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 もう少し近付いて、魔力溜まりの様子を確認しましょう。


 そんなケイティの言葉にアンリも頷いて、全員で崖に向けて歩みを進めた。徐々に魔力溜まりの気配が強くなる。


「あれ、ですね……」


 改めてケイティが深刻な声で言ったのは、魔力溜まりとなっている崖の切れ目のすぐ近くにまでたどり着いてからだった。


 高い崖は、近くで見上げると天まで届いているのではないかと錯覚しそうなほどだ。そこに、ごく細い谷がある。谷と言っても上のほうはただのひび割れのような隙間にすぎないから、洞窟に近い。下の地面に近づくにつれてひび割れが徐々に広がり、アンリたちの目線の高さでは、人が両手を広げたくらいの幅になっている。


 目指す魔力溜まりは、その割れ目の奥と聞いている。しかし。


「あの奥……っていうか、もうはみ出してきてるんじゃないですか……?」


 スレトウが苦い顔で言う。アンリを含め、誰もその言葉を否定しなかった。割れ目の奥にあると聞いていた魔力溜まりだが、魔力溜まりの濃密な魔力は、すでにその割れ目から外へと漏れ出している。


 最初にこの魔力溜まりが観測されてから、いくらか日が経っている。土地柄もあり、魔力溜まりがだいぶ成長してしまったのだろう。


「……ま、やることは同じです、よね?」


 アンジェラが、やや不安の滲む声で言った。大きさがどうであれ、魔力溜まりの対処の仕方は同じ。濃い魔力に汚染されないよう気をつけながら中に入り、魔力溜まりの核となっている物を取り除くだけ。二番隊なら、これまで何度でも対処の経験はあるだろう。


 だが、これを一般的な魔力溜まりの解消と同じと思っては、危ないかもしれない。

 アンリは注意を喚起しようと口を開きかけたが、それより早く、リブルが同じことを声に出した。


「あれだと、ドラゴンが寄ってくるかもしれないですよね……」


 その通り。アンリは大きく頷いて、リブルの言葉に同意する。


 そもそもこのドラゴンの山脈の中で魔力溜まりが発生してしまったのは、ドラゴンが入り込めないほど狭い谷の中で起こったことだったからだ。谷は狭く、アンリたちのような人間であれば何とか奥まで行くこともできようが、ドラゴンでは入口から首を突っ込むくらいがせいぜいだろう。その奥の魔力溜まりに、ドラゴンは手も足も出せなかったはずだ。


 ところが今や、魔力溜まりの濃密な魔力は谷の外にまで漏れ出てきてしまっている。もしも近くのドラゴンがこの事態に気付けば、必ず魔力を喰いにやってくるだろう。


「二組に分かれよう。僕とリブル、アンジェラは、奥で魔力溜まりの対応。ケイティとスレトウ、それからアンリさんは外でドラゴンの警戒……いかがですか?」


 ロイバルが二番隊の面々に指示を出しつつ、アンリを窺う。妥当な判断だ。アンリも頷いて、彼の作戦を支持した。


 魔力溜まりの処理だけなら、二番隊の二、三人で問題はないだろう。それよりも、アンリは外のドラゴンに対する警戒に当たったほうが良い。


 だけど、とアンリは条件を付した。


「撤退すべきだと判断したら、合図します。そのときは、たとえ魔力溜まりの処理が途中であったとしても俺の指示に従ってください」


 アンリの言葉に、二番隊の面々は全員がすぐに頷いた。






 そうしてアンリたちは崖までの最後の少しを進み始めた。しかし結局、目的の谷間にたどり着くことはできなかった。


 アンリの「止まって」という言葉に二番隊の面々は素早く反応し、次の一歩を踏み出すことなくピタリと足を止める。指示に対する動きの良さは、さすがに二番隊と言えるところかもしれない。


 全員が足を止めた直後。辺りに地響きのような、重い音が響き渡った。ドラゴンの咆哮だ。


「……近いですね。隠れましょう」


 たまたま近くを通っただけならば、何も気付かずにそのまま通り過ぎてくれるかもしれない。


 淡い期待を持って、アンリは近くの木の根元で身を縮める。それに倣って二番隊の五人も、近くの岩陰や草間に身を潜めた。


 身を隠したまま、首を捻って空を見上げる。上空はるか高くを、一頭のドラゴンが滑るように飛ぶのが見えた。


(そのまま、そのまま……)


 そのまま飛び去ってほしい。しかしアンリの願い空しく、ドラゴンはくるりと旋回すると、高くそびえ立つ崖の上に降り立った。崖の縁から、覗くように下に目を向ける。どうやら魔力溜まりに気付いたようだ。


 不意に、ドラゴンの目が、アンリたちの隠れる辺りへと向いた。


「耳を塞いで!」


 叫ぶように警告しつつ、アンリは自身も両手で耳を塞ぐ。直後に、ドラゴンの咆哮。先ほどよりも大きく、力強く、魔力の籠もった咆哮だ。ただ周囲を警戒するための鳴き声ではない。明らかにアンリたちに対して敵意を持ち、威嚇している。


 耳を塞いでもなお、耳から頭のてっぺんへ突き抜けるような鋭い音。肌が震え、骨の髄まで響くような轟音。最近ドラゴン関係の任務に携わっていなかったアンリにとって、懐かしい感覚だ。


「どうします!? 攻撃、しちゃいけないんですよねっ!?」


 ドラゴンの咆哮に負けないように、叫ぶような声でケイティが言う。ドラゴンに見つかり敵視されてしまった今となっては、もはや姿を隠すことも声を抑えることも意味はない。アンリも「そうですね!」と大声で返した。


「ちょっと離れましょうか! こっちに敵意がないことを、わかってもらわないと!」


 轟音に震える身体を叱咤して立ち上がり、視線はドラゴンから離さないように気をつけながら、ゆっくりとその場から後退する。二番隊の面々もアンリに倣って、一歩、二歩とゆっくり後ろに下がった。


 大きな距離を下がる必要はない。ドラゴンは賢く感覚の鋭い動物だから、わずかでもアンリたちが後退の姿勢を見せれば、その意図は伝わるだろう。


 果たしてアンリたちが大股に五歩ほど移動したところで、ようやく空気を震わせる咆哮が止んだ。一瞬前までの轟音が嘘のように、辺りに静寂が戻る。それでも頭の中でぐわんぐわんと先ほどまでの音が反響しているような気がして、アンリは顔をしかめた。


「ええと……皆さん、大丈夫です?」


 改めて、アンリは周りの五人を見渡す。さすがに二番隊だけあって、気絶したり、大きく消耗したりしている者はいないようだ。皆、うんざりとした様子で顔を見合わせていた。


「我々は大丈夫ですけど、これ、どうしたらいいんでしょうね」


 ため息混じりにロイバルが言う。


 改めてドラゴンを見遣れば、威嚇の声を上げるのはやめたものの、まだ警戒心の残った様子でアンリたちを睨んでいる。一歩でも崖に近寄れば、またあの咆哮が飛んでくるだろう。あるいは別の、もっと直接的な攻撃が放たれるかもしれない。


「少し、様子を見ましょうか」


 早く任務を終わらせて学園に帰りたいアンリではあるが、ここで焦るのは良くない。ドラゴン一頭を追い払うくらいは簡単だが、それによって仲間を呼ばれてはたまらない。


 それに希望的観測ではあるが、うまくすればアンリたちが何もしなくても、魔力溜まりが解消されるという道も見えてきた。


「……あのドラゴンが魔力溜まりの魔力を喰ったとして。それで魔力溜まりが解消されれば万々歳なんですけど」


 アンリの言葉に、二番隊の面々はぎょっとした様子を見せる。何を言ってるんですか、とリブルが真面目に反論した。


「まさか、あのドラゴンが魔力溜まりの魔力を吸い尽くすのを待つつもりですか。そんなことして、もしあのドラゴンが凶暴化したら、どうするんですか……!」


「え、ええと……まあ、そのときはそのときで」


 リブルの剣幕に、アンリは少々気圧されながら答える。


 一般的に、魔力を多く吸いすぎた動物は凶暴化する。それはドラゴンであろうと例外ではない。ただ、ドラゴンは元々の魔力許容量が多いから、魔力過多により凶暴化したドラゴンなどそうそうお目にかかれるものではない。


 今、谷間に発生している魔力溜まりの魔力をあのドラゴンが吸い尽くしたとして。凶暴化する確率は、どのくらいだろうか。


「十中八九、凶暴化するんじゃありませんか。そんなに大型のドラゴンでもなさそうですし、あの魔力溜まりの魔力も、かなり多そうです」


 いまだに崖の上でアンリたちの動向を注意深く睨んでいるドラゴン。それを見据えながら、ケイティが言う。冷静そうにしてはいるが、声はやや震えていた。彼女を安心させるために「そうですね」とアンリはあえて軽く頷く。


「大丈夫ですよ。もしもそうなったら、俺がなんとかしますから」


 おそらくあのドラゴンはケイティの言葉のとおり、魔力溜まりの魔力を吸って凶暴化するに違いない。


 魔力の吸い過ぎで凶暴化したドラゴンは、どんなに山深くに棲むドラゴンであろうと、見つけ次第退治する決まりだ。生かしておけばすぐに周囲の生き物を襲うようになるし、人の住む街を襲うこともあり得る。そうなってからでは遅いから、なるべく早くに手を打つに限る。


 ただ、凶暴化したドラゴンの対応は一番隊でも慎重になる案件だ。さすがにそうなったら、アンリも補佐に徹するなどと言ってはいられない。むしろ、アンリが積極的に解決すべき案件と見做して良いはずだ。


 でも、と口を開いたのはスレトウだった。


「今回はアンリさんがやってくれるっていうのでいいですけど。もし今後俺たちだけでこういう任務に当たるとしたら、今みたいなときにはどうするのが正解ですかね?」


 どうやらスレトウは、真面目に今後のことを考えているらしい。ロブの推薦を受け、若くして二番隊にまで昇進したという経歴は伊達ではないなとアンリは感心する。


 今回の任務はこれから先ドラゴンの山脈における任務を二番隊が受け持っていくための、いわば予行演習だ。予行演習としてアンリの同行があったから、こういう非常事態にも対処ができる。けれども、今後いつもアンリが同行するというわけにはいかない。スレトウは、そのことを意識して尋ねたのだろう。


 逃げてください、とアンリは言った。


「凶暴化したドラゴンは危険ですから。特に、この山脈では。今のようにドラゴンに凶暴化の可能性が見受けられたら、その時点で逃げてください」


 ドラゴンが群れで生活するこの山脈で、仮に一頭のドラゴンが凶暴化してしまった場合。退治するにあたっての困難は、その一頭の危険性ばかりではない。


 その一頭を攻撃すれば、同じ群れで生活する周囲のドラゴンが一斉に集まってくるのだ。凶暴化にいたっていないとはいえ、ドラゴンはドラゴン。集団で襲ってこられては、たまったものではない。


「ここでのドラゴンの凶暴化なんて、一番隊でも対応を躊躇するくらいです。皆さんが逃げ帰ったところで、誰も文句は言いませんよ。むしろ生きて情報を持って帰るだけでも、評価されると思います」


 その情報をもとに、今度は一番隊の誰かーードラゴン退治に慣れていて、凶暴化したドラゴンやドラゴンの群れにも対応できるだけの実力を持った誰かが派遣されるだろう。


「一番隊の中でも、不安なく対応できるのは十人いるかどうかってところです。隊長とか、ロブさんとか。あと、一応俺も……」


 アンリがそんなことを説明しているうちに、崖の上のドラゴンがばさりと大きく翼を動かした。警戒するアンリたちを無視して、崖下目指して飛び降りる。ドラゴンは地表付近で翼を広げて減速すると、そのままふわりと魔力溜まりの近くに降り立った。


 アンリたちには目もくれず、ドラゴンは魔力溜まりを目指す。

 その鼻先が、魔力溜まりの魔力に触れた。

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