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筆記試験後の魔法力検査を終えれば、学年末の試験期間もようやく終わりだ。
「……ねえ、アンリ。さっき実技検査のときに訓練室からものすごい音が聞こえたけど、あれはアンリの魔法かな?」
寮までの帰り道、呆れた様子でウィルが言うので、アンリは「まあ、そうだね」と苦笑混じりに答えた。
「一応、部屋は壊していないんだよ。壊さない程度に加減しろって、先生から言われていたし」
「でも、あの音のあと、次の人の実技を始めるまでに少し時間がかかったよね? 本当に部屋は壊してないの?」
「ええと、部屋は壊してないよ。……防護壁は壊したけど」
訓練室には、防護壁が三枚張られていた。防護壁というのは、魔法の威力から部屋を守るための設備だ。壊れてしまった場合の修復に時間のかかる部屋の壁や柱と違って、防護壁なら再建は容易い。だからこそ部屋の保護として防護壁を設置するのであって、アンリの認識では「部屋を壊すな」という指示に「防護壁を壊さない」という意味は含まれていないはずだった。
「……レイナ先生は、何か言ってなかった?」
「説明不足だったって言っていたね」
部屋を壊さない程度。具体的には、アイラ・マグネシオンの使える魔法の威力と同程度。
アンリはそんな指示に対して忠実に、氷魔法を巧みに制御して的を撃ち抜いてみせた。アンリの放った氷魔法はそのまま防護壁二枚を貫き、三枚目に大きなヒビを入れて止まった。
約束通り、部屋は壊さなかった。壁にはヒビひとつついていない。威力もアイラが使う魔法と同程度だったはずだ。
それなのに訓練室の端で立ち会っていたレイナはその魔法を見て、「次からは防護壁も壊さないでくれるかな」と顔を引き攣らせて言ったのだった。
「……アンリ」
「いや、だってさ。アイラだって、あのくらいはできるはずだよ」
呆れた目で見てくるウィルに対して、アンリは精一杯の言い訳をする。
今ではアンリも、なんとなくわかってはいる。レイナの「訓練室を壊すな」という言葉には、おそらく防護壁も含まれていたということ。そしてレイナがアイラの魔法力を、やや誤解していたのだろうということ。きっとレイナは、アイラが防護壁を壊すだけの魔法を使えることに、気付いていなかったに違いない。
「……まあ、やっちゃったことは仕方ないけどさ」
ウィルが深々とため息をついて言った。
「今後はもっと気を付けなよ。っていうか、防護壁なら壊してもいいなんて……アンリも常識を覚えてきたかと思ったけど、まだまだだったみたいだね」
やれやれと首を振るウィルの言葉に、アンリは反論できない。
中等科学園に通い始めて、そろそろ二年が経つ。もう十分世間の常識を学べたと思っているアンリだが、こんなところに落とし穴があったとは。
「来年以降も学ぶことがあって、良かったね」
嫌味っぽいウィルの言葉に、アンリはただ「気を付けるよ」と肩をすくめることしかできなかった。
試験が終わってからの数日は、採点のために授業が休みとなる。その期間が終われば四年生の卒業式。それから他学年の終業式があって、年末年始の長期休みに入る。
もうバタバタと年末を迎えるだけとあって、長期休暇に入る前にと、アンリはウィルとともに寮の先輩の部屋を訪ねた。
「ロイ先輩、卒業おめでとうございます」
「ああ、ありがとう」
まずは魔法工芸部で世話になった前部長のロイ。部屋にはもちろん、ロイと同室のヤンもいた。二人はアンリたちを迎え入れ、これまで世話になった礼として渡した菓子を快く受け取ってくれた。
とはいえ、彼らの部屋にはすでにたくさんの贈り物が集まっているようだ。少し部屋を覗いただけでも、花束や菓子の箱、あるいは明らかに誰かから贈られたものだとわかる小綺麗な小箱なんかが、たくさん積み上がっているのが見えた。
そして、贈り物の山のほかにも、大きな箱が積み上がっている。
「引っ越しの準備をしているんだ。散らかっていてごめんね」
アンリたちを部屋の奥へと招き入れながら、ロイが苦笑して言った。
ロイの言葉で、アンリははっとする。
あと数日で、ロイやヤンたち四年生は卒業する。卒業するということは、この寮からも出ていってしまうということだ。もうこうやって、気軽に会いに来ることはできない。
唐突に別れに気付いて言葉が出なくなってしまったアンリと違い、最初から理解していたらしいウィルは、動揺することもなく明るくロイとヤンに笑顔を向けた。
「ロイさんは工房のある街に行くんですよね。ヤンさんは、どちらに住むことになるんですか?」
ウィルの問いに、ヤンは「ええっと」とやや曖昧に言葉を探す。
「実は、僕自身、よくわかっていないんだ。最初のひと月は、首都で研修と聞いているけど。たぶん、そのあとで赴任先が決まって、そっちに住むことになるんだと思う。いちいち荷物を持って行くのは大変だから、必要最低限の物以外は実家に預けておこうと思っているんだ」
そうなんですね、とにこやかに相槌を打つウィルの横で、アンリは今しがた芽生えた感傷など忘れて愕然としていた。
(そうだ、ヤンさんは防衛局に来るんだった。寮に住むってことは、どこかでばったり会っちゃうってこともあるのかな……)
それどころか、今隊長から持ちかけられている新人研修の話。面白そうだと思っていたが、話を受ければもしかしたら、研修の場でヤンと顔を合わせるなんていうこともあるかもしれない。
アンリが色々考え込んで黙っていると、ロイが慰めるように笑顔で「そんな顔するなって」と明るく言った。
「学園からはいなくなるけど、二度と会えないってわけじゃないんだから。僕は行き先もはっきりしているし、近くに来たら遊びに寄ってよ」
アンリの反応を、別れを実感して悲しんでいるものと理解したのだろう。一番気がかりな点はそれではないものの、否定するようなことでもないので、アンリは「そうですね」と笑顔になって応じる。
今は先輩との別れを惜しむ場であって、自分の今後の心配をしている場合ではない。
「きっと、遊びに行きます。……ヤンさんも、余裕ができたらお手紙ください。どこに赴任になったとしても、きっと遊びに行きますから」
アンリが改めて明るく言うと、ヤンは少し意外そうに目を丸くして、それから「うん、ありがとう」と笑顔になった。
「アンリ君は僕の恩人だからね。連絡先は知らせるから、何か困ったことがあったら、いつでも言って。僕にできることなら、なんでも協力するから」
別にアンリは、そんな意味で連絡先を知らせろと言ったのではないのだが。けれども真面目なヤンにとって、アンリに助けられたという事実とそれに報いなければならないという思いは、常に心にあるものらしい。
そんなこと気にしなくていいですけど、遊びには行かせてくださいね、と。アンリは軽く笑って、ヤンの言葉を流した。
アンリたちがそろそろロイの部屋を出ようというとき、ちょうど魔法器具製作部の元部長であるレヴィがやって来た。レヴィは現部長のイシュファーを連れていた。
「あれっ、アンリ君じゃないか」
部屋に入ってくるなり、イシュファーはアンリを見つけて目を輝かせる。
「どうしたの、こんなところで」
「イシュファーさんこそ。レヴィさんも……」
「僕たちは、ロイさんに挨拶に来たんだよ。ほら、だってもう四年生は卒業だから」
それは知っている。だからアンリだって、ロイの部屋に来たのだから。アンリが聞きたいのは、そういうことではない。
アンリの知る限り、魔法工芸部と魔法器具製作部の仲は悪い。特にロイとレヴィがそれぞれの部活動で部長をやっていた頃は、二人は顔を合わせるたびに喧嘩をしていたはずだ。
先日も、ロイとレヴィが以前よりも親しげに話しているのを見て驚いたものだが、まさか部屋に姿を見せるほどとは。
「ああ、アンリ君たちには言ってなかったね」
アンリの驚きと疑問に答えをくれたのは、ロイだった。
「実は僕、今年に入ってから、魔法器具製作部に何度か顔を出していたんだ。魔法工芸に役立つ何かがないかと思って」
ロイの告白に、アンリは目を丸くする。あれほど魔法器具製作部を嫌っていたロイが、どういう風の吹き回しか。
アンリの反応にロイは気まずそうに「必死だったんだよ」と苦笑した。
「卒業までに、もっと魔法工芸の力を磨いておきたいと思ったんだ。そのために何ができるかって考えていて」
それが、今年の初め頃。そんなときに、部活動の新人勧誘で魔法器具製作部が問題を起こしそうになり、アンリがそれを未然に防ぐという小さな事件があった。
「そういえば魔法工芸と魔法器具製作とで、扱う素材は似ているんだよなと、改めて思って。レヴィのことを頼るのは癪ではあったんだけれど、そんなことにこだわっている場合じゃないと思って、魔法器具製作部に行ってみたんだ」
「最初は驚きましたけど、僕たちも勉強になりました」
感慨深そうに言うのはイシュファーだ。
どうやらロイの動きによってロイとレヴィの関係が改善され、イシュファーとロイの間にも、卒業するロイにイシュファーが後輩として挨拶に来る程度の交流が生まれたようだ。
アンリ君のおかげだよ、とレヴィが肩をすくめて言った。
「新人勧誘のとき、君が僕たちの失敗に気づいて、事故を防いでくれたから。だから最初にロイが来たときは、抵抗もあったんだけど、無下に扱えないなと思って。そうやって付き合っているうちに、いがみ合っていたのがばからしくなっちゃって」
「部活動同士では素材採取の場所の件とか、まだまだ確執はあると思うけど。僕たちはもう部長も引退して、気楽な身の上だしね」
ロイまでそんなことを言う。
まあそういうわけで、とイシュファーが話を継いだ。
「最近はロイさんとも仲良くさせてもらっているし、部活動としてももっと上手くできないかって、キャロルとも話しているところだよ」
魔法工芸部の現部長であるキャロルの名前が出て、アンリはますます目を丸くする。隣を窺うとウィルも驚いたような顔をしていたので、アンリはひとまず、自分だけが話の除け者になっていたわけではないと知って安堵した。
そんなアンリとウィルの反応を見て、ロイが微笑む。
「来年からは、君たちの代だからね。魔法器具製作部と仲良くできるように、頑張ってくれ」
魔法器具製作部と魔法工芸部とは、もっと仲良くできないものかーーたしかにアンリも、そう考えていた。
しかし、まさかそれを、いがみ合っていた当事者であるロイから託されるとは。
夢にも思わぬことではあったが、アンリにとって異論のある話でもない。やはり魔法工芸部は魔法器具製作部と、もっと良好な関係を築いていくべきなのだ。
「はい、頑張ります」
ロイの言葉に勇気をもらって、アンリは力強く頷いた。




