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授業が終わっていよいよ父親が来るとなると、さすがのウィルも朝の訓練で掴んだ落ち着きを忘れてしまったようだった。
「どうしてアンリがついてくるのさ」
「どうしてって。ウィルがあんまりにも普段と違っていて、心配だから」
学園の入口へ父親を迎えに行くウィルに、アンリは付き添うように並んで歩いていた。午後になり、三者面談が近づくにつれて、ますますウィルの気がそぞろになっている。このままでは本当に、何もないところで転びかねない。
一人で歩かせるのが心配で、アンリはウィルが父親に会うところまでは同行するつもりでいる。
「心配しなくても、そこまで馬鹿なことは、あっ……」
話のそばから、ウィルが何もないところで躓いた。幸い転ぶことはなかったが、驚いた様子のウィルは恥ずかしさもあってか、悔しそうに「今のはアンリと話していたからっ」と言い訳する。
アンリは噴き出しそうになるのを必死に堪えながら、笑顔で「まあまあ」とウィルを宥めた。
「とにかく、一緒に行かせてよ。ウィルのお父さんって、魔法器具をつくる仕事をしているんだろ? 会って話をしてみたい」
心配以外の理由をつくれば、ウィルも強いて拒絶することはなかった。ただ嫌そうに眉をひそめてため息をつき「勝手にすれば」と低い声で呟いた。
ウィルの父親は、ウィルに似て優しく理知的な常識人だった。顔を合わせて挨拶をしたアンリは、なぜウィルがこれほどまで嫌がるのかと内心で首を傾げたほどだ。
三者面談の行われる部屋までを三人で歩きながら、アンリは気まずそうに黙ってしまったウィルの代わりに、彼の父親との会話を楽しむ。
「ほお、アンリ君は魔法器具製作に興味があるのか」
「はい。今は魔法工芸部に入っているんですけど、正直なところ、俺には魔法器具製作のほうが性に合っているかなと思っていて」
アンリの答えに、ウィルの父親は大きく頷いた。
「魔法工芸と魔法器具製作は、似た面もあるが違うところも多いからね。しかし魔法工芸だけでなく魔法器具製作もやってみないと、実際のところはわからないよ」
「いえ、実は魔法器具製作もやったことがあって……」
口が滑りそうになって、アンリは慌てて言葉を止めた。けれどもすぐに、言っても問題ないことがあると気付く。
「ええと。やってみないかと誘われて、一度、魔力灯をつくったことがあるんです」
交流大会における魔法工芸部の活動で、作品を置かせてもらおうと行った雑貨屋。そこで魔法器具製作をやってみないかと誘われて、魔力灯をつくったことがある。これは学園生としての通常の活動の範囲であって、隠す必要はない。
「なんというか……魔法工芸は自分の感性を形にするような作業ですけど。魔法器具製作だと、たとえば魔力灯なら、周りを明るくするっていう目的のために必要な物をつくる作業なんだなと思えて。俺にとってはそっちのほうがやりやすいというか……」
自分の芸術的な感性に自信の無いアンリにとって、魔法工芸とはなかなか難しい分野だった。自分には、実用的な物をつくる魔法器具製作のほうが向いている。魔法工芸部での活動を通じて、アンリはそう強く感じていた。
ウィルの父親はアンリの言葉を受けて「ふむ」と唸った。
「なるほど、その気持ちはわからなくもない。だが……それは少々、浅慮なのではないかという気もするね」
「浅慮?」
「そうだね。魔法工芸だからといって自身の感性を表出するだけとは限らないし、魔法器具製作に感性が全く必要ないというものでもない。それがわからないうちに一方を切り捨てるのは、もったいないと僕は思うよ」
どういう意味だろう、とアンリは首を捻る。
詳しく話を聞きたいとは思ったが、あいにくと、もう教員室が近い。そろそろウィルも面談に向けて父親と話したいだろうと思うと、あまりアンリが会話の場を独占するのもよくない。
同じことを考えたのか、ちょうどウィルの父親も、話を切り上げようと思ったようだ。
「もっと色々と話したいところだが、面談のことも考えないといけないからね。君とはまた、ゆっくりと話をしたいな……そうだ、君さえ良ければ休暇のときに、うちへ来ると良い。年末年始の休暇は長いだろう? ご実家にも帰るだろうが、もし時間があるようならぜひうちにも」
「ちょっと、父さん」
たまりかねた様子でウィルが口を出す。否定的なことを言いたそうな顔をしていたので、アンリはウィルを遮るように「ぜひ、お願いします!」と勢いよく言った。
「俺も、もっと詳しく話をお伺いしたいです。よろしくお願いします!」
怪訝そうに眉をひそめるウィルには有無を言わせず、アンリはただ彼の父親に向けて頭を下げた。
心配していたほどのこともなく、ウィルの三者面談はつつがなく終わったらしい。夕方、父親を街の外れまで見送ってから寮に戻ってきたウィルが言うには「そんなにたいした話はしなかったよ」とのことだ。
「成績のことと、進路のことが話の中心で。ちょっと恥ずかしかったけれど、先生も僕の前で僕を悪く言うようなことはなかったし」
それはウィルに悪いところがないからだろうというアンリの主張は黙殺されて、先生も親の前だと遠慮するのかなと、ウィルは一人で勝手に頷いた。
何よりも、自分の進路を親からうるさく言われなかったのが良かった、とウィルは言う。
「うちの親は元々将来のことについてあれこれ口を出してくるタイプではないけれど、この機に乗じて何か言ってきたら面倒だなって思っていたんだ」
杞憂だったとウィルは笑った。進路の話はもちろん出たが、ウィルが高等科へ進むことを中心に考えたいと言うと、父親は喜んで賛成してくれたという。研究者気質の父親には、ウィルが研究を続けていこうとしていることが嬉しかったらしい。
「もっとも、僕はそんなに熱心に研究を志そうと思っているわけでもないんだけどね」
そうウィルは苦笑するが、きっとウィルならその道に進むと決まれば熱心にやるだろうとアンリは思う。それに、先日までは色々と悩んでいると言っていたはずのウィルだが、もうほとんど迷っている様子は見当たらなかった。
「それで、高等科に進むことにしたの?」
「まあ、そのつもりで勉強することにはしたよ」
案の定、ウィルからは躊躇のない答えが返ってきた。
「ほかの道も、選択肢としては残したいと思うけど。高等科に進むことを考えるなら、今のうちからそのつもりで勉強したほうが良いって先生からも助言をもらったし。……父さんも許してくれたから、そのつもりで頑張ろうと思うんだ」
高等科学園へ進学するには、四年生の半ば頃に入学試験を受ける必要があるらしい。中等科学園に入学するための試験のような簡単なものではなくて、五人に一人しか合格できない厳しい試験だ。
さらに進学後も、研究を続けるにあたって必要となる知識は多い。今のうちから備えて勉強しておかないと、とてもではないが高等科学園での研究生活には耐えられないだろうということだ。せっかく試験に合格しても、その後の研究で脱落し、卒業できずに学園を去る者も多いらしい。
頑張らなくちゃ、とウィルは言う。
一方でアンリは、ウィルでさえ頑張らなければいけないという道に、恐怖さえ感じていた。
(……俺には、絶対無理だ)
口には出さないものの、高等科学園への進学という進路だけは絶対に選ぶまいとアンリは心に決めた。
「それで、年末はどうするの」
話がひと段落したところで、ウィルが改めてアンリに問う。
「どうって? ウィルの家に行くこと? 行かせてもらいたいな。俺、ウィルのお父さんともっと色々話してみたい」
「それはもちろん構わないけど、ハーツの家にも行くことになっているだろ? それに加えてうちにもなんて、いくら長期休みとは言っても、そこまでの時間はないんじゃないか」
「あ、そういうことか」
ウィルの父親とこの話をしたとき、ウィルはずっと何かを言いたそうにしていた。不機嫌そうだったので、断られるかもしれないと思って、何も言わせないままに彼の父親との約束を済ませてしまったわけだが。
どうやらウィルは断ろうとしていたのではなくて、休暇中の時間の使い方について心配し、忠告してくれようとしていたらしい。
「大丈夫だと思うよ」
申し訳ないことをしたと反省しながら、アンリは言った。
「移動に魔法を使うんだから。ハーツの家もウィルの家も、往復するのにそんなに時間はかからないよ。あとはそれぞれどのくらい滞在するかだけど、往復の時間を考えなければ、二、三日ずつ居させてもらっても、休暇は全然足りるだろ」
年末年始の休暇はおおむね二十日間。二人の家に二、三日ずつ滞在させてもらったとしても、合計で五日程度だ。なんならほかの家にも行く余裕がある。
年末年始は首都で行事に参加しなければいけないと言っていたマリアやエリックだが、出かけることができないのなら、逆に皆でマリアとエリックのところに押しかけるのはどうだろう。アイラの家に行くのも良い。
楽しい休暇を思い描いて笑顔になるアンリに対し、ウィルは呆れたように、大袈裟にため息をついた。
「……アンリ、もう魔法力を隠すつもりないだろ」
「そりゃあ、だって。皆に対して今さら隠したって、仕方ないだろ?」
「僕らに関してはもう何も言わないけどさ。親になんて言い訳をすればいいのさ……」
そういえば、そうだった。いろんな友達の家を回っているんだと親に説明したとして。「どうやって?」と聞かれたらどうするのか。魔法力を隠したままで、説明はつくのだろうか。
全く思い至っていなかったなと、アンリは今さらながら、どうしようかとぼんやり考えを巡らせる。
考えていなかったのか、とウィルがまたため息をついた。
ウィルのため息を聞きながら、アンリは考えることを諦めて能天気に「まあ、なんとかなるよ」と笑う。
「なんなら俺の魔法力のことは言っちゃったっていいよ。学園の中でバレなければ、それでいいんだから。それより、なんだか俺、休みがすごく楽しみになってきた」
友達の家をめぐり、友達の家族と挨拶して話をして、二十日間を過ごす。考えただけで心が浮き立つようだ。
あれこれと休みのことを考えて微笑むアンリの傍で、ウィルが改めて、深く長いため息をついた。




