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次の休日、約束を果たすために、アンリはウィルと街の外に出ていた。街の門を出ると途端に建物が減って、草原がひろがる。草原の真ん中に敷かれた街道からやや外れ、奥に黒っぽく茂って見えるのが、二人の目的地だ。イーダの街では「東の森」と呼ばれている。
「本当は西の森の方が獲物が多いんだけど」
「無茶言わないでくれ、アンリ。君にとってよくても、僕にとっては自殺行為だ」
街の西に広がる森は野生動物が多く、奥行きの広い危険な地帯と認識されている。それに対して東に広がる森は、ピクニックにも利用されるほどの平和な森だ。
「そういう油断が危険のもとなんだけどなあ」
「そうなんだ?」
「遊歩道には動物除けの魔法具が付いているけど、そこを外れれば野生動物もたくさんいる。ピクニックのつもりが調子に乗って奥まで入って熊に襲われる、なんて珍しくない」
救援要請があると、防衛局の戦闘員が駆り出される。だいたいはイーダ支部の職員が対応するのだが、あまりに頻発すると、近場である首都に応援が要請されることもある。そうしてアンリが救援にあたったことも、一度や二度ではない。
「それで、僕らは今日どの辺りに行くの」
「もちろん遊歩道から奥に入る。大丈夫、要は油断せずに準備していればいいんだ。コンパス持ってるから迷わないし、ナイフも持っただろ」
顔色を悪くするウィルに、アンリはにっこりと笑ってみせた。
森に着くと二人は、草が刈られて整備された手前の公園には寄らず、遊歩道へと進んだ。石と木材を並べて歩きやすく整えられた道が、草木の茂る森の奥へ続いている。この道は森の中で全長一キロほどの輪を描いており、自然散策が手軽にできるようになっている。
遊歩道を半ばまで進むとアンリは道を外れ、下草の茂る木々の合間に分け入った。
「ほら、ウィルも早く。誰か親切な人に見咎められると行けなくなるよ」
「う、うん」
ウィルは慌ててアンリの後を追う。二人で森の中の獣道を奥へと歩き始めた。
道すがら、アンリはウィルに行軍の目的を説明する。
「自分の中に溜めることのできる魔力量を増やすには、自分の許容量を超えた魔力を外から取り込むしかない」
魔力は人の体内だけでなく、自然界のあらゆるところに存在している。主に動物や植物といった、生きているものの中に。その生き物が死ぬと、魔力は周りに溢れ出る。
森にはたいてい、近くで死んだ動物や虫、草木の魔力が溜まっている。歩くだけで、その魔力を吸収することができるのだ。
「大切なのは、自分の中の魔力が減っていない状態で、周りの魔力を吸収すること。許容量を超えた魔力を吸収しようとすることで、許容量が少しずつ増えていくんだ。自分の中の魔力が不足している状態でこれをやっても、ただの魔力の回復にしかならない」
「だから昨日はいつもの訓練をやらなかったのか」
その通り、とアンリは頷いた。ウィルはアンリの指導で、毎晩、水魔法の訓練に取り組んでいる。それを昨日はやらなかった。明日に備えようというのが理由だった。
「でも、歩くだけなら遊歩道でもいいんじゃないか?」
「歩道のあたりは人も多いし整備されすぎてて、魔力溜まりが少ないんだ。本当は森の奥で動物を狩るのが一番いい。まあ、今日は初めてだから散策だけで、狩りは次にしよう」
獣道を一時間ほど進み、そろそろ休憩を取ろうかと話していた頃に「おーい」と奥から声が聞こえた。どうやら他にも森の中を散策している人がいるらしい。
ややあって行きあったのは、三人の初老の男たちだった。老いたとは言わせぬとばかりの筋肉質の体に、狩猟用のベストを装着している。
「君たち、何しているんだ。ここは子どもだけで入るようなところじゃないぞ」
「その鞄、中等科学園生か? まったく、男子ってのは危ないことをするなあ」
二人は必要な道具を持ち歩くのに、中等科学園の記章の入った鞄を使っていた。大きさが手頃だったのだ。それが二人の身分を証明することになってしまった。強いて逃げれば、学園に通報されてしまうかも知れない。
仕方なく二人は、大人しく男たちに連れられて遊歩道まで戻り、その日の森林散策を終えることにした。一時間も歩いたのだ。初めてにしては良くやった方だと思うことにしようと、互いに視線を交わして慰め合った。
男たちは別れ際、アンリたちが腰に吊るしていたナイフに目をやった。
「腕に覚えがあるのか知らんが、今は時期が悪い。狩りはしばらく諦めろ」
「時期? 季節なら、ちょうど狩りどきですよね?」
男の言葉に、アンリは首を傾げて尋ねた。確かに、動物の冬眠時期や繁殖時期に合わせて、狩りに向く時期と向かない時期がある。今頃は、ちょうど狩りが推奨される季節のはずだった。
アンリの疑問に、男たちは眉を顰める。
「季節じゃない。最近、ここらで大型の動物が出たんでな。魔力を蓄えた動物ってのは、普通の数十倍の大きさになる。凶暴だし、小さなナイフで太刀打ちできるものじゃない」
脅すような男の言葉に、ウィルはやや怯んだ様子をみせた。大丈夫、と伝えるためにアンリは目配せしたが、伝わっただろうか。
アンリは男たちの親切な言葉に違和感を覚え、むしろ冷静に彼らを見据えた。
「それ、通報はしたんですか? 大型動物の発生は、防衛局で対応してくれるでしょう?」
「もちろん。だから、しばらくすれば駆除されるさ。それまで我慢しろってことだ」
「おじさんたちは?」
「君たちみたいなのがいないか、見回りをしている。大丈夫、私たちは襲われてもそれなりに対応できるように、鍛えているからね」
心配ありがとうと豪快に笑う男たちに礼を言って、アンリたちは森を後にした。




