(9)
エリックの提案はアンリだけでなく、皆にとっても予想外だったらしい。皆が目を丸くする中で、エリックはやや気まずそうに視線を泳がせながら、困ったような顔をした。
「えっと……僕、そんなに変なことを言ったかな?」
「変ではありません。ただ、全く思いついていなかったので」
戸惑うエリックに対してイルマークが返す。イルマークの声にも困惑は混じっているが、嫌そうではない。むしろ「その手があったか」と感心しているようだった。
「俺もある程度決めているとはいえ、やっぱりこれで良いのかって不安はあるし。先輩に話を聞くっていうのは良い案だな」
ハーツも話に乗り気だ。マリアも驚きから醒めると「いいね」と表情を明るくした。もちろん、アンリにも否やはない。
「先輩っていうと三年生かな、誰が良いだろう?」
キャロルか、サニアか、スグルか……知っている三年生の顔を思い浮かべ始めたアンリに対し、エリックは「三年生は今の時期忙しいから、四年生がいいよ」と言った。今の時期忙しいとはどういう意味だろうか。アンリが首を傾げると、エリックは苦笑する。
「ふつうは三年生の終わりの時期から四年生の始めにかけての時期で、具体的な進路を決めるんだ。つまり今だね。三年生は今、就職活動の真っ只中なんだよ」
交流大会で自身の力を示してスカウトされる生徒がいる。そうでない生徒は自ら希望する先を訪ねて行って、自分を採用してくれと談判する。卒業後の進路を決めるためのそうした活動に、三年生はまさに今、取り組んでいるというわけだ。
後輩のために時間を取る余裕なんて、あるわけがない。
「四年生ならもう進路も決まっている人が多いし。人によるだろうけど、時間も作ってもらいやすいんじゃないかな」
エリックの言葉に、アンリは自分の知る四年生の顔を思い浮かべる。そういえば魔法工芸部の前部長であるロイは、交流大会が終わったにもかかわらず、よく部活動の作業室に顔を出している。時間に余裕があるのかもしれない。優しく気の良いロイだから、頼めば時間をつくってもらえるだろう。
あるいは魔法器具製作部の前部長であるレヴィ。アンリには新人勧誘期に、魔法器具製作部の危機を救った実績がある。それを貸しと捉えて、今こそ貸しを返してもらうときなのではないだろうか。
アンリの考えていることを知ってか知らずか、エリックが「僕、魔法器具製作部の先輩に声をかけてみるよ」と言った。そういえばエリックは、レヴィとは初等科学園時代からの知り合いだったはずだ。きっとエリックから頼んだほうが穏便だろうと、アンリも頷く。
他にも何人かから話を聞きたいねと言うエリックにアンリがロイの名前を挙げると、イルマークも大きく頷いた。それからハーツが「じゃあ俺は園芸部の先輩に声をかけてみる」と請け合う。
「じゃあそれぞれ先輩に声をかけてみることにして、今日は勉強をしようか」
エリックの言葉でアンリ、マリア、ハーツ、イルマークの四人は、改めて今日集まった目的を思い出してはっとした。
翌日、アンリは勉強会の参加を昼休みだけにして、授業後には魔法工芸部の作業室へと向かった。部活動が試験前の休み期間に入る前に、ロイに会って約束を取りつけておきたかったのだ。
ロイが来ていると良いのだけれど、とアンリは期待を持って作業室の扉を開けたが、残念ながらロイの姿は見当たらなかった。代わりに、最近見かけなかったキャロルの姿が目に入る。
ちょうど作業台に向かって作業を始めようとしていた様子のキャロルだったが、顔を上げてアンリを見つけると、嬉しそうに笑った。
「あら、アンリさん。お久しぶり」
「お久しぶりです。最近来てなかったですよね。忙しかったんですか?」
「そうなのよねえ」
キャロルはふうっと疲れたため息をつく。
話を聞くと、キャロルが部活動に顔を出す暇もないほど忙しくしていたのは、どうやらちょうど就職活動のためだったらしい。交流大会で作品が評価され、キャロルのもとにはいくつかスカウトの話が舞い込んだ。その相手先に説明を聞きに行ったり、あるいは追加でキャロルの力を示す作品を持ち込んだり。スカウトであるにも関わらず、試験のように作品の制作を課すところもあったらしい。
そんなこんなで授業後にはいつもどこかしらの工房に顔を出していたので、なかなか部活動に来られなかったそうだ。
「でも今日来たってことは、無事に就職先が決まったっていうことですか?」
「うーん、それが、そうでもないのよねえ……」
キャロルは曖昧に言葉を濁す。どうやら就職活動は、未だ途中であるらしい。
「ちょっと、悩んでしまって……今日はどこの工房さんともお約束がなかったから、息抜きをしに来たの」
息抜きと言いつつ、キャロルの手元に並んでいるのはしっかりとした魔法工芸用の道具と素材だ。何か大きな作品をつくろうとしているに違いない。
魔法工芸の工房巡りで疲れているはずなのに、息抜きまで魔法工芸というのはキャロルらしい。そんなことを笑って話して良いものかどうか、アンリが迷っているうちに、また作業室の扉が開いた。
キャロルが顔を輝かせる。
「ロイさん、お久しぶりです!」
「久しぶり、キャロル。就職活動は順調?」
入ってきたロイがまずそんなことを尋ねるものだから、明るくなったはずのキャロルの表情がまた花が萎むように暗くなった。ロイは慌てることもなく、苦笑しながら「まあ、そんなものだよね」と頷く。さすがに経験者は違う。
「アンリ君も、最近は珍しく来ていなかったみたいだけど。もしかして、そろそろ面談の時期かな?」
「あ、はい。あと、試験勉強もしなくちゃと思って」
えらいね、とロイが笑う。そのまま作業室奥にある自身の作業台へと向かおうとするロイを、アンリは咄嗟に呼び止めた。
「あの、ロイさんにお願いがあるんですけど」
何だい、と振り返ってくれたロイに、アンリは友人たちとの話を伝える。
ロイはアンリの頼みを快く受け入れてくれた。予想外だったのは、その場で聞いていたキャロルが身を乗り出すようにして「私も! 私も参加させてちょうだい! ロイさんのお話、私にも聞かせてくださいっ」と強く希望したことだ。就職活動での悩みについて、ロイに相談したいという思いがあるのかもしれない。
キャロルの必死さに、ロイは笑いを堪えるような声で言った。
「僕は構わないよ。キャロルが就職活動でどれだけ悩んでいるかを見るのは、きっと二年生たちにも参考になるだろうしね。よければ、同室のヤンにも声をかけておくよ。アンリ君、ヤンのことは覚えている?」
アンリは今年の始めのことを思い出しつつ頷いた。防衛局戦闘部の任務に参加する体験プログラムで、ヤンとは一緒になったことがある。
「……たしか、防衛局への就職が決まっていたんでしたっけ?」
「うん、その通り。ヤンは卒業したら防衛局の戦闘部に就職することになっているんだ。僕の話なんかより、ずっと面白いんじゃないかな」
そんなことはない、とアンリは大きく首を振った。防衛局への就職が決まった人の話など、アンリにとってはいくらでも聞く機会がある。防衛局の仲間たちにちょっと声をかければ良いだけだ。
一方で、おそらく魔法工芸の道に進むことになったのであろうロイの話は、ほかでは聞けない。そのぶん貴重なのだと伝えたいが、うまく伝える言葉が思いつかない。
アンリが言葉を探しているうちに、ロイは「まあとにかく」と話をまとめてしまった。
「善は急げだ。明日の授業後に、寮の談話室でっていうことでどうかな? 僕たちの部屋でもいいけれど、そうするとキャロルたちが入れないからね」
寮は女子寮と男子寮に分かれていて、男子は女子寮に入れないし、女子は男子寮に入れないことになっている。唯一の例外が、各寮の一階に設けられた談話室だ。男女問わずに集まれるその部屋は、よく友人たちで集まるのに使われている。
キャロルだけでなくマリアがいることも考えると、談話室というのはありがたい。
よろしくお願いします、とアンリは深く頭を下げた。




