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なぜあんな危険な魔法を使ったのか、大事故に繋がったらどうするのか、なぜ上級戦闘職員である貴方がこんな大会に参加しているのか、そもそも仮にも学園で講師を務めた身として恥ずかしくないのか……
控室に現れたロブに対して、レイナは延々と苦情を並べ立てた。その勢いときたら、直接言葉を向けられているわけではないはずのアンリやウィルでさえ震え上がって身を縮めるほどだ。
ところが当のロブは、全く意にも介さない。どんなにレイナから責め立てられようが、にこにこと聞き流すのみ。
ロブの神経が図太いことは知っていたが、まさかこれほどとは……アンリはレイナとロブとの様子を窺って、ロブの悪い意味でのおおらかさに呆れた。
「まあまあ、先生。落ち着いて」
「落ち着けるわけがないでしょう!」
のんびりとしたロブの言葉に、レイナがいっそう声を荒げた。わかりますよ、その気持ち。アンリは心中でレイナに同情する。本当に、こちらの言うことを聞く気がないロブに物を言い聞かせるのは大変なのだ。
「そう大きな声を出さないで。二人が怖がりますよ」
「……誰のせいだとっ!」
「まあ、おおかたは私のせいでしょうね。それは認めましょう」
ロブは学園で講師を務めていたときのような、爽やかな調子で言った。
「実はね、彼とは賭けをしていたんですよ。この模擬戦闘で私の攻撃を凌ぎきったら、彼の言い分を認める、と」
いったい何の話を始めようというのか。訝しく思ってアンリが視線を向けると、ロブは「任せておけ」と言わんばかりの得意げな笑みを浮かべた。
「彼には魔法の才能がある。それは先生もお認めでしょう?」
ロブは軽やかな声で続けた。レイナはしかめ面のまま、それでもひとまずロブの言い分を聞くことにしたようだ。不満げではあるが、ロブの問いかけには頷いた。
レイナの応えに、ロブは満足そうに頷く。一方でアンリは、態度には出さなかったものの、心中で動揺していた。レイナに才能があると思われていたとは。頑張って魔法力を抑えているつもりなのに、その努力は功を成していないと……?
アンリの動揺をよそに、ロブは明るく続けた。
「それで私は、彼を防衛局に招き入れようと思ったんですよ。いわゆるスカウトというやつですね。中等科学園を辞めて防衛局で働かないか、そうすれば魔法力をもっと伸ばせるぞと。そう言って誘いました」
レイナの眉間の皺が深くなる。もうこれ以上に機嫌の悪い顔はできないだろうと思われたレイナの顔がさらに恐ろしいものになったので、アンリもウィルも慌てて視線を下げた。
ロブだけが、何ら気にするふうもなく続ける。
「そしたらそいつ、なんて言ったと思います? 自分の魔法力はもう十分高いから、これ以上伸ばす必要はないと。そんなことを言ったんですよ」
ロブの声に、面白がるような響きが加わった。なんてことを言うんだと顔を上げたアンリは、ちょうどこちらを振り返ったレイナと目が合ってしまう。般若のような顔に恐れをなして、アンリは再び下を向く。
「そこで私は彼と勝負をすることにしたんです。この模擬戦闘大会で、まずは私と対戦できるところまで勝ち残ること。そして私との試合で私の攻撃を凌ぎきることができれば、彼の言い分を認めると。ただし私が勝ったら、彼には防衛局に来てもらう。そういう約束をしました」
結果は先ほど見てもらったとおりです、とロブは声に自嘲を混ぜた。
「きっと彼は、よほど自分の力を認めさせたかったんでしょうね。あるいは中等科学園を辞めたくなかったか……いずれにせよ、うまいこと勝負をつけて彼を防衛局に連れて行ってしまおうという私の目論見は、潰えてしまいました」
俯いてロブの声だけを聞いていたアンリは、はっとして顔を上げた。ロブもアンリを見ている。肩をすくめて「仕方がないな」と諦めた様子で笑うロブ。どうやらこれは、単なるレイナに向けての言い訳ということではないらしい。
中等科学園に残ることを認められたのだ。
元々の条件は、アンリがこの大会で優勝するというものだった。ところが大会自体が中止になったから、条件が曖昧になってしまっている。
ロブがあくまで「優勝」にこだわるなら、また面倒な口論に発展するだろうと思っていたところだ。しかしロブは、今日の模擬戦闘を以て条件が満たされたと認めてくれるつもりらしい。
アンリの胸に、じんわりと喜びが込み上げてくる。
一方でレイナの顔に浮かんだ不快の色が消えることはなかった。
「……それで? そんなことのために、あんなに危険なことをしたと?」
「そんなこととは酷い言いようですね、私にとっては一大事だったんですが。……もちろん、加減はしましたよ。万が一魔法が当たっても、彼が即死することはなかったはずだ。生きてさえいれば、治癒魔法でどうとでもなる」
ロブの言葉にアンリは苦笑した。間違ってはいない。たしかにロブの魔法には手加減を感じた。しかし当たれば大怪我は免れなかっただろうし、ロブが治癒魔法を苦手としていることをアンリは知っている。どうせ、何かあった場合のリカバリーはアンリ任せだったに違いない。
そんな事情を知っているわけではないだろうが、レイナも厳しい表情を崩さなかった。
「命が助かれば良いという問題ではありません。魔法に関わる大事故は、生徒の精神面に大きな影響を及ぼす……それによって、魔法が使えなくなることもあり得る重大な問題です」
憤りのあまりむしろ平坦になった声でレイナは「そもそも」と続けた。
「なぜ防衛局の上級戦闘職員ともあろうお方が、たかだか学園の行事に過ぎない模擬戦闘に参加しておられるのですか」
口調は丁寧だが、明確にロブを非難していた。ロブは苦笑して肩をすくめる。
「誰でも参加できる大会でしょう? 俺が出場したからといって、咎められるいわれはないはずだ。特に今日は、わざわざ休暇をとって参加したんですよ。今日の俺の行動は、防衛局の戦闘職員という立場とは無関係です」
「たとえ休暇中であろうと、貴方の身分が失われるというものではないでしょう。もっと自覚を持って行動していただきたいものです」
「……貴女に言われる筋合いのことじゃないですよ」
ロブは鬱陶しそうな顔をして言った。だんだんと口調がぞんざいになってきている。レイナの相手をすることが面倒になってきたのかもしれない。良い気味だ、とアンリはほくそ笑んだ。
しかしレイナはロブの言い分に「たしかに、それは私の言うべきことではありませんね」と矛先を引っ込めてしまった。アンリにとっては悔しいことに、ロブがにやりと笑う。
ですが、とレイナは強く言い直した。
「学園生のことであれば私の範疇ですから、言わせていただきましょう。彼を防衛局にスカウトする? ふざけないでいただきたい」
レイナの鋭い声に、ロブは意表を突かれたように固まった。その隙にレイナが言い募る。
「中等科学園生はまだ子供です。学園で学ぶべきことがまだまだたくさんある。学園を途中で辞めて防衛局に行かせるなんて、許せるわけがありません。そんな当然のことも考えずに、あまつさえあんな危険なことをするとは。浅慮と言わざるを得ませんね」
レイナの言葉には、冷たく静かな怒りがこもっていた。ロブはまいったなというように頭をかく。それが不真面目な態度に見えたのだろう。レイナは再び語調を強めて「とにかく」と続けた。
「今日の件については後ほど、防衛局に対して抗議の申し入れをさせていただきます。……魔法力を活かす場を求める生徒には進路として防衛局を積極的に勧めてきましたが、今後はそれも考え直す必要がありそうですね」
レイナがそう言ったところで、模擬戦闘大会の運営スタッフが控室に入ってきた。ピリピリとした空気に恐れをなしながらも「表彰式が始まります」とアンリに告げる。
この場から逃げ出す口実が生まれて、アンリは嬉々としてスタッフに従った。
表彰式はつつがなく終わった。
どうにか整えられた会場のごく狭いスペースで、アイラとアンリ、そして騎士科の学園生に対して表彰状が手渡された。表彰状には順位は明記されず「優秀な成績をおさめた」という無難な言葉が記載されていた。
表彰式が始まるまでの間に、観客の大半が会場を離れたようだ。観客席の人の姿がまばらになっていたので、表彰式に臨むアンリはほっとした。
アイラはつまらなそうな顔をしていて、帰りに小声で「アンリと対戦したかったのに」などと呟いた。一方で騎士科生のほうはそんなアイラの呟きを聞いた後に「君とも彼女とも、対戦せずに済んでよかったよ……」とアンリにだけ聞こえるようにこっそりと言った。
優勝賞品であるドラゴンの鱗はアイラの手に、準優勝賞品である魔法器具は騎士科の学園生の手に渡った。
今さらドラゴンの鱗も魔法器具も必要ともしていなかったアンリは賞品を辞退した。騎士科の学園生は「どうぞ、どうぞ。アイラさんが先に好きなほうを選んでください」と言って選択権をアイラに譲ったのだった。アイラとの無用な争いを避けたかったのだろう。
そうして選択権を得たアイラは迷うことなくドラゴンの鱗を選び、意外にも嬉しそうな顔をしてそれを受け取った。
「アイラなら、欲しければドラゴンの鱗くらい手に入るだろ? そんなに嬉しい?」
「……アンリの基準で物事を考えないでくれるかしら? ドラゴンの鱗は、お金を積んでも手に入らない希少なものよ。私だって、そうそう手に入れられるものではないの」
そうだったのか、とアンリは瞠目する。たしかにドラゴンの鱗はそうそう市場に出回るというものではない。しかしアイラまで珍しがるようなものだったとは。
そこまで考えて、アンリははたと魔法工芸部の部長であるキャロルとの約束を思い出した。優勝して景品を得られたら、彼女に譲る……そんな約束をしていたように思う。
(キャロルさん、ドラゴンの鱗ほしがってたよな……俺が簡単にアイラに譲ったこと、知ったら怒るかな)
アイラに譲ったことを隠し通すか、あるいは何か代替品を用意するか。
どうキャロルをごまかすかということに、アンリはしばらく頭を悩ませた。




