(16)
そのままアンリたちは、目的地に向けてひたすら歩みを進めた。
魔力探査の件もあって、アンリは歩きながら細かく注意点を話すようにした。
魔力探査を使ってはならないことなど、アンリにとっては常識だ。しかし普段ドラゴンの山脈での任務を受けることがない二番隊の面々にとってはそうではなかった。そういった経験の差をできるだけ埋めておいたほうが良いだろうと思ってのことだ。
もちろん話すだけで簡単に対応できるようになるとはアンリも思っていない。だが、知らないよりはマシだろう。そんな思いで、アンリはドラゴンの山脈での任務における注意点を、思いつくままにつらつらと話す。
ドラゴンは早く動くものを警戒するので、移動はできるだけゆっくりと行うこと。ドラゴンは遠くからでも鳴き声や羽ばたきで攻撃してくるので、敵意を向けられたら躊躇わず速やかに結界魔法を使うこと。
「ドラゴンの近くで魔法は厳禁なんじゃないんですか?」
「敵意を向けられたら、もうそんなこと言っていられないですよ。自分の身を守るのが第一です」
アンリの言葉に二番隊の面々は納得したようだが、いざとなったらどうだろうなとアンリは内心で疑う。魔法を使わないことに神経を使っているなか、いざというときには咄嗟の判断で魔法を使わなければならない。実力者揃いの二番隊でも、慣れないと難しいだろう。
とはいえ、そんなときのフォローのために、こうしてアンリがついてきたのだ。いざというときには自分が何とかしなければと、アンリは一層気を引き締める。
「ほかには何かありますか?」
積極的に助言を求めてきたのは、先ほど失敗したばかりのリブルだ。同じ過ちを繰り返すまいと、気合が入っているのがわかる。
「そうですね……あ、そうそう。攻撃を受けたら、反撃しないで逃げてください」
えっ、とリブルが意外そうに声を上げた。そうか、これもちゃんと伝えておかなければいけなかったのか、とアンリは反省しつつ説明する。
「ドラゴンって、群れで生活しているときには助け合う性質があるんですよ。はぐれドラゴンならいいんですけど、群れで生活しているドラゴンの場合は、攻撃を受けると仲間を呼ぶんです。一頭ならまだしも、たくさん集まってくると結構面倒ですからね。だから、こちらからはできるだけ攻撃しないようにして、逃げるんです」
アンリの説明に、二番隊の面々はまたも「へえ」と納得したふうに頷いた。
その反応にアンリは、今までどれだけドラゴンの山脈における任務が一番隊のみで独占されてきたかを感じる。二番隊にも任務を任せるのであれば、まずは座学で前提となる知識を身につけてもらったほうが良いのではないだろうか。あとで隊長に進言しておこう。
いずれにしても今回は事前の準備期間も少なく、色々と教え込んでいる時間はなかったはずだ。こうしてアンリが道中で話すか、もはや実地で経験から学んでもらうしかない。
(どっちにしても、ちゃんと補佐しなきゃいけないってことだよな)
アンリは今回の任務を二番隊の付き添いのような気分で承知していた。いざというときには口も手も魔法も出すが、それまでは、ただ付き添っていれば良いものと思っていた。だが、どうやらそんな軽い気分でいてはいけないらしい。一緒に行くのは、まだドラゴンの山脈のことを何も知らない隊員たちなのだ。
気を引き締め直すと同時に、アンリは素朴な疑問を抱いた。
「……っていうか、こんなに前情報が無い状態で、不安じゃなかったんですか?」
アンリの問いに、二番隊の面々が気まずそうな顔をする。聞いてはいけなかっただろうかとアンリが「やっぱりいいです」と断ろうとしたところで、その前に、リブルが口を開いた。
「多少の不安はあったんですけどね。ただ、任務だから仕方がないし、そもそもケイティとスレトウが……」
「ちょっとリブル、人を売るようなことを言わないでください」
ケイティが慌てた様子でリブルの言葉を止める。不審に思ったアンリは問いを引っ込めるのをやめて、首を傾げつつ五人の様子を観察した。その視線に耐えかねたように、職員の一人、アンジェラが口を開く。
「私だって不安だったんですよ。ただケイティさんが、アンリさんが一緒ならドラゴンが百頭襲ってきたって大丈夫だって言うから。この中でアンリさんとの任務経験が一番多いのはケイティさんだし、信用できるかなと思って」
「そうそう。あとスレトウも、ロブさんのお墨付きのある人だから大丈夫って、自信を持って言っていたよね?」
アンジェラの言葉を後押ししたのは、ロイバルという職員だ。二人の言葉に同意するようにリブルが大きく頷く。
なるほどなるほどと、アンリは納得して頷きつつ、ケイティとスレトウに目を遣った。二人とも、気まずそうに目を逸らすばかりだ。
「……つまり、俺がドラゴン百頭を相手にしても皆さんを守りつつ戦える化物だから、何があろうと平気ってことですか?」
アンリがそう言っても、ケイティとスレトウは目を逸らせたまま、何も応えなかった。この場合、応えが無いのは肯定と捉えて良いだろう。
失礼な、とアンリは口を尖らせる。
人を化物呼ばわりするロブも失礼だが、それを否定せずに周りに流布するスレトウもよほどのものだ。ケイティだって、アンリとよく仕事をともにしているからこそ、アンリの実力のことはよく知っているだろうに。
さすがにドラゴン百頭を相手にしたら、アンリだって全員を守りながら戦うのは至難の業だ。そんなことを平気でこなす化物になったつもりはない。
「いいですか」
アンリはケイティとスレトウを含めた全員に対して、改めて言い聞かせるように口を開いた。
「俺だって人間です。ドラゴン百頭を相手にしたら、退治にはそれなりに時間がかかります。もしもそうなったら、その間、皆さんもちゃんと自分の身は自分で守ってください」
そのくらいの自衛はしてもらわないと、さすがに守り切ることは難しい。不安にさせてしまうことはアンリの本意ではないが、さすがに緊張感は持ってもらわないと困る。
アンリの言葉に不安を思い出したように青い顔をしたリブルが、恐る恐るといった調子で口を開いた。
「ええと、ちょっとお聞きしたいんですけど……」
はい、とアンリは首を傾げる。対ドラゴン戦における自衛の方法だろうか。それなら、移動しながらでも最低限は教えられるだろう。
「……つまりアンリさんは、ドラゴン百頭を相手にしても、時間さえかければ退治できるってことですか?」
アンリははっとして、言葉を詰まらせた。
おそらくこれは、肯定してはいけない問いだ。
しばらく悩んだがどうにも言い訳が思い浮かばず、アンリは肯定も否定もせずにただ曖昧に視線を斜め上に向けた。
野営地は、ドラゴンの縄張りの中で探す。
アンリのその発言には、さすがにケイティやスレトウを含めた全員が顔色を変えた。
「ちょっ……アンリさん、なんでわざわざそんな危険なことをするんですか」
口を開いたのはケイティだ。ようやくケイティから普通の反応が出てきたので、アンリは嬉しくなって、にまにまと抑えきれない笑みを浮かべた。アンリが一緒であったとしても、さすがにドラゴンの縄張りの中での野営となると安心してはいられないと思えるらしい。
笑うアンリに対して、ケイティは呆れたような、怒ったような顔を向ける。
「冗談はやめてくださいよ。次回からは、我々だけでこの辺りの任務に来なければいけないかもしれないんですから。アンリさん基準ではなくて、私たちにできる方法を教えてください」
「そんなこと言われても」
なんだ、と拍子抜けしてアンリは眉をひそめた。アンリがいても不安だと思えたのではなくて、アンリにしかできない方法だと思われただけらしい。自身に対する化物じみた印象が抜けていないことを、アンリは残念に思う。
残念ついでに、ため息をつきながら種明かしをすることにした。
「ドラゴンの山脈では、これが普通の方法なんですよ。大丈夫、縄張りに入ったからと言って、ドラゴンはそうそう襲ってきませんから」
ドラゴンが縄張り争いをする相手は、同じドラゴンだけだ。縄張りの中に他の動物や、あるいは人間が入ってきたところで、ドラゴンはほとんど気にも留めない。
「むしろ縄張りと縄張りの境目みたいなところに行っちゃうと、ドラゴン同士の喧嘩に巻き込まれるかもしれないから危険ですし。かといって、縄張りから遠く離れた場所で野営するんだと、いつまで経っても目的地に近づけませんから」
「だからいっそのこと、縄張りの中に入って野営する、と……」
「そういうことです。ドラゴンを刺激しないように、いくつかルールさえ守れば、安全に過ごせますよ」
火は使っても良いができるだけ煙が立たないように気をつけること。匂いの強い食べ物は避けること。ゴミは密閉容器に入れて、匂いが出ないようにすること。
それから、道中に引き続き、魔法を使用しないこと。
「特に魔法は厳禁です。縄張りの中で魔法を使うと、魔力の気配で餌がいるって勘違いするらしいんですよ。ドラゴンに食べられたくなかったら、魔法は控えてください」
アンリが真面目ぶって言うと、二番隊の面々は疑いもせずにしっかりと頷いた。
実のところ、ドラゴンにも気づかれないように隠蔽魔法を駆使すれば、魔法を使っても差し支えないのだ。ただ、その水準で隠蔽魔法が使える人間を、アンリは自分と隊長、そしてロブ以外に知らない。
二番隊の職員たちにあえてそんな使えない知識を植え付ける必要はないだろう。意味のない知識のために、また変な目で見られるのはごめんだ。
(俺も、魔法を使わないように気をつけないと……)
いつもドラゴンの山脈で使っているような魔法を、今回は使わないように。慎重になろうとアンリは心に決める。
そもそも隠蔽魔法付きなら二番隊の五人にも気付かれずに魔法を使うことはできるかもしれない。けれども仮にも防衛局で二番目に実力の高い部隊の隊員たちだ。あまり舐めてかかっては、思わぬ落とし穴に嵌るだろう。慎重になるに越したことはない。
「今の注意点さえ守れば、あとは普通の野営と同じです。じゃあ、ここらへんでテントを張りましょうか」
こうして野営地を決めたアンリは、いつもと違って魔法が使えずに面倒だと思いながらも、二番隊の隊員たちとせっせとテントを組み立てた。




