般家庭での使用を目的とした……」
と、こんな具合で互いに長々と楽しそうに意見を述べ合っていて、二人には周りが見えていないようだった。
それでも姉はめげずにアンリに視線を送っていたが、リリイにそこまでの忍耐力はない。そもそもリリイはアンリに対しては、姉ほど熱い気持ちを持ち合わせてはいなかった。
「リリイちゃん、よかったら俺と外で遊ばない?」
そうしてたいてい難しい話にリリイが飽き始めた頃合いで、ハーツからタイミングよくこんな誘いが入る。リリイはその優しさをありがたく感じながら、気分良く、ハーツと手を繋いで庭に出るのだった。
イルマークと名乗った人は、父の集めた本に興味を示しているようだった。魔法器具の研究をしている父は、仕事柄たくさんの本を持っていて、そうした本は書斎だけでなく家中の本棚に収まっている。どの本の内容もリリイにはちんぷんかんぷんだが、イルマークはいくつかの本に興味深そうに手を伸ばしていた。
「その本、何が書いてあるかわかるの?」
あるとき、リリイが横から覗き込んで尋ねると、イルマークは驚いたように目を見開いて、それから「実は、あんまり」と答えつつ微笑んだ。
「難しい内容は私にもわかりません。しかし、この挿絵は綺麗だと思いませんか?」
イルマークが指差したのは、分厚く字の小さい本の中の一ページ。そこには確かに色鮮やかな挿絵があった。どうやら魔法器具の設計図のようだ。何の魔法器具かはわからないが、直線や曲線がさまざまな色で描き分けられているさまは確かに美しく、芸術的だった。
「……すごい」
「でしょう? こういう難しそうな本でも、めくってみると案外面白いものが見つかったりするものなんですよ」
そこでリリイは近くの棚から、別の本を取り出してみた。分厚くて、今まで手に取ってみようと思ったことさえない本だ。ページを一枚めくり、二枚めくり……意味のわからない難しい言葉が並ぶばかりで、素敵な挿絵は一向に見つからない。
眉間に皺を寄せるリリイを見て、イルマークは笑った。
「全ての本に綺麗な挿絵がついているわけじゃありませんよ。どういう本のどういうページに載っているかは、ちゃんと探さないと。そうして見つけるのも、楽しみのひとつです」
「そっか……」
リリイは悲しくなって本を閉じた。それはそれで面白さを感じる人もいるのかもしれないが、リリイはあまり忍耐強いほうではない。友達と宝探しゲームをすることもあるが、たいていはお宝を見つける前に諦めてしまうーーいつも一緒に遊んでいる仲間の中で、リリイはとりわけ諦めが早い。
「イルマーク、ここにいたの」
折よく、兄から声がかかった。
「母さんのおつかいで、ちょっと出掛けるんだ。それでアンリとハーツが街を見たいから一緒に行くって言うんだけど、イルマークもどう?」
「行くっ!」
イルマークの代わりに勢いよく応えて、リリイが立ち上がった。兄は「リリイには聞いてないんだけど」と苦笑したが、兄の後ろから顔を出したハーツは「リリイちゃん、案内してくれる?」と乗り気だ。やっぱりハーツさんは優しいーーリリイは嬉しくなって、飛ぶようにハーツのもとに駆け寄る。
私も行きますと言ってイルマークも立ち上がったので、リリイは兄たち四人とともに近所の雑貨屋へと向かったのだった。
気付けばリリイの中に、兄の友人たちに対する警戒心はなくなっていた。
そうして楽しい数日を過ごしたリリイにとって、別れは辛いものになった。
それでもリリイは泣かないように頑張った。九歳の誕生日に、もう泣かないぞと決めたのだ。つい最近泣いてしまったようにも思うが、だからといって、そう何度も決意を覆すつもりはない。
「もう帰っちゃうの……?」
「帰るっていうか、次はイルマークの家だな。そうやって、休みの間に皆の家を回ることにしたんだ」
相変わらず、ハーツは誤魔化すことなく誠実に答えてくれた。けれどもその内容がリリイの意に適うものかといえば、決してそんなことはない。
「私も行きたい」
「うーん。リリイちゃんは、友達と遊ぶ約束があるだろ? それに、ウィルに加えてリリイちゃんまでいなくなったら、父ちゃんも母ちゃんも寂しいだろ」
むう、とリリイは黙り込む。寂しいのは、リリイも同じだ。ハーツがいなくなったらリリイは寂しい。
ただ、休みの間、毎日トリヤと遊ぶ約束をしているのは本当だ。リリイが急に約束を反故にしてハーツたちと一緒に出かけたら、トリヤは怒るだろうし、寂しがるだろう。
大丈夫、とハーツは笑ってリリイの頭に手をのせた。
「こうやって歓迎してもらえることはわかったから。リリイちゃんさえ良ければ、また来るよ。休みの日とか、また来年の年末とか」
「ほんとっ!?」
「うん。なあ、アンリ、いいだろ?」
ハーツが振り返って確認すると、アンリは肩をすくめて「激辛料理がなければいいんじゃない?」と。そういえばそんなことをしたんだった——リリイは恥ずかしくなって顔を俯けたが、ハーツは気にした様子もなく「大丈夫」と言った。
「また来るよ。実は、俺は辛い料理も好きなんだ。正直なところ、あの赤いグラタンもちょっと食べてみたかったんだよな」
もう少しソース少なめでも良いと思うけど、などとハーツは笑いながら言う。
いたずらを後悔しているリリイへの気遣いの言葉だったかもしれない。けれどもリリイをただの我儘な子供としてではなく接してくれたハーツのことだから、単にあしらうための言葉ではないのではないか——リリイはそんなふうに期待した。
きっと、ハーツの言葉に嘘はない。
「……じゃあ、今度のときには、もっとちゃんと美味しい料理がつくれるように、頑張る。辛くて美味しいもの、作って待ってるから」
「おう、期待してる。よろしく」
そうして再会の約束をしてみれば、リリイの顔にも自然と笑みが浮かんだ。大丈夫。また会えるし、また会ったときには、もっと良い会い方をすることができる。
リリイは自信を持って、笑顔で兄たちを見送った。




