(20)
結界の向こうでは相変わらず、ドラゴンの集団がアンリたちに向かって激しい攻撃を繰り返していた。見える範囲の草木は破壊し尽くされ、地面は荒らされ、辺りには荒野と呼ぶのさえためらわれるほど凄惨に荒れ果てた土地が広がっている。
遠くに飛ぶドラゴンたちは、ある程度の距離までは寄って来たものの、それ以上近付こうとはしなかった。アンリたちの様子を窺うようにぐるぐると円を描いて飛びながら、かわるがわる、鳴き声や羽ばたきによる衝撃波で攻撃を繰り返している。
「皆さん、大丈夫ですか?」
今のところ、アンリの結界魔法を突き抜けるほどの攻撃はなさそうだ。そう判断して、アンリは先に二番隊の皆の状況を確認することにした。彼ら自身の張った結界魔法に加えてアンリの結界魔法もあるから、大丈夫でないはずはないのだが。
それでも、二番隊の面々は一様に青い顔をして震えていた。
「ア、アンリさんっ……これは、どうしたらいいんでしょうっ!?」
近くまで戻って来たアンリに、リブルが声を震わせながら問う。ドラゴンの集団に襲われているという事実によって、精神的に相当弱っているらしい。
しかし震えながらとはいえ自身のすべきことを求めてアンリに問いかけるというのは、なかなか根性はあるようだ。
「心配しないでください」
リブルを含め、不安そうにしている二番隊の面々を安心させるべく、アンリはなるべく明るく言った。
「皆さんは、ここで動かずにいてくれればいいですよ。俺がなんとかしますから」
アンリの笑顔に、なぜかリブルは絶望的な顔をする。なんとかすると言っているのに、なぜそんな顔をするのだろうか。首を傾げるアンリの前で、何もかもわかって諦めたような顔をしたケイティが、慰めるようにリブルの肩に手を置いた。
「アンリさんがこう言うからには、どうしようもありません。諦めましょう。こうなってもまだアンリさんにとっては、逃げるほどの事態じゃないんですよ……」
どうやらリブルはドラゴンからの攻撃の嵐の中、もはやこの場にはいたくないと思っているらしい。どうしたらいいのかという問いには、転移魔法を使って逃げるという選択肢への期待が込められていたのかもしれない。
それほど怖がらせてしまったということだろう。申し訳ないことをした、とアンリは情けなくなって眉を八の字にする。
それでも、アンリの選択は変わらない。
「すみません。ええと……いざっていうときには、ちゃんと皆さん連れて逃げますから。心配しないでください」
アンリの言葉にケイティが「ほらね」とため息混じりに言う。アンジェラがスレトウと顔を見合わせて「これでもまだ『いざ』じゃないんだ」と、悲しそうに呟いた。ロイバルはただ深くため息をついている。
心配するなと言っているのに。信用がないんだな、とアンリは自分の言葉に説得力が無いことを悲しく思う。
それなら、行動で信じてもらうしかない。
言葉による説得を諦めたアンリは「じゃあ、そういうことで」と一言置いて、絶望的な空気をまとう二番隊の面々の傍を離れた。
結界魔法越しに、ドラゴンの集団と対峙する。
数は五十頭ほど。中規模の群れだ。アンリの結界魔法を見ても逃げ出さないということは、これまでにアンリが会ったことのない集団だろう。
(全部退治するのは穏やかじゃないよな)
簡単なのは大規模な魔法で、ドラゴンの集団を全て焼き払ってしまうことだ。普段なら周囲の環境保全を意識するところだが、今回の場合、配慮すべき環境はすでにドラゴンの手によって破壊し尽くされている。
しかしそもそも無用な殺生自体、アンリの好むところではない。できることなら、もっと穏やかな方法で解決したい。
ドラゴンの集団を追い払うこと。加えて、今後もアンリや二番隊の皆に対して敵意を持たないようにさせること。
方法はいくつかある。
一番穏やかなのは、ドラゴンと対話し、説得する方法だ。ドラゴンは知能が高いから、事情を説明すれば理解してくれるかもしれない。しかしドラゴンの気が立っている今の状況では、ドラゴンたちを対話の場に引っ張り出すことがそもそも難しい。
それならどうするか。こういう場面も、アンリは何度か経験がある。
アンリは魔法でふわりと飛び上がると、いったん結界魔法を解き、すぐに自分の後ろにもう一度結界魔法を張り直した。二番隊の皆を守る結界魔法はそのままに、自分だけ結界の外に出た形だ。
もちろん、ドラゴンたちがそのことに気付かないわけがない。これまで順番に一頭ずつ攻撃を仕掛けてきていたドラゴンたちが、そろってアンリに目を向けた。
五十頭のドラゴンがアンリを睨み据え、攻撃のために身構える。鳴き声や羽ばたきというレベルではなく、何らかの魔法を使うつもりかもしれない。
「すみませーん」
そんなドラゴンの群れに、アンリは臆することなく、声を張り上げて呼びかけた。
「ええと、お仲間のことはお気の毒でしたが、俺たちも決して、やりたくてやったわけじゃないんですよ! できれば、その辺りの事情の説明を……」
まずはこちらが話し合いを望んでいることをわかってもらおう。そう思っての呼びかけだったが、案の定、ドラゴンたちは聞く耳を持たなかった。アンリの言葉が終わるのを待つことなく、ドラゴンの側から魔法が発射される。人間で言う火炎魔法のような、高温の炎を噴き出す魔法らしい。群れの先頭に位置するドラゴンの鼻先から、炎が渦となってアンリに迫った。
こうなっては仕方がない。アンリは右手を前に掲げて炎を迎え撃つ。
炎が十分に近くまで迫るのを待って、アンリは掲げた右手から強く魔力を放出した。魔法に至る前の純粋な魔力は、ドラゴンが魔法により生み出した炎を覆うように広がる。アンリの魔力に包まれた炎は勢いを減じ、縮み、最後にはシュッと萎むように小さな音を立てて消えた。
せっかく放った魔法を消されたドラゴンは、数秒の間、アンリを見据えたまま呆然と固まっていた。それから再び、炎が消え去ったのは何かの間違いだとでも言うように、何事もなかったかのように全く同じ火炎を発射する。
そうしてアンリも全く同じ方法で、その炎を掻き消した。
ドラゴンの魔力量は膨大だ。それが五十頭も集まっているのだから、さすがのアンリも魔力量では敵わない。しかし実のところ、ドラゴンはその魔力を魔法という形に変換するときの燃費があまりよくない。人間が改良に改良を重ねて効率よく魔法を使っているのに対し、ドラゴンはその膨大な魔力量に胡座をかいて、雑な魔法しか使わないのだ。
強大な火炎魔法にも見える炎の魔法も、実態は大雑把で制御も不確かな、ただ威力が強いだけの魔法だ。魔力制御を得意とするアンリにとって、そんな魔法をかき消すことなど容易い。
しかしドラゴンにとっては、放った炎が二度も消されたことは想定外だったに違いない。動揺したのだろう。呆然と固まる時間が、先刻よりも長かった。
「……休憩するなら、こちらから行きますよ!」
ドラゴンの攻撃の手が止んだ、その時間を無駄にするわけにはいかない。何しろアンリは早く帰りたいのだ。学園の休みは予定通り三日までにしておきたいし、予定より少しでも早く帰れれば試験勉強にも取り組むことができる。
突き出した右手の前に魔法を用意する。重魔法が良いだろう。せっかくの機会だ、自分の限界を試しても良いかもしれない。そう考えて、アンリは掌に二十五の魔法を用意して重ねる。
(前は二十が精一杯だったけど。今なら二十五でも、行ける気がする)
特別に訓練を重ねてきたというわけではない。しかし歳を重ねる毎に魔力量は増えているし、魔法を使う毎に魔力を操作する力には磨きがかかっている。今なら以前よりも更に多くの魔法を重ねることができるように思う。
幸い、ここなら失敗しても人に迷惑をかけることはない。存分に自分の限界を試すことができる。
二十五の魔法を重ねて準備を終えると、アンリはドラゴンの集団に向けて魔法を撃ち出した。直撃してはいけないので、狙いは集団のやや斜め上。掠るくらいなら許容範囲だろう。
重魔法はアンリの狙い通り、真っ直ぐに飛んだ。余波で周囲のドラゴンを吹き飛ばしつつ、直撃はせずに斜め上、空の彼方へと突き進む。
どこかで落下しても困るので、雲を突き抜けてしばらく進んだあたりでアンリは魔力を操作した。少しの間を置いてから、魔法が徐々に萎んで消える。
思ったように魔法を操作できたことで、アンリは満足して一人で大きく頷いた。
(狙いも正確だし、消したいときに消せたし。二十五までならちゃんと重ねられるって言って良さそうかな)
欲を言えば消したいときに即座に消せるくらいのほうが、いざというときに安心だ。今は消すのに数秒かかってしまった。やはり実際に使うのは、多少失敗しても周囲に迷惑をかけない場に限定した方が良いだろう。
魔法力の向上はアンリにとって、嬉しいような悲しいような、複雑な感情を伴うものだ。より難しいことができるようになったという達成感はあるが、これでいっそう「化物」という呼称に真実味が増してしまうと思うと、悲しくもある。
しかし今は、その化物じみた魔法力が極めて有効な場面だ。
ドラゴンの集団に目を遣る。重魔法の余波で吹き飛ばされたドラゴンも、すでに元の位置に戻っていた。大きな怪我をしたドラゴンはいないようだ。
しかし、その目からはすでに、アンリに対する敵愾心が失われている。
「……そろそろ、話し合いをさせてもらっても良いですか?」
大人しく首を垂れるドラゴンたちを前に、アンリはにっこりと微笑んだ。




