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指導室ではレイナとアンリが向かい合い、アンリの横にサリー院長が座った。
「さて、では時間も限られますので、さっそく本題に入ります」
レイナは先日の面談におけるアンリの魔法力検査の結果を取り出した。それを斜め向かいに座るサリー院長の前に置く。
「先日、彼に受けてもらった魔法力検査の結果です。中等科学園生としては……いえ、一般的な魔法士と比べても、驚くべき魔法力です。彼の魔法力については、ご存知で?」
「ええ、もちろん」
サリー院長はにこやかに、当たり前のような顔をして頷いた。そのうえ「ごめんなさいねえ」と悪気の一欠片もなさそうな笑顔で続ける。
「学園では魔法力を隠すようにと、入学前にこの子に言い聞かせたのは私なんですよ。魔法力で目立つようなことをしてしまうと、せっかくの学園生活なのに孤立してしまうのではないかと心配で。あまりこの子を責めないであげてくださいね」
「そうでしたか。……ええ、たしかに、ご懸念は理解できるところです」
レイナは神妙な顔をして、深く頷く。
その顔を見て、サリー院長は少しだけ表情を改めた。作り物のような明るい笑顔から、慈しむような優しい笑顔へ。
「ご理解いただけて何よりです。先生はアンリのことを大事にしてくださっているんですね」
「もちろんです。生徒のことは一人一人、全員を尊重します。……彼の魔法力のことは、学園長には報告させていただきます。しかしこれまでの生活を維持することができるよう、話が広がらないように計らいましょう」
「助かります」
サリー院長はそう言って頭を下げると、ちらりと横目にアンリを見た。それが何の合図なのかわからずに、アンリは首を傾げる。そんなアンリに対して院長は、いたずらを面白がる子供のような笑みを浮かべた。
そうして院長は、何食わぬ顔でレイナに視線を戻す。
「それから先生にはもうひとつ、お伝えしておかないといけないことがあるんですよ」
まるで世間話をするかのような、軽い口調だった。
「実はこの子、もうずいぶん前から防衛局で戦闘職員として働いているんです。学園に通うということで休職中ですが、元々、一番隊に所属しているんですよ」
にっこりと微笑んだ院長の言葉に、アンリもレイナも、何も返すことができなかった。
サリー院長がとんでもない発言をした後、アンリとレイナが言葉を取り戻すにはしばらくの時間を要した。そうしてようやく口を開いたのは、アンリが先だ。
「院長先生……あの、何を?」
「あら、何をって。アンリさん、今日はアンリさんの進路のことを先生に相談する場でしょう? 先生にちゃんと状況をわかっていただかないと、相談も何もないでしょうに」
さも当たり前のようにサリー院長が言う。そもそも魔法力を隠すように、身分を隠すようにと最初にアンリに言い聞かせたのが隊長と院長だったというのに。手のひらを返されたような気分で、アンリは愕然とする。
再び言葉を失ったアンリに対してサリー院長は優しく「言いつけを守るのはえらいことだけれど、場面によってはこういうことも必要ですよ」と言い聞かせるように言う。釈然としない思いはあるものの、怒られているわけではないのでアンリも反論が見つからない。
サリー院長は、いまだ言葉を返せずにいるレイナに向けて続けた。
「この子は生まれて間も無く捨てられたのか、川辺で防衛局の人が見つけて保護した子なんですよ。まだ生まれたばかりの赤子だというのに、そのときからものすごい魔力を持っていました。それをちゃんと制御できるようにと、幼いときからあえて防衛局に入れて、訓練をさせることになったんです。おかげでこのとおり、大人顔負けの魔法力を身につけるに至ったというわけです」
ただ、ちょっと世間知らずな子に育ってしまって……と、サリー院長は悲しげに首を振りながらため息をつく。
「だから今度は世間をちゃんと知って、立派な大人になれるようにと。そう思って、ここの学園に通わせることにしたんです」
そうしたら事はサリー院長の思惑どおりに、あるいは思惑以上に良い方向に進んだ。一転して、院長は嬉しそうな笑みを浮かべて話す。
「この子がこんなに楽しそうに、明るく学園に通ってくれるなんて。あんなにたくさんお友達もできて。本当に良かった。先生方のおかげです」
感極まった様子で涙さえ浮かべて、サリー院長は言った。それを見て、レイナは珍しく怯んだようだ。
「お、落ち着いてください、サリーさん」
ようやく口を開いたレイナは「時間も限られていますから」と、なんとか話を進めようとする。
「つまり……つまり、アンリ・ベルゲン。君は入学前からずっと、防衛局に在籍していたということか」
サリー院長に話を続けさせたくないのか、レイナはアンリに話を振った。ここまで話されてしまったら、今さらアンリが隠す意味もない。
アンリは気まずさに目を逸らしながらも「そうです」と不承不承うなずく。
「戦闘職員として?」
「はい」
重ねて問うレイナに対して、アンリは抵抗せずにうなずいた。魔法の訓練をするためだったのだ。戦闘職員以外であるはずがない。
レイナはいったん問いを止めると、真偽をはかるように真っ直ぐアンリを見つめた。その目を見返すこともできずにアンリは俯く。それからはっとして、防衛局の戦闘職員としての身分証を取り出した。保護者からの話とはいえ、証拠がないからレイナも信じて良いものかどうか迷っているに違いない。
しかしアンリの差し出した身分証にちらりと目を遣ったレイナは、それを詳しく見ることもせず、右手で頭を抱えると大きく息を吐いた。
「……それは、しまいなさい。信じていないわけではないから」
あれ、とアンリは首を傾げる。証拠が見たかったわけではないのだろうか。
アンリが言われたとおりに身分証をポケットに戻すと、レイナは呆れたように「そもそも」と続けた。
「君ほどの魔法力を持っていて、防衛局の保護も監視もないというほうが不自然だ。……だからこそ防衛局附属の孤児院なのかと思っていたが、防衛局に戦闘職員として所属しているという話も、納得はできる」
だから、証拠などなくとも疑いはしないということらしい。見せびらかすように身分証を出してしまった自分を恥ずかしく思って、アンリは改めて俯いた。
アンリの反応など気にせずに、レイナは「ただ」と続ける。
「ただ、この場で突然話が出てきて、驚いているだけだ。……申し訳ない。時間は限られていると、私が言ったばかりなのに」
レイナは雑念を振り払うように首を振った。アンリは申し訳なさに身を縮めるが、サリー院長はむしろ楽しそうに微笑む。
「ごめんなさいねえ、驚かせてしまって。でもやっぱり、この子の将来の話をするなら、事情はちゃんとお伝えすべきかと思いまして」
悪気のない明るい声色で言うサリー院長に対し「そうですね」と応えるレイナの声は、さすがに穏やかではなかった。抑えきれない感情が声から滲み出る。
それでもやはり、レイナは教師として一流なのだろう。一度深呼吸を挟んだだけで、元の穏やかな声色を取り戻した。
「……では、今の話も踏まえて改めて、進路の話をしましょう。これまで戦闘職員として防衛局に在籍していたということは、卒業後もその道に進むということで良いのでしょうか」
「それはどうでしょう。ねえ、アンリさん?」
レイナは確認のつもりで保護者のほうに問うたのだろうが、当のサリー院長はアンリに話を振った。アンリは慌てて「あ、いや、えっと」と言葉を探す。決め打ちで話を進めず確認してくれたのはありがたいが、突然振られても準備ができていない。
レイナの目がアンリに向く。とにかく何か話さなければと、アンリはいっそう焦って口を開いた。
「ええと、いや、卒業後の進路はまだ考え中で……」
「ん? 戦闘職員は辞めるつもりなのか?」
「あ、ええと、そうとも限らないんですけど、えっと……」
落ち着いてアンリさん、と横からサリー院長に声をかけられて、アンリはいったん言葉を止めた。大きく深呼吸して心を落ち着ける。
しっかりしなければ。せっかくアンリの考えを尊重しようと、レイナや院長が話を振ってくれたのだ。ここでちゃんと自分の考えを言えなくてどうする。
「……戦闘職員を辞めたいということではないんですけど。ただ、色々見ていたら、ほかの仕事も面白そうだなと思えてきたんです。魔法器具をつくるとか、魔法を人に教えるとか。そういう道を完全に無視して戦闘職員だけに絞るっていうのは、今は、やりたくないです」
ひと息にここまで言い切った。
どう頑張っても、これ以上の答えは今は出せない。戦闘職員という道をそのまま進むことも、その道から逸れて別の道を進むことも、今はまだ決められない。それが今のアンリの考えだ。
しかし、これがレイナやサリー院長を納得させられる言葉かどうかというと、自信はなかった。甘いと言われるだろうか、もっとはっきりしろと言われるだろうか。
アンリは不安な気持ちで二人の様子を窺う。しかし二人とも、思いのほか穏やかな顔でアンリの言葉を聞いてくれていた。サリー院長など、嬉しそうに頬を緩めてさえいる。
「本当に、成長しましたねえ。アンリさん」
「今の時点で視野を広く持っているのは、むしろ良いことだ。自信を持ちなさい」
どう思われるかとアンリは緊張していたが、要らぬ心配だったようだ。
二人の反応に、アンリはほっと胸を撫で下ろした。
「さて。それでは、話を進めましょうか」
それからレイナは改めて、三年生での選択授業の一覧を机の上に広げた。




